この話しは私ではなく、母が体験した話しです。
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同じ、子を持つ親として、とても切なく…
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そして悲しい話しです…。
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母の母親(私から見たら祖母)は、母が小学校1年の時に流行病で亡くなったそうです。
母親が亡くなる時も、母の父親(私から見たら祖父)は、馴染みの女の元に居て、妻が危篤だと言うのに家に帰る事なく、母親は苦しみながら亡くなったそうです。
母親が死んだその夜は無念な想いからか、母の家の屋根の上を人魂が飛んで居ると騒ぎになったそうです。
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母には2歳年下の弟、4歳年下の妹、そして、未だ生後1年にも満たない妹がいたそうです。
昔の話しです。
保育園や幼稚園など有る筈もなく、母親が居なくなり、下の弟や妹達の面倒を見てくれる親戚は居るにはいてもいつも見てくれる訳ではなく、又、父親も仕事と自分の遊びで忙しく、長女の母が弟、妹たちの面倒を見、小学校に弟妹達を連れて行く事も有ったそうです。
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そして母が亡くなって少し経つと父親が馴染みの、あの…母親が亡くなった時も一緒にいた女を連れて来たそうです。
継母として…。
生意気盛りの弟妹は継母に逆らい、父親の居ない時は縛られたりぶたれたりの折檻を受けていたそうです。
自分のお腹を痛めた子供達ではないし、愛情など持ち合わせてはいなかったのでしょうね。
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末の妹も未だ1歳にも満たない乳飲み子。
母親が亡くなり母乳が飲めなくなったので、当時は、そんな乳飲み子に粉ミルクが配給されたそうですが、女から渡されるミルクを飲まそうとしても、小さな手で哺乳瓶を押し退ける様にし、口に哺乳瓶を当てても『イヤイヤ』をする様に拒み、ミルクを飲もうとしない。
『この子は嫌な子だね!』と、女が毒吐くのを母は悲しい気持ちで聞いていたそうです。
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それが…不思議な事にいつもミルクを飲んでいない筈の妹なのに、お腹が空いたと夜泣きをする事が無くなったそうなんです。
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母親が生きている頃は夜中にも泣くので母親がお乳を与えていたそうですが、それがピタッと止んだのだそうです。
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そんなある夜、姉妹達が並んで寝ていると、母の寝ている枕元に誰かが座っている。
寝ぼけてボンヤリ見ると、そこには母親が座り、末妹にお乳を与えていた。
『お母ちゃん?』と、母が言うと、ニッコリ笑って人差し指をくちびるに当て、(シー)と言う仕草をしていたそうです。
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母は、母親が亡くなった事も忘れて、弟や妹を起こさない様に、黙って末の妹にお乳を与えている母親を眺めていたそうです。
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思い起こすとそれは、毎晩続いたと…
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そんなある日、母がいつもより早い時間に学校から帰った時に、見てしまった。
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どうして末の妹がミルクを飲まなかったのか、どうしてあんなに『イヤイヤ』をしていたのか…
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それを見て、全て分かってしまった。
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継母は、妹の哺乳瓶に、ミルクではなくお米のとぎ汁を入れていたのです。
本来なら妹が飲むミルクは、継母が飲んでしまったのか、どこかに売り飛ばしてしまったのか分からないけれど、妹は毎日何回も、お米のとぎ汁だけを飲ませられていたのです。
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ある日、父親がたまたま早く帰宅した時に、弟妹が縄で縛られ叩かれている姿を見て、継母は父親に追い出されたそうですが、末の妹は手遅れで、小さくプクプクだった頬はゲッソリやつれ、アバラ骨が浮き出る程痩せて亡くなってしまったそうです。
もしかしたら、母親が心配のあまり連れて行ったのかもしれません。
