休憩室の机の上には、無防備なピンクの可愛いバッグが口をぽっかりと開けて置いてある。
俺は、その持ち主が誰なのかを知っているので、ドキドキしながらあたりを見回した。
誰も居ない。
俺は、恐る恐る、そのバッグの口から手を入れて、彼女の私物を出してみる。
小さな手鏡、化粧ポーチ、スマートフォン。
特に、スマートフォンには興味があり、電源を入れてみたものの、当然ロックがかかっていた。
あきらめてそれをバッグに戻すと、手にチャリという音とともに鍵の束が触れた。
俺は、そのカギをポケットに収めると、すぐさま近くのホームセンターへと向かい、合鍵を作り、彼女のバッグにこっそりと戻しておいた。
彼女のシフトが終わり、俺と入れ替わりに、彼女とその同僚の女性達が休憩室になだれこんできた。
「あー、美咲!またバッグ置きっぱなしだよー。不用心ねえ。」
「あ、本当だ。いっけなーい。」
本当に、君は、不用心で天真爛漫でかわいい人だ、美咲。
半年前に、彼女がパートとしてこの店に働きだしてからずっと俺は心を奪われている。
だが、俺みたいなキモい系のオタクと彼女では、付き合うなど夢また夢、同じ職場に居ながらも、話すらままならない状態なのだ。叶わぬ思いと知りながらも、恋慕だけが俺の心に積もって行く。
思うだけならタダだと思いながら、片思いをあたためてきたのだけど、今日、俺に魔が差した。
彼女の部屋の鍵を手に入れた。
明日は俺は休みで、彼女は出勤の日。
こんなチャンスを逃す手はないだろう。
こういうのをストーカーっていうんだろうなあ。
でも、俺は彼女のことを知らなさすぎる。
彼女のフルネームと、こっそり手に入れた鍵と住所。
俺は、朝、彼女が部屋から出るのを見計らって、時間をずらして彼女の部屋に合鍵を使って、難なく侵入できた。
ああ、彼女の匂いでいっぱいだ。
部屋の空気を思いっきり吸い込む。
小奇麗に片付いたキッチン、女の子らしく、甘いピンクのカーテン。
そして、白く清潔なベッド。
俺は、そのベッドに思いっきりダイブした。
そして、枕の匂いを嗅ぐ。とてもいい匂いだ。
ああ、この枕にあの可愛らしい頭をいつも乗せて寝ているのか。
その時、不意に、ブンっという低い音がして、俺は驚いてベッドから飛び降りた。
どうやらクローゼットからその音がしているようだ。
どこかで聞いたような、重低音。これは、きっと冷蔵庫だ。
俺は、おもむろにクローゼットを開けた。
そこには、巨大な白い冷蔵庫が押し込められていた。
いや、これは、冷凍庫か?一人暮らしの女性にしては、こんな大きな冷凍庫は不必要ではないか?
俺は興味本位に、その冷凍庫の扉を開こうとした。
その時、玄関のカギをガチャガチャと回す音がした。
ヤバい!彼女が帰ってきた。
そんな馬鹿な。シフトでは、彼女は仕事のはず。
俺は、慌ててベッドの下の空間にもぐりこんだ。
彼女は、ドアを開け、部屋に入ると鍵を閉めた。
万事休す!しまった。俺はなんてバカなのだろう。
靴を玄関に脱いでいる。きっと、彼女は侵入者に気付いただろう。
どうしよう。通報されるくらいなら、出て謝ろう。
そう思った矢先、彼女がベッドに近づいてきた。
体がいう事を聞かない。モタモタしていると、彼女はベッドにこしかけてしまった。
これは、いよいよ出づらくなった。しかし、彼女は玄関の靴を見て、何も気づかなかったのだろうか?
彼女は、ベッドから立ち上がると、クローゼットのドアを開いた。
そして、あの巨大な冷凍庫を開けると、冷気がベッドの下まで流れ込んできた。
俺は、息を殺して、その様子を見ている。
彼女は冷凍庫から、何かを取り出している。
袋に何重もに巻かれた何かを取り出した。
えっ!
俺は、今にも声に出しそうになった。
その何かは、人間の腕だったからだ。
ま、まさか。本物ではないよな?
でも、あの肩口のリアルな切り口は、どうみてもマネキンには見えない。
人間の肩をあそこから着ると、きっと断面はあんなグロテスクなんだろうという想像通りの代物だった。俺は吐き気を覚えた。
彼女はその腕を愛おしそうに撫でると、舐め始めた。
嘘だろう!信じられない。
あれは、きっと精巧にできた作り物に違いない。
俺は、このとうてい受け入れる難い事実を、自分にそう言い聞かせた。
「ああ、美味しい。美味しい。」
彼女は、一人、そうつぶやきながら、恍惚とした表情で、その腕のようなものを舐め続ける。
「きっと、桂くんのも美味しいんだろうなあああああ。」
俺は、突然自分の名前を呼ばれドキッと心臓が跳ねた。
彼女の目は、腕を舐めながらも、完全にベッドの下の俺を捉えていた。
俺は、ベッドの下で、恐ろしさに震えた。
彼女が腹ばいになって、俺に近づいてくる。
まるで、獲物を狙う、コモドドラゴンのようだ。
「や、やめっ!」
叫ぼうとした喉に、熱く硬い物が突き刺さった。
ごぼごぼと喉と口から血が噴き出した。
彼女は、ペロリと舌を出すと、切り裂いた喉から顎にかけて血を舐めあげた。
「桂君は、太ってるから、しばらく食料に困らないわね。」
目の前が真っ暗になってしまった。
「ねえ、美咲、桂君、行方不明らしいよ。」
「うそ、マジ?どうしちゃったんだろうね、桂君。」
美咲は、またバッグを無防備に、机の上に放り投げ、仕事に向かう。
休憩室に店長が入ってきた。
「誰だ、まったく。バッグをこんなところに。不用心な・・・。」
バッグからは、かわいいキーホルダーのついた鍵がキラリと光った。
作者よもつひらさか