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中編7
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金魚

【金魚】

ある夏の朝方。

鳥と蝉の鳴き声が混ざる中、俺は居間のテーブルの上にポツンと置いてある金魚鉢を見つめていた。

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「花火大会に行かない?」

妻“日向美”の一言で、俺は考えもしていなかった花火大会に行くことになった。

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花火大会に行くのは、いつぶりだろうか。

確か、日向美と付き合いたての頃に1度行った気がする…10年近く行っていないかもしれない。

そんなことを考えながら、俺は花火大会に行くのを密かに楽しみにしていた。

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花火大会、当日。

日向美は、緑の生地に桃色や紫色の朝顔を幾つも咲かせた浴衣姿で、花火を楽しんでいた。

俺は、ジーパンに白のポロシャツといった、なんてことない格好だ。

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「修二?」

人混みの中、どこからか俺を呼ぶ声が聞こえた。

辺りを見渡していると、後ろから「よっ!」という元気な声と共に肩を叩かれる。

振り返ると、そこには俺と日向美の共通の友人、“拓”が立っていた。

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「こんな所で会うなんて、久し振りだな。同窓会以来だから、3年ぶりぐらいか?」

俺と日向美、拓の3人は高校来の友人で、昔はよく3人で遊んでいたものだ。

拓は人懐っこい性格と爽やかな笑顔で、多くの人に好かれていた。

笑うと、目尻にある黒子がよく動く。

今も変わらず、爽やかな笑顔で俺と日向美に話しかける。

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「久し振り。俺は日向美の提案の付き合いだよ」

「えー、あなた楽しみじゃなかったの?」

少し不貞腐れながらも、日向美は綿あめ片手に俺の腕に掴まった。

「相変わらず仲良いな、羨ましい限りだ」

「たっくんは結婚しないの?」

日向美の質問に、拓は首を横に振った。

「たっくん、イケメンなのに勿体無いねー。行き遅れだよ?」

「いいんだよ、別に。1人も気楽だぜ?」

そう言うと、拓は目尻に皺を軽く寄せながらはにかんで見せた。

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「あ、そうだ」

拓は、左手首に引っ掛けていた袋を日向美に渡した。

中には金魚が3匹、泳いでいる。

「どうしたの、これ?」

日向美が、花火に照らされて赤い鱗を虹色に光らせる金魚に見入りながら、少し高揚した声で訊いた。

「さっきたまたまやってさ。俺、生き物飼うの苦手だからやるよ」

「いいの!?ありがとう!」

俺は金魚から拓に視線を移した。

「おいおい、飼えないならやるなよな」

「いいだろ、別に。祭りなんて久し振りだからさ、何かしたくなったんだよ」

そう言う拓の目は、空高く上がる花火に向けられていた。

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俺達はその後昔話に花を咲かせ、花火が終わる頃にそれぞれ帰宅した。

家に帰って、日向美が浴衣姿のまま押入れの奥から丸い金魚鉢を取り出し、早速金魚を中に移していた。

三十路が近いのに、まだまだ子供な所が可愛いな……などぼんやりと考えながら、俺は寝る支度を始めた。

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「ねぇ、あなた」

視線は金魚に注いだままの日向美の声が、やけに透って聞こえた。

「何?」

「この子達、少し私達に似てない?」

俺は、支度をしていた寝室から日向美のいるダイニングへ移った。

よくよく見ると、1匹の赤い金魚は目の近くに黒子のような模様がついている。

残りの2匹は、片方が雌で綺麗な朱色に身を包み、もう1匹は黒の出目金だった。

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「似てるって言われてもな…この黒子の金魚だけじゃないか?」

「あなた、出目金みたいな眼鏡かけてるでしょ?」

日向美に指摘され、かけていた丸眼鏡を外した。

「眼鏡かけてると、目が大きくなって出目金みたいよ」

そう言いながら笑う日向美の頬は、“ちーく”とやらを付けていないのに、赤く色付いている。

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「まぁ、確かに。少し似てるかな…?」

「でしょ!?面白いね、こういう事ってあるんだね」

日向美は、金魚を愛おしそうに眺めた。

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俺達は結婚して5年経つが、子供がいない。

子供が欲しくないわけじゃないが、日向美の方に原因があり、なかなか出来ない状態でいる。

日向美を責めるつもりはない。

俺は、2人でも充分幸せだ。

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日向美は、子供を欲しがっていて、今でも病院に通っている。

数ヶ月前から、子供の代わりにペットを飼おうかという話が出ていたため、今回拓から貰った金魚が特別なものとなったのだろう。

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数ヶ月後。

花火大会の時の熱気もどこかに消え去り、季節は冬を迎える準備をしていた。

金魚は、まだ生きている。

「お祭りの金魚なんてすぐ死ぬ印象しかないけど、こいつらは長生きだな…」

独り言を呟きながら、俺は悠々と泳ぐ金魚を見つめていた。

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ふと、1匹の金魚の動きがおかしいことに気づく。

よくよく目を凝らして見ると、どうやら尾びれの付け根あたりに怪我をしているようで、底の方をゆらりゆらりと泳いでいる。

その金魚は、目元に黒子の模様があるやつだった。

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「ねぇ、あなた知ってた?」

昼飯の支度をしている日向美の声が、キッチンの方から聞こえる。

「何を?」

「たっくん、駅の階段から落ちて腰怪我しちゃったんだって」

初耳のことに俺は少し驚いた。

が、不謹慎かもしれないが、俺が気になったのは日向美が拓の現状を知っている事だった。

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祭りの前までは全く音沙汰無かったのに、最近2人は連絡を取り合っているらしく、妙に日向美が拓の話をしたがる。

