あれは子供達が、娘が3歳、息子が1歳半の頃のことでした。
当時私は専業主婦であり子供達の世話は全面的に私が一人でしておりました。夫は仕事の後毎日パチンコ屋通い。帰宅は23時近くになります。何度か、子供達の手がかかる間だけでもいいから早く帰宅してくれないかと夫に話したこともありましたが、わかったと返事をするだけで特に変わることなく毎晩遅い帰宅。夫に期待するとよけい腹が立つので夫はいないものと思うことにしようと、私一人で子供達二人の食事やらお風呂をこなしておりました。小さい子供達を見ながら家事をするのは段取りが肝心。子供達の機嫌がいい時やおもちゃに夢中になっている時などを逃さず、片付けや洗濯などを済ませておりました。
そんな、いつもの夜のことでした。
朝、すぐに洗濯物を外に干せるようにと、夜のうちに洗濯機を回してしまいます。洗面所で汚れ物を洗濯機に入れていると、娘が私のそばにきて
「ママ~、玄関にてんぐさんがいるよ?」
と言うのです。玄関の方を覗き込みながら。
家はアパートの為、洗面所と玄関は廊下で続いております。娘は小さな手で私のズボンをギュッと握りながらまた、
「どうして玄関にてんぐさんがいるの?」
と訊きます。
「てんぐさん?玄関に?」
私は娘がふざけているのだろうと思い、軽く笑いながら
「おうちの玄関にてんぐさんがきてるの~?」
と娘に言うと、娘は笑いもせず
「どうしててんぐさんがいるの?」
と言うのです。
その日の何日か前に市内で屋台祭りがあり、その時、厄を払うということで、屋台と一緒に天狗に扮した神社の方が、お祭りに来ている子供達の頭をなでて回るということがありました。娘も天狗さんに頭をなでられ、天狗のお面の怖さに驚き泣いていたことがあったのです。赤い顔に長い鼻という異形の顔。小さい子供から見れば十分に怖い顔です。
そんなことがあったので、頭の中で天狗さんを思い出し、玄関にいるよと、ふざけて私をおどかそうとしたのかなと考えたのですが・・・。
洗面所で洗い終わった洗濯物を洗濯ハンガーにかけていると、また、
「ねぇ、てんぐさんが玄関にいるよ?どうして?」
とくるので、干すのを中断し私も玄関に行ってみました。当然、そこには誰もおりません。いつものように、子供達の靴と私の靴が置いてあるだけ。
「天狗さん、どこにいるの?」
と娘に訊くと、娘は玄関ドアの向かって左側のやや下を指さし、
「あそこ」
と言うのです。
私はしゃがんで娘と同じくらいの高さになり、なにか、天狗さんに見えるようなもの、見間違えてしまうようなものがないか、目をこらして見てみましたが、何もありません。
「ママにはなにも見えないな~」
娘の真剣な顔に対して、あまりいい加減な態度も取りたくないので、ひとまず、ママも確認して、誰もいなかったから大丈夫だよということを教えて、安心させてあげようと考えました。
「誰もいないよ。もしまたいたら、ママに教えてね」
と話し、玄関から洗面所に戻ろうとしました。
その時でした。
1歳半の、まだ言葉も話せない息子がリヴィングからトコトコと歩いてきて、玄関に座りこみ、まさに、娘が指さしたところと同じところを
「あれ~~あれ~~(当時、彼はなんでも、あれ~でした)」
と言い出したのです。
それを見た私は「これは本当に玄関に誰かがいる。子供達には見えて私には見えないなにかがうちの玄関にいる」そう思うと恐怖が全身を走り抜け、急いでリヴィングに戻り携帯電話を手に取り夫に電話をかけました。そして夫に、子供達が二人とも玄関に天狗がいるって言っていること、娘がてんぐさんと表現しているのは、この前みた天狗のイメージが強かったからで、たぶん、天狗がいるわけではなく、なにか怖いモノがいるのではないかと思うこと、言葉が話せない息子まで娘が指したところと同じところを指さしてなにか言っていること、怖くて仕方がないからお願いだから早く帰ってきてほしいことを話しました。
でも、予想はしておりましたが、夫の反応は子供達二人にからかわれているんだということ、相手にするなよということでした。
3歳と1歳半の子供達が母親を怖がらせてやろうと結託して私をからかっている?この人は本気で言っているのか?うちの子供達は天才児か?
「もういい!!」
腹が立った私は、夫を当てにした自分が馬鹿だったんだと思い、子供達二人をリヴィングに入れて、「洗濯物をほしちゃったらお風呂に入ろうね。それまでおもちゃで遊んでてね」と話し、私はまた洗面所に戻りました。
早くお風呂に入って子供達と寝てしまおうと、急いで洗濯物をハンガーのピンチに干しながらふと下を見ると、私の足にピタッと体をくっつけて娘が立っているのです。そして、体を私の体に隠れるようにしながら顔だけのばし玄関を覗き見ているのです。
(うわぁ~まじか・・・)と思いながらも
「・・・どうしたの?」と訊くと、娘は
「玄関にてんぐさんがまだいるかな~と思って」
と言いながら玄関をのぞいています。
「てんぐさん、まだ、いる?」と訊くと娘は
「・・うん、いる」
その、答えを聞いた瞬間。
私の足のつま先から頭のてっぺんまでトリハダがぞわ~~と一騎に駆け上がりました。
息子も歩いてきてまた、玄関でしゃがみこみ、指をさします。私には見えないなにかを子供達が見ている。てんぐさんと表現している何者かはいったいどんな姿なのだ?私には何も見えない。誰もいない。気配すら感じない。でも確実にきっと誰かがいる。トリハダがまた足先から頭のてっぺんまで登ってくる。髪の毛が逆立っているのではないかと思うほどにトリハダが全身を這いあがってくる。子供達を連れてリヴィングへ行くのだ。行け。逃げろ。玄関から逃げろ。でも怖くて足が動かない。泣いてしまいそうだ。だが泣くわけにはいかない。私が泣けば確実に子供達二人とも泣く。
もう限界でした。一人で子供達二人をかばいながらこの後夫が帰ってくるまで三人でいるなんて、もう、怖すぎる。
洗濯物を干すなんでことももう、できる状態ではないので、私と子供達三人、夫が帰ってくるまでリヴィングのソファに座り子供向けのビデオをひたすら見ておりました。
23時過ぎ、やっと夫が帰宅しました。私ははらわたが煮えくり返るほどに怒っておりましたが、そんな私の怒りなどへとも思わない態度でへらへらと笑いながら
「この前天狗さんに頭なでられてびっくりしたから、それを思い出しただけなんだろう」と笑っておりました。この人にはなにを言っても無駄だと思ったので何も話さず、ただ、魔よけ代わりというようないいものでもありませんが、夫がいるのは心強いので、子供達とお風呂に入りその日は寝ました。
その子供達も今では20歳と22歳です。
天狗さん事件(我が家ではそう呼んでいます)のことは二人とも記憶にありません。私は子供の頃からホラーものが大好きで映画や書物など数えきれないくらい観たり読んだりしておりますが、どんなホラー映画やホラー小説よりも、やっぱり、自身で体験した「天狗さん事件」が一番怖いです。
私の影に隠れながら玄関を覗き見ていた娘。そ~っと覗いていた娘。
いったい、あの時、うちの玄関には誰がいたのでしょう
作者anemone