「私は死神博士。死を収集している」
夜行列車の中で、向かいの席に腰を降ろした男が言った。
男は山高帽を目深に被り、灰色の口髭を蓄えていた。黒マントの下にダークグレイのスーツを優雅に着こなし、洒落た紺の蝶ネクタイをしている辺り、博士というよりマジシャンと言った風情なのだが。
この男がいつから目の前にいるのか、私は知らない。気が付いたらそこにいたのだ。田舎道を走る夜行列車だ。空席はいくらでもあるというのに、なぜこの男はわざわざ私の前に座ったのか。不審に思いはしたが、それは表情には出さず適当に会話を合わせることにした。
「死を収集とは──。また奇妙な話ですね」
「そうでしょう。世界広しと言えど、私のような輩はそうそういるものではない」
「それで、死の収集とは一体どんなもので?」
「そうですね、より正確に言えば、人を死に至らしめる苦しみを収集しておるのです。例えば──」
彼は横の座席に置いてある革の黒い鞄を開き、更に中から鍵付きの金属ケースを取り出した。面積で言えば、10インチタブレットくらいの大きさで、深さは5~6センチくらいだろう。彼は銀色に輝くそのケースを解錠し、中を私に見せた。
そこには、ガラス玉の様な幾つもの球体が丁寧に安置されていた。球体の大きさは直径3センチほどだろうか。3 x 5にくり抜かれたスポンジにすっぽりと収まっている。
ガラス玉らしきそれらは、個々に色が異なっていて、緑色の球体もあれば、どす黒い血を思わせる暗赤色のものもあった。彼はその中の一つを取り出して見せる。
それは半ば冬の青空を思わせる、澄み切ったブルーだった。半ば、というのは、せっかく綺麗なその青が、黒いどろどろした液体に浸食されているかのような状態だったのだ。
「これなどは、やや悲惨な死に該当するでしょうな」
男は──死神博士はそれを電球の光に翳した。山高帽から僅かに覗く片目が不気味に輝いている。
「これらの球体は、死に至る負の情念が結晶化したものなのです」
「負の情念、ですか」
「左様。失礼ながら、あなたは満足な死を迎えられそうですかな?」
「ええ、まあ」
私は実業家としてそれなりに成功してきたし、貯えもある。今は楽隠居の一人旅だ。愛する妻には先立たれ、息子夫婦に世話になりながら暮らしているが、五体はまだそれなりに動くし、認知症にもかかっていない。
「そうですか、それは良かった」
死神博士はその口元ににんまりと笑みを浮かべて見せた。その唇の曲がり方はどこか、抑えきれない皮肉な調子を帯びているように思えた。
「話を戻しましょうか。これらの球体を私は、死せる魂の玉、【死魂玉】と呼んでおります」
「死魂玉?」
「左様。この死魂玉の記憶をご覧になりたくはないですかな?」
「記憶、ですか──」
何とも非現実的な話がさっきから続いているが、私はどこか楽しんでもいた。こんな風変わりな男にはなかなか出会えるものではない。どうせ気ままな一人旅だ。話を聞くだけならただだろう。
「それは見てもみたいですが、しかしそんなことが可能なのですか?」
「無論です。例えば──」
死神博士はおもむろに魔法瓶の水筒を取り出し、コップの中に水を注いだ。そして死魂玉をその中に入れた。その瞬間、死魂玉を中心にコップの中の水にさざ波が起こったような気がした。
「さあ、どうぞ」
「これを、飲むのですか?」
「無論。毒も薬物もありませんから、ご心配なく」
男は一口ごくりと飲んで見せ、再び私にコップを差し出した。迷いはしたが、断り切れない雰囲気に私はとうとう押し負け、中身を一口飲み込んでしまった。
その途端、周囲の景色がジェットコースターのように走り過ぎていった。
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明日の宿題を終え、練習試合に用意していたテニス・ラケットを取り出し、軽くスイングしてみる。空気を切るブオッという音が心地よくて、寝る時間がいつもより遅くなってしまった。
ラケットをケースに戻し、部屋の明かりを消してベッドに潜り込む。中学に入ってからというもの、勉強もスポーツもそれなりに頑張って充実した毎日を送っている。両親は優しいし、小学生の弟は生意気盛りだが可愛いところもある。友達も部活を通じて何人もできた。ここ最近、毎日が楽しくて仕方がない──。
夜中、ふと目を覚ました。階下で聞きなれぬ物音が聞こえたのだ。ふと不安がよぎり、部屋を出て階段に向かう。
「お父さん?」
最近父は帰りが遅い。早く帰って来ても、また仕事だとか言って晩御飯だけ食べて職場に戻ったりする。一階の廊下は真っ暗だから、何かに躓いたのかも知れない。
そう考えて階段の電灯を点け、すたすたと降りていく。
だが、階段を降りるに従い、何かがいつもと違うという予感が湧き始めた。父なら廊下に電灯ぐらい点けるだろうし、そうでなくとも台所や洗面所などに直行して何かしらの物音を立てるはずなのだ。
それに──。
(何? この臭い…………)
鉄の錆びたような臭い。それも鼻を突くほどに強い。
「父さん? 母さん?」
異様な臭気と静寂に耐え切れず、私は階段を駆け下りて両親の寝室に飛び込む。そこには見るも無残な二人が────────。
