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《*源蔵*》
「なんて事だ・・・。」
首から下げたタオルでそっと目頭から流れる涙を拭い、独り言を呟く。
多恵の通夜の日、その同じ日に、多恵の孫の学と花枝の姉弟が揃って亡くなった。
それも、多恵が亡くなったあの場所で・・・・・・・
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学は源蔵の孫と幼馴染で、学が寄宿舎の有る遠く離れた学校に進学する前は、よく源蔵の家に遊びに来ていたものだ。
源蔵も多恵とは幼馴染だったので、そんな縁から小さな学を可愛がり、多恵の若い頃の話を聞かせたものだ。
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互いに口には出さなかったが・・・
源蔵は多恵を・・・
多恵は源蔵を・・・・・・
互いに好き合った仲だった。
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多恵が地主の家の下女になってからも、源蔵が畑で採れた野菜を持って行くと、多恵ははち切れんばかりの笑顔で源蔵を迎え、色んな話をしたものだ。
「源ちゃん!旦那様や奥様には内緒よ!」と、当時は貴重な麦芽の水飴を、こっそり小さめの壺に入れて渡してくれた。
「源ちゃんのお祖母ちゃんにあげて!」ニッコリ笑う多恵は、それは可愛らしかった。
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お屋敷の奥様は、線の細い綺麗な方だった・・・。
だが、とても厳しい人で、少しそそっかしいところのある多恵は標的になり、ヒステリックに怒鳴られたり、竹の棒でぶたれたりしていた。
源蔵からすれば、憎からず思っている多恵に手を上げる奥様は、どんなに綺麗でも好きにはなれない人だった。
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そのうち、戦争が勃発。
源蔵は赤紙が来、満州へ行く事になり、多恵のお屋敷の旦那様も時を同じくして戦地へ赴く事となる。
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《*多恵*》
「あ~あ・・・」
多恵は溜息を吐いた。
今日は奥様に怒られない様にと思っていたのに、奥様の機嫌が悪かった様で、しこたま腕をぶたれてしまった。
幾筋も付いた竹の跡が、多恵の腕を赤く腫れ上がらせている。
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多恵より数年長くお屋敷勤めをしているお春から聞いたが、奥様のご実家は祈祷師をしているそうだ。
それも、所謂、権力者と呼ばれる者を対象に、敵対する人物に呪いを掛ける事を生業にしているそうで、いつも途絶える事無く依頼者は来るらしい。
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「だから・・・あたしだって奥様は嫌いだけど、逆らったりしたら呪い殺されちゃうからね!多恵ちゃんも気を付けなさいよ!」お春は多恵が奥様に折檻を受けた後には必ず、言って聞かせた。
多恵は、そんな怖い話を聞かされていたから余計に、奥様が怖く、何が有っても逆らおう等と思えず、従順に言い付けを守っていた。
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(もうすぐ源蔵さんが来る頃かしら・・・?)
