私は、あの夜、またあの屋台の前に佇んでいた。
他の桜の木はとっくに花を散らして葉桜になっているというのに、その桜の木だけはたわわに花をつけて、花びらの舞い落ちるその木の下に、その女は、薄暗い灯りに照らされた卵を前に鎮座していたのだ。
「おや、お嬢ちゃん、また来たね。どうだい、願いは叶ったかい?」
美しいが、何とも冷ややかな微笑みをたたえた、玉虫色の巫女のような着物を羽織った女は問いかけてきた。
「うん、妹はできたよ。でも・・・。」
今日起きた出来事を思い出し、私は目にいっぱい涙をためた。
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「かわいいでしょ?」
ことの発端は、同級生の真子ちゃんのこんな言葉からだった。
妹ができたから、見に来る?と真子ちゃんに誘われて、真子ちゃんの家に遊びに行ったのだ。
私は、衝撃を受けた。そこには、天使が居たからだ。
昔、お母さんに読んでもらった絵本の中に出てくる、天使にそっくりなその姿に見とれていると
「かわいいでしょ?」
と勝ち誇ったような真子ちゃんの視線に悔しさを隠せなかったのだ。
正直、真子ちゃんはかわいくない。私は、幼いながらも、真子ちゃんに容姿に関しては優越感を感じていたのだ。だが、小さくても、女は幼いころから女なのだ。そんな私の些細な優越感も、真子ちゃんは見逃してはいなかった。
「リリちゃんもさあ、お母さんに、妹作ってもらえばいいよ。」
真子ちゃんは、自慢げに鼻の穴を広げて見せた。
欲しい。私も。こんなお人形さんみたいな妹、欲しい。私は幼かった。何も事情も知らずに、母を責めたてたのだ。
「ねえ、お母さん、私、妹欲しい!真子ちゃんちみたいな、天使みたいな妹!」
母親は困った顔をした。後で知ったことだが、母は、それ以上子供の産めない体だったのだ。
「ごめんね、理々子。それは無理なの。」
お母さんは意地悪をしてる。どうして、私に妹ができないって決めつけるの?
真子ちゃんのママにできて、どうしてお母さんにはできないの?
次の日、私を気の毒に思ったのか、お父さんが赤ん坊の人形を買ってきた。
「ほーら、理々子、かわいいだろう?」
そう言ってお父さんが差し出してきた人形は、人形特有のセルロイドの匂いのする、目は人間離れした少女漫画のような瞳、頬や指は固く、その固さを補うように、わざとらしい柔らかなフォルムを模した、大人の考えた理想の赤ちゃん人形だった。
真子ちゃんの家で見た、赤ちゃんとは全く違う。真子ちゃんの妹は、すごくいい匂いがして、頬もつきたてのお餅みたいに柔らかくて、小さな唇がムニムニ動いてて、暖かかった。
「かわいくない!こんなの!いらない!」
私は、そう言って、人形を叩きつけた。お父さんは悲しそうな顔をした。
そして、お母さんが飛んできて、初めて私をぶった。
「なんてことするの!お父さんに謝りなさい!」
初めてぶたれたショックに泣きわめいてみたけど、お母さんは許してくれなかった。
「もういいじゃないか。お前。」
お父さんは、叱り続けるお母さんに向かって言った。
「お母さんなんか、大嫌い!」
私は、そう叫ぶと、家を飛び出していた。
暗い夜道を一人歩くのは心細かった。
でも、今は家に帰りたくない。
そんな時だった。
まだ肌寒く、桜も満開で、近所の河川敷では、桜まつりが開催されており、酔っ払いが夜桜見物で騒いだり、そんな客を目当てか、小さな屋台が出ていたりした。
その屋台の中で、ひときわ目を引く屋台があった。ほかの屋台では、焼き鳥やイカ焼き、とうもろこしなどが売られているのに、その屋台には、真っ白な卵しか並んでいないのだ。
私は、不思議に思い、その屋台に近づいて行った。
「おや?お嬢ちゃんには、この店が見えるんだねえ。」
その女店主は、不思議なことを言う。今まで見たこともないような、綺麗な女の人で、これまた見たこともないような、巫女さんが来ているような、それでいて、玉虫色の不思議な着物を着ていた。
「おねえさん、何してるの?」
「あたしかい?ここで商売してるのさ。」
「商売?卵、売ってるの?」
「まあね。もって行くかい?夜の卵。」
「夜の卵?」
「そうさ。夜の卵。この卵はね、ただの卵じゃないんだよ?願いをかなえてくれる卵なんだ。」
