登校しなくなって、いや、出来なくなって1カ月が経とうとしていた。
結局あの出来事の後、雪沢からの謝罪は無かった。私はまるでリストラされたサラリーマンかの様に、時間に合わせて家を出るものの、その足でネカフェに行き、ひたすら時間が過ぎるのを待つという生活が続いた。
「今日も来ないのー?」
「具合悪いの?」
と、友達からメールが来ていたが、「バイトがちょっと忙しい」とかなんとか返して、その場をしのいでいた。サボっているようで、騙しているようで、かなり罪悪感はあった。
しかし大学に行こうと思うと、足がすくんで動けなくなっていた。雪沢が、何事も無かったかのように大学に来ていたら…そう考えると怖かった。正直謝罪よりも、視界に映らないほうがずっと安心だった。
この日も午後の講義に行く振りをして、ネカフェに籠った。ほぼ毎日来てるだけあって顔を覚えられたのか、「新刊入ってますよ(^^)」といつもの店員さんが、暇潰しに何となく読んでいた漫画の最新刊を取って置いてくれていた。
軽食も飲み物もあったし、勉強も学校より集中出来たりで、予想に反して居心地良く過ごしていた。掌と膝の擦り傷もすっかり治り、以前と比べると、私は精神的な安定を取り戻しつつあった。
このまま大学辞めちゃおうかな…ここでバイトするとか?掛け持ちすればお金も貯まるだろうし…
でもそしたら、今までの勉強全部無駄になるよな(笑)でもいいか…
退学してフリーター、という考えまで、頭の中でちらつく様になっていた───
ひとしきり勉強を終え、休憩するかと個室を出ようとした時、携帯のバイブが鳴った。
学生課からの着信だった。インターン希望で面談をしたときに、携帯番号を教えていたのを思い出した。また面談か何かの連絡かと思って電話に出たのだが、全く違っていた。
大学に、父親が来ているという連絡だった。
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タクシーがキャンパスの正門に着くと、電話をくれた学生課の職員、田中さん(仮名)が門の前で待っていた。私が来たのを確認すると、後ろで誰かを呼ぶ仕草をして、父を連れてきた。父は、私がタクシーで来た事に驚いた様子だった。
田中さんと、終始無言の父の後に付いて学生課の相談室に向かうと、そこには、メールをくれた友人の麻衣(仮名)と、もう1人の友人の梨花(仮名)が座っていた。
田中さん、父、麻衣、梨花の視線が一斉にこちらを向いていた。麻衣と梨花に関しては、普段明るい彼女達からはあまり想像出来ない、重苦しい表情で私を見ている。
あ…もうダメだ。当然だよね私、騙してたんだし、嘘付いて大学サボって。怒られるんだ。雪沢に突き飛ばされた事、もうバレてるんだろうな。皆軽蔑してるんだ、これから吊し上げられるんだ────
一気に絶望感に襲われ、そう思った。心臓がまたバクバクと鳴り、足元が震えだす。嫌われる。皆に叩かれる…怖い!
消えたい────
私は足の震えを必死に抑えながら、皆に背を向けて来た道を引き返した。
「紗也待って!」
「おい紗也!」
私を呼び止める声を無視して、学生課を出ようとした。しかしその時、前方で「紗也ちゃん!」と声がした。びっくりして顔を上げると、目の前に神田さんが立っていた。
「神田さん…何で…」
「大丈夫よ、心配しないでいいから。勝手な事してごめんなさいね…私がお父様に話したの」
「え…?」
「どこかで見たことあると思ってたら…あなた、娘さんだったのね」
神田さんは、父の勤める会社の同僚だった。
ある時部署全体の飲み会で、大学の入学式の時に撮った写真を父が周りに見せていた事を思い出し、私を見送った後に、娘だと気付いたそうだ。
そして神田さんはてっきり、あの事件の事を私が家族に話していると思っていた。
