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長編11
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坂道

「ねえ、知ってる? 」

「何? この間の連続強姦事件のこと? 」

「違うわよ。ほら、前髪の長い男の人。いつもあの坂道を歩いてる」

「あー はいはい、あの人! 気持ち悪いわよねえ」

「そうなのよ。前髪男。最近様子が違うみたいなの」

「ぷっ 前髪男。アダ名出来ちゃったわね。で? 様子がどう違うのよ」

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「追いかけ回すらしいの。つい先週もお隣さんの子供が追いかけられて大変だったみたいよ」

「えー やだー! 怖いわね。うちも気をつけよ」

夕方になるとスーパーマーケットの駐輪場では、買い物を終えた女性達が自転車に荷物を積みながら噂話にのめり込む。加那(かな)は彼女たちの話に耳を傾けつつ、時間を気にしながら自転車を押し始めていた。

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井戸端会議。いくら話のネタが無いからといっても、ここまで来ると滑稽を通り越して憐れだ。そうやって加那は彼女達の様子を鼻で笑いながらも、確かに幾度かすれ違っている“前髪男”について思い返す。

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そう、特徴は前髪。しだれ柳の様に長く垂らした前髪で目は完全に隠れ、毛先は鼻先まで伸び、それでいて襟足や耳周りは短く刈り上げられていた。年の頃は20代後半だろうか。僅かに覗かせた顔の一部から、自分と同い年くらいだろうと加那は見当をつける。

第一ボタンまで閉めた白いワイシャツ、灰色をしたスーツのズボンは皺一つ無く清潔な印象を受けるが、足元はぼろぼろなスニーカーを履いていた。すれ違いざまに良く見ると、薄嗤いを浮かべブツブツと独り言を呟く。一言“異様”という言葉が当てはまる風貌。

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だが、それがどうしたと言うのだ。

通常とは異なることで事実以外の様々な憶測が噂となり、やがて嘘が漂う。そんな人間関係に加那はうんざりし、取るに足らない情報は遮断する。

「ママー! 」

ランドセルを背負った小学生が駆け寄って来た。

「もう… 家に帰っていて良いのに」

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息子の有(ゆう)は、ここのところいつもスーパーマーケットの出入り口で加那を待っている。加那はそれ以上有を咎めることなく2人帰路に着く。

「ママ、今日も会ったよ。前髪さん。僕ちゃんと挨拶したよ」

「そう、偉かったわね」

「うん。でも前髪さんは夜に会っちゃいけないんだって。児童館の子が言ってたんだ」

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「どうして? 」

「追いかけられちゃうんだ。捕まると大事なものを取られちゃうんだって」

「そうなのね。でもね有、自分で見たものを信じなさい。周りに惑わされない様にね」

スーパーマーケットの駐輪場で話し込んでいた女性達の会話と、有が耳にした噂の内容の一致に加那は気持ち悪さを覚えこう付け加える。

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「暗くなる前に家に帰るのよ」

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「はい! 今日のホームルームでは皆んなに大事な連絡事項があります。注意して聞いてください」

担任の先生からの生徒への呼びかけに有は嫌な予感がしていた。

配布されたプリントには、有が昨日児童館で聞いた内容と同じことが書いてある。

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『登下校の注意事項

昨日、本校の生徒が不審者に追いかけられ、自宅の鍵が盗まれるという事件がありました。この他に今月で2件同じ様なことが起こっています。警察の巡回を強化していますが犯人は未だ捕まっていません。

故に本校生徒は登下校時において下記の内容を徹底しています。

1. 集団下校

2. 学校で配布している緊急用ブザーの携行

3. 下校時刻の徹底(全学年特別な場合を除き、午後16時迄には下校をする)

この他、自宅での戸締りの徹底等ご家族の方にも協力をお願いします』

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「ここに書いてあることを皆んな守る様に。遅くまで公園で遊ぶのも駄目だぞ。家族の方にもプリントを読んでもらう様にして下さい」

