少し早めの寒波が到来した十月下旬の朝、けたたましく喚き散らすアラームの音で目を覚ました。
窓を締め切っているというのに、寝室はキリリと冷えこんでいる。
「起きる・・・布団をめくって顔を洗って・・・」
私は自分に呪文をかけるようにブツブツと独り言をこぼしながら決死の覚悟で布団に手をかけた。
私に優しく密着し朝の寒さと相まって至高の暖かさを作り出している布団をめくると、冷気が「今だ!」と言わんばかりに私の懐に飛び込んできた。
全くいい迷惑である。私は枕元に呆然と立ち尽くしている見知らぬ男性に軽く会釈をして、リビングへとむかった。
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朝あまり食欲が湧かないタイプの私は朝食もそこそこに家をでた。枯葉の塊ががカサカサとまるで何かの生き物の集合体のように国道を蠢いている。屋外の凶悪な寒さに縮み上がりながら急いで車に乗り込み、助席の女性の事は気にせずの会社に車を走らせた。
私が勤める会社のフロアに入ると、一足先に到着しした六神透がホットコーヒーをすすりながらキーボードを叩いていた。
六神は私に気づくと人懐こい笑みを浮かべておはようございます、と寝起きの少し掠れたような声で挨拶した。
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「いやあ、まだ十月だと言うのに冷えますねえ。布団からでるだけで大苦戦でしたよ。低血圧にはきついです。」
彼女は再びキーボードを叩きながら言った。
窓を締め切って暖房をガンガンにきかせたオフィスは空気がよどんでいた。
「少しくらい換気した方がいいんじゃないのか。これじゃ仕事中に気分が悪くなってしまう。電気代を節約するためとは言え、仕事に支障が出てしまったら本末転倒じゃないか」
六神と談笑していると、不意になにか気配を感じてそちらの方向を向くと、見知らぬ顔の男性が後ろを音もなく通り過ぎていった。
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「六神、あの男はだれだ?社員にあんな男がいた覚えはないが・・・」
「ああ、知らんふりした方がいいですよ。あの人は生きてる人じゃないほうです。」
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先日、高速道路からしか見えない「家」の怪異に行きあたった日から、私は妙なものが見えるようになっていた。最初はあまりにはっきりと見えるので気づかなかったが、壁に消えていったり、鏡に写っていない人がいることに気づき驚いて六神に相談すると、六神は呆れたような顔をした。
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「先輩・・・さすがにひきますよ。いつ日常の変化に気づくかと思えば、もうあの家に行ってから一週間ですよ?いっしゅうかん!私も最初は気づきませんでしたがすぐに違和感には気づきましたよ。先輩、どれだけ鈍いんですか。やはり先輩は阿呆ですね。」
急に文句を言われた挙句、最後には鈍いだの阿呆だのいわれて私は訳が分からなかった。
「おいおい、もっとわかりやすく説明してくれ。『家』の時もだったが、お前は説明が下手くそ過ぎる!そんなだから大事なプレゼンも上手くいかないんだ!」
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痛いところをつかれ、しょんぼりとした六神はゆっくりと説明しだした。
「私も何故そうなるのかは分かりませんが、あの家にいきあった人間はこの世のものでないものが見えるようになるんです。恐らく、一時的にとはいえ現世を離れ死後の世界に迷い込むことで体質がそちらにら寄ってしまうということではないですかね。」
六神なりに凄く努力して説明したが、何気なく発せられた新たなる真実に私は仰天した。
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「まて!死後の世界ってどういうことだ!あの街は『家』が作り出した幻じゃなかったのか?私は死後の世界にいってしまっていたのか!」
「ええ・・・考えればわかることじゃないですか。あの街には故人しか居なかったですよね?「家」による幻術の類なら、べつに生きてるひとを先輩に見せることも出来たんじゃないですか?」
自分が説明不足のくせに私の理解力のなさのせいにする失礼極まりない後輩に私は憤った。
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「阿呆!自分が知っている情報を相手も知っている前提で話すなといつもいってるだろ!そんなだからお前は大事な営業でも・・・」
またあらぬ方向に話の向きが変わりそうになり、六神は慌てて話を変えた。
「ええっと!つまりは、あの『家』を見ること自体がが「入口」なんです。あの家が視界にはいることで、そちらの世界にひっぱられるらしいです。」
「それじゃおかしくないか?あの高速道路を走る人、みんなあの『家』に迷い込んでしまうじゃないか。」
「そこなんです。先輩はとても欲深い人なんですよ。
綺麗な奥さんに可愛い息子までいるのにあの家がみえるなんて。」
この後輩は先輩に言いたい放題だなと内心呆れながら、指摘するとまた話しがとまるので私は憤りを抑えつつ続きを促した。
「つまりはあの家が見える人は過去に強い未練を持った人、現在を捨ててでも過去を変えたいと思っている人には見える家なんです。わかりましたか?」
「幽霊が現世に現れる理由って、強い未練があってのことですよね。昇天しかけた魂が、自らの未練に引きずられてこの世にもどってくるんです。先輩もそれと同じですよ。自分の未練に付け込まれてあちら側にあるあの家に惹かれたんです。」
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六神はさらに続けた。
