俺が、勤めていた葬儀屋を辞めるより、さらに数年前の話だ。
その日は午前と午後に一件ずつ式が入っていて、夕方頃に式場で同僚の宮内と、二件目の葬儀の準備をしていた時だった。
故人が入った棺を、祭壇の前に設置し終えて一段落した俺たちは、少し休憩しようといったん事務所に引っ込んだ。
愛想のいい事務員のおばさん-本田さんが「二人ともお疲れさま」と言ってお茶を出してくれたので、俺たちはそれを啜りながら他愛ない話をしていた。
すると、急に本田さんが「あら?」と声を上げた。
「どうしたんですか?」
「式場に誰かいるみたいなんだけど……」
事務所には、式場の様子が見られるように監視カメラのモニターが設置されている。
本田さんの肩越しにモニターを覗くと、確かに人がいた。
並べられた椅子の列の間を、よたりよたりと祭壇に向かって歩いている。
服装からして、花屋さんでも、うちの会社の人間でもない。
画質はあまり良くなかったが、黒い長袖のワンピースを着た、長い黒髪の女性というのは見て取れた。
「ご葬家の方かしら? 私、ちょっと見てくるわね」
「いいですよ。俺が見てきますんで」
俺が役を買って出ると、宮内も「あ、僕も行きます」と言うので、二人で式場に向かった。
式場の扉を開ける。
見渡してみたが、誰もいない。
俺たちは顔を見合わせて首を傾げた。
「あれ、いませんね?」
「もしかしたら、すれ違いで出てっちまったのかもな」
念のため祭壇の裏や棺の後ろ、式場の外など確認してみるが、人の気配はなかった。
事務所に戻ると、本田さんが「あっ、帰ってきた!」と言って駆け寄ってきた。
なんだか慌てた様子だ。
「人、居たのよね?」
身体を小刻みに震わせて、何だか怯えているようだ。
困惑しつつ居なかったことを伝えると、とたんに本田さんの顔が、ざぁっと青ざめた。
宮内が「どうしたんスか?」と聞くと、「ちょっとこっち!」と言って、俺たちの腕をつかんでモニター前まで連れてくると、震えた指で画面を指した。
それを見て、俺たちは息をのんだ。
式場には、さっきと同じ黒いワンピースの女がいた。
閉じていたはずの棺の窓が開いていて、そこを覗き込むようにして立っている。
「確かに誰もいなかったのに」
俺が呟くと、本田さんが静かに言った。
「私、あなた達が行ってからもずっと見てたのよ。でもね、二人が式場に来てからもこの女の人、ずっといたの。だから、いないなんてわけ、ないのよ……」
背中に氷を宛てがわれたみたいに、ぞっとして総毛立った。
宮内も、口の端を引きつらせて青い顔をしている。
「ま、まさかぁ」
俺は「もう一度確認してくる」と言って、今度は宮内を事務所に残して式場に走った。
扉を開ける。
やはり、そこには誰もいなかった。
ただ、さっき来た時は間違いなく閉じていたはずの棺の窓が開いていた。
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それから式は通常通り取り行われ、無事に終了した。
結局、モニターには式の間中ずっと棺のそばに立つ女が映し出されていたらしいが、終わる頃にはいつの間にか消えていたという。
作者772
元葬儀屋である私が、実際に見たり聞いたりした話を綴ります。
実話を元にしておりますが、登場する地名、団体名、個人名、登場人物の性別などはすべて架空もしくは仮名であり、事実とは一切関係ありません。
改変・脚色してあります。