多恵は、幼い頃から源蔵が大好きだった。
子供の頃、男の子に苛められていると、源蔵はいつも多恵を庇ってくれた。
熱を出して寝込んだ時には、畑に行っている両親が留守の家にこっそり忍び込み、懐から笹の葉に包んだ麦芽の水飴を差出し、「祖母ちゃんの甕から盗んで来た!これ食って栄養付けて早く治せ!」と、ぶっきら棒にそれだけ言うと、帰って行った。
高熱を出しているので味も分からないのに・・・源蔵がくれた水飴はとても甘く、とても美味しかった。
不器用だけど優しく、言葉は少ないけれど暖かい、そんな源蔵が多恵は大好きだった。
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今日も、野菜を持って来てくれるのだろう・・・
そして、いつもの様に・・・源蔵の畑の畦に咲いている野花をそっと多恵に渡してくれるのだろう・・・。
多恵は、いつか源蔵のお嫁さんになれると信じていた。
こんなに好いた源蔵と、いつかは一緒に暮らせる日が来ると信じていた・・・。
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《*キヌ*》
キヌは苛々していた。
夫が悪いのか自分が悪いのか分からないが、夫が戦地から帰って来たと言うのに、一向に後継ぎが出来ない。
義母が亡くなっていたから良かったものの、もし生きていたなら、どれだけ罵られたのか・・・。
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実家の母親に相談したところ、夫の子種で他の女に産ませれば良いと・・・。
・・・・・・・・・・
だが、夫の血を分けた子供とは言え、キヌにとっては赤の他人。
そんな子供など愛せる筈がない。
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それでなくても以前から、夫が多恵を見る目が気になっている。
下賤な女のくせに、淫靡な笑みで夫に色目を使っているのが気に食わない。
その分、気は利かないが、無愛想なお春の方が未だマシだ。
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そんなある日・・・・・・。
恐れていた事が現実になってしまった。
キヌは夫から暇(いとま)を出されてしまった。
早い話が、離婚を突き付けられたのだ。
多恵はキヌの目を盗み、夫の子を孕んだのだ。
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プライドを酷く傷付けられたキヌは、「そんな道理は許されない!!納得が出来ない!」と、意地になり、夫の元に居座り続けた。
そうこうしていると、見る見るうちに多恵の腹は膨らんで来る。
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キヌが居座り続けているので、多恵は後妻にもなれないばかりか、何かにつけてキヌに叩かれ、子供が流れる様にと、わざと重い米俵を運ばされたりもした。
それでも多恵はいつもの様に笑顔で、「はい!奥様!すぐにやります!!」と答えるのも気に入らない。
腹の中じゃ、キヌを笑っているくせに・・・
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その日・・・
「洗濯をするから」と、タライ一杯に井戸から水を汲む様に言い付けた。
多恵は何度も釣瓶を操り、井戸から水を汲み、タライが一杯になった後、キヌは多恵に言い放った。
「お前の大きなお腹を見ているだけで暑苦しい!!お前がこの水に浸かれ!!!!」と。
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「奥様!こんな冷たい水に浸かったら・・・お腹の子供が流れてしまいます・・・。それだけはご勘弁下さい。」
多恵は涙ながらに地に額を擦り付け、キヌの許しを請う。
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だが、子供が欲しくても出来ないキヌにとって、多恵のその言葉が火に油を注いでしまった。
キヌは、「さあ!!早く裸になって、この水に浸かりなさい!!お前の子供なんて、死んでしまえば良い!!!」と、ヒステリックに多恵に向かって叫ぶ。
その時・・・・・・・・・
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「キヌ!!!止めなさい!!!」
男の一喝でキヌは凍り付いた。
・・・・・・
商談で出かけた筈の夫の声だったからだ・・・。
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夫はやや興奮気味に、「キヌ!お前とはもうとっくに縁を切っている筈だ!!
今の私の妻は多恵だと分かっているのだろう!?」と・・・。
キヌは夫の声を背中に受け、多恵を見下ろしたまま何も言い返せずにいた。
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「さあ、多恵・・・土下座なんてするものじゃないよ。
私が留守の間、いつもこんな酷い仕打ちを受けていたのか?
可哀想に・・・。」
夫の正一は、キヌの横をすり抜けると、地べたに座り込み泣きじゃくる多恵に手を差し伸べ、優しく多恵に語りかける。
そして・・・・・・・・
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「キヌ。お前が哀れと思い、お前の気が済むまでとここに置いていたが・・・
私の妻となった者に、私の子供に・・・こんな酷い仕打ちをするお前を、もうここに置いておくことは出来ない。
早々に実家へ帰れ!」
普段は穏やかな正一だったが、声を荒げてキヌを怒鳴りつけた。
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キヌは正一の顔を睨み付けると
「お前もこの女も腹の子も・・・全て私が呪い殺してやる!!!