「先輩、あのまま帰っていたら気づかないうちに『家』の方にかえっちゃってたとおもいますよ。
なんの覚悟もないまま『家』にいけば、先輩はなんの違和感を感じることもなく幸せなままあの家に魂ごと、存在ごと取りこまれて、永遠にあちらで暮らすことになっていたでしょうね。文字通り、永遠にです。輪廻転生もなければ、極楽浄土にも地獄に行くこともない。」
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六神は最後に真剣な顔になり、こうしめくくった。
「だから私たちは心を強くたもって、あんな家なんかに惹かれないようにしなければ行けないんです。」
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私と六神で昼食をとっていると、人事の松山部長が思いつめた表情で訪ねてきた。背後には複数の女性(透けてる)が列をなしている。
「あの・・・実は今朝、あんた方の会話を聞いてしまったものなんだけど・・・折り入って相談が・・・」
そこまで発言したところで、六神が話を制止し、冷ややかな目線を松山に浴びせた。
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「申し訳ございませんが、何のことだかさっぱり分かりかねます。どうぞお引き取りねがいます。」冷淡にそう言い放った六神に内心驚きつつ、私は慌てて険悪になりかけた2人の間にはいった。
「まあまあ、話だけでも聞こうよ、六神。少しまって下さいね、松山部長!」
そう言いつつ六神をオフィスの隅まで引きずっていき、声を落として六神に詰め寄った。
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「お前、何考えているんだ!相手は人事の松山部長だぞ!お前が心霊ごとにあまり首を突っ込みたくないというのは聞いたが、今回は例外だ!俺たちの会社内における地位が危ぶまれるんだぞ?」
六神は私から不機嫌そうに顔を逸らした。
「先輩、松山部長のこと知らないんですか。人事部長という肩書きをチラつかせて女子社員にセクハラしてるんですよ!かくいう私もセクハラを・・・」
「されたのか!」私は入社時から面倒を見てきた妹分とも言える可愛い後輩に手を出したのかと噴火しかけた。
「されかけたんです!もちろん思い切りビンタしてあげましたけどね。私だってこういう相談される度にあんな冷たく突き放している訳じゃないんです。とりあえず話を聞いて、救いようのある話であれば霊の説得に協力したりもするんです。」
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六神は鼻息を荒くして続けた。
「ですが、あのセクハラハゲ親父だけには協力したくないんです。どうせ自分が余計なことをして霊の怒りに触れたんでしょう。」
私は松山に対する怒りを必死に抑えつつ六神をなだめた。
「冷静になれ、六神。相手は人事部長だ。ここで協力して恩を売っておけば、昇進も夢じゃない!ここは抑えて、話だけでも聞こうじゃないか。そして大いに恩を売ってやろう。」
だが、六神はまたしても別方向に体ごと背けて言った。
「いくら先輩の頼みでも嫌なものはいやです。ああいうのは1度痛い目にあわなきゃわからないんですよ。」
私は神様仏様六神様と言わんばかりに手を合わせた。
「頼むよ六神!妻に・・・息子に美味いものを食わしてやりたいんだよ!たまには旅行に行ったりしたいんだ頼む!」
六神は数秒間黙りこみ、深いため息をついてこちらに向き直った。
「仕方ありませんねえ、先輩がそこまで言うなら話だけでも聞いてあげます。ですがあのハゲが少しでもいやらしい目で私を見たりしたら即!終わりですからね。」
ようやく六神を懐柔したところで、松山が不安げな顔で近づいてきた。
「なにか問題でもあるのかね?」
私は即座に、いつも取引先にするように営業スマイルを全開にして松山のほうにむきなおった。
「いえいえ、そんなことはございませんよ、松山部長。とりあえずお話を聞かせていただいても宜しいでしょうか。」
松山部長はホッとした表情を浮かべ、懐から1枚の写真を取り出した。
「娘だ。一昨日、友達と心霊スポットに行くといって家をでたきり帰ってないんだ。」
写真には、目の前のハゲ散らかした中年の娘とは思えない可愛らしい、純朴そうな娘がこちらに向かってピースサインをしていた。
「六神君が私のことを嫌っているのは承知している。
あんな事をしておいて、厚かましいお願いなのもわかっている。だが、娘を助けて欲しい。頼む!この通りだ!」そう言って松山は勢いよく頭をたれた。
「貴方、娘がいるくせにあんな事を!ますます許せない!先輩こんなの放っておきましょう」
六神はもはや怒りを隠そうともしなかった。
「頼む!これからは心を入れ替えて、絶対に女子社員に手を出さないと誓う!君たちの栄転も約束しよう!」待っていた言葉が松山の口から出たところで私は松山の肩に優しく手を置いた。
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「松山部長、今の言葉・・・忘れないで下さいね?」
私は松山の耳元でそう囁くと、六神のほうに向き直った。「さあ、そうと決まれば六神。はやく今日の仕事を終わらせるぞ・・・ふふ」私は魔王のような笑みを浮かべ、六神とデスクに戻り、高速でキーボードを叩き始めた。
「ありがとう!恩に着る!後で詳しい事は社員メールで送らせてもらう。本当にありがとう!」
そう言って松山はもう1度深く頭を下げると、そそくさとオフィスをでていった。
六神は苦笑しながら私を見ていた。
「先輩・・・幽霊より怖いですよ。」
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かくして、私たちは松山が指定した心霊スポットに車を走らせた。
作者しゅう
続編です。
前回とは異なり、少しコミカルな感じになりました。
後編はちゃんと怖くなるよう努力しますので、宜しくお願いします。