担任の先生はそれだけ伝えると、終礼の挨拶を済ませそそくさと教室を出て行く。

「さっきの話前髪さんでしょ。絶対」

「私もそう思った! 」

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「昨日襲われた子もその前の子も、帰るのが遅くなって夜の坂道で前髪さんに出くわしたんだよ。うちの親が言ってた」

「鍵を奪って泥棒でもするのかな? 」

「違うよ。家に忍び込んで殺しに行くためだよ。多分」

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教室の掃除をしながら女の子達が口々に噂するのは、やはり前髪男のことだった。有も昨日、児童館の先生から今日と同じ様な注意事項の説明を受けている。

前髪男が現れる場所は、学校とスーパーマーケットを繋ぐ坂道。有はいつも児童館が終わると坂道を登った先のスーパーへ、仕事の終わった加那を迎えに行っている。前髪男は午後から現れ、何往復も坂道を行き来するため有は彼を毎日見ていた。

しかし今日は違う。有がいつものように加那のいるスーパーへ行く途中、坂道に前髪男はいなかった。

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(あれ…? いない)

どうしたのだろう。昨日の騒ぎで警察に捕まっている可能性はあるが、真相は分からない。

有が半信半疑ながらも坂道を登りスーパーマーケットへ辿り着くと、加那が出入り口にいる。

「あ、有! 」

「ママー! どうしたの? 今日は早いね」

「違うの。今日はちょっと遅くなりそうだから先に帰っていて。お婆ちゃんに来てもらう様に言っておいたから」

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「わかった! 」

「ごめんね。暗くなってきたから早く帰りなさいね」

有は肩を落としながらも加那に言われた通りに自宅へ急ぐ。

暗くなってきた…

辺りは宵闇が支配し始め、視界は薄っすらと藍色に染まる。有が一抹の不安を抱えながら足早に坂道を下り始めると、周囲にいた人々は皆一様に自転車でスイスイと坂道を下っていく。いつしか坂道には人気が無くなっていた。

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(大丈夫、家までは大した距離じゃない。走るか? )

心細い街灯の灯る坂道は、街路樹に囲まれ何処から誰かが襲って来る様な妄想をしてしまう。有は泣き出したい気持ちを必死に抑え落ち着こうと努める。

「あ、あー… あー、あああ… 」

急に有の背後30メートル程から声が聴こえた。男の声だった。

「…な…さい…あああ…て」

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恐怖で振り向けないでいると、声は近くなり背後の何かは速度を上げ有との距離を縮めて来ている。

有が堪らず振り返ると、そこには前髪男がいた。口を大きく開き、右手の人差し指を有に向け早歩きで近づいて来る。前髪男との距離が15メートル程になっても、有はその光景のあまりの恐怖に足が竦み動かない。間も無く前髪男と有は対峙する格好で沈黙し、互いに硬直していた。

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(どうすれば? 足動け足動け足動け! )

「あ、か…かかか」

前髪男が再び口を開き両手で触れようとして来た刹那、有の足は弾かれた様に動き出し坂道を全速力で下る。背後から前髪男の大声が聴こえるが追って来る様子はなく、有は足を止めず走り続け自宅に転がり込む。目を丸くし迎え入れた祖母の言葉により、有は大切なものが無くなっていることに気づく。

「有ちゃん… あんたランドセルに着けてたキーホルダー取れてるよ」

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加那が自宅に帰る頃、有は既に床についていた。加那の母から有が前髪男に襲われたこと、ランドセルにキーホルダーと一緒に着けていた自宅の鍵が無くなっていることを聞く。直ぐに警察に届けるが取り合ってもらえずに、加那の心にはふつふつと怒りが込み上げて来る。

夕食を摂る気にもなれず、リビングの椅子に座り加那は静かに考えていた。夫を病で亡くし気丈に有を育て上げて来たのだ。恐怖や困難に立ち向かう術は心得ている。そう自らを奮い立たせ加那は前髪男の家に行く決心をしていた。

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「母さん、アタシ心当たりがあるの。明日そこに行ってみる」