一族全てを呪い殺し、お前達の子孫を根絶やしにしてやる!!!」
吊り上がった目を一段と吊り上げ、悪鬼の様に言い放つと、物凄い速さで山に走って行ってしまった。
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真っ青な顔をしてブルブル震える多恵を慰めながら、正一も多恵と同じくキヌの執念が恐ろしかったが、多恵と子供を守れるのは自分しかいない。・
何が有っても多恵達を守り抜く事を心に決めた。
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《*正一*》
キヌはあれ以来、どこかに姿をくらましてしまった。
実家にも帰らず、正一の家の山のどこかに姿をくらましたままだった。
山菜や茸を採りに行った村人の何人かが山でキヌを見かけたと言うが・・・。
その姿はまるで、獣・・・と言うより、鬼の様だったと・・・。
着ていた着物はズタズタに破れ、兎を生きたまま食べている所を見た者もいた。
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元々痩せぎすの女だったが、一段と痩せ・・・枯れ枝の様に骨張った腕で暴れる兎の毛を毟り、血を啜り、口の周りを真っ赤に染めたキヌは、古来から伝え聞いている悪鬼や餓鬼の様だったと、採った山菜を放り投げ逃げ帰った村人は、いつまでも止まらぬ身体の震えを両腕で押さえ付けながら話してくれた。
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キヌの父は、呪詛を行う祈祷師だった。
キヌ自身も力を持っている様で、結婚する筈だった許嫁は、正一がキヌに一目惚れされたばかりに祝言直前に呪い殺されてしまったのだ。
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失意の底にいた正一に、遠縁の者が、キヌとの縁談の話を持って来たが、正一は痩せぎすの吊り目のキヌが好きになれなかった。
なので「許嫁が亡くなって間もない今は、誰とも所帯を持つことは考えられない」と伝え、断った。
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性格のキツそうなキツネ顔より、温和な垂れ目のタヌキ顔の女が好みだったし、何より、キヌは言葉では言い表せない、不穏な雰囲気を纏っていた。
キヌとのお見合いを断った正一は、その後も数人の女性とお見合いをした。
だが、その女性達は結納をする前に全員亡くなってしまったのだ。
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そのうち、正一とお見合いをすると命を取られるとの噂が流れ、後継ぎの正一だったが、とうとう嫁の来手も無くなってしまった。
体裁を気にした両親は、これ以上の禍(わざわい)を避ける為、正一に夢中になっているキヌを身内に取り込む事に決めた。
本人の意思など無視され、あれよあれよと言う間に、気が付いた時にはキヌは正一の妻となっていた。
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初夜の晩、キヌは正一の布団の横に正座をしながら言った。
「ほら・・・旦那様。これでお分かりでしょう?
貴方と私は結ばれる運命だったのです。
私の貴方を想う気持ちが強過ぎたから、貴方に近付いて来た虫共は皆死んだのですよ。
くくく・・・。」
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襦袢の袖で口元を隠しながら、籠った声で笑うキヌが正一は怖くて堪らなかった。
「貴方の面立ちに似た子供を、私に下さい。」キヌはそう言うと、金縛りにあった様に身動きの出来ない正一に覆いかぶさって来た。
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多恵が下女でこの屋敷に来てから、正一は多恵が気になって仕方なかった。
ぽっちゃりとした丸顔で、笑顔の可愛い女だった。
どんな事を頼んでも嫌な顔もせず、いつも笑顔で元気よく答え、一生懸命に働いてくれた。
キヌから目の敵にされている事に気付いてはいたが、下手に庇うと多恵まで許嫁達の様にキヌに呪い殺されてしまうかもしれない。
そう思うと、正一には多恵を庇う事も助ける事も・・・出来なかった。
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しかし、戦地から帰り、今まで通りの生活に戻った筈なのに、敵国の者とは言え人を殺した事への罪悪感・・・何をしていても心が塞ぎ、キヌのヒステリックなキンキン声を聞くのが堪えられない日々が続いていた。
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その日は薄曇り空だった。
キヌは頼まれた縫物を届ける為、珍しく外出をすると言い、支度を整えお春を供に出掛けて行った。
いつもなら、多恵に届けさせるものを、キヌも正一と過ごす事に、少なからず鬱積した想いも有ったのだろう。
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正一はゆっくりと自室で読書を始めた。
そしてお茶を煎れてもらおうと多恵を呼んだ。
