とある週末の午後。
峰岸家の応接間では、久々に訪ねてきた警視庁時代の後輩、下村課長が、おりしも一つの奇談を報告し終えたところである。
「どう思われます?…」
メモがわりの黒表紙のノートを閉じると、興味津々の態で下村は峰岸の反応を待った。
「うーん…今初めて聞いたばかりだからなあ…」
考えがうまくまとまらない峰岸は、整理の為に話を反芻してみる。
「一人暮らしの女性が自宅のクローゼットの中から意識不明の状態で発見された。特に大きな外傷は無く、また、生命にも別条は無いが、余程の精神的ショックを受けたようで、幼児退行現象を起こしてしまい、現在施設で療養中。もともと彼女は強い閉所恐怖症の傾向があり、自らクローゼットに入り込むことは、あり得ない。また、クローゼットの扉は、内側から扉を閉めるのは構造上困難であることが確認された。要は、誰かが外から閉めたとしか思われない。一方、室内には彼女以外の人間のいた痕跡は発見出来なかった…
「家族構成は、姉が一人。彼女の身元保証人になっている。また、この姉妹の実の母親は、半年ほど前に死亡している。高齢と病気の為に身体の自由が利かなくなり、長期に渡り入院生活をしていたが、ある日院内で死亡した。これまた特に大きな外傷も無く、高齢でもあり、病院関係者の証言からも、特に事件性は無いものと判断された…以上が当初に報告された事実というわけだ…
「その後、姉が言った“親子げんかです”という言葉が妙に気になった君が独自に調べたところ、実はこの母親というのが、姉妹に対して幼児期に酷い虐待を働いていたふしがある、という話が浮上してきたわけだね。この点は、彼女達が幼い頃に暮らしていたアパートの近隣住民から、一応裏付けが取れた…
「ところが、そんな虐待を繰り返していた母親に対し、娘、特に今回クローゼットで発見された妹は、多忙の合間を縫っては病院に顔を見せ、車いすを押して外出したり、退屈しのぎにDVDを見せてやったり、こまめに面倒を見ていた…この点も、看護師達から裏付けが取れている。以上が、現時点で確認された事実関係というわけか…」
峰岸の要約が終わると、下村が話を引きとる。
「そのとおりです。そして、これからお話するのは、あくまでも私の”勘”というか、“印象”なのですが…」
意味ありげに一息入れると、下村は話を続ける。
「まず、私には妹は、本当に善意で母親の所に通っていたのか?という疑問を禁じ得ないのです…はっきり言うと、実は悪意をもって接していたのではないか、という気がしてならないのです…そもそも本当にそんな酷い虐待を受けた人間が、まめに病院通いをして母親の面倒を見るでしょうか?普通は寄り付かないのではないか…また、百歩譲って和解があったと仮定しても、何故、身体の自由が利かなくなって、意思表示もままならなくなってから急に?」
「それは、そんな状態になってしまった母親に憐れみを感じたからじゃない?あるいは、老い先短いのがはっきりしたから最後くらい良い思い出を残そうと思ったとか…」
性善説に立った峰岸が意見を挟む。
「勿論、そういう見方もできますが、そうなると、何故、姉の方は殆ど姿を見せなかったのか…それも妙に気にかかるのです。所謂“勘”の話ですみませんが、私には、どうも、多忙の合間をぬって足繫く病院を訪問し、色々と世話を焼くという妹の行動に、強い“エネルギー”とか”意志”みたいなものを感じます。それは普通なら美談なのでしょうが、何故か今回は何となく”怖いもの“という印象を受けるのです…
「そして印象ついでに、もう一点。妹の部屋には、妹以外の“人間”の痕跡は発見されなかった一方で、あくまでも私の勘ですが、“人間以外”の者が侵入したような印象を持ちました。私は、この点でも、何やら“怖い”エネルギーみたいな物が働いたという感じがしてならないんです…」
(来たな…)下村の表情を見ながら、峰岸は心の中でほくそ笑む。
「勿論、これ、峰岸さんだから言うんですよ。こんな話をペラペラ他所でしゃべっていたら、私は即刻クビです」
