これは私が中学生の時の話です。
私の実家は田舎でとにかく物騒な地域でした。急に誰かが家に入ってきたり、その辺で喧嘩なんかは日常茶飯事でした。村社会独特の嫌な慣習なども多く、はっきり言って私はあまり実家が好きではありません。
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しかし村の中には優しい普通の人もいて、私の学校からすぐ近くの木工所で働いているキヨシおじさんが私は大好きでした。
キヨシおじさんは東京から引っ越して来た40歳前後の人で、その当時の私の知らない都会の話を色々と聞かせてくれました。余所者には色々と厳しいこの村でも、明るく礼儀正しいキヨシおじさんは人気者でした。
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私はある時キヨシおじさんにどうしてこんな田舎に来たのか尋ねてみました。私にとってはただの好奇心で普段の会話の一部のつもりでした。
しかしその話をした時キヨシおじさんは少し悲しそうな顔をして戸惑って、それからいつもの笑顔で都会が嫌になったと教えてくれました。
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私は子供心に何か聞いてはいけないことを聞いてしまったと気付き、それからその話題は口に出しませんでした。
キヨシおじさんは木工所の二階に住み込みで働いていて、他に家族はいないようでした。
東京にいた頃の話はよくしてくれましたが、家族についてはキヨシおじさんは何も話してくれませんでした。
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ある日学校からの帰り道に遊歩道を歩いていると、赤ちゃんのベビーカーを押したとても綺麗な女の人を見かけました。
その女性は私に会釈をすると村の方へと歩いて行きました。すれ違ったときにとてもいい香水の香りがしたのを今も覚えています。私は家に帰ってから、もしかしたらキヨシおじさんのお嫁さんかなぁと勝手な想像で盛り上がっていました。
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そしてその妄想は現実のものとなりました。その女性は私達の母親などが溜まり場にしている公民館に現れ、キヨシおじさんの奥さんだと挨拶して、おじさんの居場所を聞いて回っていたそうです。
その女性はどうみても30前の若い女性で、キヨシおじさんとは釣り合わないくらいの美人だったねぇ。と私の母は話していました。しかしそれから少し不思議な事が起きました
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お嫁さんが現れたのと同時にキヨシおじさんが村から姿を消したのです。噂好きの村の人間はあーでもないこーでもないと毎日無駄な推論を繰り返していました。
私は単純にキヨシおじさんがいなくなったことが寂しくて心配でした。馬鹿な私はよせばいいのにキヨシおじさん失踪の謎を解明しようと一人で木工所に向かいました。
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木工所はその日休みで。私はチャンスとばかりに二階のキヨシおじさんの住んでいた部屋へと向かいました。ドアの鍵はかかっていたのですが、階段から届きそうな位置にある窓が開いていたためそこから侵入しました。
キヨシおじさんの部屋にはあまり物がなく、布団と軽い荷物があるだけでした。
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私はいけないと思いながらも荷物を開けて中に入っていた写真を見ました。そこにはキヨシおじさんの家族が写っていました、子供も二人写っています。
しかし写ってなくてはいけないものが写っていないのです、自分が妻だと言い触らして歩いていたあの女性が一枚たりとも写真にいないのです。
では写真の中でキヨシおじさんの隣で笑っている女性は誰なのでしょう?
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私は子供心に悟りました、この写真の女性こそが本当の奥さんにちがいないと。そして同時に恐くなりました、あの女性は一体誰なんだろう?新しい奥さんだとしてもどうして一緒に暮らさないのか、そしてどうしてキヨシおじさんは逃げるようにいなくなったのか。
子供の私にはそれが精一杯の探偵ごっこでした。そろそろ帰ろうと入ってきた窓の方へむかうと、誰かが二階へ上ってくる音が聞こえました。私はどうしようかオロオロして、台所横の備え付けの棚の下段に隠れました。幸いそこに食器などは入っておらず、小娘ひとりなら簡単に隠れることができました。
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キヨシおじさんが帰ってきたのかな?木工所の人かな?などと考えていると、鍵を開ける音が聞こえ、乱暴な歩き方で誰かが入ってきました。
「なんでこんなところにあたしが」
「いなくなってもむだだってわかんないのかな」
声はとても早口でボソボソと話していたので誰だかわかりませんでしたが、その人物が台所に来たときに誰だかわかりました。
初めて会ったときに嗅いだあの香水の香りがしたのです。女はなにかをブツブツ怒った口調で呟きながらキヨシさんの荷物を持ってすぐに部屋を出ていってしまいました。
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私はキヨシおじさんが都会を離れたのはあの女のせいに違いないと確信しました、あれはきっとストーカーだと。隠れていた棚から出た私はすぐに窓に向かい外に出ました。この事は誰にも話せない、もうキヨシおじさんに関わるのはやめようと決心し階段を降りると、カランカランと赤ちゃんをあやすときに使うおもちゃの音が聞こえました。
そして階段の下にあの女が押していたベビーカーもありました。
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気付かれていたか?それとも出るのが早すぎたか?大量の汗をかきながら階段の中腹で立ち止まっていると、「ねぇ」と声をかけられました。
私は声の方を振り向いてすぐに気絶してしまいました。気絶する前の一瞬に見た光景は今でも忘れられません。
あの女は目がカッと開いた首だけの赤ん坊をカラカラと音が鳴るおもちゃであやしていたのです。
赤ん坊は明らかに首だけで笑っていました。
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目が覚めたとき私は、キヨシおじさんがどうして田舎に来たのか尋ねた日の事を思い出していました。「都会が嫌になった」これはあの女の事だったのだろうと勝手に思い込みました。
それからしばらくしてあの女が村から消えた頃、キヨシおじさんが村に戻ってきました。
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変な女が来てさ、とかあの女は誰なの?など色々な質問をキヨシおじさんはみんなにぶつけられていました。キヨシおじさんは正直にあの女の事は全く知らない、けれどどこへ逃げても必ず現れる。これ以上ご迷惑はかけられないので、またどこか遠くへ行きますとだけ告げて村を再び後にしました。
私はキヨシおじさんが村を出る前に、写真を見たことと、首だけの赤ん坊の話をしてみました。
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やはり写真の人物はキヨシおじさんの家族でした、あの女が現れてから、直接何もされていないのに一人また一人と家族が病気で亡くなっていったそうです。
赤ん坊に関しては忘れなさいとだけ言われました。あれは本来見てはいけないものだからと。
そしてキヨシおじさんは最後ににっこり笑って村を後にしました。私はその時おじさんがもうすぐ死ぬということが何故かわかって泣いてしまいました。
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おじさんに憑いてきていたあの女はおじさんを向こうに連れていこうとしていたのでしょう。悪いものなのかどうかはわかりません、でも私はまたおじさんに会いたい。どうか奪わないでと願った日の事を今も覚えています。
あれは死神の類いなのでしょうか、それともただの悪霊なのか。私にはわかりません。
今もあのおもちゃの音がカランカランと頭にこびりついています。
作者ゆな