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長編28
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闇の底

ある日の深夜十一時過ぎ。

僕は友人の真斗と二人で、山の中のとある廃ホテルに来ていた。

ホテルは断崖絶壁に建ち、下は大きな川が流れている。

あたりには民家はおろか街灯すらない。

 「なぁ、本当に入るのかよ」

 「あったり前だろ。なんのためにこんなとこまで来たんだよ」

ホテルを見上げて呟くと、隣で真斗が少し呆れた口調で言う。

僕は「まあ、そうだけど……」と、鎖でがっちりと施錠された入り口を懐中電灯で照らした。

 玄関のガラス越しに中を見ると、大量の壊れた椅子やらソファやらテーブルやら、とにかく色んなものがバリケードのように積み上げられている。

正面から入ることは難しそうだ。

 「やっぱり、まずいんじゃない?」

 「なんだよお前、びびってんのかよ」

 真斗は横目でこちらを見てにやりと笑う。

 「ばか、ちげぇよ」

 思わず否定したが、怖くないといったら嘘になる。

 ただでさえ暗鬱な雰囲気を醸し出しているのに、加えて悲しい事故が起きた曰くつきの心霊スポットだ。

 ホテルの外壁はヒビだらけで、ところどころ黒や茶色に変色し、枯れた蔦が毛細血管のようにびっしりと張り付いている。

割れた窓の中は外の闇より暗かった。

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 なんでもこのホテルは数十年前に大きな火災があり、宿泊客や従業員など、大勢の人が亡くなった場所だという。

