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私には蝶が視える。
・・・
蝶…と言っても、昆虫じゃない。
人が臨終の時を迎える時、その人の口から吐き出されるのが蝶なんだ。
恐らくその蝶を、人は…“魂”と呼ぶのでしょう…。
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幼い頃から私は体が弱かった。
風邪をひいただけでもすぐに入院になってしまうほどに。
両親が年取ってからの子供だった事もあり、一人っ子の私は大切に育てられて来た。
見慣れた景色と言うのは、学校の教室でも校庭でもなく、病院の…小児科病棟から見下ろせる中庭と、揺れる白いカーテン。
そして点滴のチューブ。
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ある日の深夜、同じ病室で隣のベッドにいた奈津子ちゃんの呻き声で目を覚ました私は、カーテン越しに奈津子ちゃんに声を掛けた。
だけど奈津子ちゃんは返事もせずにはぁはぁと苦しそうな息遣いをし、呻いていた。
心配になった私はベッドから降りると奈津子ちゃんのベッドに掛かったカーテンを少しだけ開けて、奈津子ちゃんの様子を見てみた。
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奈津子ちゃんは両手を自分の胸に置き、苦しそうに顔を歪めていた。
「奈津子ちゃん?大丈夫?」
そう声を掛けるが返事をしない。
私はそのままナースステーションまで行くと、夜勤の看護師さんに奈津子ちゃんの事を伝えた。
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看護師さんは慌てた様に病室に行き、遅れて医師が行き、私がナースステーションの前で見守っている中、奈津子ちゃんをストレッチャーに乗せて病室から出て来た。
酸素マスクを口に当て、奈津子ちゃんは静かにストレッチャーの上に横たわっていた。
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そして、私の前を通り過ぎる時に奈津子ちゃんの口から小さく綺麗な蝶が飛び出し、酸素マスクを擦り抜け、病棟の廊下をヒラヒラと飛び、明かりの中でフッと消えた。
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私は最初、何が起こったのか?
蝶は何処に行ったのか?
不思議でならなかった。
奈津子ちゃんが口の中に蝶を隠していたのか?
それとも、気付かぬうちに蝶の幼虫を食べてしまい、お腹の中で蝶になって出て来た?
その夜は、奈津子ちゃんの口から出て来た蝶の事を考え、眠れなかった。
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奈津子ちゃんは次の日も、又その次の日も病室に帰って来ない。
奈津子ちゃんの優しいお母さんも勿論来ない。
他の病室に移ったのかもしれないが、奈津子ちゃんに直接蝶の事を聞こうと思った私は、看護師さんに奈津子ちゃんの事を聞いた。
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「奈津子ちゃん、いつ病室に戻って来るの?」
看護師さんは少し悲しそうな顔をすると
「うん。それがね?
奈津子ちゃんはもう、この病院には戻って来ないのよ。」と言った。
あんなに仲良くしていたのに、黙って退院しちゃった奈津子ちゃんに私は少しだけ腹が立った。
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他の皆は退院する時はいつも
「今までありがとう。早く良くなってね。」そう言い、お菓子やノートや可愛いシャープペンシルをくれたりするのに、奈津子ちゃんは私に黙って退院しちゃったんだ…。
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そのままウトウトしていたら、誰かの話し声で目が覚めた。
(………。)
ママの声だ。
カーテンの向こうで姿は見えないが、ママと誰かが喋っている。
(………。)
(…。)
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どうやら、部屋の入り口のベッドにいる子のお母さんと話してる様子。
声の大きなお母さん。
子供もちょっと我儘で図々しくて、私はその親子のどちら共に苦手だった。
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(そうなのよ!未だ8歳なのにね。
何の病気だったのか、奈津子ちゃんのお母さんがハッキリ言わないから分かんないけど、可哀想にね~。
ウチの子はただの肺炎だからもう直ぐ退院だし、ウチの子じゃなくて良かったわよww)
大きな声で下品に笑うそのお母さんに、これ又大きな声でベッドにいる子が騒ぐ。
「お母さーん!喉乾いたの!ジュース買って来てって言ったじゃない!」
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その後直ぐにママが私の所へ来て、目を覚ました私をビックリした顔をして見て、「今の話し、聞いてたの?」と、悲しそうな顔で聞いた。
だから、「うん。」と答えると…
「奈津子ちゃん…。可哀想にね…。奈津子ちゃんママも、どれだけ辛いか…。」そう言うと、ベッドに横になっている私の手を両手で包み、「亜香里(あかり)ちゃんは大丈夫だからね?治らない病気じゃないし、大きくなって体力が付けば、今のように寝込む事も無くなるから。ね?心配しなくても大丈夫だからね。」と、泣きそうな声で言う。
だから…
「奈津子ちゃん、死んじゃったの?」と聞いた。
ママは俯き、こくんと頷くと
「天国に行っちゃったの…。」と。
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私が蝶を見たのは、奈津子ちゃんが初めてだった。
ママの田舎のお祖母ちゃんの時も、口から蝶を吐いてから死んだ。
年寄りだったからなのかな?
