俺は今、猛烈に焦っている。
寝過ごした。
とりあえず、脱ぎ散らかしていた服をもう一度身に着けると、靴も満足に履けないままに玄関を飛び出した。三十路の大の男が誠に情けない話だが、現在独身、彼女無しの一人暮らし。俺の生活態度について留意してくれる者はどこにもいない。
よって飲み過ぎた翌日が、この体たらくである。
駅のホームにたどりつくと、電車の到着のメロディーが流れていた。間に合った!
俺は滑り込みセーフで、電車に乗ることができた。
電車に乗って気付いたことだが、この時間と言えば、座るところが無いほど混雑しているはずなのに、余裕で座ることができた。違和感を感じつつも、俺は電車に間に合ったことの安堵から、少しウトウトしてしまった。ハッと気づくと、電車はまだ走っており、乗り過ごした不安にかられて車窓を見るも、そこにはいつもの景色が窓を流れており、安堵のため息をついた。まだ目的の駅ではない。
その時、いきなり電車内にアナウンスが鳴り響いた。
「次は~、終点、きさらぎ駅。お忘れ物のないようご用意願います。」
えっ?嘘だろう?今一度、車窓を確認するも、そこはいつもと変わらぬ景色だったが、こんな街はどこにでも存在するかもしれない。もしかして、乗り間違えた?
参ったな。完全な遅刻だ。俺は腹を決めて、スマホを取り出した。
え?圏外?そんなバカな。田舎の山の中じゃあるまいし。あり得ないだろう。
いくらスマホを確認しても、電話どころか、インターネットにすら接続できない。
終点のきさらぎ駅に着くと、仕方なく俺はホームに降り立った。
「なんだ、この駅は?」
ホームには、きさらぎ駅という看板のみで、時刻表すらなかった。
「どうしたらいいんだ。」
線路も単線で、上りも下りもわからない。
電車は終点と言ったにもかかわらず、どこかへ行ってしまった。終点と言われ慌てて降りてしまったがあのまま乗っていれば良かったのだろうか。
グルグルとそんなことを考えながらパニックに陥っていた俺の元に誰かが近付いてきた。
遠くから近づいてくるにつれて、姿を確認する俺は驚愕した。俺自身である。驚きに目を見張っていると、それは口を開いた。
「ようこそ。」
一言も発することができない俺に、それは微笑んだ。
「これはどういうことだ?」
ようやく俺が口を開くと、俺にそっくりなそれは、ゆっくりと語り始めた。
「いきなりこんなことになって、びっくりしただろう?これは必然なんだ。」
意味がわからない。
「実は、お前が居た世界は滅んでしまった。」
「何を言ってるんだ。俺が電車に乗り込むまで、至って普通だったよ。」
「お前が電車に乗ったあと、とある国が誤って核ミサイルのボタンを押してしまったんだ。誤ってかどうかは知らないけどね。」
「そんなバカな。俺だって世界情勢を全く知らないわけじゃないんだぞ?全くそんな気配はなかった。」
「水面下では、冷戦が進んでいたんだ。とりあえず、日本は壊滅だ。これから世界大戦に一気に突入するだろう。」
「そんな与太話、信じると思うか?それと今の俺の状況に何の関係があるんだ。ここはどこなんだ?」
「ここは、さらに大戦から百年以上経った世界だ。つまり未来の別次元。人類がほぼ死滅した後に生まれた、人工細胞による世界だよ。」
「人工細胞?」
「そう、人工細胞。ほぼ死滅してしまった人類のごくわずかな生き残りの人間が研究で、DNA塩基を人工的に書きだしたゲノム配列を細胞に移植することに成功したんだ。」
俺は戸惑った。そんなことが可能なのだろうか。
「だから、この世界は純粋な人間はほぼ皆無。ほとんどが人工細胞で生まれて来たものなんだ。かくいう俺もね。」
「お前は何故、俺にそっくりなんだ?」
「それは、お前にゆかりのある人間が生き残っていて、お前そっくりの俺を創り出した。」
「誰なんだ、その俺にゆかりのある人間って。」
「今は、それは言えない。とにかく、俺は俺自身の元であるお前を助け出したかった。」
「それで、俺をこの次元に呼んだというのか?」
「そうだ。俺は俺のルーツを知りたかった。」
こいつはいかれているのだろうか。やはりこんな話は到底信用できない。
「そんな荒唐無稽な話が信じられると思うか?頼む、元の街に戻る方法を教えてくれ。」
そいつは悲しそうな顔をしてゆっくりと頭を横に振った。
「じゃあいい。お前が教えてくれないのなら、他の人に聞くから。」
そう言って俺は、そいつをそこに残して、駅のホームでいろんな人に声をかけてみたが、皆知らないというばかりで、逆に俺を奇異の目で見て来た。
完全に詰まった。
その様子を見ていた、もうひとりの俺がカギを渡して来た。
「ここに住むといい。駅を出れば、お前の街とまったく同じだ。そして、この鍵はお前の部屋のカギだ。」
俺は仕方なく、駅をあとにした。
そいつが言う通り、そこには俺の住んでいる街が広がっていた。
なにからなにまで全く一緒だ。俺は、自分の住むアパートへと足を向けると、そこにはそれが存在した。
カギを差し込むと、ドアが開いた。俺の部屋だ。
俺は夢を見ているのだろうか。とりあえず、ベッドに横たわって眠ることにした。目覚めればきっとこれは長い夢だったに違いないのだ。
目覚めると、朝だった。ちょうど会社に出勤する時間に目が覚めた。
とりあえず、会社に出勤することにした。
駅はきさらぎ駅のままだったが、電車に乗った。すると車窓はいつも通り、俺の街を映して、会社の最寄りの駅に着いた。
そこは確かに俺が働いている会社で、同僚も上司も同じ面子だった。
ところが何かが違う。
静かなのだ。
いつも怒鳴っているパワハラ部長も、調子の良い八方美人の同僚も、いつも愚痴ばかり言っているネガティブな部下も、皆一様に、黙々と業務をこなしている。
まるで世の中の感情というものが全て消え去ってしまったような世界。
昼休みも、俺が冗談を言って同僚を笑わせようと試みるも、まるで御愛想のような微笑みを残すだけで、とうてい生の人間とは思えなかった。
あいつの言っていたことは、本当なのか?