 噂では、夜になると助けを求める叫び声が聞こえるとか、いくつもの黒い影が窓から外を覗いているだとか、そういった話が後を絶たない。

 もちろん、本当かどうかは知らないけど。

 火事で焼け、だいぶ荒廃しているにもかかわらず、何故か取り壊されることなく今もひっそりと佇んでいる。

 窓の奥から今にも何かがヌッと現れるんじゃないか、なんて妄想が頭をよぎり、僕は咄嗟にかぶりを振った。

 その時、急に冷たい風が肌を撫で、思わず身震いする。

 昼間は汗ばむほどだったのだが、四月の終わりとはいえ夜はまだ肌寒い。

 しばらくすると、周囲を探索していた真斗が戻ってきた。

 「ここで突っ立ってても寒いだけだし、とりあえず他の入り口探して中に入ろうぜ」

 そう言ってホテルの裏の方へ回ったので、僕もその後に続く。

 土がぬかるんでいて歩きにくい。

生い茂る雑草をかき分けながら少し行くと、外付けの非常階段が現れた。

 鉄骨でできたソレは、すっかり錆びていて脆くなっている。

 「なんか、今にも崩れそうだな」

 懐中電灯の明かりを階段に向け、下から上へとなぞる。

 いつから降っていたのか、小雨がパラパラと光の中をすり抜けていく。

 「おい、こっからなら入れそうだぞ」

 声の方を照らすと、階段の下に錆びついたドアがあった。少し開いている。

 「お前、まさか壊したの?」

 「んなわけねーだろ。有名な心霊スポットらしいし、俺らより先に来た奴らがやったんじゃねぇの?」

 真斗はそう言うと、躊躇なくドアノブに手を掛けた。

 ギ、ギ、ギ、と鈍い嫌な音が響く。

 ドアは歪んでいて、途中で動かなくなってしまった。

 「あー、これ以上は無理だな。でも、これくらいならなんとか……」

 真斗は身体を無理やり隙間にねじ込み、あっという間に中に入ってしまった。

 すごい行動力だ。

僕は呆れを通り越して感心してしまった。

 「お前も早く来いよ」

 「う、うん」

 正直あまり入りたくはなかったが、こんなところに取り残されるのはもっと嫌だ。

 僕は意を決して隙間に身体を押し込んだ。

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 中は暗くて何も見えない。

 今日は月も雲に隠れてしまっていて、自然の明かりはほぼないに等しい。

 埃とカビの嫌な臭いが容赦なく鼻腔を刺激する。少し噎せた。

 「真斗?」

 僕は少し情けない声で姿が見えない友人の名を呼んだ。

 「おーい。こっちだ」

 すぐに奥の方から声がした。

 「こっちってどっちだよ」と、声を頼りに懐中電灯で辺りを探る。

すると、照らした先に少し開いているドアを見つけた。

 出ると、目の前にはロビーとラウンジが広がっている。埃とカビの臭いが増し、それに混じってなんだか焦げ臭い。

 周りには瓦礫やガラスの破片、剥がれた壁紙に壊れた椅子やテーブルなど、様々なものが散乱していてかなり荒れている。

そして、ほとんどの物が焼け焦げていた。

天井も真っ黒だ。

 改めて火災現場なのだと認識させられる。

 ここで何人もの人が亡くなったと思うと、僕の胸に何とも言えない息苦しさが襲った。

 「おい」

 「うわっ!?」

 突然、背後から肩を叩かれて僕の身体は大きく跳ねあがった。

振り向くと、そこには先に行ったはずの真斗が立っていた。

 「何やってんだよ」

 「え、なんで?」

 僕はわけが分らず、しばらく茫然と真斗の顔を見つめた。

 当の真斗は「なんでってなんだよ。ったく、とっとと先行きやがって」と不機嫌そうに言う。

 「は? それはこっちの台詞……」

 僕は言葉を詰まらせた。冷たい汗が背筋をなぞる。

 「さっき、呼んだ? 僕のこと」

 「さっきって、いつ」

 首をかしげる真斗を見て、僕は考えるのをやめた。きっと気のせいだ。

 それに、また余計なことを言って真斗の好奇心に火がついてしまったら面倒だ。

 「なんでもない」

 「はあ? 気になるじゃん。言えよこのヤロー」

 「そんなことより、早く先行こうぜ」

 僕はちょっかいを出してくる真斗を軽くあしらいながら階段を上る。

 適当に見て回ってとっとと帰ろう。もう夜も遅いし、明日も学校だ。

真斗も、ある程度この雰囲気を楽しんだら満足するだろう。

 早く帰りたい一心でつい足早になる。

 「なんだよ、急に乗り気だな。まあいいや。んじゃ、写真撮ろうぜ」

 何を勘違いしたのか、真斗は嬉々として僕にポラロイドカメラのレンズを向けてきた。

 「おい、ふざけんな。やめろよ」

 「いいじゃん別に。ったく、度胸がねーなぁ」

 今この場所に限り、度胸などなくて大いに結構だ。

 真斗は「つまんねーの」と言いながら周囲を撮り始めた。

 肝が据わっているというか、コイツは怖くないのだろうか?

 「それにしても、なんで急に心霊スポット行こうだなんて言いだしたんだよ」

 オカルト的なものが好きなことは知っていたし、以前から色々と胡散臭いことに付き合わされてはきたけど、こんな本格的な場所に行こうと誘われたのは今回が初めてだった。

 「いや、それがさ。ちょっと前に新歓あったじゃん? そん時に、オカルトサークルに入ってるっていう先輩と知り合ってさ。その人が教えてくれたんだよ。『ここはやべえ』って」

 なにがどうやべぇのだろうか。僕はただ「ふーん」と相づちを打つ。

 「先輩も少し前に来たことあるって言ってたし、面白そうじゃん。俺、一回夜の廃墟とか来てみたかったんだよな」

 「なら一人で来ればいいだろ。なんで僕まで」

 「ばーか、一人じゃつまんねーだろ。それに、このドキドキわくわくを他人と分かち合うのが心霊スポットめぐりの醍醐味ってもんだろ」

 そんな醍醐味はゴミ箱に捨ててしまいたい。

 まぁ、僕も嫌いではないから、結局ついて来てしまったわけなのだが。

 でもまさか、本当に中に入ることになろうとは。

真斗の性格を知っていれば予想は出来たはずなのに、何故もっと慎重にならなかったのかと、二つ返事でOKした数時間前の自分を悔いた。

 それから僕らは危険そうな場所を避けながら適当に探索し、やがて大きな広間のような場所にたどり着いた。宴会場だろうか。

 「うわ。なんだこれ」

 真斗が声を上げる。

床はほとんど腐り落ちて巨大な穴のようになっていた。中を覗くと、まるでブラックホールのように真っ黒な底なしの闇。

 「こえー。今にも何か出てきそうだな」

 真斗は懐中電灯を穴の中に向けて楽しげに言う。

 「やめろよ、そういうの」

 吹き込む風が唸り声を上げている。

 冷気が足元から這い上がってくるのを感じ、身震いした。

なんだか、ここだけ異様に寒い。

なのに、さっきから汗が止まらない。

 「……なんか、気分悪くなってきた」

 「マジかよ、大丈夫か?」

 闇の中で、右隣から僕の顔を覗き込んでくる気配がした。

 「ちょい待ち。あと一枚だけ撮ったら」

 パシャッとシャッター音がする。

 そこで、「あれ?」と思った。

 今、フラッシュは左側で焚かれた。

 ――じゃあ、今僕の隣にいるのは?

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 「……タ、スケ……、スケ……テ……」

 耳元で苦しそうに呻く男性の低い声が聞こえ、同時に、生温かい湿った風が耳にかかった。

 死角に何かがいる。

 そこで僕の身体は硬直し、動かなくなってしまった。

 「よし。んじゃ、そろそろ帰るか」

 真斗の声ではっとした。少し身体が動くようになったので顔を上げると、目の前にはふざけて顔の下から懐中電灯を照らした真斗の姿があった。

 だけど、今の僕に突っ込む余裕はない。

 「おいおい、本当に大丈夫か?」

 僕の表情を見て、真斗はやっと異変に気づいたようだ。

 「だ、だい…じょう、ぶ。だけど……」

 できるだけ平静を装うが、身体の震えは一向に治まらない。

 とにかく一刻も早くこの場から離れたくて、僕は足早に部屋を出た。

 途中、走り出しそうになるのを何度もこらえながらなんとか出口まで来ると、僕らはそのまま逃げるようにその廃ホテルを後にした。

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 そのあとは麓のコンビニエンスストアで少し休憩し、真斗にバイクで送ってもらい帰宅した。

