「うぉぉおおおおお!」
男は、その物体を確認すると、尻もちをついてその場にへたりこんでしまった。
「こ、これって・・・死体?」
その物体を死体と認識するとともに、強烈な臭いが鼻を突いて思わず吐きそうになった。
「た、大変だ・・・け、警察!」
男は、この山に鮎釣りに訪れた釣り人だった。車から釣り道具を下ろし、駐車場から下の渓谷の川へ下りる途中の藪の中でその死体を見つけたのだ。
「警察には知らせないでください。」
不意にそう言われ、男はあたりを見回した。
だが、男のまわりには誰ひとりおらず、そこにあるのは、森と男と死体だけ。
「ま、まさかな。聞き間違いか。」
男は、独り言をつぶやき、再びスマホを手に取る。
「聞き間違いではありません。お願いです。警察には知らせないで。」
男は再び、あたりを見回す。
「何なんだよ、誰だ!出て来いよ!」
どこかに誰かが身を潜めているのではないかと、男は叫んでみた。
「ここです。ここに居ます。」
嘘だろう?死んでるんだぜ?お前。
その声は、そのすでに人間の形をわずかに残した物体から発せられていた。
とうてい生きてるとは思えない。
「驚かせてすみません。ごらんの通り、僕は死体です。」
「わあああああ!」
男は恐怖のあまり、腰が抜けてしまった。
「すみません、こんな姿で。でも、警察に知らせるのは、もう少し待っていただきたいのです。」
「俺、おかしくなっちまったのかな。」
「いいえ、あなたは正常です。私は、この通り死体ですが、どうしてもこの世に未練があって、魂がこの世にとどまってしまいました。」
「マジか。ていうか、死体がしゃべるとやっぱ怖いわ。」
「すみません、じゃあ、こんなのはどうでしょうか。」
「ギャア!」
その死体の傍らに、赤のボーダーシャツに黄色のつなぎを着た〇ナルドが立っていた。
「あわわわ!」
「あ、これダメですか?ここらへんに捨ててあったので、ちょっと拝借したんですが。」
「余計怖いわ!」
「愛嬌があっていいと思ったんですけどねえ。」
有名ハンバーガー店のその薄汚れたキャラクターの人形は足を組んだままその場に倒れこんだ。
男は、不思議なことに、この状況と臭いに慣れてきたのか、何故死体が話しかけてきたのかが気になった。
「なんで警察に知らせちゃダメなんだよ。」
「実は、僕、恋人に殺されたんです。」
「はぁ?それがわかってるんなら、余計警察呼ばなきゃダメだろ。」
「でも、それでは彼女が捕まってしまいます。」
「当然だよ。殺人を犯したんだから。罪は償わなくてはならない。」
「確かにそうですが。でも、僕の体はごらんの通り、朽ちてきていて、この体が朽ちてしまうと、僕はたぶん成仏するか、記憶のないまま、浮遊霊となってこのあたりを漂うだけの存在になってしまいます。」
「できないかもしれないが、俺としては成仏をおすすめするな。」
「僕は、どうしても、知りたいんです。何故彼女が僕を殺したのか。」
「思い当たる節は無いのか?」
「ええ。僕らは、一か月後に結婚する予定で、恋愛のほうも順風満帆でして。喧嘩をしたわけでもないし、殺される理由がわからないんです。」
「彼女に他に好きな男ができたとか。」
「あり得ないこともないですが、それは考え辛いです。彼女はだいたい仕事以外は、僕と常に一緒に行動していて、彼女自身も仕事が忙しい人だったので、わずかな時間に浮気をするとか想像がつかないんですよね。」
「それこそ、警察の仕事じゃないのか?真実を追求するってのは。」
「ダメです。彼女が警察に捕まって一日中尋問されるとか考えると可哀そうだし。」
「お前なあ。どこまでお人よしなんだよ。お前、彼女に殺されてるんだぜ?恨むだろ、普通。」
「それ以上に、僕は彼女を愛していた。だから、彼女の本当の気持ちを知りたいんです。」
「俺には、どうしてやることもできんぞ?やっぱり警察に連絡して、お前さんの死体をきちんとご家族に届けて埋葬してもらうのが一番いいんじゃないのか?」
「それじゃあ、僕は成仏できませんよ~。」
「おい、それ、やめろつってんだろうが。〇ナルド使うな。」
「お願いしますよ~。」
「わかったわかった!だから〇ナルド、とりあえず置こうか。死体より怖いから。で?お前はどこの誰なんだよ。」
「僕は、北原 崇です。研究員をしておりまして、彼女とは職場恋愛です。」
「で?彼女の名前は?」
「彼女の名前は、戸上 亜由美。部署は違うのですが、高天原研究所の研究員です。」
「高天原研究所?あの大手の?凄いじゃないか。」
「ええ、主に遺伝子やAI、量子についての研究なんかもやってました。」
「なるほどね。で、お前はどこに住んでいたの?」
「茨城の研究所の近くのマンションです。彼女とはすでに同棲していました。」
「で、俺は何をすればいいんだ?」
「これを、僕の部屋に仕掛けていただきたいのです。」
「うわっ、また〇ナルド使う!」
「すみません、物理的には僕の体はもう使い物になりそうもないので。」
「わかったわかった!もう、こえーよ。で、これ何?」
「盗聴器です。」
「うわっ、マジ?それ犯罪じゃん。俺に犯罪の片棒を担げと?」
「お願いします!絶対にバレない場所、教えますから!もしそれで、彼女に好きな男ができて、僕が殺されたのなら、僕はもう潔く成仏します。せめて、理由を知りたい!」
「参ったなぁ。死体なんか見つけなきゃよかったよ。」
