久しぶりに会ったK君は、ほぼ昔のままで、びっくりしてしまった。
K君とは、実に10年ぶりくらいの再会。彼とは、バイト先の先輩と後輩という間柄だった。
俺は当時、いわゆるニートというやつで、彼はまだ大学生だった。
「先輩、突然呼び出してすみません。先輩に聞いてほしい話があって。ほら、先輩って、確かいろいろ視える人でしたよね?」
「ああ、まあ。不本意ながら。」
俺は、本当はそんなモノなんて見たくはないのだが、見えてしまう質なのだ。
まあ、何となくK君が来た時から、K君の周りにはじっとりとした嫌な空気が立ち込めていて、それを彼にはっきりとは言えなかった。
「実は・・・。」
彼はゆっくりと、コーヒーを一口すすると、話はじめた。
K君は、現在営業職の職に就いており、2年前たまたま郷里の近くに出張に出向いたので、里帰りしたというのだ。
里帰りと言っても、彼の両親はすでに他界しており、彼の唯一の肉親の妹さんはすでに嫁いで、実家はすでに処分されていた。
彼が帰郷すると、自分の家があった場所はすでに更地になっており、田舎なので誰も買い手はおらず、荒れ放題になっていた。ところが隣の家は、昔のまま、その形を変えておらず、相変わらず大きな古い屋敷は、そのままの威厳と存在感を誇っていたのだ。
その隣の家には、A子さんという娘さんがおり、当時彼は10も年上の彼女に淡い恋心を抱いていたそうだ。
「さすがに、A子さんもおばさんになっただろうな。」
なにしろ、三十路のK君より、さらに10も年上とあれば、40代。
すでに結婚して、どこかへ嫁いでいるだろうなと思った。
K君が、家の前をウロウロしていると、玄関から若い女性が出て来た。
K君は、それを見て驚いた。A子さんそのものだった。まさかな、そのままの姿のはずがない。
きっと、この人は、彼女の子供なのだろう。それにしても、そっくりだ。
「こんにちは。」
K君が挨拶をすると、その女性は驚いたように顔を上げ、こう言ったのだ。
「もしかして、K君?」
K君は、さすがに戸惑った。何故、彼女の子供が自分の名前を知っているのか。
「お母さんから僕のこと、聞いてるの?」
K君は、少し胸が高鳴ったそうだ。もしかして、彼女も自分のことを思っていたのかと、勝手な妄想を膨らませた。
「何言ってるの!私よ、A子よ。」
「えっ?」
そんな馬鹿な。今目の前にいるA子さんは、彼が淡い恋心を持ったあのころの姿のままだったからだ。
「信じられない、全然変わってないね、A子さん。」
「フフ、お世辞言わないで。上がっていけば?どうぞ。」
「お邪魔します。」
そう言って玄関をまたいだ瞬間、真夏だというのに、底冷えがした。
この家って、こんなに寒かったっけ?
寒いというより、体の芯からゾクゾクする感じがしたそうだ。
「おじさんとおばさんは、元気?」
K君は異常を感じながらも、A子さんに問いかけた。
「お父さんとお母さんは亡くなったの。」
K君は、自分の不用意な言葉に後悔した。
「ごめん、知らなかった。」
「いいのよ。K君のご両親が亡くなって、うちもその後、相次いで癌で。」
「そっか。じゃあ、A子さんは、ここに一人で住んでるの?」
「ええ。一人じゃ広すぎて。怖いくらいよ。」
「そっか。」
K君は、内心彼女が結婚していないことに密かに安堵を覚えた。
不謹慎だが、憧れの彼女が結婚していたら少し寂しい気持ちになったと思う。
「K君、飲めるんだよね?」
そう言うとA子さんは、冷蔵庫からビールを出してきて彼にすすめた。
「うん、飲めるけど。車で来てるから。」
「え?そうなの?」
「せっかくだけど。」
「・・・いいじゃない。明日、土曜日だから、休みだよね?酔ったら泊まれば?」
「えっ!」
K君は、さすがに女一人で住んでいる所に泊まるのは抵抗があった。
「で、でも・・・。」
「ね、いいじゃない。昔も何回もうちに泊まったじゃない。」
食い下がるA子さんに、彼は彼なりに思った。
きっと、一人で寂しい思いをしてきたんだろうな。彼女の境遇を考えると、自分の両親が亡くなった時のことを思い出して、同情した。
「いいの?」
下心がまったくなかったと言えばうそになる。だけど、K君は、その時は彼女の傍にいてやりたいと思ったそうだ。
窓の外で、チリリンと風鈴が鳴った。すると、彼女は目だけでその音の行方を追った。
その時、K君はぎょっとした。
彼女の右目だけがその音の行方を追い、左目はしっかりと彼を見据えていたからだ。
彼女はもしかしたら、目の病気を患ったのかもしれないと、その時はそれくらいにしか思わなかった。