 時刻はすでに午前一時を過ぎている。

予定よりもだいぶ遅くなってしまった。

 「ちょっと出てくる」と言ってきた手前、なんとなく後ろめたさを感じ、家主に気づかれないように玄関の戸をこれでもかというほどゆっくりと開けて入った。

 戸を閉め切ると、シンと静まり返る闇が僕を迎えた。

 軒先に設置された常夜灯の明かりが、すり硝子越しに玄関をぼんやりと照らしている。

 僕は息を飲んだ。

本当は、なるべく明かりはつけたくなかったが、暗闇に対する恐怖心が残っていて、たまらず電気のスイッチを押した。

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 「遅い」

 「うわぁああっ!!?」

 僕はその場で腰を抜かした。

 「……っるせぇな。今何時だと思ってる」

 そこには、家主である叔父がものすごく不機嫌そうに腕を組んで立っていた。

 起きていることは分かっていたが、まさか玄関にいるとは思わなかった。

 心臓が早鐘を打つのを必死になだめる。

 「た、ただいま。叔父さん」

 叔父は深いため息をつくと、呆れを含んだ声で「こんな時間までどこほっつき歩いてたんだ?」と聞いてきた。

 普段あまり干渉してこない叔父がこんな風に聞いてくるのはめずらしい。一応、心配してくれているのだろうか。

 「ちょっと友達の家に」

 はぐらかすように笑ってみせる。

 「ちょっと山奥の廃墟に」などとは到底言えず、僕はそそくさと叔父のわきをすり抜けて部屋へ向かおうとした。

 「で、本当はどこに行ってたんだ?」

 その場で硬直した。恐る恐る振り返ると、叔父が僕の靴をそろえながら、「靴が泥だらけだな。雨も降っていないのに、友達の家はぬかるんだ場所にあるのか?」

 「…………」

 叔父は軽く笑うと、無言で立ち尽くしている僕の横を通って居間へと向かう。

 こうなったら逃げられないことは分かっているので、僕はしぶしぶ叔父の後に続いた。

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 僕が叔父のところで暮らすようになったのは、約五年前。

 幼少時に事故で父を亡くし、それ以来女手一つで育ててくれた母が病で他界した。

 僕の引き取り先をどうするかで大人たちが揉めている中、唯一何も言わずに迎え入れてくれたのが、母の弟である古林魔魅《こばやしまみ》だった。

 叔父は物書きを生業としていて、名前はペンネームらしい。

だが、僕は叔父の本名をいまだに教えてもらっていない。

 普段から、夜仕事をして朝方寝るという生活を送っている叔父とは、休日と夜のわずかな時間くらいしか顔を合わせることはなかったので、多少帰宅が遅くなったくらいでは何も言われないだろうと軽く考えていたのだが、違ったようだ。

 居間につくと、いつも食事をするときのように、卓袱台を挟んで向かい合うように座る。

 「それで、一体こんな時間までどこで何してたんだ?」

 「だから、ちょっと、友達とドライブに」

 「どこへ」

 「どこって……。適当に、いろいろ」

 疑いの眼がざくざくと突き刺さってくるのを感じる。

 ふと顔を上げた瞬間、目が合った。思わずそらしてしまう。

 すると、今まで不機嫌そうにこちらをじっと見ていた叔父は、急にふっと小さく笑った。

 「な、なに?」 

 「いや、お前嘘つくの下手だな」 

 僕はぎくりとし、とっさに「嘘なんて」と反論しようとするが、叔父はそれを遮る。

 「嘘は左脳で考えるから、目は自然と右上を向く。受け答えもしどろもどろではっきりしないしな」

 叔父はため息交じりに煙管を取り出して、刻み煙草をつめて火をつけた。

 「でも、僕だってもう子供じゃないんだし、少しくらい……」

 叔父は煙を吐くと、

 「お前はまだ未成年だろ。それに、別に遊びに行くのが駄目だと言っているわけじゃない。まぁ、時間や場所にもよるが。ただドライブに行くだけならそう言えばいいし、遅くなるなら一言連絡くらい寄越せるだろう。曖昧にしてこそこそするのは、何か後ろめたいことがあるからだろ」

 うっ、と言葉が詰まる。

 こんなことなら、嘘でもちゃんと行き先を言っておけばよかった。だが、後悔しても後の祭りだ。

 僕はとうとう観念し、怒られることを覚悟で重い口を開いた。

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 「Sホテルか……」

 僕が話し終わると、叔父はしばらく考えてから「なら、もうそこには行くな。撮った写真も全部処分しておけ」とだけ言って、そのまま自分の部屋に戻ってしまった。

 急にどうしたのだろうか。

だが、思っていたよりも怒られなかったし、あんなところ言われなくても、もう二度といくものか。

 明日も朝から学校だ。

 僕はシャワーを浴びると、すぐに布団に入って眠ってしまった。

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 僕は暗闇の中でひとり、深い霧の中に佇む建物を見ていた。

 視界にぼけるその外観は、木造の小さな旅館のようだ。

 ここはどこだろうか。

 ぼんやりとしていると、先を歩く人影が見えた。

 目を凝らすと、それは真斗だった。

 「おい、真斗!」

 聞こえていないのか、いくら大声で呼んでも振り返ることなく、まっすぐ旅館の方へ歩いていく。

その時、なぜか「行ってはいけない」と強く思った。

 「待って、そっちは駄目だ!」

 すると、歩みを止めた真斗がゆっくりとこちらに振り返った。

 その顔には生気がなく、目も虚ろだ。

 走って追いかけるが、なかなか距離が縮まらない。

 それでもなんとか追いつこうと手を伸ばした瞬間、突然足に何かが纏わりついてきて、バランスを崩し転倒してしまった。

 咄嗟に足下を見ると、そこには無数の黒いものが絡みついていた。

 なんだろう。黒い木の根っこ?