ちょっと茶色くて、蛾みたいな色の蝶。
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ウチで飼ってたインコの時は、インコの羽根の色とそっくりの綺麗な黄色の蝶だった。
道を歩いてる時も、蜆みたいな小さい蝶が草むらから出て来たから覗いてみたら、蛇に巻き付かれた蛙がいた。
その時はびっくりして、私は走って逃げちゃった。
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…
……
………
そして、一度だけ…
私の口から蝶が出て来た事があった。
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その日も熱を出して寝てたの。
パパとママの寝室で、二人の間に挟まれて私は眠ってたの。
夜中、苦しくて…
苦しくて…
息が出来なくて…
パパかママに気付いて欲しいのに、声も出せないくらい苦しくて…。
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そうしたら、急にフワッと体が軽くなったの。
ふと見たら、ベッドの上で、パパとママに挟まれた私が居るの。
そう。
私は蝶になってた。
フワフワと天井から溢れんばかりの光が射して来て、私はその光を目指して羽根を羽ばたかせたら…
ガシッと体を掴まれた。
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暖かい光は私に向かって射し込んで居るのに、私は身動きが出来なくて…。
私を掴んでいたのは、私だったの。
ニヤリと嫌な笑みを浮かべて私を片手でギュッと握って、そして…私を私の口の中に放り込んだ。
グチャグチャグチャグチャ…
私の手足も胴体も頭も…
私に噛み砕かれて、ゴクンと飲み込まれちゃった。
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そして、気が付いたら朝になってた。
嘘みたいに熱も下がってた。
それからの私は、すこぶる健康で元気な子になったの。
風邪ひとつひかないし、転んでも擦り傷すら出来ない。
パパもママも驚いてたけど喜んでくれた。
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でも、私が中学に上がる前に、パパが病気になって、アッと言う間に死んじゃった。
パパの蝶が出て来たら捕まえて、パパの口に放り込んでやろうと思ってたのに、蝶は出て来なかった。
そして、パパは死んじゃった。
パパが死ぬ前に買ってくれた犬のショコラも、パパが死んで間も無く後を追う様に死んだ。
それからは誰が死ぬ時でも蝶を見る事は無くなった。
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そんなある日。
私は私立中学に通っていてね?
毎日電車通学をして居るんだけど…。
その日の電車はちょっとおかしかったの。
いつも揺れる場所は有るんだけど、それが吊革に掴まってても倒れそうなくらいに激しく揺れた。
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いつもよりスピードが出てるのも気付いてた。
急行電車だって言っても、停まる駅を素通りするなんておかしいよね?
車内はザワザワと騒がしくなって、携帯で近況を伝えてる人や、鉄道会社に電話をしてる人。
皆、不安と焦りが顔に出ていたもの。
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やがて、電車はゆるやかなカーブを曲がり切れずに、大きく揺れたと思ったら…
人々の悲鳴の中、激しい衝撃を感じた。
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私は横向きに倒れた電車で、沢山の人に押し潰されながらも冷静に、沢山の蝶が飛ぶのをこの目で見ていた。
真っ黒の蝶や、虹色の蝶。
透き通る様な蝶から光る蝶…。
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それらの蝶は、皆同じように空に向かって飛んで行くの。
全部の蝶がね?
私からは蝶は出て来ないのよ?
そして…私は思い出したの。
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・・・・・・
そう…。
私は…。
もう、人じゃなかったんだ。
抜け出した蝶を食べられちゃってから、私は私じゃなくなっていたのを思い出した。
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パパから蝶が出て来なかったんじゃない…
出て来てすぐに私が食べちゃった事も…
ショコラの蝶も…
…
こうして、沢山の人が死んじゃうのも…。
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・・・
私が居たから。
・・・
人の魂を喰らう、私はこの世で死神と呼ばれるモノになっちゃってたの。
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私は私の上に覆いかぶさる命の尽きた体の間をすり抜けると…
天から射し込んで来る明かりを目指す蝶達を…
この手で掴むと…
バリバリグチャグチャ…
いつまでも飽きる事なく食べ続けた。
作者鏡水花
胡蝶之夢とは…
自分のものとの区別がなくなって、全ての物が一つのものとする万物一体の境地の事。
または、人の生がはかない事の例え。
または、夢と現実の境がはっきりと区別できなくなる事。
荘子が胡蝶になって遊ぶ夢を見て、目が覚めると夢で胡蝶になったのか、胡蝶が夢を見て自分になったのか分からなくなったと言う故事から。
ー四字熟語辞典オンラインよりー