「わかったよ。でも無理はしなさんな。私で出来ることはするからね」

「うん、有難う。万が一ってこともあるかも知れないから連絡だけは取れるようにしておいてね」

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次の日ー

加那はある家の前に立っていた。

家屋の上半分が煤けた様に黒ずんだ外観。その異様な家を眼前に加那は少しの間瞼を閉じた。

前髪男についてこの街で知らない者はいない。奇妙な出で立ち、明らかに他と比較し異質な存在である彼に対しての“攻撃”は、噂話に留まる。表面上は皆がにこやかに挨拶をし、当たり障り無く関わっているが、声を掛けたところで反応はない。

腫れ物に触るかのような対応。これには街の皆がそうせざるを得ない理由があるのだ。

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中学生になるまでは他の子供と仲良く遊んでいた前髪男には、彼を溺愛する母親がいた。父親は若くして大手ゼネコンの役員、母親は高校の教員をし、前髪男は裕福で何不自由ない家庭に生まれ育つ。前髪男にとって人望の厚い父親は憧れの存在であり、母親は教育者として尊敬する人であるが故、彼もまた小学校まではスポーツ万能、成績優秀な所謂人気者であった。

しかし彼が中学に上がる頃に突然父親が自殺をする。父が自宅二階の書斎で焼身自殺を図っている現場を母と子が発見した時には既に手遅れだった。その状況たるや凄まじく、父の身体は炎に包まれ動きが鈍くなり、強烈な臭気と煙が襲って来る。唖然とする息子の隣で発狂し、叫び、やがて嗤い転げる母親。残された母と子を狂わせるのにこの出来事は十分すぎたのだ。

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母親は残された家族である息子に対し過保護に接し、息子もまた母親からの言いつけを守る。息子は塞ぎ込み、母親は街の人間へ過剰なまでに明るく振る舞い、自らの意にそぐわない者にはあらゆる手段で徹底的にストレスを加えた。塞ぎ込んだ息子がいじめを受ければ、いじめた子供の家族の隣近所への悪質な噂、嫌がらせの手紙、電話などにより一家ごと街から追いやったと街の人々は声をひそめる。

いつしかその親子の逆鱗に触れない様、街の人たちは当たり障りの無い関わりのみを持つ様になったのだった。女手一つで子供を育てることは決して簡単ではない。加那は前髪男の母親に対し何処かで共感を覚え、また同時に自らもその母親の様に常軌を逸した行動を取る可能性を秘めていることに身震いした。

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加那は瞼を開き視界に入るインターフォンに手を伸ばす。

「もし? どなたかしら」

インターフォンを押す前に上空からの声。加那が鼓動の高鳴りを感じながら声のする方へ視線を移すと、家の黒ずんだ二階部分の窓が開き、そこから顔が見下ろしている。

「だあれ? お口ついてるんでしょ? 」

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頰のこけた初老の女性が見開いた眼で凝視しながら再び口を開く。前髪男の母親の噂は耳にしていたが実際に目の当たりにするとその異様さにたじろぎ、加那は言葉が出ない。下手な対処をすると何をされるか分からないからだ。

「あ、今日は」

「はいコンニチハ」

「あの、三丁目に住んでいます山本です。突然お伺いしてすみません。お話ししたいことがあります。今少しお時間ありますか? 」

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「ハイ良くできました。本当に突然ねー 驚いちゃったわ。あたくし忙しいのだけど、ほんの少しなら構わないわよ」

「有難うございます」

「ええ、そうね」

「……… 」

「どうぞ? 」

「え? あ、いえ此処では周りに声が聞こえますので、宜しければお家に上げてくれませんか」

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「あなた随分とご挨拶ね。突然来てあたくしの家の敷居をまたぐつもりなの? どうしたらそんなことが言えるのかしら」

「すみません。失礼は… 」

「仕様がないわね。特別に許可します。今下に行きますから玄関まで来なさい」

加那が答える間も無く二階の窓が閉まり、家の中から独りで喚き散らす女の声が聞こえる。

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「ふざけるんじゃないよ! またクソッタレが来たよー まったく! …… だから! …… てるのかよ! 」

幾度かの打撃音と共に、先程まで話していた女の声が漏れ出て来るのを聴きながら、加那は自らの足が震えていることに気づく。

「あら、まだそんなところに居たの? モタモタしないで早くいらっしゃい」

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直前まで聴こえていた騒音とは打って変わりゆっくりと静かに開く扉から顔を出す女は、優しい声のトーンに反し強い言い回しで加那に指示する。

