何の前触れも無く打ち下ろす強い雨。
あたふたと目の前を走り去る人々。私はそれを真似る様に銀行の入り口へ避難をしました。
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雨脚はやがて周囲の音を搔き消す程に強まり、飛沫で視界がままならない程です。確認するまでもなく衣服はじっとりと濡れ、美容室帰りの頭は水を被った状態。天気は一日中晴れの予報なのに、傘など持ち合わせる筈はありません。ふと気がつくと、私の他にスーツを着た若い男性が1人雨宿りをしています。
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まるで滝の様に降り続く雨に途方に暮れ、私は其れをただ眺めることしか出来ずにいました。茫然とその景色を眺めることに飽きて隣の男性を見ると、彼は私に一瞥をくれ雨の街に視線を戻します。スーツ姿のありふれた風貌。しかしその所作からは感情が読み取れず、どこか冷たく無機質な雰囲気を感じます。化粧を直す振りをしながら、私は図々しくも男性の視線の先を確認していました。彼は横断歩道をじいっと見つめています。
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雨に濡れた横断歩道。特別新しくも古くもなく、景観が優れている訳でもありません。何の変哲もない信号と、白線で彩られたコンクリート。
雨音が少し弱まった気がしました。同時に信号が青になり、横断歩道の途中にボンヤリと小さな人影が見えます。
(ああ、この人はあの人影を見ているんだ)
そう思い目を凝らしますが、雨のせいか輪郭がはっきりとしません。
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「宜しいですか? 」
隣で雨宿りをしていた男性が声を掛けて来ます。
「え? あ、はい。何でしょうか」
不意に男の人に声を掛けられた女性がする反応。雨宿りという退屈した状況に、警戒心と期待感が混ざり合った様な調子で私は返答をしました。
「建物の中に入られては如何でしょう。風邪など引かれては大変です」
「ああ、えっと、大丈夫ですよ。お気遣いをありがとうございます」
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そうですかと男性は一言発し、再び耳に響くのは雨音だけとなります。
雨は小雨となり、視界も少しずつ落ち着いて来ました。私は先程の人影が気になり、横断歩道に目をやります。信号は赤。横断歩道には先程と同様の場所に小さな人影、いや少女が佇んでいました。髪の毛は長く振り乱し、その顔は窺い知れません。青色のワンピースに足元は裸足。少女の俯いた頭部はゆっくりと持ち上がります。急に私の右前腕に圧迫感を感じ、見ると一緒にいた男性が私の腕を握っていました。
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「貴女はあの子と関係無い」
男性は真っ直ぐ私の目を見据えそう言います。私は彼と目が合う事に羞恥心を感じ、その感情から逃れるために横断歩道へ視線を戻してしまいました。
雨は止んでいます。静寂の中、少女とその背後に見える赤信号。彼女はその顔を露わにしていて、瞳は白く濁り歯は黄色く変色しています。
嗤っていました。
「え!? 嫌…. 」
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私は少女と目が合った瞬間、身動きが取れずに冷や汗を垂れ流すしかありません。瞬間、トラックが少女の姿を覆い隠し通り過ぎて行きます。トラックが過ぎ去ると、そこには少女の姿はありません。
ザァッと思い出した様に強く降る雨。
「どうして助けてくれないの? 」
耳元で、呟く少女と思しき声。
背中を蟲が這う様な悪寒を感じ、同時に右腕に激痛が走りました。
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「痛っ! ちょっ、やめて下さい! 」
隣にいる男性は先程よりも強く、爪を立て私の腕を握っています。彼は私の訴えを意に介さず、横断歩道の方を冷たく睨んでいました。私は痛みに耐えるため眼を固く閉じる事しか出来ません。
(痛い…. 何なの? 何が起きているの? )
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強い耳鳴り。いつしか腕の痛みがなくなりました。
男性は既に私の腕を握ってはいない様です。私が瞼を上げ目が合うのを確認すると、目の前に立つ彼は深々と頭を下げました。
「痛い思いをさせてしまい申し訳御座いません」
「あ、いえ。あの女の子は? 」
「もう大丈夫ですよ。雨は降っていません。可哀想な娘です」
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雨が止んで雲の切れ間から日の光が指して来ます。
「此処にはなるべく訪れない方がいい。それでは」
男性はゆっくりと雨上がりの街に戻り、こちらを振り返る事はありません。
「あの、ありがとうございます! 」
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何といったら良いのかわからず私が絞り出した言葉に、彼は一度立ち止まった様に見えました。しかしすぐに街に溶け込み消えてしまいます。
非日常を感じ、素敵な出会いの余韻にひたるため右腕を見ると、不思議なことに痣一つありません。
(あれだけ強く握られたのに…. )
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ふと左腕に違和感を感じ左手首を確認すると、手首を覆う様に痣が出来ていました。
まるで子供が握ったみたいに。
私は戦慄に打ち震え、この場から一刻も早く離れるために歩き出しました。
その時です。大粒の水滴が一つ、また一つと私の身体に当たり、一時の安堵はもうありません。
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「ん? あ、雨…. 」
悪寒とともに、べっとりとこびりつく嫌な気配。それがいつまでも私の周りを漂っていました。
作者ttttti
お久しぶりで御座います。
ご笑覧いただければ幸いに存じます。