 目を凝らしてみて、僕は思わず声を上げた。

 「……っわぁあああああああ!!!」

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 それは焼けて消し炭のようになった人間の腕や手だった。それが何本も僕の両足にしがみついている。びくともしない。

 ふいに前方に目を向けると、真斗も黒い無数の手に引っ張られて暗闇に沈むところだった。

 「真斗!! やめろ、やめろ放せ!!」

 僕の叫びも空しく、二人とも深い闇の底へと引きずり込まれてしまった。

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 「はっ」

 気がつくと、そこは自分の部屋だった。

カーテンの隙間から光が漏れている。

 自分の荒い息遣いが、しんと静まりかえった部屋の中でやけに大きく聞こえる。

 空気はひんやりと冷たいはずなのに、ぐっしょりと汗をかいていた。

 「ゆ、夢か……」

 上半身をお越し、深呼吸をする。

 そうだ。昨日心霊スポットなんか行ったからこんな変な夢をみたんだ。

 悪い夢。そう、ただの夢だ。

 そう強く自分に言い聞かせ、僕は布団から出た。

 予定より早く目が覚めてしまったが、なんとなく家でゆっくりする気にもなれなくて、シャワーを浴びてから早々に学校へ向かった。

 学校につくと、門のところに真斗が立っているのが見えた。なんだか浮かない顔をしている。

真斗は僕に気づくとすぐに駆け寄ってきた。

 「よう」

 「おはよ。はやいな」

 「ああ」

 「どうしたんだ? 顔色悪いぞ」

 「そういうお前もな。それよか、ちょっと見せたいもんがあるんだけど、今いいか?」

 真斗にしては珍しく切羽詰まった表情だ。

 例の夢のこともあり、なんとなく嫌な予感がしたが、僕は首を縦に振った。

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 中庭のベンチに座ると、真斗は一枚のポラロイド写真を取り出して見せてきた。

 「昨日、最後にあの穴撮っただろ。それで、撮った時は気づかなかったけど、帰ってから見てみたらなんか変なのが写っててよ」

 見ると、そこには闇を留めた大きな穴が写っていた。

 「変なのってどこ?」

 「ここだよ」

 指を差された箇所を見て、僕は目を見張った。

 一緒に写っていた真斗の足元には、黒い手のようなものが伸びて今にも真斗の足を掴もうとしているところだった。

 「この穴の写真、まだあと何枚か撮ったんだけど、なんか見る気がしなくてさ」

 そう言って、そのまま写真をカバンの中に仕舞った。

 『あのさ』

 口を開くと、真斗と言葉がぶつかった。

 「な、なんだよ」

 「お前こそ」

 「いや……実は昨日の夜、変な夢みて」

 「マジで? 俺もみた」

 僕らは互いに自分がみた夢のことを話した。

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 真斗がみた夢というのは、こうだ。

 何も見えない黒く塗りつぶされた世界で、どこからともなく助けを求める声がひたすら聞こえてくる。声から逃げるように走っていると、突然目の前にあの巨大な黒い穴が姿を現し、落ちそうになったところで目が覚める。というものだった。

 真斗は引きつった笑みを浮かべて「なんか、二人してこんな夢みるの気持ちわりーな」と言う。

 「うちの叔父さんも、写真は処分してもうあのホテルには行くなって言ってたし」

 僕の言葉に、真斗は小首をかしげる。

 「叔父さん?」

 「そう。今は叔父さんちで暮らしてるから。あれ、言ってなかったっけ?」

 「聞いてねぇよ。いつから?」

 「母親が亡くなってからだから、中学ん時からかな」

 真斗は何か言いたそうな目で僕をみて「ふーん」と鼻で相槌をうつ。

 なんだかふて腐れているような、そんな感じだった。

 「なに?」

 「べつに。でもま、その叔父さんの言う通りかもな。今日学校終わったら近くの神社にお焚きあげ供養にでも行くかぁ」

 「ついでに二人ともお祓いしてもらったほうがいいかも」

 「せっかく撮れたマジもんの心霊写真だったのによ」と、いつものようにおちゃらけて見せる真斗だが、やっぱりどこか元気がないようみ見える。

 「とりあえず学校終わったら残りの写真とカメラ取ってくるわ」

 「僕も、いったん帰って買い物と夕食の準備だけしてくる」

 僕の言葉に、真斗は「主婦かよ」と笑う。

 まあ、あながち間違いではない。

 それから僕らは、その日すべての講義を終えると、一度それぞれの帰路についた。

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 急いで買い物をすませて帰宅すると、叔父が珍しく起きていて居間で新聞を読んでいた。