A子さんが、夕飯の支度をするまで、K君は暇を持て余し、子供の頃のように、大きなお屋敷の探検を気取って、屋敷の中を探索した。
ああ、そういえば、大きな土蔵があったよな。あそこには、珍しいものがたくさんあって、子供心にわくわくしたものだ。彼は中庭にそびえたつ、立派な土蔵の前に立つと、土蔵のドアを開けた。
昔と変わらず、そこには鍵はかかっておらず、田舎ながらののどかな風習はそのままだった。
中に入ると、黴臭く、ひんやりとした。入ってすぐ、彼は、あっと声が出そうになった。
そこには、A子さんそっくりの人形が置いてあったのだ。
その人形は、陶器でできており、あまりの美しさに、彼はそれに触れた。
その拍子に、人形が倒れそうになったので、彼が慌てて手を出して支えると、中でちゃぽんと音がしたそうだ。何か液体のようなものが入っているような。もう一度彼が、その人形に触れようとすると、土蔵の扉が、きぃ~っと音をたてた。
彼が驚いて振り向くと、そこにはA子さんが立っており、今まで見たこともないような、恐ろしい形相で彼を睨んでいたそうだ。
「それに、触れてはだめよ。壊れたら、K君に災いが降りかかるよ。」
「ご、ごめん。」
彼は子供のように委縮して謝った。
その日、K君はA子さんの作った料理を振舞ってもらった。
「美味しいね、これ。何の肉なの?」
目の前のごちそうで、K君が特に気に入ったのが、何かの肉のから揚げだった。
するとA子さんは、いたずらっぽく笑って
「人魚の肉よ。」
と言ったそうだ。
「人魚の肉?」
「人魚の肉を食べると、不老不死になるって知らない?」
「ああ、確か。八百比丘尼(やおびくに)だっけ?」
「そう。人魚の肉を食べて美貌を保ちながら800年生きたっていう。」
「でも、男が食べても、意味なくない?」
「ウフフ、そんなことないわよ。」
K君は彼女の冗談を笑って受け流した。
夕飯の時も、A子さんは当然のようにK君にお酒をすすめ、彼はしたたか酔ってしまい、泊まっていくことにした。使っていない部屋に、布団を敷いてもらい、彼は眠りについた。
しばらくすると、彼の寝ていた部屋の障子がすっと開く気配がして、彼は寝返りを打って障子のほうを見た。
そこには、寝間着姿のA子さんが立っており、K君のそばに跪いた。
「どうしたの?A子さん。」
彼は眠い目をこすり、体を起こそうとすると、すっとA子さんが彼の布団に滑り込んできたそうだ。
A子さんの体は、夏だというのに氷のように冷たかった。
「ちょ、ちょっと、A子さん?」
「ねえ、K君。K君は、私のこと、嫌い?」
「そ、そんなことは無いよ。」
「じゃあ、好き?」
K君は、あまりの出来事にドギマギしてしまい、うまく言葉が出ない。
「私ね、K君のお嫁さんになってもいいよ。」
そう言うとA子さんは、彼に体を寄せてキスをしてきた。
彼女の唇も、とても冷たくて、まるで陶器にキスしているようだった。
彼の頭の中に、昼間に土蔵で見たあの人形が浮かんでしまい、彼は何となく恐ろしくなり、彼女を押し戻した。
「ご、ごめん。A子さんは好きだけど、そういう気にはなれない。」
これはA子さんではない。
K君はそう思ったそうだ。
A子さんは、彼の中では憧れの存在であり、あのA子さんが自分に夜這いをかけてくるなど、とうてい信じられない。彼女はいつも、K君のことを子ども扱いして、こんなことをする女性ではないのだ。
A子さんは、無表情で布団から出ると、黙って部屋から出ていってしまった。
K君は、彼女を怒らせてしまったかもと後悔したが、何となく彼女を抱いてはいけないと思ったのだ。
その夜、K君は結局朝まで一睡もできなかった。
早朝、昨夜のことを謝ろうと、彼女を屋敷中探したが、彼女の姿はどこにもなかった。
「A子さん、どこに行ったんだろう。」
ふと中庭を見ると、土蔵の扉が開いていた。
もしかして、土蔵に何かを取りにいったのかな。
そう思い、K君は、土蔵に近づいていった。
中を覗くと、A子さんの姿はなく、やはりあのA子さんそっくりの人形がまっすぐにこちらを向いており、K君は誘われるように、その人形が気になり中へ入って行った。
人形に触れ、持ち上げると、やはり、中でちゃぽちゃぽと液体の音がする。
「何が入っているんだろう。」
K君がそうつぶやいて、人形をしげしげと眺めると、人形の右目だけが、ギョロリと動いた。
「うわあああああ!」
K君は、慌てて人形から離れて、後ろにしりもちをついてしまった。
あの人形はヤバい。
A子さんを探すのをあきらめ、彼は、A子さんに申し訳ないと思いながらも、黙って屋敷を後にした。
屋敷を出ると、K君は声をかけられた。
