中編5
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実家のざしきわらし

友人のE君が、座敷童が出る、と聞かされたのは、三年ぶりに帰省した実家のリビングででした。

朝起きると、冷蔵庫のものが減っていたり、ソファが沈んでいてほんのり温かかったり、そんなことが毎日のようにある、と。

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E君はもちろん不審に思って、「それ、大丈夫?」と訊くのですが、お母さんとお姉さんは気に留めるでもなく、その座敷童がした悪戯について、何とも愛おしそうに話に花を咲かせていました。

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そんなふたりの様子に、悪いモノではないのかな、とは思いながらも、「・・・それって、いつから?」とE君が尋ねると、お母さんは不思議そうに首を傾げて、

「何言ってるの、ずっと前からじゃない」

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お姉さんも頷いています。

しかし、E君にはそんな記憶、まるでありませんでした。

大学進学で親元を離れるまで十八年間暮らした家でしたが、そんな奇妙な存在を感じたこともなければ、家族の誰かが話しているのを聞いた覚えもありません。

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しかし、ふたりして怪訝な目を向けてこられては、E君は、「あ、・・・ああ、そうだったっけ」と、あいまいに頷くしかありませんでした。

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それからは、彼女は出来たのか、とかつまらない尋問を受けながら、E君は、自分が家を出てから何年かの間にそういうものが出るようになったのを、ふたりはずっと前からだと思い込んでいるのだろう、と考えていました。

そして、そんな不思議な存在が見られるかもしれない、という好奇心が、E君の中にふつふつと沸いていました。

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夕方になると、お母さんとお姉さんは晩御飯の支度を始めました。

ほとんど社交辞令で、E君は手伝いを申し出ましたが、「狭いし邪魔」のひとことで片づけられて、すごすごとリビングへ戻りました。

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ダイニングを挟んで、キッチンにはふたりの姿が見えます。

それを妙に遠く感じながら、帰らなかった三年の間に、さらに見つけにくくなった自分の場所に、E君は腰を下ろしました。

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「・・・親父は?何時頃帰るの?」

少ししんみりした気持ちのまま、E君はふたりに大声で尋ねました。

晩酌に付き合ってやる、なんてステレオタイプな親孝行を照れずにやってみよう、というような気分でした。

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しかし、お母さんは不思議そうに首を傾げると、

「何言ってるの、ずっと、私たち三人だけでしょ」

お姉さんも頷いています。

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E君がことばを失っているあいだにも、ふたりはまるでひとつの生き物のように手早く、それでいて穏やかに呼吸を合わせて、料理を仕上げていきました。

そして誰を待つこともなく三人で囲んだ夕食の席で、E君は、さすがに聞き間違いだろうと信じながら、しかし酷い勇気を振り絞って、同じ質問を投げ掛けました。

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「親父、何時頃帰るの?」

「・・・何言ってるの、ずっと、私たち三人だけだったでしょ」

静かな響きのことば。石で出来たような目が四つ、E君をただ見ていました。

E君は、小さく歯を鳴らしながら、「ああ、そうだったっけ・・・」

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深夜、ふたりが寝静まった頃に仕事から帰ってきたお父さんに、E君は説明を求めました。

渋々とお父さんが話し始めたことには、一年ほど前、会社の部下と関係を持ったのだそうです。

それを知ったお母さんは、手切れ金を手にその女性の元へ直談判に赴き、会社を辞め、二度と連絡を取らないことを約束、実行させました。

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そして、自業自得とはいえ、あまりにも居心地の悪くなった我が家で、ある朝目を覚ますと、「ずっと」自分はいなかったことになっていて、代わりに座敷童が「ずっと」この家にいたことになっていたそうです。

それ以来、お父さんのすること、その名残も、音も、ぬくもりも、全てが座敷童の仕業、と笑って済まされるようになりました。

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「・・・金は?小遣いとか、どうしてんの?」

既に冷めかけたコンビニ弁当を、しかし温め直しもせずにつついている父親に、E君は尋ねました。

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「・・・母さんの財布から抜いてる。情けないだろ?

・・・それだって、座敷童の悪戯になるんだ。

何を買うつもりなんだろうね、なんて、ふたりで楽しそうに話してるんだよ」

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E君は、怒りというには何とも虚しい感情に顔を歪めながら、

「浮気したのは、親父が悪いよ。でも、こんなのあんまりだ。別れた方がいい」

「・・・ずっと前からいない男と、どうやって別れるんだ?」

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お父さんはそうこぼすと、頼むから波風立てないでくれ、と息子に頭を下げました。

まだ、時間が必要なだけかもしれないから、と。

そこには、父親の、いまのこころの落としどころを見つけるまでの苦悩がにじんでいて、E君は何も言えなくなりました。

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翌日から、お父さんはお盆休みに入ったはずでしたが、E君が起きると、もう家には姿がありませんでした。

そして、お父さんが眠っていたリビングのソファに残るぬくもりは、やはり座敷童の悪戯として、朝食の楽しい話題となりました。

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E君は予定を切り上げて、その日、実家を発ちました。

帰省ラッシュで混み合う電車に揺られながら、正月も帰ってこよう、そのときに状況が好転していなかったら、たとえどんな結果になったとしても、必ず「四人」で家族会議を開こう、そう決意しました。

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しかし、それからひと月もしないうちに、お母さんからE君に電話がありました。

「お父さんが、いなくなった」と。

そんな単純なことばの意味が、しかしE君には正しく解釈できなくて、とにかく実家へと駆け付けました。

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果たして、お父さんはいわゆる「蒸発」をしてしまったようでした。

事故や事件に巻き込まれた形跡もなく、恐らくは自分の意志で、仕事も家族も全て投げ出してでも、ここへは帰ってこないと決めて。

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お母さんとお姉さんは、「ずっと、一緒に暮らしてきたのに、どうして」と、泣いていました。

どうやら、お父さんは、いなくなることで家族の中に帰ってこられたようでした。

あとからE君は確かめてみたらしいのですが(そのときE君が振り絞った勇気ときたら!)、ずっと可愛がってきたはずの座敷童について訊いても、「ナニソレ?」と、ふたりから一蹴されたそうです。

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お父さんの失踪を機に、フリーターをしていたE君は実家へと戻り、地元の企業に就職しました。

そして、それからもう四年も経ちましたが、優しくて働き者だったお父さんの帰りを、ふたりは、いまでも信じて待っているのだそうです。

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この、ゾッとしない家族の話の最後に、

「でも、座敷童は、最近また出るようになったんだけどね」

自嘲を浮かべながら、E君はそう呟きました。

Concrete
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@Nezumiko さん
こちらこそ、コメント本当にありがとうございます。
次回作は、忘れた頃にやってくる、という感じになるかもしれませんので、どうか気長にお待ちいただけたら幸いです。

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いいお話ですね。家族の距離感とか、家族だからこそ受け入れられない葛藤や、逆にどうしても離れられないこともあるかもしれない。いちばん怖い人間関係かもしれません。
また、てんぷらさんの怪談を、読んでみたいです。
ありがとうございました。

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