 しかも今日は和装ではなく洋服だ。

どこかに出かけていたのだろうか。

 それにしても、こうしてみると本当に年齢不詳だ。

 「ただいま」

 声をかけると、叔父は僕を一瞥し、「ああ」とだけ言ってまたすぐに新聞に視線を戻す。

 「おかえり」くらい言えないのかと心の中で小言を垂れながら小さく溜息をつくと、僕はそのまま台所へ行こうとした。

 「何かあったのか?」

 叔父の言葉に思わず足を止める。

 「え?」

 「顔色が悪い」

 「……別に、あんまり眠れてないだけ」

 正確には原因のうちの一つにすぎないが、嘘は言っていない。だが、叔父は疑心に満ちた目で僕を見据えている。

 叔父の目はたまに怖い。すべてを見透かされているようで、つい逸らしたくなってしまう。

 「まぁ、言いたくなければ別にいいが」

 叔父はそう言うと、すぐに視線を新聞に戻した。

 なんだよその言い方。今までこんなに構ってきたことなんてなかったくせに。

 叔父の思惑にまんまとはまったようで少し悔しいが、今話しておかないとなんだか後悔するような気がして、僕は今朝みた夢と昨夜撮った写真のことを叔父に話すことにした。

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 「要するに、お前たちがみた夢は昨夜行った廃墟とその写真が原因だと?」

 「う、うん。まあ、たんなる偶然かもしれないけど」

 叔父は怪奇小説を主に書いているのだが、幽霊とかオカルト的なものは全く信じようとしない超現実主義者だ。

 正直、ただの思い過ごしだと鼻で笑われるかと思っていたのだが、叔父は最後までだまって僕の話を聞いてくれた。

 「それで、今から写真をお焚き上げしてもらいに行こうと思ってて。ついでにお祓いもしてもらおうかって」

 「それでお前たちの気が晴れるなら好きにすればいいが」

 叔父が何か言いたげだったので、僕はなんとなく察して先に口を開いた。

 「もちろん、しょせん夢だし深い意味はないんだろうけどさ」

 「いや、そうじゃなくてな」

 何か気になることがあるのか、叔父はそれきり口を噤んで、なんだか釈然としない表情で考え事をしている。

 すると突然、携帯が鳴った。

 画面を見ると、真斗からだった。

 こっちから連絡するという話だったけど、予定が変わったのだろうか。

 叔父に断りを入れて携帯に出た。

 「もしもし」

 『…………』

 無言だ。最初は電波が悪いのかと思ったが、耳をすませると相手の息づかいとかすかに風の音や木々のざわめきが聞こえてきた。

 外にいるのか?

 『……か……、きゃ……』

 「もしもし、真斗? ごめん、よく聞こえな……」

 『…よん……でる……』

 「え?」

 『よんでる、いかなきゃ』

 そこで通話が切れた。

 何が何だかわからず、しばらく呆然と携帯を見つめていると、叔父が怪訝そうに聞いてきた。

 「どうした」

 「わ、わからない。真斗、行かなきゃって」

 もしかして、彼はまたあの廃ホテルに行こうとしているのか?

