今年も桜が満開だ、大宮公園には溢れんばかりの人達が夜桜を楽しむために集まっている。氷川神社に隣接する大宮公園は催し物も多く、年に何度となく屋台が立ち並び、多くの人々の憩いの場所であり、パワースポットとしても認知されている。
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この公園には、ボート池がある。今はボートの貸出はしていないが、池はしっかりと公園に鎮座し、昼は明るく水面が輝き、夜は怪しく揺らめいている。
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大宮公園に訪れる人々は、この一見華やかな公園にまつわる、決して表には出ない話を知る由もない。
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このボート池では昔、何度となく身元不明の水死体があがっている。「酒に酔って落ちてしまったのか」、「浮浪者が間違って落ちてしまったのか」、定かではないが、水死体が発見される度に近隣住民は回覧板で事実を知る。
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夜桜を楽しむため終電が走り去った後、私は散歩に出た。もうほとんど人はいない、昼間の人混みが嘘のようである。
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大宮公園のほぼ中央で護国神社へとつながる道筋で妙な気配を感じた。そこには白く立派なトイレが建っている、恐る恐るトイレに近づき中に入ると、…いた。
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それは黒髪が異様に長い20歳前後の中性的な男性だ、最初に見たときは長い黒髪を見て女性だと思ったが、蒼いデニムのジーンズに白のタンクトップ姿で男性だと分かった。
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彼はトイレの中に入ってすぐ右側に立ち、そのうっすらと開いた切れ長の眼で、2メートル先前後の地面を見つめている、そして時おり首を右に傾けては何かを囁こうとしている。
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私にとって目と目が合うことのない霊は、さほど怖くはない。地縛霊か池で亡くなった人ではないかと、妙に冷静に推測する余裕さえある。
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霊が見えるようになってから、常に持ち歩いてる塩を丁寧に撒いてからトイレを出る。
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sound:39
「えっ!」
先ほど入るときには見えなかった別のものが…いた、男性トイレと女性トイレのほぼ真ん中にしゃがみこんでいる、たぶん5歳ぐらいの女の子だ。
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この子の抱え込んだ膝は女性トイレ入口方向に向いているが、首が不自然に捻じれて、口から白い泡をポタポタと垂らしながら、見開いた眼光で膝とは真逆のこちらを見ている。
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左右にゆっくりと顔を振って、自分のことが見える人を探しているようにも見えた。
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「この子とは絶対に目を合わせてはいけない!」と本能が叫ぶ。
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私の眼は泳ぎ、その子の眼光を避けるように誤魔化すが、一瞬、ほんの一瞬、目と目が合ってしまった。
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shake
「ドックン!」と大きく心臓が鳴き、
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体全体から大粒の汗がじわりと噴き出す。体が強張り動かなくなる。聴覚は冴えわたり、今まで全く聞こえなかったはずの、その子の声が聞こえた、
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sound:40
「わ‥たぁ‥し、み…たぁょ‥ね」
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口内はからからに乾き、つばはねっとりと舌に絡みつく、頭の中でやみくもに「南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏」を繰り返す。
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もはや眼は彼女から逸らすこともできずに、彼女の口元から流れ出る、その白い泡を見つめている。さらに何故かその場の自分自身の姿を、第三者的に見ている自分を感じている。
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sound:2
「ワン!ワン!」 突然、犬の鳴き声でふと我に返った。
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第三者的に見ていた自分が戻ってきたような、現実に引き戻されたような感じだった。
犬を連れてきてよかったと、Mダックスのフルに感謝して、後ろを振り返らずに急いで帰宅した。もちろん、玄関では塩を必要以上に振りまいたことは、言うまでもない。
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「フル、寂しいだろ~たまに一緒に寝ようね~」と呟いて、フルを抱っこした。
作者NIGHTMARE