僕には、特別な森がある。
その森は、日暮れとともに1つのの大きな黒い塊になる。そして、森へ続く一本道を飲み込んでしまう。
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僕の生まれた家は町の外れにある二階建ての白い家。
「けん君、ごめんな。パパは土曜日もお仕事に行かなくちゃいけなくなったんだ。」
パパがお風呂で僕に言った。
近くには父方の祖父母が住んでいた。祖父母は忙しい両親に代わりよく遊んでくれた。
「けん君、暑いから今日は帽子かぶろうな。」
祖父はよく近所の公園に連れ出してくれた。滑り台にぶらんこ。走り回れる広場もあった。思い出の場所。祖父に支えられながら滑り台を滑ったことが懐かしい。
「あの森は見た目以上に深いから入らないでね。」
祖母は僕が森の方を見るたびにそう言った。玄関を出てまっすぐ向こうに森の入り口は見えた。
「どうして深いの?どこまで続いてるの?」
僕はなんでも知りたがる子どもだった。
ある日、熱を出した僕は祖母の迎えで保育園を早退した。祖母は疲れていたらしい。僕を布団で寝かせるとウトウトと眠ってしまった。
「けんくん あそぼう」
「イチジクの実がなってるんだよ」
「冷やしたらおいしいよ」
ドアの向こうから声が聞こえた。
(誰かな。イチジクって食べたことない。甘いのかな。冷やすって冷蔵庫に入れればいいの?)
僕の関心は声の主よりイチジクに惹かれた。
「ばぁちゃん、行っても良い?」
僕は祖母に声をかけた。
「うん、大丈夫…」
祖母は目をつぶったままそう言った。
(行っても大丈夫ってことかな。きっとパパの友達なんだ。)
僕はドアを開けた。
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僕が小学校に上がる頃、森は無くなった。何軒も家が建ち、徐々にひとつの町に変わっていった。
町には僕の同級生も住んでいた。たくさんの家族が移り住んできた。ミツルとお母さんもその町のアパートに住んでいた。小学校でミツルと僕は席が隣同士だった。
「けんちゃん、今日も公園で遊ぼうよ。夕方まで母ちゃんも出かけてて居ないし。」
ミツルとはよく遊んだ。ミツルは母子家庭だったが明るかった。夏にはセミの取り方を教えてもらった。駄菓子の味も一緒に覚えた。
でも、ミツルは時々、公園で泣いていた。
「みっちゃん、どうしたの?」
みっちゃんはあまり訳を話さなかった。
「目が痛いんだよ。」
僕はそれ以上聞けなかった。
「みっちゃん、今日は水鉄砲やろう!」
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四年生のある日、みっちゃんは突然、姿を消した。
「けん、みっちゃん知らない!?みっちゃんのお母さんがあわてて来てさ!昨日の夜からどこにも居ないんだって!」
ママが僕に聞いた。
「昨日一緒に遊んだけど、今日は知らない。」
ほどなくしてスーツ姿の刑事さんも来た。刑事さんはみっちゃんのことを細かく聞いて書き取って行った。
「みっちゃんのお母さん、お友達と大事な話があるからって、時々みっちゃんを外に出してたみたいで…」
ママが声をひそめて刑事さんと話しているのが聞こえた。昨日、僕はみっちゃんと公園で一緒に遊んだ。
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「みっちゃん、今日は僕が秘密の場所を教えてあげるよ!」
僕はしばらく前、みっちゃんにあの森の事を話した。美味しい木の実があること。樹液に集まるカブトムシのこと。森の中だけの友達のこと。
「僕たちの秘密基地を作ろう!」
あの日も泣いていたみっちゃん。みっちゃんは泣いていた目を輝かせた。
「でもね、明るい内に帰らなきゃダメだよ。大事なことだから。あの森は夜になると入り口が消えちゃうんだよ。そのあと何もかも一つの黒い塊になっちゃうんだよ。」
2人で森に入った日、みっちゃんを迎えに来たお母さんは日焼けした男と手をつないでいた。
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僕は知っている。昨日みっちゃんが僕と遊んだあと一人で森に行ったことを。あの声に呼ばれて。
「みっちゃん あそぼう」
「木の上から星を見ようよ」
「流れ星が見えたらお願いするんだよ」
駆けていくみっちゃん。
「僕、お願い事があるんだ。」
「内緒だけどねっ」
一度だけ振り返っていたずらっぽく笑った。みっちゃんは目をキラキラさせていた。僕は、止められなかった。
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僕は大学生になり地元を離れた。今でも後悔している。みっちゃんに森の入り口を教えたことを。あの時、みっちゃんを止められなかったことを。
みっちゃんはまだ、あの時の姿のままあの日の森を彷徨っているのだろうか。大人になるにつれ、森の入り口は見えなくなった。
それでも時々、近所の森の近くを通るとみっちゃんの声が遠くから聞こえる。
「けんちゃん あそぼう」
「クルミの実を あつめたんだ」
「秘密基地で一緒に食べよう」
作者梅島たくじ
僕が子どものころ見た近所の森を思い浮かべながら書きました。もちろんお話の様な怖いことはありませんでしたが。