中編4
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友人の話

__呑みの誘いのない日は、家の近所にある小さいスーパーに会社帰りに寄るんだけどさ。

ん?いや、自炊とかじゃなくてさ。

安売りになった惣菜と、チューハイとアテを買って帰るぐらいだって。

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そうそう、あの9%のやつ。あれいいよな。安いし、さっさと酔える。

って、そんなことはどうでもいいんだ。

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で、スーパーの入り口のところに、買い物カゴっていうのかな?積み重ねてあるやつ。

あれって、前に使った人が、中にレシート置いていってることがあるだろ。

俺が取ったカゴにも入っててさ。あれどうする?

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うん、俺もそう。

そこにそのまま自分が買うものを入れるのって、なんか気持ち悪いっていうかさ。

だから、握り潰してとりあえずポケットに入れておいたんだよ。

店の中にポイ捨てするわけにもいかないだろ?

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で、まあ、いつもと同じようなものを買って、家帰ってさ。

部屋着に着替えてる途中で思い出して、レシート、捨てておこうと思ってポケットから出したんだ。

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そしたら、くしゃくしゃになってる、裏面っていうか印字されてないほうにさ、なんか書いてあるんだよ。

何だと思って広げてみたら、

「080-XXXX-XXXX    助けて」

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__それが、二日前のことだったといいます。

Cは、一度に話して渇いた喉にハイボールを流し込むと、

「・・・まあ、悪戯なんだとは思うんだけどさ」

そう呟いて、自嘲に似た苦い表情を、向かいに座る私へ投げました。

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私とCとは、元同僚で現友人、時折どちらからとなく気楽なサシ呑みに誘う仲で、いまはまさにその席でした。

そして、いつもどおりに愚痴でも言い合おうかと思っていたのにそんな話をされたものだから、困り顔をしたまま私が固まっていると、Cは神妙な様子で現物のレシートを差し出してきました。

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それは、Cの話にあったスーパーで発行されたもので、日付はCがこれを拾った日、時刻は午後五時過ぎ。

買ったものの内訳については、雑多な食料品といくつかの日用品といった具合で、これの主の素性については、どうとでも想像しうるものでした。

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そして、本来ならただ白い影のように寄り添うだけの裏面には、Cの言った通り、携帯電話の番号と思しき数列と「助けて」の文字が、震えた筆跡で書かれてありました。

ただ、書き殴られた様子はなく、線の一本一本は末尾までしっかりと筆圧が掛けられていて、震えたように見せかけているのではないか、という印象も受けました。

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電話番号検索などもしてみましたが何も出て来ず、しばらく考えてから、私も、悪戯の可能性が高いというCの判断を支持しました。

加えて、仮にこれが本当のSOSだったとしても、あくまでそれは心情的なものの発露であって、緊急性は低いだろうということも。

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「そうだよな」と、Cがほっとした声を漏らしたので、それから私も気を取り直して呑み始めました。

しかし、ふたりともほどよく酔いが回ってきたところで、Cが軽い調子の声で、イタ電を掛けてみようと言い出したのです。

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ただ、私にはそれが建前だとすぐに分かりました。

結局、レシートのメッセージのことが気掛かりで仕方がないのだけれど、悪戯かも知れないものに対して、あまり真面目に取り合うのも悔しい、格好が悪い。

多分、Cの心情はそのようなものだったのだと思います。

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私も、Cのそういう、奥ゆかしいというか、面倒くさいというか、そういう性質を気に入っていたので、電話番号を悟られないよう公衆電話から掛けることを提案して、それに付き合うことにしました。

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店を出て、最寄りの電話ボックスまで歩く間、どちらが掛けるかじゃんけんしよう、などと言われたのには呆れましたが。

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そして、見つけた電話ボックスにCを押し込めると、私は近くの壁に背をもたれて、様子を窺うことにしました。

小銭がないと言うので貸した百円玉を握りしめたまま、まだ逡巡している様子でしたが、やがて意を決して、Cは受話器を取りました。

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百円を投入し、ダイヤルボタンを押して、耳を受話器へ張り付かせ、それから十秒ほどでしょうか、待つ間、顔をどんどん不安に曇らせていくCが、不意に目を見開きました。

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それからのCは、外から見ているには面白い様子でした。

慌てふためきながら、伝わりもしない身振りを交えて、電話の向こうへ状況を必死で説明しています。

そして、あまりに勢い込んでいるものだから、相手になだめられたらしく、今度はぺこぺこと頭を下げています。

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そしてそれからは、なんだか和気あいあいとした会話が始まったようで、相手が女性なのだと、ほとんど直感できるぐらいに、Cは表情を緩ませていました。

五分間ほどでしょうか、Cのそのほがらかな顔を、私が眺めていたのは。

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さすがに腹が立ってきたので、もう帰ってしまおうかと考えていると、ようやくCは別れの挨拶を始めたようでした。

そして穏やかに、名残惜しそうに、Cはひとつ会釈をすると、そっと受話器を置きました。

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私は冷やかすつもり満々で、電話ボックスの戸を敲きました。

しかし、Cの返事がありません。

見ると、Cは呆けたような顔をして、何かをじいっと見つめていました。

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それは、お釣りの返却口に転がっている、私が貸したままの百円玉でした。

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きっと電話機の不具合だろうとしか、私からCには言えません。

誰と何を話していたのか聞いても、Cは覚えていないとしか言いません。

そして、友人として私がCに頼みたいことは、さっさとそのレシートを処分しろということです。

Concrete
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@五右衛門 さん
コメント頂き、ありがとうございます。
不思議な怖さ、というのは、私にとってこの上ない誉め言葉です。

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なんだろうね、不思議な怖さ‥‥
cの善良さ、如何にも日常に潜んでいそうな些細な出来事、そして、不気味な結末
怖いよね。

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