いつもの元気な声で返事をし、多恵は小走りでやって来た。
「はい。旦那様?ご用事は?」そう笑顔で顔を上げると、その頬に一筋、赤く蚯蚓腫れが有るのを見た。
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何が気に入らないのか、キヌはいつも竹の棒を懐に仕舞い込み、それで多恵を折檻するのだ。
・・・・・・
「多恵・・・すまないな・・・。」
正一はそう言うと、多恵の前に来て座り、多恵に向かって頭を下げた。
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「旦那様!!お止め下さい!!私みたいな者にそんな事・・・やめて下さい!」
多恵は面食らって、旦那様に頭を上げる様に切願する。
正一は顔を上げ、多恵の頬に出来た蚯蚓腫れにそっと手を添えた。
多恵は一瞬、ビクンと肩をすくめ、両目をギュッと瞑ったが、正一にぶたれる訳じゃないと分かると、ちょっと照れた様な表情をし、正一に向かって改めて両手を付き頭を下げた。
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キヌに遠慮をしていたから考えない様にしていたが、正一は多恵が好きだった。
その想いが爆発した様に、気付くと多恵を力一杯抱き締めていた。
「旦那様!!お止め下さい!!」多恵は正一の腕を振りほどこうとしたが、もうキヌなどどうでも良いと心に決めた正一は力ずくで多恵を自分の物にしてしまった。
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白く柔らかい背中に幾筋かの新しい物から古い物まで・・・竹で叩かれた跡を付け、多恵は声を殺して泣きじゃくっていた。
「多恵・・・。すまない・・・。だが、私は本気だ。
こうなった以上、多恵・・・お前の事は私が命を懸けても守る。大切にする。」
正一は多恵の背中を強く抱き締めながら、多恵に言い聞かせた。
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本当は、多恵には好きな男がいるのを知っていた。
野菜を届けに来た後、二人で楽しそうに話している姿を何度も目にしていた。
だが、小作人の倅で、長男でもないあの男では多恵を幸せにする事は出来ない。
多恵は私しか幸せに出来ないのだ。
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そして、たった一度の性交で、多恵は子供を身籠った。
キヌは未だ屋敷に居座っていたが、諦めていた跡取りが出来た喜びに、正一は浮足立ち、あの日まで、多恵がどんなに辛い日々を送っていたのか知らなかったのだ。
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執念深いキヌの事だから、邪術を使い、多恵の命を狙うだろう・・・。
正一は、菩提寺の住職の伝手で祈祷師を紹介してもらい、キヌやキヌの一族からの呪詛に対抗するべく呪詛返しの祈祷をしてもらった。
キヌがどんなに正一や多恵を呪ったとしても全てそれがキヌ自身へ返る様にと祈った。
キヌの呪いが強ければ強いほど、キヌ自身へ返る呪いも強くなる。
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《*多恵*》
大好きな源蔵との結婚は夢で終わってしまった。
旦那様は優しくしてくれるし好きだけど、源蔵への気持ちとは全く別物だった。
奥様が居なくなってから、お春ちゃんは多恵を「奥様」と呼ぶようになり、食事の支度さえさせてくれなくなった。
源蔵も野菜や米を持っては来るが、今迄の様に野花を摘んで来てくれる事は無くなり、源蔵まで多恵を「多恵ちゃん」ではなく、「奥様」と呼ぶようになってしまった。
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だが、「奥様」とは、いつまでも多恵の中では「キヌ」であり、多恵は多恵でしかなかった。
奥様が鬼になったとか、多恵や旦那様に呪いを掛けていると怖い噂を耳にし、多恵は恐ろしいこの現状をただ嘆く毎日だった。
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もうすぐ臨月になると言う、夏の暑い日。
多恵は誰かに呼ばれて庭に出た。
しかし、辺りを見回してもそこには誰の姿もない。
すると、又誰かの声がする。
多恵を呼んでいる。
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多恵は、何故だかその声の主の元へ行かなくてはいけない様な気持ちになり、キヌがどこに潜んでいるのか分からないからと旦那様には止められていた山へと続く道を歩き出した。
昼間でも鬱蒼とした暗い山は、鳥肌が立つほど怖いのに、歩みを止める事が出来ない。
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重たいお腹を抱えて声の主を探しに山の奥に入って行く。
大して高くもない山の、もうすぐ頂上に着くと言う頃、三つ辻に差し掛かった。
多恵を呼ぶ声は、そこでピタリと止まった。
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「誰?」
多恵は首を左右に振りながら、声の主を探した。
ガサッ!!!