「私、お金、持ってません。」
「大丈夫だよ。お代はいらないよ。持ってお帰り。」
そう言って、一つの白い卵を持たされたのだ。
「どうやったら願いが叶うの?」
私がたずねると、その人は言った。
「お嬢ちゃんの好きにすればいいさ。そうすれば願いは叶う。」
「理々子!」
私は、後ろから呼び止められて振り向くと、お母さんとお父さんが立っていた。
心配して、私を追いかけて探しにきたのだ。
「心配したのよ、理々子。ぶったりしてごめんね。」
お母さんがそう言って、抱きしめてくれた。
「あのね、お母さん、このお姉さんがね・・・。」
そう言って、私が屋台のほうを振り向くと、そこには大きな桜の木が一本あるだけで、何もなかった。
嘘、今の今まで、卵を置いている屋台があったのに。
夢でも見ていたのだろうか。
いや、夢ではないはず。だって、私の手の中には・・・。
「どうしたの?理々子。」
「ううん、何でもない。」
私は、このことは誰にも話してはいけないのだと、自分で悟った。
次の日、私は、こっそりと学校に卵を持って行った。
お昼休みに校庭の片隅で、土を掘り、その中に卵を割り入れた。
お母さんと一緒に作った、クッキーのように、卵を割り入れた土を混ぜて練り上げた。
そして、真子ちゃんの妹の姿を頭の中に描きながら、土で人形の形を作った。
すると、出来上がったその土の人形は、形をどんどん変えて行った。
最初は土人形は、うねうねと波うち、実体を持って行った。
そして、最終的に、柔らかな、お乳の匂いのする、天使のようなかわいい赤ちゃんになった。
「やったあ。」
私は、人知れず、小さな声でつぶやいたのだ。
そして、誰にもばれないように、そっと自分の服にくるんで、草むらに隠した。
下校するときは、いつも友達と帰るのだが、その日は、終わりの挨拶とともに、教室を飛び出して、すぐに赤ちゃんを隠した草むらに走った。
「よかった。無事だ。」
私は、すぐにその赤ちゃんを抱きかかえて、自分の服で隠して、家に持ち帰った。
「名前は、何にしようかな。」
私は、理々子だから、リコにしようかなあ。
「リコ、リコちゃん。」
そう語りかけると、リコは声を立てて笑った。
「かわいい~。」
私は、リコをぎゅっと抱きしめた。
そうだ!真子ちゃんに自慢しなきゃ!
真子ちゃんちの妹なんかより、うちのリコのほうが十倍、ううん、百倍はかわいいんだもの。
その時、玄関の開く音がした。
「ただいまー。」
お母さんだ。嘘、今日は、早番だったっけ?
お母さんは、近所のスーパーで働いているのだけど、今日は遅番だって言ってたはず。
「おかえり。」
私は、あわててクローゼットにリコを隠して、平静を装った。
「お母さん、今日は遅番じゃなかったっけ?」
私がそう言うと、
「うん、そうだったんだけど、急に早番の人が休んじゃってね。急遽早番になったの。」
と言うと、買ってきた食材を冷蔵庫に収め始めた。
「ふぎゃあ」
その声に、お母さんが振り返った。
しまった。気付かれた。
「今、何か声しなかった?」
「さあ、猫かなにかじゃない?」
私は、そうとぼけた。
「ふんぎゃあ、おぎゃあ。」
これはもう誤魔化せないと思った。
「赤ちゃんの声がする。」
お母さんがそう言って、音の元を探し始めた時には、胃がぎゅっとつかまれるように苦しかった。
そして、ついにクローゼットは開かれた。
驚愕に見開かれる、お母さんの目、そして、その目は私に向けられた。
「理々子、どうしたの?この子。どこから連れてきたの?」
お母さんの視線が、私の心臓を射抜く。
「・・・作ったの。」
「嘘おっしゃい!どこから連れてきたの!正直に言いなさい!」
お母さんは鬼のような形相で私を睨む。
「本当だよ。」
そう言うと、お母さんの手が私の頬を打つ。
「なんてことをしてくれたの!いくら妹が欲しいからって!やっていいことと悪いことがあるのよ?」
嘘じゃない。本当だよ、お母さん。信じて。
私は、泣きじゃくるばかりで、何も言えずにいた。
「とにかく、この子は警察に届けなきゃ。」
「ダメ!リコは私の妹なの!」
「理々子、この子は、あなたの妹なんかじゃないの。理々子がやったことは、泥棒なのよ?」