下村が苦笑する。
「うーん…どうなんだろうねえ…」
慎重な言葉を発しつつ、既に峰岸の考えは決まっている。(やっぱり、霊の仕業だ…)
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数日後の夜。
久方ぶりに現れた先祖に、峰岸は下村から聞いた件で話をしている。
「閉所恐怖症の妹が、それも内側からは閉められないクローゼットの中から発見されたのは、確かにあり得ない状況なのですが、私には、どうも何者か…それも何か人外の者によって押し込められた可能性もあるのかぁという印象を受けまして…下村も立場上はっきりとは言いませんが、同じ印象を持ってるようで…」
「それで、今回の全貌について、お前自身はどう思っておる?」
少々苛ついた面持ちで、先祖が尋ねる。
「は、はい。結論から申しますと、妹を押し込めたのは、恨みを抱いて死んだ母親の怨霊ではないかなぁと…」
自信無さげに話す峰岸を先祖が促す。
「続けてみよ」
「はい。幼児期に母親から酷い虐待を受けていたあの姉妹、特に妹は積年の恨みを抱え込み、復讐を誓って生きてきた。老いた母親が身体が動かなくなったのを好機に、今度は自分の番とばかりに、頻々と訪問しては他人には分からない形で色々な苦痛を与え続けた…様々な苦痛が少しずつ蓄積された結果、とうとう母親は虐め殺されたが、小さなストレスの積み重ねであり、特に死因となるような目立った外傷も無く、高齢でもあることから、事件性無しとして処理された…
「一方、長期間に渡り苦痛を受ける中、母親の方も娘への恨みの念を募らせ、怨念を残して死んだ。そして怨霊と化し、娘のところに現れて不意を襲い、クローゼットに引きずり込んで、外から扉を閉めて閉じ込めた。閉所に閉じ込められた妹は、恐怖のあまり精神が崩壊してしまった…そんなところでしょうか?」
「そのとおりよ」
先祖が短く答えた。
「やはり、そうでしたか。いやぁ良かった…」
「別に良い話ではない」
ダメ出しが出なかったことに気が緩み、つい不謹慎な言葉を吐いた峰岸を先祖が窘める。
「失礼しました…しかし、そうなると、母親の怨霊が彷徨っているわけですよね。次は姉が狙われるのでしょうか?」
不安な面持ちで尋ねる峰岸に、先祖は少々ぶっきらぼうに答えた。
「母親は、もう閻魔庁に引き渡した」
「えっ、もうそこまで動かれたんですか!?」
話の展開の速さに峰岸は驚く。
「閉所恐怖症の人間の不意を襲って、暗闇に引きずり込んで監禁し、精神崩壊に追い込んだ行為は霊による暴行であり、こっちの”カンカツ”じゃ。凶悪な霊でもあり、通報を受けて、さっさと引っ括った。
「死んでから襲撃まで時間が経っていたのは、妹がもう大丈夫と安心し、平穏な気分になる頃合いをじーっと待っておったためじゃ。暗所に閉じ込めるという手段をとったのも、直ちに殺すより、最も強い精神的苦痛を少しでも長く与えるためよ。帰宅して寛いでいるところを襲い、髪の毛をひっつかんで床を引きずり回して暗所に押し込んで閉じ込めたのじゃ。
「捕縛した時は、狂ったように抵抗しおってな。 “身動き出来ないあたしを虐め殺したのはあいつだ!あたしは被害者なんだ!そもそもあいつは、あたしがおなかを痛めて産んだんだからどうしようとあたしの勝手だ!”と喚いておった。被害者意識だけが発達して、自分のやったことは忘れておる。腹を痛めてという言葉も、自分は苦痛を受けた被害者であるぐらいに思っておるのじゃろう。度し難い女じゃ」
渋面の先祖が斬り捨てる。
「当然、閻魔庁では幼児期の娘達への筆舌に尽くしがたい虐待、こっちが本件じゃが、その罪で厳しいお裁きが下った。勿論、今は地獄で責め苦を受けておる」
「そうですか…まあ、当然の報いでしょうね…それで、妹の方は如何なりましょうか」