目の前の草むらが揺れたと思ったら、多恵の足元に何かが転がって来た。
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「ヒッ・・・!!!」
多恵は息を飲んで尻餅を着いた。
それは・・・
無残にも引き千切られた兎の首だった。
頸椎が付いたまま・・・今そこで生きたまま引き千切られたのか。
未だ口元や眼元がピクピクと痙攣している。
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「ヒッヒッ・・・・」多恵は恐怖のあまり、叫ぶことも逃げる事も出来ずに、尻餅をついた姿勢のまま目の前の草むらを凝視していた。
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すると、その草むらから・・・
ズタズタに破れてはいるが、見慣れた浅葱色の紬を着た者が・・・
櫛を通していない髪の毛は畝って逆立ち、土気色の頬は痩せこけ、爛々と光る目をこれ以上ないほど大きく際立たせている。
憎悪の塊の様に多恵を睨み付けるそれは・・・・・・「奥様」だった。
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「お前だけは許さない・・・」
奥様はジリジリと多恵ににじり寄って来る。
「何でお前は生きている!!!!
自分の命を削ってまでお前に呪いを掛け続けているのに・・・
それなのに・・・
何故お前は死なない!!!」
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兎の血で染まった長い爪が多恵に近付く。
多恵は観念した様に、両目を瞑り・・・
「奥様・・・本当に申し訳ありません・・・
お許し下さい・・・」と・・・・
キヌの幸せを奪ってしまった申し訳なさを詫びた。
だが、そんな事でキヌの怒りが収まる筈はない。
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正一を自分の物とするべく、近寄る女達を呪い殺し、やっとの思いで手に入れたキヌの愛しい夫の心を奪い、ましてその夫の子供まで孕んでいるのだ。
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「呪いなど、もう・・・どうでも良い・・・。
お前はこの場で、私に殺されるんだ!!!
そして、この三つ辻に埋めてやる!!
お前には極楽浄土も地獄も味あわせてやるものか!!