「違う!私が作ったの!リコは、私が作った。」
お母さんは、ことの重大さにすぐにお父さんに連絡して、お父さんは慌てて会社から帰ってきた。
そして、夫婦そろって、リコを警察に届けたのだ。
酷い、お母さん、お父さん。
子供を信じられないなんて、親失格だよ。
そして、気付けば私は、またあの桜の木の下に立っていたのだ。
「願いは、かなったかい?」
その女の問いかけに、
「妹は、できたの・・・。だけど、お母さんとお父さんが警察に届けちゃった。」
と答えた。
「そうかい。残念だったね。」
そう一言女は答えると、煙管でたばこを吹かした。
「ねえ、もう二個、卵ちょうだい?」
私がそう言うと、女は片眉を上げた。
「いいけど?何に使うんだい?」
「お父さんと、お母さんを作るの。」
「お父さんとお母さんかい?」
「うん、今のお父さんとお母さんは私の言うことを全然信じてくれないから、作り変えるの。」
「そうかい。好きにおし。」
そう言うと、女は卵を二個差し出して来た。
「ありがとう。」
私は、その日、ひたすら庭で土をいじっていた。
その様子を、家の中から不安げにお父さんとお母さんが見ていた。
「あなた、理々子はどこか病んでいるのかしら。」
「ああ。まさか、よそのお宅から赤ちゃんを盗んでくるとは思いもよらなかった。」
「病院に連れて行ったほうがいいのかしら。」
「そうだな。今度、俺も会社を休んで付き添うよ。」
そんな会話がされていたのも知らずに、私は一心に土に卵を割り入れて願いをこめていた。
「新しいお父さんとお母さんはね、理々子の言うこと、何でも信じてくれて、何でも願いを聞いてくれる優しい、お父さんとお母さんなんだよ。だから、早く生まれてね。」
土をこねると、だんだんとその土の人形が実体を持ってくる。うねうねと動いて、大きく膨らんで行った。
次の日、お父さんとお母さんは再び警察を訪れていた。
「すみません。先日お預けした子供は、実は私たちの子供でして。」
そう二人が告げると、警察は呆れながらも、赤ちゃんが引き取られた先の施設を教えてくれた。
「理々子、リコが帰って来たぞ。」
お父さんは、私の頭をなでながらニコニコしながら言った。
お母さんも、ニコニコ笑いながら、この前の鬼の形相が嘘のように、リコを抱っこしている。
おめでとう。お父さんもお母さんも、私が作ったの。
これで、私を叱る悪いお母さんも、人形で誤魔化そうとするずるいお父さんもいなくなったよ。
それからも、私はことあるごとに、卵を買い続けた。あの桜の木の下に行けば、あの人に会えるのだ。
いつしか、その女は私にこう言うようになった。
「まいどあり。」
気に入らない先生も、気に入らない先輩も、全部私が作り変えてあげたんだよ。
感謝してほしい。
性格の悪い人は、この世界から全部消してあげる。
気に入らない上司、気に入らないご近所さん、吠えてばかりいる犬も、全部、全部、ぜーんぶ。
そして、最近、浮気して裏切った彼も、作り変えた。
これからは、私にだけ従順な彼は、めでたく私の夫になった。
そして、私に待望の赤ちゃんができた。
正真正銘の私の赤ちゃん。
今度は作り物ではない。
そして、ついに、その瞬間がきた。
「おめでとうございます。女の子ですよ。」
「こんにちは、わたしの赤ちゃん。」
私は、その子を抱きしめようとして、固まってしまった。
「嘘、そんなバカな。」
その子は、土の人形だった。
「冗談は、やめてください。」
私が、そう医師に告げると、医師は不思議そうな顔をした。
「何がですか?」
「それは、土の人形じゃないですか。」
「何言ってるんです?かわいい女の子ですよ?」
そう言いながら、土の人形を私に差し出す。
違う、こんなのは私の子じゃない。
「違う!違う!違う!」
私が半狂乱に叫ぶと、医師と助産婦さんは慌てて私を落ち着かせようとした。
私は、医師の抱き上げた土の人形を叩き落そうとすると、慌てて医師は土の人形を私から遠ざけた。
「何をするんですか!自分の子供を!」
「私の子供は、そんな土人形なんかじゃない!」
そして、ほどなくして、私は別の病棟に隔離された。
時々、私の夫と両親が面会に来てくれる。
そして夫の隣には、今日も土人形を抱えたリコが不敵に笑っている。
作者よもつひらさか