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閉じられたノート - 下村課長の独り言

中編7
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閉じられたノート - 下村課長の独り言

警視庁の廊下を、下村課長と部下の西川刑事が歩いている。

「本当にすみません。わざわざ課長に出向いて頂く話じゃないんですが、どうしても責任者と話させろってしつこくて…これで三度目なんです」

「いいよ。今は暇だし、俺もそういうの嫌いじゃないからな」

 取調室で二人を待っていたのは、自分は霊能力で人を呪い殺したと言って自首してきた男である。

 やせて貧相な容貌。年齢的には下村より少し上という印象を受けた。身なりも質素で、およそ人を呪い殺すようなパワーは微塵も感じられない。気弱そうに伏せられた目線が落ち着きなく揺れている。

 「貴方が人を呪い殺したと仰るんですね」

 馬鹿馬鹿しくてやってられんなと思いつつ、一応下村が話を聴き始めると、我が意を得たりとばかりに貧相な男の顔が輝いた。

 「課長さんですか。いや、有難うございます。早速ですが、これが私が呪い殺した三名のリストです」

 男はポケットから一枚の紙片を取り出した。

(1) 平成XX年3月23日

山倉順。特殊詐欺グループのリーダー。高齢者を対象にした特殊詐欺で、約5年間の間に総額20億円以上を詐取したと言われている。自宅で虚血性心疾患で死亡。

(2) 平成XX年12月16日

袴田千佐子。関西を中心にした一連の暴行、傷害、強盗殺人事件の首謀者。独特のリーダーシップにより、周囲の人間を洗脳し、自ら描いた犯罪計画に加担・実行させた。事件発覚により逮捕されるも、公判開始前に自分の肌着を使って拘置所内で縊死。

(3) 平成XX年8月1日

前尾清司。参議院議員。当選3回。経費流用と不倫のダブル疑惑の中、滞在先のホテルの7階702号室から転落死。同行中の女性の証言から事件性は無く、事故とされた。

 リストを眺めた下村は、思わず吹き出しそうになった。これらはいずれも過去の事件で、かなり前に公になった事件である。

 「あのねえ、これらは全部とっくの昔に報道された事件で、みんなが知ってる話ですよ。ちゃんと警察の検証も行われて、病死も自殺も事故も間違いないことが確認されてます。残念ながら、これだけでは貴方が呪い殺したことの証明にはなりませんし、そもそも我が国の司法は、呪殺と殺人に因果関係を認めていません。貴方を逮捕するわけにはいきませんね」

 下村は、努めて丁寧に対応した。

 「よく分かってます。でも、私は彼等を呪い殺したんです。病死も自殺も私の呪いによるものです。私が言うんだから事実なんです。でも、そこは、もうどうでもいいんです」

 訳の分からない話をする相手に閉口している下村に、話を続けた。

 「今日、お伺いしたのは、私の犯行の動機を説明したかったからなんです」

 「動機?」

 訝る下村に、相手は滔々と話し始めた。

 「はい。もう、30年ほど前ですか。幼い頃に両親に捨てられた私は、ずっとその日暮らしで、大人になってからも食べるものにも事欠く毎日でした。ある日、空腹に耐えかねて、おにぎりを二個、万引きしてしまったんです。そして、あっけなく捕まって、警察に突き出されました。

 「初犯でもあり、結果的には起訴猶予になりましたけど、駆け付けた警官には、みっちりお説教されました。いい人でしたよ。私の境遇に同情もしてくれてね。でも、やっぱり人の物を盗んじゃいかん。悪いことをする奴は必ずお天道様が見てるもんだ、とか若いのに妙に古いこと言ってましたけどね。必ず正義は実現されるし、悪い奴は罰を受ける。だから全うに生きなさい。と、いかにもシンプルなお説教でしたが、なぜか不思議と説得力があってね。私も涙を流して二度としません、と誓ったもんです。

 「実際に、私は彼の言葉を信じて、その後何十年も真面目にやって来ましたよ。でも、結局何も変わりゃしなかった…相変わらずホームレスのボーダーラインを行ったり来たりの毎日。一方、詐欺や人殺しをしながら何の罰も受けずに金を儲けて、大手を振って暮らしてる連中が蔓延るばかり。正義はどこへ行ったんです?証拠が無いというだけの理由で正義は実現されない。正義ってそんなに軽い物なんでしょうか。私は今でもあの警官に問い質したいですよ」

 思わず気圧された下村は沈黙する。

 「ある日、決めたんです。この国が正義を実現しないなら、自分の手で実現するしかない。私は伝手を伝って、ある霊能力者に弟子入りしました。その人は本物でした。私の境遇と趣意に理解もしてくれた。修行は厳しいものでしたが、もともとその日暮らしだった自分には意外に楽で、楽しみさえありました。そして三年目にして、とうとう人を呪い殺す力を身に着けたんです」