だから今朝、父に「娘さん具合大丈夫?」と聞いたのだが、怪訝な顔で「うちの娘?何の事?」と言われ、そこで私が誰にも話していないと分かって、私の身に起きた事を打ち明けたのだ。
父は神田さんから事件のいきさつを聞いて、雪沢達を問い詰め謝罪させようと、仕事を切り上げキャンパスに来たそうだ。しかし彼等の姿どころか、娘の姿も見当たらない。
すると麻衣と梨花が私の父が居る事に気付き(私も2人に家族の写真を見せたことがあったから知っていた)、父は2人なら雪沢の居場所を知っているかもと思って聞いた所、私のメールを見せられたそうだ。
父はそこでやっと、私が大学に来ていない事に気付いたという。そして、学生課も交えて、改めて事件の事を話そうと言う事になり、私を呼んだのだ。
麻衣「私、雪沢をぶん殴ってやりたい…だいたい、うちらと学科違うし、話したことも無いから、全く接点無いんです!」
梨花「なんで紗也がこんなことされないとなんないんですか…」
田中「原田(私の名字)さん。神田さんと、お父さんから大方話は聞いて、駅の鉄道警察にも問い合わせて確認を取ったよ、こちら側としても放って置く訳にいかないから、3人に対しては後日然るべき措置を…」
「何処にいるんだよ、そいつは!人んちの娘殺しかけといて!!謝罪もせず隠れてるんだろ!?それに彼女達からも聞いたけど、色々問題行動起こしてたんだろ!?もっと早く対処出来なかったのかよ!!」
田中さんが言い終わるのを遮るように、ずっと黙っていた父が声を荒げた。
「…それに関しては…あの」
「娘は、紗也は…1ヶ月も大学に来れなくなってたんだ…!誰にも言えずに!ずっと…」
そう言った後、父は言葉を詰まらせた。涙声になっていたのが分かった。
私「…お父さん、田中さん責めても解決しないってば…そもそも言わなかった私も悪いんだし…」
麻衣「紗也はなんも悪く無いじゃん、来れなくなって当然だよ…怖いし!」
父「俺はとにかく、まずそいつに謝罪させたい、娘の前で、ちゃんと。何処にいる?連絡先知ってるんだよな、大学なら…!」
父の言葉を聞いて、田中さんの表情が一気に曇った。そして、「それが…警察が身柄を探している最中だそうです…」と。
田中さんが警察から聞いた話では、雪沢は当日かなり泥酔状態にあり、取り調べ出来るような状況ではなかったそうだ。
だから後日改めて、シラフの状態で聴取を行う事になり、一旦家族に引き取って貰う事にしたという。だが、後日警察が家に行くと、迎えに来た祖母らしき女性共々姿を消していたそうだ…
「は…?」
「勿論こちらでも、思い付く限りの方法で連絡取る事になってますから!…」
田中さんは急いで付け足してそう話したが、父は堪忍袋がキレそうな顔になっていた。嵐の前の静けさと言わんばかりの沈黙で、私も、両隣にいた麻衣も梨花も俯くしか無かった。
が、ここで、聞き側に回ってた神田さんが口を開いた。
「あの…いいかしら。…私ね、紗也ちゃんにずっと付き添ってたから、あの3人がどんな聴取されたとか、その後の事とかは、正直よくわからないの…」
「ただ、見たまんまの事を言えば、雪沢君、かなりの泥酔状態だった。あの感じだと、その場で聴取して事情聞き出すのは無理だと思う」
「あとね、ふと不思議に思ったの…あの日、まだホームにはまあまあ人が居たの。泥酔してたら、認識するのは…難しいと思うのね。見つけようとしない限りは」
私「どういうことですか…」
「突き飛ばされたのは、偶然でも不運でも無くて、もし意図的だったとしたらって…紗也ちゃんを見つけて、追ってきたんじゃないかなって…」
梨花「…ストーカーって事ですか!?」
「それはわからないけど…ただ、皆は接点無いって言うけど、雪沢君からしたら、そうじゃないのかもって…」
雪沢が、私の事を知っていた…?最初から狙ってた…?