 何度かかけ直してみたが、繋がらない。

 昨夜みた夢の内容を思い出して、胸騒ぎが襲った。

あの夢がもし本当だとしたら、真斗が危ないかもしれない。

 僕はいてもたってもいられなくなり、すぐに玄関へ向かう。

だが、途中で叔父に引き止められた。

 「おい、どこに行くんだ」

 「あいつ、たぶんまたあの廃ホテルに行こうとしてるんだ。だから――」

 「ちょっと待て、落ち着け。足もないのにどうやって行く気だ」

 「それは……」

 そこで、はっとした。

 そういえば、僕はあの廃ホテルの明確な場所を知らない。

 真斗のバイクの後ろに乗せてもらい、昨日初めて行ったのだ。当然道など覚えていない。

 「わからない。どうしよう」

 このままじゃ真斗が。

 携帯で検索をかけようにも、不安と焦りでなんと打てばいいのか思考がついてこない。

手が震える。

 そんな僕の様子を見ていた叔父は、小さく「ふー」と息をつくと、玄関へ向かった。

 「行くぞ」

 叔父はそう言うと、早々と玄関を出て行ってしまった。

 僕はしばらく開いた玄関ごしに遠ざかっていく叔父の背中を茫然と見つめていたが、叔父の「おい、早くしろ」という声で我に返った。

 「ま、待って!」

 僕は戸締りだけすると、すでに家の門を出て見えなくなった叔父を急いで追いかけた。

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 しばらく歩いていくと、ついた場所は月極駐車場だった。

 叔父は迷うことなく一台の白いセダンの前まで行き、「乗れ」と一言。車に乗り込んだので、僕も急いで助手席に座る。

 「叔父さん、車なんか持ってたの?」

 「めったに乗らないけどな」

 エンジンがかかる。

 駐車場を出ると、叔父は突然アクセルを踏み込んだ。

 ギュルルルという音を立ててものすごい勢いで発進し、僕の身体は慣性の力で深くシートに押しつけられる。

 「ひぎゃっ」

 変な声が出た。

 車に乗り慣れていない僕には刺激が強すぎた。

 「ちょ、叔父さん!?」

 「言っておくが、俺は運転があまり上手くない。死にたくなかったらシートベルト、しっかり締めとけよ」

 思わずシートベルトを強く握る。ちゃんと締めておいてよかったと、僕は心の底から思った。

 しばらくすると、少し落ち着いてきた。

僕はちらりと叔父を見て、話しかけて良さそうなタイミングを見計らって口を開いた。

 「あのさ、叔父さん。今から行くところって……」

 おずおずと聞くと、叔父は横目で僕を見て、またすぐに前に視線を戻す。

 「お前の言っていたホテルだ」

 「場所分かるの?」

 「ああ。だが、お前たちが行ったのは本当にK県にあるSホテルだったんだな?」

 「う、うん。入口の看板にも書いてあった。錆びていて読みにくかったけど」

 そこまで言うと、叔父はまたしばらく何か考えていたようだが、やがてぽつりと「まぁ、行ってみればわかるか」と言った。

 そうして、またしばらく車内は静かになった。

会話もBGMもない空間で、僕はおもむろに携帯の画面を見る。

 あれから真斗からの着信はない。

 今、彼はどこにいるのだろうか。向かっているのならバイクだ。まだ向かっている最中か。それとも、もうホテルに着いて――。

 さっきまで鎮まっていた不安と焦りが首をもたげはじめ、僕は震える手で発信ボタンを押そうとした。

 「で、お前の友達とやらは、本当にそのホテルに行くと言っていたのか?」

 突然の質問にびくりと身体が跳ねた。

 「えっ、いや。はっきりSホテルに行くとは言ってなかったけど。ただ頻りに『呼ばれている』、『すぐにいかなきゃ』って」

 真斗を引きとめようとした僕を阻止するかのように襲ってきた無数の手。あれは写真に写っていた手だと、僕は直感的に思った。

 「夢でも真斗は誰かに呼ばれていたって言っていたし、もしあの夢が本当だったら……」

 叔父は前方を見たまま黙って僕の話を聞いている。

 僕の視線に気づいた叔父が「なんだ?」と聞いてきた。思わず首を振る。

 「いや、だって。何も言わずに聞いてくれてるから。叔父さん、こういう話信じてないんでしょ?」

 「そうだな」

 「じゃあ、なんで車出してくれたの?」

 「お前が後先考えずに突っ走るからだろーが。それに、どうせ止めても聞かないだろ」

 「うっ」

 叔父は「ったく。誰に似たんだか」といって小さく欠伸を噛み殺した。

 そういえば、今日は起きるのが早かったようだし、眠いのだろうか。

 「ごめん」

 なんだか急に申し訳なくなって、僕は俯いたまま謝る。

 「まぁ、俺も確かめたいことがあるからな」

 「確かめたいこと?」

 顔を上げると、前方に錆びついた看板が見えた。

見辛いが、確かにSホテルと書いてある。

 坂道を登ると、廃ホテルが昨晩と変わらぬ姿で聳えていた。

 「ここは……」

 「あ、あれ!」

 隅の方に一台のバイクが見え、僕は声をあげた。

間違いない、あれは真斗のバイクだ。

 「やっぱり来てたんだ」

 「待て、桃里……」

 僕は「すぐ戻ってくるから!」とだけ言い残し、叔父の制止も聞かずに車から飛び出すと、一目散に裏口に走った。

 後ろで叔父が何か叫んでいたが、その時の僕は聞いている余裕すらなかった。

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 あの晩のように裏の錆びたドアから入ると、真っ先に例の広間まで向かう。

 そこには、思った通り真斗がいて、穴の中を見下ろす形で立っていた。

 「真斗!」

 声をかけてもなんの反応もない。

 俯いたまま、何かをぶつぶつと呟いている。僕は固唾を飲んだ。

 怖い。だが、友人をこのままにしておくわけにはいかない。

 勇気を振り絞り一歩踏み出す。すると、どこからか不気味な呻き声のようなものが聞こえた気がした。

 「な、なんだ……?」

 耳を澄ますと、何人もの苦しそうな声が穴の方から聞こえてくるようだった。

 穴の中から大勢の人が這い上がってくる。

そんな想像をして、僕は身震いする。

 すると、真斗がゆっくりとこちらに振り返った。

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 その表情を見て、全身が総毛立った。

 生気のない顔。虚ろな目。

 それは、夢でみた真斗そのものだった。

 彼は薄ら笑いを浮かべると、倒れこむように穴の中へ身を投げた。

 「真斗ッ!!」

 手を伸ばし、寸でのところで真斗の腕を掴んだのだが、僕の腕力では重力が加わった真斗の体重を支えることもできず、気づいた時には真っ黒な穴の底を見つめていた。

 ――あ、落ちる。

 その時、急に誰かに背後から身体を抱きかかえられ、すごい勢いで後ろに引っ張られた。

 「っ!!」

 次の瞬間、尻餅をつく。

……が、あまり痛くはなかった。

 恐る恐る目を開けると、自分の腹に誰かの腕ががっちりと巻き付いていた。

 「……ってぇ」

 聞き覚えのある声に振り返る。

そこには、鬼の形相でこちらを睨み付ける叔父がいた。

 「ばか、死にてぇのかっ!?」

 突然の怒声に身体が強ばり、息を呑んだ。

 そこで完全に我に返った。僕は叔父の腕に抱えられ、二人して地面に座り込んでいた。

 「叔父さん、どうして……」

 「どうしてって、お前なあ」

 「真斗は!?」

 掴んでいたはずの真斗がいない。

それどころか、目の前は断崖絶壁で、辺りは雑草が生い茂っているただの空地だった。

 僕は叔父の腕を振りほどくと、目の前の断崖を覗いた。

下では、暗闇の中で川が緩やかに流れているだけだ。

 「なんで? さっきまでホテルの中にいたはずなのに」

 「ここはもともと何もない。ホテルも、お前の友達のバイクもなかった。お前は車から降りたらまっすぐ崖まで走ってひとしきり叫んだあと、自分から飛び降りようとしたんだよ」