立ち竦んでいると、何者かに頬を殴られ、体が吹っ飛んで血の海となった布団に突っ込んだ。そこに背の高い男が圧し掛かってきた。それからは地獄だった。何度も、何度もレイプされた。弟が途中で起きてきて、泣きながら男に飛び掛かっていったが、私の目の前で包丁で滅多刺しにされた。
私はそれを見て、抵抗する気を一切失くしてしまった。
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警察の聴取は何度か受けたが、余りの衝撃に私は男の顔や特徴を殆ど覚えていなかった。
もともと暗がりの中での犯行なのだ。何故あのような凶行に及んだのか、犯人の意図は分からなかった。単なる押し入り強盗なのか、快楽殺人なのかすら。
だが、私にとってはそんなことは既にどうでもいいことだった。私は強姦されつくした後、腹部を刺され、瀕死のところを救出された。それだけならまだしも、もう子供を産むことは出来ないと言われた。顔にも大きな切り傷があった。
あれから二年が過ぎた。私は叔父さん夫婦に引き取られ、引き籠りの生活を送っていた。叔父さん夫婦もそんな私を扱いあぐね、度々私のことを二人でひそひそ話し合っていた。そして昨夜、私を施設に預けようと叔母さんが話しているのを聞いた。叔母さんはむしろ、わざと聞こえるように話したのだろう。
その時不意に、もう死のうと思った。死にたい、死にたいと思い続けて、結局心のどこかでブレーキをかけていた。
今朝叔父さん夫婦の家を出て、どこで自殺しようかと死に場所を探し回り、ようやく午後四時を過ぎた頃に都立公園の林の中に進んだ。木枯らしが吹き抜ける中、ベンチに腰を降ろした。風の吹き抜ける音がとても物悲しく辺りに響き渡っていた。まるで私の心のようだと思い、少し笑った。
どこか適当な木の枝はないかと物色していると、隣に奇妙な人物が腰を降ろした。私は既に男性恐怖症になっていたが、不思議と怖さを感じなかった。
山高帽を目深に被った、マジシャンのような髭のおじさんは、前を向いたままこう言った。
「私は死神博士。死を収集している」
彼は私に、エメラルドの液体が入ったガラスの小瓶を差し出した。
「これを飲めば、あなたの抱える死の苦しみを物体として結晶化させることが出来る」
そう言って取り出して見せたガラス玉のようなそれは、とても不思議な色合いをしていた。まるで万華鏡のように複雑な光彩を放っていた。『死魂玉』と言うらしい。博士は、これはとある統合失調症患者のものだと語った。
「薬を飲んで死んだ者から、これを回収しているのだよ」
「私の苦しみは、こんな綺麗な玉になれるでしょうか」
そう聞くと、彼は分からないと首を振り、しかし大事に扱うと約束してくれた。
代償として、薬を飲んで一定の時間は幸福な夢を見ることができるのだそうだ。つまりその間に命を絶てばよいのだ。
決心した私はその液体を飲み、直後に首を吊った。痛みは感じなかった。ただ首に衝撃が走った直後から、私の脳裏に家族と過ごした平穏な日曜日が鮮明に再現されていた。
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気が付くと、死神博士が真っ直ぐ私を見ていた。
「どうですかな?」
「何ともはや、悲惨な死があったものですね」
「ええ。全くです」
「つまりあなたは、あの少女の自殺を幇助したことになる。これは犯罪ですよ」
「そうですな」
死神博士は、事も無げに言ってのけた。
「しかし、彼女を本当に死に追いやったのは何だと思います?」
「それは──────」
あの殺人鬼だろう。そう言いかけた時、死神博士は言った。
「時間切れだ。さあ、目を覚ます時だよ、殺人鬼君」
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目を覚ました時、私は絞首台の前にいた。
そうだった。私……じゃなくて、俺があの一家を殺し、少女を強姦した。
実業家として成功したのも、美しい妻も、息子夫婦も、隠居生活も全て夢だったのだ。
昨夜、死神博士が俺の独房に訪れた。誰も入れるはずのないあの部屋にどうやって入ったかなど、むろん俺は知らない。
「これを飲めば、死に至る苦しみを結晶化させることが出来る。それを頂く報酬として、君は服用後の一定時間、幸福な夢を見ることができるのだ」
奴はそう言い残し、緑色の液体が入ったガラス瓶を置いていったのだ。
あの少女は上手くやり遂げたというのに、一方の俺は────。
「い、いやだ!! 死にたくない!! 助けてくれ!!」
暴れる俺を押さえつけ、忌々しい看守どもが半ば無理やりに俺を死刑台に連れて行った。
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真夜中の遺体安置所に現れた死神博士は、死刑囚の死体に屈みこんだ。
その口から、ごろんと何かが零れ落ちてきた。ハンカチに包み込んでそれを非常灯に翳した死神博士は、嘲るような笑みを浮かべた。
それは、黒茶色の、センスの欠片もない汚い球体だった。
作者ゴルゴム13
読んで頂いた皆さま、ありがとうございます。
新作です。次回はいつになるか不明ですが続編は書くつもりです。