「雪沢君と一緒にいた2人とは、連絡とれるのかしら。雪沢君の当日の行動を1番知ってるのは、彼等よね…」
「と…取れますよ!」
田中さんが席を立ち、デスクに向かって書類を取り出した。その背中に向かって、父が「ここに呼び出してくれ!すぐに!」と声を飛ばしているのを聞きながら、私はある事を思い出した。
3号館の裏路地の…あの倉庫…
私が通路を覗いていた時、背後に彼が居たのかも知れない─────
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薄暗く細い路地を抜けると、フェンスと雑木林に囲まれた広場が現れた。
その広場の左端あたりに、ちょうどプレハブ小屋サイズの、黒塗りの建物があった。
私が倉庫だと思っていたのは、芸術や演劇系の部が合同出資して作った芝居小屋だった。
来月の文化祭で、映画や映像作品や、劇を上映する為に作られたもので、文化祭当日までここでずっと保管していたそうだ。
「俺のバイト先に…演劇サークルに入ってる奴が居て、そいつから…芝居小屋みたいなの作ってるって話を聞いて…」
「雪沢に話したら…『面白ぇ』って…で、ここの場所教えちゃったんです」
「そんで、3人でここ来て…そしたら、あいつ錠壊して、中に入ってっちゃったんですよ…」
「入ったら…暗幕とか、プロジェクターとかあって…その日は早く出ようって、帰ったんですけど…」
「次の日になって…あいつDVDプレーヤーを持ってきて、また芝居小屋に誘って来たんです…そんでプロジェクターにケーブル繋いだりして…その…な?」
「あ、ああ…レンタルしたDVDを…こっそり見てたんです…あの、AVとか…普通に映画とか…」
男子2人…長屋(仮名)と松田(仮名)が、そう交互に話した。
2人によると、芝居小屋に行く頻度は周1回位だったという。私が覗いた日は、そもそも3人共学校に来てないかったそうだ。更に、事件当日については────
長屋「あの日は…俺たち1日中一緒に居た訳じゃなくて…呼ばれたんです、雪沢から電話で。その時にはもう酔いが回ってる感じでした…」
松田「あいつ、酔うとふざけてランダムに色んな奴に電話するんです…その時も、イタズラ電話みたいに俺んとこに何度も来て…長屋と一緒に駅前に行きました、そしたら…」
2人は雪沢に電話で呼び出されて駅まで行くと、駅前のコンビニの入口で、雪沢が酒瓶片手に座っていたそうだ。2人に気づくなり「家まで送れ」と迫ってきて、以前断ったらキレてプロレス技をかけられた事があったため、仕方無く担いで運んだという。
松田「それから大体30分後でした…ホームまで運んだ時、『気持ち悪りぃ』って言ったんで、とりあえず水飲まそうと思って…俺が自販機行こうと、目を放した一瞬の隙でした…」
長屋「にわかには信じてもらえないと思うんですけど…いきなり凄ぇ力で腕を引き離されて、彼女の方へ走ってったんです…それからの事は…」
そう言い終わると、2人はこないだのように真っ青な顔をして、ポロポロ泣き始めた。
全て聞き終わって、もし今の話が全て本当なら、彼等も雪沢の「餌食」だった事になる。しかも親にも殴られて…
「お前達は…あれか、共犯では無いんだな?信じていいんだな!?」
父がそう言うと、彼等は泣きながら、首を縦に何度も振った。
そして今度は私達の前で「ごめんなさい…申し訳ありませんでした…」と再び土下座をしているのを見て、ひどく可哀想に思えた。しかし、私はあることを確かめなければならなかった───
「悪いんだけど…聞いていいかな?…私が突き飛ばされたこと、雪沢がやったこと…学校で言った?」
長屋「…言ってない…俺達も、次の日から今日まで、学校来てないから…」
私「え…?」
梨花「…うちらが登校したときには、もう噂が広まってたんだよ…私達も、同じサークルの友達から聞いて…」
私「…何も言ってないのに、どこで情報が漏れたの?…あと、いつも雪沢の周りに居た子達は?来てないんでしょ?一体何があったの…?」
松田「ごめん…俺らも全然分かんないんだ…あいつらとは一緒には居たけど、もう前ほど親しくなくて…正直原田さんの事も、こんな事が起こるまで全然知らなかったし…あいつも、雪沢もそうだったと思う」
長屋「そうなんです…彼女とは話したことすら無くて、全然、見ず知らずで…聴取の時に同じ大学の生徒だったって初めて知って…」
2人は、私の方を向いてそう答えた。彼等の言動を見る限り、これは本当なんだと信じた。
麻衣「でもさ、タイミング合いすぎじゃない?突然来なくなるとか。あんたらは別にしても…あいつらが本当の共犯なんじゃないの?だいたいさ…」
「ちょっと静かに!」
神田さんが突然、皆を制止した。
「何か…音聞こえない?」
風でフェンスと木葉が揺れる中、静まった広間に耳を澄ます…
ゴッ…ガサガサ…ゴトッ…という鈍い音が、微かに聞こえた。
「これ…この中じゃん…!!」
麻衣が、目の前の芝居小屋を指差した。確かにこっちの方角から聞こえるのが分かる。
長屋と松田が小屋の入り口に向かい、扉を開けて入って行った…と途端に「うあああああ!」と叫び声を上げた。松田は外に飛び出して、吐きそうとばかりに口を押さえ震えている。
私達が開いた扉の隙間から覗くと、薄暗がりの室内で、倒れている人の姿があった。そしてそれは──
口から泡を吹き、四方八方に、可動域じゃない方向に四肢が投げ出され、仰向けになっている雪沢だった。
作者rano