「それでは失礼します」

加那は足が竦み動けないでいるのを女に気取られない様に努め、一歩ずつ踏みしめながら家の中に入った。

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玄関に入るとまず目に入ったのは、ゴミに埋もれた廊下、そして鼻をつく悪臭、玄関の足元、上がり框にかけて何かの液体を撒き散らしたように濡れている。玄関で立ち止まっている加那を舐め回す様に見ながら、女はこのまま話す様に促す。

「いらっしゃい。此処でいいわよね? 」

「あ、はい。お邪魔します」

「それでなに? 言いたいことがあるのならさっさと言いなさいな」

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「私の息子のランドセルにキーホルダーが付いていたのですが、無くなってしまったんです。息子は近所の坂道で無くしたと言うのです。ご存知無いかなと思いまして」

「ご存知ありません。これで良い? はいさようならー 」

「自宅の鍵がついていて大切なものなんです! 返していただけませんか? 」

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「知りません! 一体何なの? 警察… そうだわ、警察を呼びます」

「どうぞお呼びください。当時あなたの息子さんが側に… いえ、あなたの息子さんにうちの息子が襲われたんです! 」

加那は怒りを必死で抑えながら、目の前にいる歯ぎしりをしながら睨んで来る女から目を離さない。女は何も言い返せず唸り、ボソリと言葉を漏らす。

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「… け…行け… 」

「あの… 」

「出て行け! うわぁぁー! 出て行けってんだー! 」

女が家の中の衣類や靴を加那に投げつけ始め、よくわからないガラクタが壁に当たり物凄い音がした時には、加那は堪らず家を出て行った。

(狂ってる… まともに話なんて出来っこない)

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加那はそう諦め、逃げる様に家から距離を取る。背中越しに狂った女の声が聞こえ、殺してやるだとか、基地外がいるだとか喚き散らしていた。

情け無い気持ちで自然と頬を伝う涙を気にすることもなく俯き歩く。

「… ああ… う」

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暫く歩き、いつもの坂道に差し掛かると後ろから声がする。振り向くとそこには前髪男がいた。その姿を見るや加那の怒りが呼び起こされ、前髪男へ走り寄る。加那は前髪男の胸倉を掴もうと手を伸ばすが、それよりも先に前髪男は手を加那の目の前に差し出す。彼の掌には鍵のついたキーホルダーあった。突然差し出された手に加那の身体は硬直し、思考も停止する。

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「あの… かくまってくれませんか? 助けて下さい」

前髪男が口を開き、加那はその予想だにしない内容に言葉が出ない。至近距離で見る彼の前髪の奥には、恐怖に怯えた瞳があった。

「た、助けて… 」

もう一度、前髪男は言葉を絞り出す。

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(誰から助けるの? かくまうってこの男を? やっぱりこの男が鍵を持っていた… )

加那はまとまらない考えの中、前髪男へ一つの質問を投げかける。

「アンタ誰かから逃げてるの? 」

「ママに、ママに殺される。坂道で子供に助けてもらおうとしたけど、皆んな逃げるんだ」

「だから鍵を取った。そういうこと? 」

前髪男は黙って頷き、怯えた様に周りを見渡す。

「ねえ、早く! 来ちゃうよ! 行こう、ほら! 」

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加那は前髪男の顔を無表情に見つめ、差し出された掌にある鍵を取りその場から走り去った。

加那は走りながら考えていた。一体何が正しくて誰を信じれば良いのだろうか。前髪男を助けるべきだったのか、警察に届けた方が良いのだろうか。

わからない…

ただし今まで被害に遭った人、これから被害に遭うかもしれない人には伝えなければならない。鍵を取られた後、決して取り返しに行ってはいけないことを。

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走り去りながら一度振り返った時見た前髪男の顔は、嗤っていた。歯茎を剥き出し歪に崩れた表情で嗤う前髪男は、加那に向かって一言だけ発していた。

「惜しかったなー」

Concrete
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