未だ、1歳の誕生日も迎えていなかった妹。
母は、母親の遺品の紅を差してあげたそうです。
『お人形の様に可愛かったの…』と、思い出し、涙を流していました。
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母は、妹が亡くなるまで母親が毎晩現れ、妹にお乳を与えていた事も、ずっと忘れていたそうです。
朝になると、自分の枕元に座り、母親がニッコリと母に笑いかけながら妹にお乳をあげている姿も、その記憶も、無くなっていたと言います。
もっと早くに父親に、親戚の誰かに継母の行いを話していたら、もしかしたら末妹は死なずに済んだんじゃないかと。当時は継母が怖くてそこまで頭が回らなかったのと自分を責めて泣く母に言いました。
「お祖母ちゃんが連れて行ったんじゃない?私がお祖母ちゃんなら、心配で置いて逝けないかもしれない…。
遺ったお母さんもその時以上に苦労する事が目に見えてるんだもん。」
そう言うと、ハッとした顔をして…。
「そうね…。そうかもしれない…。だから母ちゃんは連れて行っちゃったのかもしれないわね…。」
自分が子を持つ母になってみて初めて、祖母の想いも分かる様な気がしました。
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その後、母も弟も上の妹もそれぞれ家庭を持ち、母にとって二女の私が小学校1年のクリスマスイブの夜、父親…母方の祖父は飲酒運転の車に撥ねられ亡くなりました。
未だ幼かった当時の私から見たら優しいお祖父ちゃんだったので、そのお祖父ちゃんの変わり果てた姿に衝撃を受け、痛かっただろうな…と、可哀想で悲しかった。
だけど大人になって知った祖父は、婿養子だったにも関わらず、祖母の財産を食い潰すだけ食い潰し、好き勝手な事をして来た穀潰し。
そして今で言う、ネグレクト。
欲しい物は我慢をせずに買い、食べたい物も食べたいだけ食べ、遊びに行きたければいつでもどこにでも出掛けてしまう。
それの皺寄せは、子供達…。
中でも長女の母は、どれだけの我慢をし、どれだけ想いを胸に抑え込み、どれだけ言いたい言葉を飲み込んで来たのか…。
だから損傷の激しい遺体。
酷い死に方も、正しく【因果応報】なのかな。
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でも、そんな祖父が亡くなる時に、何故か私にだけ会いに来たから不思議。
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そんな話しをしてくれた母も、今は脳血管障害とアルツハイマーからの認知症で、穏やかに可愛くボケてくれましたww
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元々霊感の有った母。
『ホラ!玄関に男が居るの!こっちを見てるわ!』
と、玄関に続くドアを開け放つと、椅子から半身を傾け、玄関を指差します。
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母『いるわよ。こっちをずっと見てる。…ココから上だけの男が……』と…
お腹の上に手を垂直に当てて説明をするんですね。
その男の事は、母が入所するまで時々口走っていましたから、きっと玄関には上半身だけの男が時々現れていたのかもしれません。
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お人好しですぐに変な人に付け込まれたり騙されたり…。
それでも誰か困っている人を見掛けると黙って素通り出来なかった母。
口数も多くなく、悪口も言わず、いつも誰かの話しを聞き、微笑んでいた母。
自分の想いも言葉もいつも胸にしまっていた母。
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もし、この世やあの世に神様なり仏様なりが居るなら、粋な計らいですよね。
人生の晩年。
そんな母の記憶を奪い去り、悲しかった事も苦しかった事も辛かった事も消してくれた。
その代わり、穏やかに微笑む時間をくれたのですから。
私は、認知症の母が愛しくて可愛くて堪らない。
作者鏡水花
2014年に投稿しました話しを大幅に修正をしました。
【母の話】としまして、母に纏わる話しを(今のところ)3部作として投稿予定で、その為に再投稿ではなく、通常の投稿として今作をアップいたしました。
今回の話しは、実際に母が体験した話しです。
20代と言う若さで、未だ幼い子供達を遺して逝かなくてはならなかった祖母の無念…。
そして、恐らく、母や他の子供達の為に、末妹への想いから…
祖母は末妹を連れて行ったのではないかと…。
私はこの母の話しを聞く度に、ある昔話を思い出します。
身重の女性が亡くなり葬式も済んだ後、ある飴屋に毎晩女性が飴を買いに現れる。
そして、夜中に墓場から赤ん坊の泣き声が聞こえる事を不審に思った村人が、声のする墓を掘り、開けてみたら…
身重だった女性は赤ん坊を産み落としていた。
そして、赤ん坊の周りには飴が落ちていた。
毎晩飴を買い求め、飴屋に通っていた女性は、身重で亡くなった女性だったと…。
死して尚、子供への想いは消えないものなのだろう…。