1
ここ最近、僕は決まって真夜中の2時すぎに目をさます。
隣りで眠っているお父さんは相変わらずの大いびきで、正直、うるさい。
でも、僕がこんな時間に目をさますようになったのは、別にお父さんのいびきがうるさいからではなくて、全く違う、別の理由がある。
みし
これだ。階段をゆっくりと一歩ずつ確かめるように上がってくるこの足音。
隣りでこれだけいびきがうるさいというのに、その小さな音は確実に僕の耳に届いている。
2
やがて、その足音は僕らが寝ている部屋の前で止まる。
そこからはなんにも音がしなくても、その何かが、いま扉の向こうから僕らの様子を伺っているということがわかる。
もう一つ言えば、その存在が誰なのかも僕にはわかっている。
たぶん、それは僕のお母さんだ。
3
だったら、なぜ僕が扉を開けないのかって話になるんだけど、それには一応理由がある。
僕のお母さんは。
僕のお母さんは、もう一緒に生活が出来ないくらいのひどい怪我を負ってしまっていて、今現在、病院で暮らしている。
事故の衝撃で両足が動かなくなった事とは別に、もうちゃんと話す事も、考える事も出来なくなってしまった。
息子の僕の顔を見ても、何の反応もしてくれない。
だから、今この扉の向こうにお母さんがいるなんて事は、やっぱりどう考えても絶対にあり得ない事なんだよ。
4
しばらくしたらお母さんの気配は消えてしまうんだけど、最近、ある事に気づいたんだ。
気配が消えると同時に、隣りのいびきもピタリと止まる。
それがとても不思議だったんだけど、今夜、その意味がやっとわかった。
よく見たらお父さん、いびきをかきながら目を開いてたんだ。
つまり、お父さんもこの足音に気づいていて、その音を僕に聞かせないために、いつもより大きないびきをかいて音を消してくれていたってわけさ。
考えてみたらあの事故の後からなんだ。お父さんがこんなに大きないびきをかくようになったのは。
お父さんはお父さんなりに、僕に精一杯、気を使ってくれていたんだね。ありがとう。
5
お母さんは僕の顔を見ても、お父さんの顔を見ても誰だかわかんないみたいだけど、やっぱり、心の底では僕たちの事をおぼえていて、僕たちに会いたいと思ってくれているんだ。
だから、僕は嬉しいし、ましてや怖いなんて少しも思っていない。お父さんは今日も相変わらずの大いびきだから、僕はそっとお父さんの口もとに手を当てた。
もういいよって。僕たちに会いにきてくれるお母さんの足音を聞いても、僕はぜんぜん平気だよって意味で。
暗くて、はっきりとはしなかったけれど、たぶんお父さんは上を見たまま涙をためていたと思う。
お父さん、そんなに自分を責めないで、あれは防ぎようのない不慮の事故だったんだってみんな言ってたし。
ぎい
6
僕とお父さんの目は、少しだけ開いたその扉に釘付けとなった。
こんな事は初めてだ。お母さんが扉を開けるなんて。
7
「おかあさん?」
僕が声をかけようとしたら、それよりも先にお父さんの手が僕の口を塞いだ。
「見るな」
お父さんにそう言われて、すぐに目を閉じたんだけど、扉の隙間から一瞬だけ見えたお母さんの目は、ものすごく怖い目だった。
お母さんは怒ってる?
頭から布団をかぶった僕の周りを、お母さんの気配がいったりきたりする。あれからお父さんは何も話さないし、少しも動かない。
ただ、布団の中で小刻みに震えるお父さんの手を、僕は一生懸命握り返した。
お母さんはいま、布団の外でお父さんに何を訴えかけているのだろう?嫌な予感しかしない。
あの目は、僕たちに何を…
了
作者ロビンⓂ︎