「今度、お見舞いに行かないとな」

「ううん、大丈夫みたいよ。動けないわけじゃないみたいだしね。落ちながら打ったから、痣と擦り傷があるらしいけど」

「ふーん、そっか…」

俺は、気にしないようにして日向美の手伝いに行った。

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少し日が過ぎた頃。

黒子の金魚はすっかり元気になって、家に来た頃のようにまた元気に泳いでいた。

「その子、元気になって良かった」

毎日世話をしている日向美は勿論気付いていて、満面の笑みを浮かべている。

俺も嬉しくは思ったが、少し気味が悪かった。

拓に似た金魚が、拓と同じような所を怪我していた……しかも、同じ時期に。

偶然だろうと納得するように言い聞かせ、俺はなるべく金魚を気にしないようにした。

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春を迎える頃。

休日、家の窓から見える桜を堪能していると、金魚鉢がある方から日向美の叫び声が聞こえた。

「どうした!?」

傍にかけよると、日向美が嬉しそうに金魚を指さしてその場で駆け足をしている。

相変わらず子供っぽさが抜けないなと思いながら、日向美が嬉しそうなのを見て俺は安心した気持ちで金魚鉢を覗き込んだ。

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そこには、窓に反射した陽の光に照らされてらてらと朱色の体を光らせた、お腹の膨れた金魚がいた。

「妊娠…!?」

「そうなの!こんなに長生きしてる上に赤ちゃんが出来るなんて、おめでたいわ」

そう言うと、日向美はニコニコしながら寝室へ向かった。

何やらゴソゴソと物音を立て、すぐに戻って来た。

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「あのね……実はね」

日向美は、嬉しそうにどこか恥ずかしそうに、掌ほどの手帳を俺に渡した。

“赤ちゃん手帳”と書かれている。

いきなりのことで、情けないが俺の思考は停止した。

「え、あ、赤ちゃん…?出来たのか?」

日向美は、頬を朱色に染めながら小さく「うん」と頷く。

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俺はじわじわと実感が湧いてきて、いきなり感情が爆発した。

日向美を抱き上げ、その場で何回も回った。

「ちょっとあなた!赤ちゃんがいるのよっ」

「あ、ごめん。嬉しくてつい…。日向美、おめでとう」

「ありがとう…」

俺達は見つめ合い、幸せな時を噛み締める。

湾曲した硝子越しに、3匹の金魚が見ているのも知らずに……。

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第一子は安産。男の子で、名前は“春樹”にした。

目元にある黒子が特徴的な子だ。

春樹が産まれすくすく育つ頃には、金魚鉢の中も4匹になっていた。

それにしても、奇妙だ。

祭りの金魚がこんなに長生きするのか…?

祭りでなくても、金魚は短命だと聞くのに。

俺は、金魚を見る度に違和感と不気味さを感じていた。

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春樹が生まれたからというもの、日向美の態度も少しよそよそしい。

そして、何よりも驚きを隠せないのが、度々家に拓が遊びに来るようになったことだ。

春樹と遊んでいる時の拓の視線が、まるで自分の分身を見るかのように愛おしそうなのを、俺は見逃さなかった。

2人して目元の黒子を歪ませて笑うのを、俺は自分への当てつけかと思うようになり、次第に春樹や拓との間に溝ができていった。

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ある日、俺は思い切って日向美に聞いてみる事にした。

春樹の事だ。

春樹が寝た頃、俺は日向美をリビングに呼んだ。

神妙な面持ちの俺から察したのか、日向美は場が悪そうにしている。

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「どうしたの、こんな夜中に…。珍しいわね」

「ずっと前から気になってる事があったんだ」

少しの沈黙が、何時間ものように長く、重く感じられた。

「……黒子がな、気になるんだ」

俺の言葉に、日向美は肩を強ばらせた。

日向美は昔から嘘が下手だ……そんな所も、愛しく想う。

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日向美は、何も言わない。そういうことなのだと、俺は理解した。

俺は立ち上がり、寝室へ移る。

その日は朝まで、家の中が奇妙なほど静まり返っていた。

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鳥と蝉の鳴き声が混ざる中、俺は居間のテーブルの上にポツンと置いてある金魚鉢を見つめていた。

テーブルの上には、【ごめんなさい】と書かれた紙切れが1枚、ぺらりと軽々しく置いてあり、日向美と春樹の姿がなかった。

俺は手紙を手に取り、少ししてテーブルの中央にずっと置いてある金魚鉢に目をやる。

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出目金と子供の金魚を残して、他の雌と黒子の金魚が死んでいた。

出目金の口からは、尾びれと思わしき破片が、血で赤く染まった水にゆらゆらと踊っている。

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そういうことか。

俺は身支度をし、出目金のようになると言われた眼鏡をかける。

バタン、と扉の音が、血の金魚鉢に響いた。

-終-

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