「死後に裁かれることになるが、身動きもままならぬ人間、仮にも実の母親を復讐の為に虐め殺したという事実は消せぬ。やはりその罪は問われるだろうが、一方で、そもそもの原因となった、母親から受けた過酷な虐待の事実がある。お裁きの中で、それらがどのように考慮されるか、それはわしにも分からぬ。閻魔様のご裁量次第じゃ」
「そうですか。それじゃ、いずれにしても、姉の方は安全というわけですね。母親の怨霊は、とっくに地獄に送られたわけですから」
「まあ、そういうことじゃな…」
「早速、下村に伝えます。彼も喜ぶでしょう。それにしても、親子二代に渡る恨みの連鎖なんて、救いの無い話ですね」
「…いかにも度し難い連中よ…」
難しい顔をした先祖は、吐き捨てるように呟くと、例によってあっさりと去っていった。
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元気そうね、静香。お土産、気に入ってくれたみたいで良かった。
もう、ずっと、のんびりしてていいんだからね…
あなたはいつも、どんどん動いてくれた…私はいつも、ぼーっとしてた…“お姉ちゃんは、のんびりしてて。私は、優しいお姉ちゃんが好きだから、私に任せて”…よく、言ってたよね…あなたは本当に、色々やってくれた…頼みもしないのに…
私って優しかったの?
人に優しくしようなんて一度も思ったこと無い。そんな気持ち、とっくに忘れたわ…私は、ただ、人と深く関わったり、込み入った話をするのが面倒くさくて、いつも、ぼーっとしながら当たり障りの無いことを言ってるだけ…
また、あの妙な刑事が来たのよ…「先日仰ってた“親子げんか”の意味、やっと分かりましたよ。でも、ご安心ください。立場上詳しいお話は出来ませんが、少なくとも貴方を脅かす存在はいない、とだけ申し上げておきます…」とかドヤ顔で言って帰って行ったわ…馬鹿みたい。適当に調子合せたけどさ…
どうでもいいのよ、面倒くさいの…あの人の事も、あなたの事も、私の事も、この世の全て…
確かに私達は、世に言う虐待ってやつを受けてたかもねぇ…何か辛かったような記憶も、うっすらと覚えてる…真っ暗な押し入れに押し込められたり…体の端からどんどん感覚が失われて行くほどの寒空に放り出されたり…
そんな中で、あなたが身につけたのは、”憎悪”と”執念“…私が身につけたのは、”遮断”と”忘却“…あの日々を生きるうちに、各々自分のやり方を見つけていた…
どうでもいいのよ、面倒くさいの…あの人の事も、あなたの事も、私の事も、この世の全て…今のあなたなら、分かるよね?こういう幸せ。私よりも”遮断力“つけちゃったもんね、あははは。
どうでもいいのよ、面倒くさいの…あの人の事も、あなたの事も、私の事も、この世の全て…
あー、でもやっぱり、あの人が死んだって聞いた時は、ちょっぴり嬉しかったな、ふふ。
だから、あなたにも、ちょっぴりお礼言うわ。ありがと。
あとね、あんな人でも、そこそこ小金を貯めてたみたい。当然、私達が相続人よ…大丈夫、手続きは、私に任せて。だって、あなたじゃ無理だもんねぇ。そして、今や私はあなたの後見人…それもこれもみんな、神様からの素敵な贈り物ね、あっはははは…
[了]
作者珍味
ご無沙汰しております。峰岸シリーズの14作目をお届けします。今回は、先日下村課長を作中に起用頂いた、mami様の下記作品へのオマージュ(コラボのお返し)となっておりますので、未だお読みでない方は、こちらを先にお読みください。
↓
「神様からの贈り物」http://kowabana.jp/stories/29053
mami様ご快諾を頂き、誠に有難うございます。オリジナルとは異なる解釈となってしまったかもしれませんが、これもコラボの一つの結果ということで、mami様、そしてmami様ファンの皆様におかれましては、出来不出来も含め、何卒ご寛恕頂ければ幸甚ですm(__)m。
なお、本シリーズの関連リンクを貼らせて頂きます(協力:ふたば様)。
http://kowabana.jp/tags/峰岸善衛シリーズ