俺はこの不思議な世界で日々を過ごしてきた。
きさらぎ駅に着いた時の、俺そっくりなあいつはどこにも居ない。
なんなんだ、この世界は。人間はどうなってしまったんだ。
争いも無い、喜びも無い。ただただ、人は歯車のように働いて、うわべだけの関係を築いて生きてる。
気持ちが悪い。
漠然とした澱が、俺の中に降り積もって行く。
俺は鏡で自分を見た。
俺は誰なんだ?
この世界は虚構なんじゃないだろうか。
俺はふと、幼少の頃を思い出していた。
幼少の頃、母親の実家に三面鏡があって、無限に続く自分自身の姿に不思議な感覚を覚えた。
合わせ鏡。もしかしたら・・・。
俺は、早速鏡を一枚買ってきて、洗面所の鏡に面する壁に取り付けてみた。
するとやはり無限に自分が映し出された。
こんなことをして何になるというんだ。だけど、俺はそこに何かを見つけることができる気がした。
無限に続く俺自身の顔に、一つ違和感を覚えた。
「見つけた!」
俺は一つだけ、無表情の俺と違う表情を浮かべるそいつを見つけることができた。
鏡に手を伸ばすと、俺はそのまま鏡に吸い込まれた。
俺は走ってそいつを捉えることができた。
「おい、お前!いい加減にしろ!俺を元の世界に返せ!」
「あーあ、折角人間の世界に暮らせると思ったんだけど、バレたか。」
「世界が滅んだってのは、嘘だったんだな?」
「ああ、そうだよ。でも、今お前が居る世界が別次元で人間の世界ではないのは本当。」
「俺を元の世界に返せよ!」
「ああ、わかったよ。俺は元の世界に帰ることにする。短い間だったけど、楽しかったよ。」
そいつがそう言い残すと俺は元の洗面所に立っていた。
合わせ鏡は永遠に俺自身を映すばかりだった。我に返った俺は、自分自身を疑った。
もしかして、俺は壊れているのか?
とりあえず、眠ることにした。眠ることが全ての解決になるのではないかと思った。
駅は元の駅に戻っていた。雑踏が愛おしく感じた。喧噪に溢れた街、それぞれの個性がひしめき合っている。確かに俺達は生きている。
「きゃあああ!」
突然の叫び声に俺は振り返る。
そこには、鮮血の血だまりができており、その中央に誰かが倒れている。
いきり立った誰かが叫びながら刃物を振り回している。
大変だ。警察を呼ばなければ。
そう考えていると、すぐに警察官二人が到着した。
俺は安堵して行方を見守った。
すると、おもむろにその警察官は拳銃を引き抜くと、その刃物を持った男の頭を撃ちぬいた。
男はばったりと倒れた。
嘘だろ?頭を狙って撃った。映画で見るのとは違って、それは凄惨なものだった。
頭を撃ちぬかれた男の顔の半分が飛び散った。
それとともに、周りからの拍手喝采と称賛の雄たけび。
救急車が到着し、刺された人をストレッチャーに乗せて搬送。
撃たれた男はゴミのようにコンテナーに叩き込まれてパッカー車に叩き込まれて粉々になりながら血しぶきをまき散らした。
俺はあまりのことに言葉を失い、その場に立ち尽くしていた。
この世界も違う。
いったい俺はどこに帰って来たんだ。
その時、遠くから俺に近付いて来る女が居た。
「き、君は・・・・!」
それはかつての恋人だった。
「お帰り、悠馬。」
俺は、その場にへたり込んだ。
俺がかつて、裏切った女。
居るはずの無い彼女が何故ここに?
彼女は俺の裏切りを悲しんで自ら命を絶ったはず。
じゃあここは・・・。
作者よもつひらさか