 気弱そうに泳いでいた彼の目は、今や不気味で悍ましい光を放っている。頭では否定しながらも、下村は軽い頭痛を覚えた。

 「今の司法が私を裁けないことは、勿論承知してますよ。だって、人間が現実に手を下した犯罪でさえ満足に裁けないんですからねえ」

 語る男の肩が小刻みに震え始める。笑っているのだ。こいつは俺を、いや、この国の制度そのものを嘲笑している。下村の心に怒りがこみ上げてくる。

 「…仰るとおりです。さ、気が済んだでしょう。お引き取り下さい」

 自制しながら低い声で下村は話を打ち切る。

 「どうもお邪魔しました。お忙しい中、お手間を取らせてすみませんね。ま、予想通りの展開でしたけどね」

 「お引き取り下さい!」

 思わず声を荒げてしまった。

 相手を送り出した後、下村は、今になって妙に引っかかる物を感じていた。

 いずれもとっくに発表された話なので、思わず読み飛ばしたが、男のメモには警察の発表とは微妙に異なる表現が、さりげなく織り込まれていたのである。

虚血性心疾患?確か発表は心不全だった筈…拘置所内の縊死も、自分の肌着のことまでは発表してない…ホテルの転落死についても、部屋番号までは発表されてなかった筈だ。

 何故こいつはそこまで知っている…?

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 翌々日。

 警視庁の一室で、呼び出された下村が相対しているのは、公安部の北条課長である。二人は同期の関係であるが、下村はどうもこの人物が好きになれない。

 「久しぶりだねえ。最後に会ってから、もう3年になるかな」

 気さくな調子で話しかけながらも、この男の目は絶対に笑わない。

 「…そんなもんかな。それで、話ってのは?」

 早く話を切り上げたい下村が先を急ぐ。

 「うん。例の自称霊能力者による殺人の話さ」

 もう知ってやがる。下村の心の中でアラートが鳴る。

 「相変わらず地獄耳だな」

 「三回も自首してきたら、そりゃ庁内で噂にもなるさ。勿論、今の司法制度では、あんな話がまともに取り上げられることは無い。ただ、変な宗教とか絡んでる可能性とか考えると、公安としても一応事情くらいは把握しておこうということになってな。それで、彼の昔の窃盗事件の報告書を取り寄せてみた。これだ」

 北条は下村の前に一件の報告書を押しやった。

 「中味はどうでもいい。一番上だけ見てくれ」

 報告書の1ページ目に当時の捜査担当者の印鑑が押されている。下村の目はその担当者の名前にくぎ付けになった。

 (…まさか!)

 それは、下村が昔から良く知っている人物、今も交流の有る人物の名前である。

 「…ところで、今更釈迦に説法だが、俺たちが警察の内部情報を外に漏らすことは、絶対に有ってはならないってことは分かってるよな?」

 北条の冷徹な目が下村の双眸をのぞき込む。

 「勿論だ」

 「相手が、お世話になった先輩でもな...」

 下村はぎくりとする。思わず顔に出てしまった自分が情けない。

 「…公安の課長様には全てお見通しってわけか…」

 「そう嫌な顔するなよ。俺はお前の為を思って忠告してるんだ。その人だって、自分の不用意な発言がこんな人間を生んだと思ったら」

 「どこが不用意なんだ!」

 下村は思わず激高した。もう隠すつもりもない。

 「まあ、落ち着けよ。勿論当時担当した警官の対応に問題は無かった。俺が言いたいのは、今回の話をその人が聞いたら、彼は自分を責めて、そんな風に考えてしまうんじゃないかってことだ。真面目で誠実な人であれば尚更な…」

 常に人の心理を読んで先回りするような物言いに不快感を覚えながらも、下村はそれが当たっていることを認めざるを得ない。

 「…俺が言いたいのはそれだけだ。まあ、これからもよろしく頼むよ。たまには飲みに行こうな」

 「…分かった。そのうちな」

 (誰が、お前なんかと…)心の中で吐き捨てながら、下村は退出した。その背中を北条の微動だにしない視線が見つめている。

 (…当面、監視継続だな…)北条は携帯を取り出した。

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 深夜。

 とある家の前の門前に、男が立っている。

 男の視線は門灯に照らし出された表札をじっと見つめている。

 (…とうとう見つけましたよ。峰岸さん…)

 肩を小刻みに震わせながら、男は闇の中へと消えて行った。

[了]

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