 しばらく思考が停止した。言葉が出ない。

 混乱していると、携帯が鳴った。

 着信を見ると、それは真斗からだった。少しためらったが、僕は通話ボタンを押してゆっくりと耳に当てる。

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 「も、もしもし……?」

 『やーっと出やがった! お前今何時だと思ってんだよ。いっくら電話してもでねぇしよぉ! 行けなくなったなら一言連絡くらい寄越しやがれっ!!』

 超絶不機嫌な声でまくしたれられる。

 だが、これは間違いなく真斗だ。

 怒られているはずなのに、僕は心の底からホッとして不覚にも泣きそうになってしまった。

 『おい、てめぇ聞いてんのかっ!?』

 「う、うん。聞いてるよ。ごめん、ちょっといろいろあって……。ていうか、真斗今どこにいんの?」

 『あ? 家に決まってんだろ』

 「そう、か。そうだよね……」

 僕はおもむろに叔父に目を向ける。やはり、叔父の言っていることは正しかった。

 じゃあ、僕が見たアレは、一体なんだったんだろう。

  『なんだよ。何かあったのか?』

 「うん。えっと、とりあえず、明日話すよ。お焚き上げも、次は絶対行くから」

 『あー、そうそう。それなんだけど、例の写真、お前持っていってないよな? 確かに鞄にしまったはずなのに、いくら探しても見当たらねぇんだよ』

 「知らない、けど」

 『だよな。んー、もうちょっと探してみるわ。それより、明日ちゃんと説明しろよ。納得いかない理由だったら学食のAランチおごってもらうからな』

 なんというか、ちゃっかりしている。

 まぁ、今日の出来事を話せば多分おごらなくても済みそうだけど。

 「わかった。じゃあ、また明日」

 そうして電話を切った。

 振り返ると、叔父は退屈そうに煙草を咥えて煙を燻らせていた。

 「……真斗、家にいた」

 ぽつりと言う。なんだか叔父の顔がまともに見られなかった。

 結局、叔父を振り回してしまったことには変わりはない。

 「なんか、ごめん。やっぱり僕今日おかしいよね」

 そうして何気なく上着のポケットに手を入れると、何か厚めの紙のようなものが手に当たった。まさかと思って取り出す。それを見て、僕は凍りついた。

 「これ、なんで……」

 それはまぎれもなく、真斗が見当たらないと言っていた例の心霊写真だった。

 大学で、真斗は確かにこの写真を鞄に仕舞っていたし、その後は真斗と会っていない。

 呆然としていると、叔父は無言のまま僕から写真を取り上げ、持っていたライターで火をつけた。

 写真はやがて灰になり、風と共に少しずつ夜の闇に溶けてゆく。

 「帰るぞ」

 煙草を咥えたまま、叔父は来た道を戻って行ったので、僕もゆっくりとその後を追う。

 ふと、黒く塗りつぶされた闇の中から、またあの苦しそうな、悲しそうな呻き声が聞こえた気がしたが、僕はもう振り返ることはなかった。

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 「呼ばれていたのは僕の方だった、のかなぁ……」

 帰りの車の中で、ゆるやかに流れる景色のシルエットを車窓から眺めながら、僕はため息とともにぽつりと呟く。

 「結局、あの廃ホテルはなんだったのかな」

 僕の言葉に、叔父は前方を見たまま応える。

 「Sホテルの火災は当時だいぶ騒がれたからな。お前の話を聞いて気になって調べてみたんだが……。案の定、あのホテルは数年前にとっくに取り壊されていた。現に何人もの死者を出した場所だし、お前らみたいに面白半分でやってくる連中が後を絶たず、実際に事故や犯罪も起こっていたらしいからな」

 それを聞いて、別の意味でぞっとした。事故とか犯罪とか、そんな話は聞いていない。

 「それに」と叔父は続ける。

 「あのホテルが建つ前は小さな旅館があったそうだが、そこも火災で潰れている。木造で火の回りが早く、しかも深夜だったためかほとんどの人間が犠牲となった。そして、逃げ遅れた半分以上があの川に身を投げて死んでいる」

 それはきっと、夢に出てきたあの旅館だ。

 二度も火災に見舞われた悲しい記憶の残る場所。旅館やホテルが取り壊された今でも、ここで亡くなった無念の魂は、今も助けを求めてさ迷っているのだろうか。

 「でも、なんで僕だったんだろ」

 「誰でもいいから連れて行きたかったんだろ。仲間を増やしたいんだよ」

 「お前なら簡単に騙せると思ったのかもな」と、叔父は意地悪な笑みを浮かべる。

 叔父の言葉に少しむっとした。僕は単純だとでもいいたいのか。

 「てゆうか、叔父さんこういうの信じてないんでしょ? なんでそんな言いきれるのさ」

 「お前が欲しがりそうな解釈をしただけだ。仮に死んだ人間の霊魂があるとすれば、それは人の心だ。苦しみは他人と分かち合うことで楽になる。お前の言う霊ってのは、元は人間だからな」

 寂しい、だから仲間が欲しい。この苦しみを他の誰かにもわかって欲しい。

 この感情には覚えがある。

 「あんまり深く考えるな。お前らの見たのは全部、恐怖心と先入観の思い込みからくるただの幻だ」

 「幻……」

 そんなわけない。昨日、僕と真斗は間違いなくあのSホテルに行ったのだ。建物の壁やドアの冷たさや、埃や錆、焦げた臭い。そしてさっき掴んだ真斗の腕の感触も、ちゃんと残っている。