この三つ辻に何百年、何千年も縛り付けられるが良い!!!」
キヌは四つん這いになると、多恵に飛びかかって行った。
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「キャーーーーー」
多恵は自分のお腹を抱えて庇い、蹲って叫んだ。
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すると、生温かい物が多恵の頭から項(うなじ)にかけて飛んで来た。
「多恵ちゃん!!大丈夫か!?」
顔を上げると、源蔵と、その横には鎌の刃を項から喉元にかけて貫通させたキヌが、口をパクパクして倒れて行く。
キヌから流れ出た血は地面を流れ、多恵の着物の裾をどす黒く染めて行くが、多恵は立ち上がる事も出来ずに顔を覆い、泣きじゃくる。
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源蔵は多恵の腕を優しく掴んで立たせると、何も言わずに多恵を抱き締めた。
愛しい人の胸に抱かれ、多恵は源蔵の胸に顔を埋め、ただ泣くばかりだった。
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《*源蔵*》
お屋敷にいつも通り野菜を届けに行くと、多恵がフラフラと家から出て来た。
キョロキョロと辺りを見回し、時折首を傾げ、耳を澄まし、そして山に向かって行ったのだ。
源蔵が何度も多恵を呼ぶが、多恵には源蔵の声も姿もまるで入っていない。
様子があまりにも変だったから、源蔵は多恵の数十歩離れて後を付いて来たのだった。
そして、奥様が多恵に襲い掛かる場面に直面してしまった。
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源蔵は三つ辻に穴を掘ると、キヌの遺体をそこに埋めた。
多恵は呆けた様に虚ろな目をして、源蔵の動きを眺めている。
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「多恵ちゃん・・・。もうここには来てはいけないよ。
奥様の言う通り、この三つ辻が人の魂を縛り付ける場所なら・・・
多恵ちゃんも旦那様も子供も・・・誰もここに来てはいけない。」
と、多恵の両手を両手で包むように握り締めながら言い聞かせる。
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「うん・・・。でも、源ちゃんは?
ここを通らなくてはいけない時もあるんじゃないの?」
多恵は、一度は止まった筈の涙を又目に一杯溜めると、源蔵の胸に頬を付け、心配そうに顔を見上げる。
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「俺なら大丈夫だ!いざとなったら奥様だろうが、物の怪だろうがやっつけてやるから!」
源蔵は笑顔を作り、多恵に向かって腕の力こぶを見せた。
「源ちゃんったら・・・」
多恵がやっといつもの笑みを源蔵に返してくれる。
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源蔵は、それだけで良かった。
多恵と所帯を持つことは出来なかったが、多恵の笑顔を遠くからでも見守る事が出来るなら幸せだった・・・。
そして、多恵をお屋敷に送り届けると、そのまま源蔵は立ち去った。
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後日、多恵から話しを聞いた旦那様が源蔵を訪ねて来たので、事と次第を話すと、奥様の遺体はそのままあの山のあの三つ辻に埋めたままで置くことにすると言う。
旦那様の懇意にしている祈祷師に、奥様の祟りが及ばない様に、あの三つ辻に魂縛する必要があると言われたそうだ・・・。
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あれから・・・
多恵は女の子を産んだ。
旦那様は、それはお嬢様を目の中に入れても痛くない程の可愛がりようで、奥様の呪いも祟りもなく、多恵は幸せに暮らしていた。
お嬢様が中学に上がる頃、旦那様は床に就いたと思ったら、アッと言う間に亡くなった。
苦しむ事無く、眠る様に亡くなった。
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源蔵はと言うと、親に勧められるままお見合いをして、その相手と結婚をした。
特別不幸な事もなく、子供達や孫達に囲まれて暮らせると言うのは、幸せな事なのだろう・・・。
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《*多恵*》
時々、自分が何をやっているのか分からなくなる時がある。
頭に靄が立ち込めた様に、娘や孫の言葉も理解できない。
自分が自分で無くなって行くのが怖くて堪らない・・・。
娘や孫にどれほど迷惑をかけているのかと思うと、早く旦那様にお迎えに来て欲しいと願ってやまない。
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それに・・・最近・・・誰かが私を呼ぶ声が聞こえる。