「頼みますよ~、この通り!ね?」
「つうか、〇ナルドで言われたらもう脅迫にしか聞こえないんですけど。」
「お礼はします。僕のへそくりが、冷蔵庫の野菜室のタッパーに入っているので、それを差し上げます!」
「いやいや、お金うんぬんじゃなくて。彼女と鉢合わせすることはないのか?」
「日中でしたら大丈夫です。彼女は夜遅くまで研究所で働いているので、鉢合わせはありません。」
「でもさあ、お前、もとい北原が行方不明になってるってのに、捜索願とかは出てないわけ?」
「あ、崇って呼んでもらっていいですよ。うーん、たぶん彼女が上手く会社には言ってるんでしょうね。僕、親ともそんなに頻繁に連絡を取り合うタイプじゃないし。」
「マジで真実がわかったら、成仏するんだろうな。」
「ええ、たぶん。僕には死後の世界はわかりませんが、僕の魂がこの死体にとどまっているのは、たぶん僕が真実を知りたい気持ちでつながっているのではないかと思います。」
「わかったよ、崇。で、ひとつ問題がある。お前の家にはどうやって入ったらいい?」
そう男が質問すると、マンションのカードキーが差し出された。
〇ナルドによって。
男は、死体の言う通りに、マンションにカードキーで難なく侵入し、枕元の携帯電話の充電器の置いてあるサイドテーブルのとなりのコンセントに盗聴器を仕掛けると、難なくマンションを出ることができた。
「一体、俺は何をやっているのだ。」
男は、自分の行動に我ながら呆れていた。
鮎を釣りに行ったら、山中で死体を見つけ、その死体に言われて赤の他人の部屋に盗聴器をしかけるなど、正気の沙汰ではない。
だが、男は、密かにスリルを味わっていた。
誰でも犯罪者に成りうるのだなと、つくづく思った。
盗聴を始めて、確かにその部屋には男の気配はあった。
ただし、電話の会話のみだ。
その内容は、にわかには男にとって信じられない内容であった。
数日後、男は、またあの死体を見つけた場所へと足を運んでいた。
死体は、ますます腐敗が進み、大量の蛆虫が巣食っていた。
「す・・すみません。こんな姿で。気持ち悪いでしょ?見ないでいいですよ?」
崇の健気な言葉に、男は胸が詰まった。
「わかったことがある。」
「ありがとうございます。嫌なことを引き受けてくださって。で?何がわかりましたか?」
「彼女は、ある男に頼まれて、お前を殺したようだ。」
「ある男?」
「そうだ。どうやら、相手の男も研究員らしい。それも、彼女の上司のようだ。」
「そうですか。だいたい想像はつきます。」
「恨まれてたのか?」
「妬まれていました。彼は僕の研究の成果をさも、自分の物のように発表しました。」
「なんでそれで妬まれなきゃならないんだ?お前の研究を横取りしたんだろ?そいつ。」
「ええ。でも、それは僕の危機管理能力のなさと、彼を安易に信用したがための結果です。」
「まったく。お前はどこまでお人よしなんだよ。」
「だから、僕は、次の研究を密かに進めていました。彼は、次から次へと僕がめげずに研究の成果を出すことを以前より快く思っていなかったんですね。」
「自分の無能を棚にあげておいて。そいつはクズだな。」
「同期だったので、彼のことをどうしても憎めなくてね。でも、まさか僕を殺しに来るとは。しかも、最愛の彼女を使って。」
「なんで、お前の彼女は、上司に頼まれたからって、恋人のお前を殺したんだろう。」
「彼女自体が僕の研究であり、彼の成果でもあるからです。」
「は?」
「彼女は、僕が作った人造人間だからです。」
「ちょ、ちょっと待って?頭の中が混乱している。」
「彼女は、超高性能AIで、しかも肉体は人とほぼ変わりない成分でできています。」
「うそ・・・。一度、気になってどんな女か見に行ったことがあるけど、人間にしか見えなかった。」
「僕らは、研究でそのAIに感情を持たせる研究をしていましたが、どうやら感情を持たせることはできなかったようですね。僕は、てっきり彼女に感情が宿ったのだと勘違いしていました。愛していたのは、僕だけだったようで。」
「・・・」
「僕が次に研究していたのが、量子の研究で、物体の瞬間移動と魂の量子化の研究です。」
「話が難しくて、よくわからないんだが。」
「実は、僕、幽霊なんかじゃないんです。すでに、研究のほうは成功していて、魂を量子化し、遺伝子を未来に転送済みなんです。」
「へ?」
「だから、僕の肉体は朽ちてしまいましたが、未来から魂を通してあなたに語り掛けていたのです。」
「じゃあ、崇は、もう未来に存在しているわけ?」
「ええ。そして、彼女は残念ですが、僕の肉体がこの世から消えてしまうと、彼女も消えてしまいます。」
「なんでそんなことになるんだ?」
「彼女の肉体自体が、僕がサンプルになっているからです。」
「マジか。」
「彼女と僕は、まさに一心同体だったわけです。もうすぐ、僕の肉体は、土に還ります。」
「そうか。じゃあ、お別れだな。」
「あなたの名前、聞いてませんでした。」
「ああ、俺?名乗ってなかったっけ。俺は、ヤマモトヒロシ。」
「ヤマモトヒロシさんですね。この御恩は決して忘れません。」
「いいんだ。別に。俺も、こんな不思議な体験ができて、面白かったし。」
「ヒロシさん、あなた変わった人ですね。」
ヤマモトヒロシは、笑った。
「お前もな。」
作者よもつひらさか