 手を見つめたまま黙り込んでいると、急に叔父の手が僕の頭に軽く触れた。

 僕は驚き、叔父の方を見て目を瞬かせた。

 当の叔父は何事もなかったかのようにステアリングに手を戻し、また小さく欠伸をすると、「現に、俺には見えなかったからなぁ……」と、ため息のように呟いた。

 帰りの車は、これでもかとゆうくらい安全運転だった。

 翌日。その日の講義は午後からだったので、僕と真斗は大学近くの喫茶店で待ち合わせて会うことにした。

 先に着いた僕は、窓際の席でぼーっとしながら叔父の言葉を反芻していた。

 確かに、実際にあの場所には何もなかったし、叔父も本当に見えていない様子だった。

 だが、一夜明けた今でも、僕の記憶にはいまだに一昨日からのホテルで体験したことが鮮明に残っている。

 なんだか夢と現実を行き来しているような、妙な感覚だった。

 しばらくして、喫茶店のドアが開き、カランとベルが鳴る。

 見ると真斗が入ってきたところだった。

 彼はすぐに僕に気づくと、「おう、お待たせ」といって向かいの席に腰を下ろした。

 「やっぱ写真、見つからなかったわ」

 そりゃそうだ。いつの間にか僕の上着のポケットに入っていたのだから。

 でもそのことは、あえて黙っておくことにした。

 「……まあ、無くしたならそれでいいんじゃん? 今のところ、特になんかあったわけじゃないんだろ?」

 すると真斗は「そうだな。それに、なんか昨日は熟睡できたみたいで、朝めっちゃスッキリしててさ。やっぱあの写真のせいだったんかなぁ」と、あっけらかんとして笑う。

 僕は笑えなかった。

 「で、お前は昨日何があったんだよ。ちゃんと説明しろよな」

 「ああ、うん」

 僕は昨晩起きたことを、真斗の好奇心をあまり刺激しない程度にかいつまんで説明した。

 いくらオカルト大好き人間とはいえ、こんな話すぐに信じてもらえないだろうと思っていたのだが、真斗の反応は想像していたものではなかった。

 いや、逆に「コイツだったらこういう反応するだろうな」という予想をまったく裏切らなかった。

 「うっそ、マジかよ!? なんでそこで俺を呼ばないんだよ~!!」

 「いや、連絡ついてたらそもそも行かないし」

 「まぁそうだけど。 ……あー、くっそ。いいなぁ、俺もそういう体験してみたかった」

 真斗は僕の話をまったく疑っていなかった。

 大げさにならないように起きたことだけを簡潔に話しただけなのだが、それでも説明のつかない出来事にテンションがあがっているようだ。

 彼は心底羨ましげな声を出し、残念そうにテーブルに額をつけて項垂れている。

 僕は少しイラッとした。

 人の気も知らないで。

 「一歩間違えてたら僕、死んでたんだけど」

 「まぁ、そうだけどさ。でも実際死ななかったんだから良かったじゃん」

 それは叔父さんが一緒だったからだ。もしひとりだったら僕は間違いなく……。

 そこまで考えて、ぞわりと肌が粟立つ。

 逆に呼ばれたのが真斗じゃなくて良かったのかもしれない。

 「でも、俺を助けようとしてわざわざ行ってくれたんだろ? サンキューな」

 急に素直になられて、僕は面食らってしまった。耳が熱くなる。

 「べ、別に……」

 「あ、でもそうか。よくよく考えてみたら、俺もその”あるはずのないホテル”見たんだよな!? それどころか中にも入ったじゃん。すげぇ!」

 ずいぶん今更なことに気づいて喜ぶ真斗を尻目に、僕は氷が溶けて薄まったアイスコーヒーをすする。

 彼なりの成果が得られたからか、幸い真斗は「また行こう」とは言いださなかった。

 たとえ言われたとしても、僕はもうあの場所には絶対に行かない。

 「そういえば、あのホテルのこと教えてくれたっていう先輩には会ったの?」

 「あー、いや。それが、見つからなくて」

 「え、どうゆうこと?」

 すると真斗は腕を組んで唸りはじめた。

 「俺も、一応行った報告だけしようと思って探そうとしたんだけど、名前聞いたはずなのにどうしても思い出せなくってさ。それに、いくら調べてもうちの学校にそんなサークル、なかったんだよな」

 それを聞いて、急に胸の奥がざわついた。

 僕らはお互い顔を見合わせ、しばらく無言になった。

 まさかとは思ったが、名前は真斗がど忘れしているだけかもしれないし、サークルだって、その先輩が勝手に名乗っているだけかもしれない。

 なので、もうお互いあまり深く考えないことにした。

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 その後、僕らは残りの写真を持って神社へと赴き、写真のお焚き上げと自分たちのお祓いをしてもらった。

 どういうわけか、残りの写真はすべて真っ黒で何も写ってはいなかった。

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 そういえば、これは後で聞いた話だけど、今から十年ほど前にうちの学校の学生が一人、心霊スポットに行くと言ってそれきり行方不明になり、今も見つかっていないらしい。

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