声の主を探してみるが、誰もいない。
おかしい・・・・・・
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以前・・・
そう・・・ずっと昔、この声を聞いた事がある様な気がする・・・。
今日も呼ばれている・・・。
昼間からずっとだ・・・。
今夜、誰が私を呼ぶのか・・・会いに行ってみようと思う。
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何故か胸が痛む・・・。
本当は行ってはいけない様な気もする・・・。
だけど、行かないと、痛い目にあってしまうような・・・
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《*源蔵*》
多恵ちゃんの葬式に続き、学と花枝の通夜の夜・・・。
今度は多恵ちゃんの忘れ形見の一人娘があの三つ辻で死んだ。
花枝の未だ幼い娘は、母親や祖母が亡くなった事の意味も未だ分からずにいるだろう・・・。
だが、この子だけは守らなくてはならない・・・。
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源蔵は、妻も子供達も寝静まった深夜・・・
軽トラックに乗り込むと、禁忌の山へ入って行った。
昼間のうちにピカピカに研いだ、よく切れる鎌を持ち、キヌを埋めたあの三つ辻へ・・・
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ヘッドライトで煌々と照らすと
「奥様!!!源蔵です!!!」そう叫んだ。
だが、キヌは出て来てはくれない。
「奥様―――!!!」
「奥様―――――――!!!」
いくら呼んでもキヌは源蔵の前に現れる事は無かった。
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・・・
源蔵は三つ辻を正面に胡坐をかくと、独り言のように話し出した。
・・・
・・・
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「多恵ちゃんと俺は好き合っていた。
奥様が旦那様を想うように、多恵ちゃんは俺を、俺は多恵ちゃんを想っていた。
多恵ちゃんが旦那様に手籠めにされた後、多恵ちゃんが俺を避ける様になったから・・・
俺、多恵ちゃんに聞いたんだ・・・。
“多恵ちゃん、俺・・・何か多恵ちゃんが嫌がる事でもしたか?”って・・・。
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すると・・・多恵ちゃん・・・泣き崩れてしまったんだ・・・。
源ちゃんに合わす顔がないって・・・。
そして、初めて多恵ちゃんが旦那様の物になってしまった事を知ったんだ。
ショックだったけれど、それでもそれは過ちだと思っていたから・・・。
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奥様もいたし・・・。
でも、多恵ちゃんのお腹は大きくなって来て、旦那様の子供を孕んだって気付いたんだ・・・。
旦那様にとって多恵ちゃんの事が過ちなら、いつか多恵ちゃんは俺の元に帰って来ると思っていたのに・・・
旦那様は遊びなんかじゃなく、本気で多恵ちゃんを好きだったんだって・・・。
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奥様は居なくなり、多恵ちゃんがお屋敷の奥様になってしまったんだ・・・。
けれど、多恵ちゃんは多恵ちゃんで何も変わっていないし、多恵ちゃんが俺を想ってくれている事も分かっていたんだ・・・。
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あの時・・・・・・・・・。
そう・・・・
奥様が変わり果てた姿で多恵ちゃんを殺そうとした時・・・
俺は多恵ちゃんを助けるために、奥様を殺した。
奥様の遺体をこの三つ辻に埋め、多恵ちゃんをお屋敷に送り届ける時に、多恵ちゃんは俺に話してくれたんだ・・・。
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多恵ちゃんのお腹の子供は、俺の子供だって・・・。
旦那様に手籠めにされる少し前、俺と多恵ちゃんは一度だけだったけど・・・
結ばれたんだ・・・。
その時の子供がお腹の子だって・・・。
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多恵ちゃんは旦那様にも話したけど、旦那様には子種がなかったみたいで・・・
旦那様の子として育てるから他言無用と、奥様の遺体の事で話し合った時に俺は旦那様に言われたんだ・・・。
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だから、多恵ちゃんが奥様を裏切った訳じゃないんだ。
奥様が殺した花枝も学も・・・俺の血を分けた孫なんだ。
そして、俺と多恵ちゃんとの娘まで・・・奥様は手に掛けた!!!
だけど花枝の娘・・・あの子だけは絶対にお前に殺させない!!!
