「私の実家から先日、青い目の人形が見つかりましてね。見つかったというのは少し違うかも知れませんがね。
教師をしておりました祖母の学校にこの人形がありましてね。太平洋戦争中に処分されるはずだったものを、祖母が実家に隠していたらしいのです。
愛着が湧いたのかも知れません。
現存する334体の青い目の人形は資料館やら学校に展示されている事が殆どでございますけれども、祖母は手放したくなかった様でその人形を母に与え遊ばせていたようなのです。
そして母も自分の娘に遊ばせ、それはそれは青い目の人形の本質とも言うべきでしょうか、子供の頃から親善の意識を植え付ける面ではこれとない働きを我が家ではしていたと今になれば思うわけです。
私の兄弟は姉二人に妹一人でしてね。
よく、姉妹でままごとなどしている時に見ていたのを、曖昧ですが覚えておりますけれども、私には全くもって興味のない…むしろ不気味で人形というのは好かなかったのです。
しかし、私も昨今の不況に揉まれましてリストラに会いましてね。
どうにでもなれ、という自殺行為的な衝動から酒とギャンブルにのめり込みましてね。
もう一文無しになった時に……なんといいましょうか、私の若さを幾年分、此の世に売ったのだろうかと思っておると、ふとこの人形の事を思い出したのです。
いや幸いにもまだ実家にありましてね。
これが母が痴呆になった事を知ったのも同時期でありました。
もう金欠というのは人を簡単に変えてしまうものです。
私はこう見えましても、以前は誠実なもので悪事に手を染めるなど、それは考えもしない…獣か一種の精神病患者のする事だと思っておったのですが、その時の私は精神を病んでいたのでしょう。
こんな貴重な人形を売ろうものなら大金が舞い込むのではなかろうかと思いました。
しかし、姉妹は祖母の代からの形見だと私が持っていく事を反対したのです。
私はもうままごと遊びもさせてもらえない人形が不憫でならない等と心にもない、人情的な文言で逃げるものの、姉妹はなんとも察しがよろしく、私がこの人形を売ろうと企むのを察しておったようなのです。
人の喧嘩も燃え上がればそれは犬畜生の噛み合いにも似ております。
理性などなく、相手を罵倒するようになりまして、最終的には人形の事など忘れ、互いの人間性を否定するようになっていくのです。
これに腹が立った私は遂に、妹を刺しておりました。
手に取った道具がまた悪かったとも思いますが、その包丁は料理の腕に自信のある母が嫁いだ時から大事に使っていたもので私が妹を手にかけた時も、それはそれはよく磨がれておりまして、刃渡り1尺2寸程の包丁が柄の部分までスゥーっと入りましてね。
あの感覚を例えようと思いましたが、遂に思いもつかない程でありました。
これ以上ない快感が私の右腕から右耳の辺りを鳥肌がコソバユク感じられたのを覚えております。
しかし、姉二人も節操を抱えて飛んで来まして私を警察にでも突きだそうという程で、私は勢いもありましたのでそのまま姉二人ともを処分する事に成功したのであります。
殺人に対する快楽で目眩もそこそこに、ようやく得た大金を獲得する好機に私の人生はまるで薔薇色でありました。
手に入れた青い目の人形を早速、ネットで探してはブローカーに売り付けました。
世の中は全く爛れたもので、富豪がそういった希少な物を集め眺めるためだけに数百万の大金をあっさり払うわけですから。
そして私は殺人の罪からも運よく逃れ、大金を手にしてのらりくらりと生活をしておったのです。
しかしある日の朝それは起こりました。
私の家の前に青い目の人形が置いてありました。
一瞬、身を固め呪いか何かかと恐怖しておりますと、確かにあれは祖母の声で……何を言っているのか聞き取る事は出来なかったのですが、これは私への贈り物に間違いなかろうという結論に至りました。
私に幸運をもたらした人形が会いに来たのだから、これを呪いだの祟りだのと言うのは失礼極まりない。
もうこの頃になりますと、大金を得た余裕から元の穏やかな性格になっていたんでしょうね。
この人形は大切に飾り、毎日服を着替えさせ、手を合わせておりました。
また売ろう等と下世話な事は考える事もありません。
それからの生活はと言いますと、それまでのテイタラクな生活を反省し、少しでも世の歯車になろうと一生懸命に働きました。
それはそれは毎日泥々になりながら、朝から晩まででございます。
しかし、おかしな事に気が付いたのです。
それは確か、齢70を越えたあたりでしたでしょうか……
周りの人々が異常に若く見えるなんて言いつつもそろそろ老後を楽しく生きてみてはと勧めて来たので隠居させてもらったのです。
確かに見た目はあの人形を拾った時と変わっていない様でした。
それはこの歳にもなれば得だろうと軽く考えておりましたが、もう何十年も私の姿が変わることはありませんでした。
そうして怪しまれるので人前には出ることが出来ません。
まるでやることもない、空っぽの日々をに飽々して参りました時、自分から人生を終わらせる決意を致しました。
……しかし……
死ねないのです。
首を吊ったり、橋から飛び降りたり、心臓を貫いたり、燃料を被り火も着けましたがこの通りなのです。
どうして、気が付くとあの人形がそばに居て私は無傷でありました。
あの人形が私を殺す事を許さないのです。
まるで生き地獄とすら思えてならないのですが、やはり幸せをもたらした人形を悪くは思えなかったのです。
そして永遠の時の中で私は人形との理解を深めました。
この人形は日米親善の心は大人になってからではなく、幼い頃より育てなくては、本当の和平が成し得ないという想いから作られているのです。
それを後世に伝え、残していかなくてはその使命を全う出来ないのです。
ですから私がこの人形を子供に与えなくてはならない。
それが私に課せられた使命。
しかし、今の私では世間に出ればたちまち怪訝の目を向けられ、その使命を果たすことは出来ないでしょう。
だからこの話を貴方にしておるのです。
ええ、この永遠とも思える時の中で大勢の人にこれを話す度、嘲笑され、バカにされ、あげく足元に唾を吐かれる始末。
……とても悲しかった。
嗤われる事などどうという事はありません。
この人形が報われない事が何より寂しく、とてつもなく悲しいのです。
しかし貴方なら、この話を信じて下さる方だと確信しております。
どうか、この人形を子供達に、日米親善の種を世に蒔いて頂きたいのです。
え……今、なんと??
待って下さい……行かないで……
そんな……理解して頂けないというのですか……
私の話を聞いて下さる方などもう現れないかも知れないのに……
あぁ……また我々は遥かなる時の中に……」
作者千堂 幾虎
お久しぶりです。
考えるより、感じるをテーマに書いてみました。
怖くはないかも……(笑)
ただなんとも言えない気持ち悪さを描きたかったのですが、難しいものです。
しかし本日は終戦記念日という事で日米親善、和平という意味ではいいタイミングだったかなと勝手に思っております(笑)