「あれえ、K君じゃないの?立派になっちゃってえ。」
それは、近所に住んでいた同級生Tの母親だった。
「お久しぶりです。Tは元気ですか?」
「元気だよお。今はうちの農家を継いでるんだあ。」
「そうなんですか。」
「ところで、K君、今その家から出て来たけど?」
「ええ。A子さんのお宅でごちそうになりまして。」
K君は泊まったことは言わなかった。
すると、おばさんはキョトンとした顔をして、K君にこう告げたのだ。
「ええ~?A子ちゃん?」
「ちょっと近くまできたので。A子さんに上がって行ってって言われたので。」
「そんなはずないよ。だって、A子ちゃん、ずっと前に亡くなってるもの。」
「えっ?」
おばさんがそんな悪趣味な冗談を言うとは思えなかった。
「どういうことですか?」
「K君は、ご両親が早く亡くなったから知らないかもしれないけど、2年前にA子ちゃん、亡くなってしまって。」
嘘だろう?だってA子さんは確かに存在して、夕飯やお酒まで振舞ってくれたのだ。
「本当ですか?」
「嘘なんてついてどうするの。ああ、でもA子ちゃんはもしかしたら、まだ居るのかもねえ。」
おばさんの顔は曇った。
「A子ちゃんが、突然病死したあたりから、A子ちゃんのご両親の様子がおかしくなっちゃってね。」
おばさんは声を潜める。
「このへんも、昔は土葬だったんだけど、今じゃ立派な火葬場ができたから、遺体は火葬するのが当たり前になってきたんだけどね。A子ちゃんを、どうしても土葬にしたいって言ってね。体が無くなるのがつらかったのかねえ。」
おばさんもこの話を続けるのが辛くなったのか、一瞬黙り込んだ。
「土葬は、たぶんこのあたりも無理でしょう?」
「うん。ところがね、もしかしたらこっそり遺体の一部を、持ってたんじゃないかって。」
「えっ?」
「A子ちゃんが棺に入れられる時に、A子ちゃんの右目のあたりの頭に包帯がぐるぐる巻きにしてあったの。それでね、そこから血が滲んでて。あと、手も小指のあたりから酷い出血のあとがあったの。」
「どういうことですか?おばさん。」
「あくまで噂なんだけどね。この辺りは昔、人魚伝説があってね。死んだ人を象った人形の中に、体の一部を入れて封印して保管すると、その人がよみがえるっていう伝説よ。蘇った体は不老不死になるってところが、人魚伝説に通じたのかもね。」
「もしかして、その人形って陶器でできてます?」
「あら、K君、この話知ってたの?そうよ。この辺は、昔から登り窯が多くて、陶器づくりが盛んだったの。」
K君はぞっとした。まさか、あの人形の中身は。
ちゃぽんと音がした。彼女の体が長年の月日を経て液体化したのか。
彼をおぞましい想像が支配した。
「もしかしたら、A子ちゃんのご両親も・・・。あの伝説を信じて。」
K君はいったん、A子さんの家を出たものの、あの人形のことが気になり、彼はこっそり屋敷からあの人形を持ち出してしまったそうだ。
そして、K君は真相を確かめようと、その人形を彼の大学の大学院生の後輩に託したのだ。
数日後、驚くべき事実が彼に告げられた。
X線やCTで検査した結果、あの人形の中には、やはり人骨の一部が封入されており、液状化した物の中に小さな球体が確認された。その形状は、人の目に非常に酷似しているということだった。
K君は、人形の中で液状化した人体に浮かぶ、彼女の右目を想像した。
右目は、彼女の中で泳ぎながら、グルリと何かを探している。
そして、僕を見つけた。
K君は、それ以来、ずっとその悪夢を見続けているのだという。
「人形は、お寺に持って行って供養してもらい、預かってもらったんです。」
俺はK君の話を一通り聞いて、
「そうか、それが一番いいよな。」
と答えると、K君の顔が青ざめた。
「帰ってくるんです。」
「え?何が?」
「人形が。」
「嘘、マジか?」
「お寺に預けても、預けても、家に帰ってくるんですよね。」
「そんなことって・・・。」
「彼女がK君のお嫁さんになってもいいよ、ってあの夜言ったのを思い出しちゃって。」
「そんな馬鹿な・・・。」
「あの人形、壊そうかなって思ってるんです。」
「そんなことして大丈夫なのか?」
「だって、壊してしまえば、戻ってくることはないでしょう?」
そう言って、笑う彼はすでに壊れてしまっているのかもしれない。
彼には、言えないが、彼がいまだにこの若さを保っているのは、もしかしたら、あの夜振舞われたのは・・・。これは、言わないでおこう。
それから数年経ったが、彼があの人形を壊したのかは定かではない。
ただ、あれ以来、K君からの連絡は、ぱったりと来なくなった。
作者よもつひらさか