もう止めてくれ!!!」
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源蔵は見えないキヌに全てを話、懇願した。
・・・・・・
・・・・・・
だが、いくら待ってもキヌは現れる事はなかった。
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源蔵は乗って来た軽トラックに乗り込むとUターンをし、来た道を戻って行く。
街灯もない道は真っ暗だ。
シャツの胸ポケットから煙草を取り出すと一緒に出した使い捨てライターで火を点ける。
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一瞬車内が明るく光る。
トラックの荷台に何かが見えた気がしたが気にもせず、口から細く煙を吐き出すと又煙草を吸う。
チリチリと赤い火が大きくなる。
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そして、煙を吐き出し、もう一口煙草を吸い込むと、赤い火に照らされ、女が大きな口を開けて笑っている姿がバックミラーに映った。
・・・
女は荷台に乗っていた。
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女は源蔵が気付くと、荷台側のガラスを擦り抜け、源蔵の座る運転席側のシートを掴み、源蔵の顔のすぐ横に自分の顔を並べると横目で源蔵を睨みつけ、光る何かを振り上げた。
それは、源蔵がキヌと戦う為に持参したピカピカに研いだ光る鎌だった。
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鎌は、源蔵の項から入り、喉元を貫通した。
半月型の鎌の刃は頸動脈を切断し、刺さった喉元から激しく血が噴き出す。
やがて源蔵の心臓に動きに合わせる様に噴き出した血も、源蔵の心臓の動きが止まると緩やかに、だが大量に源蔵の身体を、シートを、流れて行く。
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運転者のいなくなった軽トラックは静かに山道を下ってはくれず、カーブを曲がらず直進したかと思ったら、真っ暗な暗闇に落ち、その後に激しい音と共に火柱が上がった。
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*********************
多恵は、今日もキヌに折檻をされた。
旦那様に色目を使ったと誤解されては叩かれ、呼ばれたらすぐに飛んで来いと叩かれ・・・。。
初めの頃は腕や足だけだったが、最近は着ている物を脱ぐ様に言われ、奥様の前で全裸にされ、「醜くなれ!!」と、呪詛の言葉を吐きながら多恵の白い柔肌に容赦なく幾筋もの蚯蚓腫れを作る。
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多恵は旦那様の事を好いている訳ではないし、色目を使った事など一度もない・・・。
奥様の妄想で旦那様との仲を邪推され、理不尽な折檻を受ける事に堪えられなくなっていた。
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旦那様と奥様の留守の時、奥様が箪笥に仕舞っているアルバムから多恵は一枚の写真を取り出した。
それは・・・旦那様と奥様の結婚式の時のものだった。
写真の裏に、おまじないの符呪を貼り付け、仏壇の引き出しを一旦外し、その下に隠す様に写真を仕舞う。
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それは一緒に働くお春ちゃんがくれた符呪。
多恵がお屋敷に奉公に来る前、奥様の怒りの矛先を一身に受けていたお春ちゃんに、遠縁にあたる親戚から両親が預かったものだと言う符呪を、今度は多恵がお春ちゃんから譲り受けた。
いざとなったら使う様に・・・
奥様からの怒りが消えるからと、多恵はお春ちゃんからそう聞かされていた。
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・・・
奥様から折檻されなくなります様に・・・
・・・
奥様と・・・仲良くなれます様に・・・
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それは・・・・・
多恵自身、気付かぬうちに行った、キヌへの呪詛だった。
作者鏡水花
解き放たれた呪詛の序章、その後に繋がる話です。
以前の仕事で関わって来たお年寄り達から聞いた話や、その方の履歴から読み解いて、それに脚色をして出来た話です。
当時関わった明治生まれの方達も、今は既にこの世に居ない方ばかり。
とても慎ましく、優しく、そして強かった明治の方達。
画像は、わざと懐古場面はセピア色に加工して使っております(´ー`;)
ちょっとした拘り・・・気付いて下さる方がいたら良いなぁ…(*´艸`*)ww
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次回の再投稿は、20日以降になります。
暫くの間、仕事モードに切り替えますので、お礼、コメント、メッセージが遅くなりますことを、どうぞお許し下さい(≧人≦)
・解き放たれた呪詛
http://kowabana.jp/stories/29518