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長編12
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赤子の声

10年来の友人が、1ヵ月程前に引っ越しをした。

それも、都内某主要駅から徒歩15分程の場所にある、築5年のデザイナーズマンションだ。

「1番狭いワンルームだし、そんな高額な家賃じゃないわよ」

とは言うものの…普通のマンションには無い個性の際立つ間取りや壁紙、広いシステムキッチンに宅配ボックスやオートロック完備…おまけに交通アクセスや周囲の環境も良いとくれば、こんな素晴らしい事はない。

「すごく良い部屋だね…一生住めないな、こんなとこ。良いなぁ人気デザイナーは!」

と、思わず本音が出てしまう。

彼女は専門学校生の頃に、その画風やセンスを買われ、卒業後いち早くプロのデザイナーとして稼げるようになった。

私のように、繋ぎの仕事を掛け持ちしながら細々と食いつないでいる人間からすれば、ワンルームと言えどデザイナーズマンションなんて、自慢にしか聞こえない。

それでもこうして友人関係を続けていられるのは、一重に彼女の性格にある。

「流行りの画風とちょうど合わさっただけよ。デザインの世界も流行り廃り激しいから!むしろあなたの描く作品に注目しないなんて、この業界も随分変わってしまったわ」

あなたは自分らしさを貫いて────

それが昔からの、彼女の口癖だった。

その呪文のような言葉を言われ続けた結果…水面下ではあるが、私は諦めずに続けている。

いや…むしろ、彼女が呪文を言い続けてくれなかったら、続けるどころか…中途半端な人間になっていた筈だ。

だから彼女は色々な意味で、私の人生において無くてはならない人間…という感じだ。

「…そう言えば、持ってきてくれた?」

さっきまでの談笑から一変、彼女は改まって私に言った。

「うん…とりあえず持っては来たよ。何事もなければ良いけどね…」

この家に来たのは、単に遊びに来ただけでは無い。私は彼女から、ある事を頼まれていたのだ。

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1週間前の事だ。彼女とは、たまにメールでやり取りをしていたのだが、その日に限って珍しく電話が掛かってきた。

久しぶりの電話とあって何とはなしに出たのだが、出て数秒も経たないうちに急いで耳元からスマホを離した。無理もない…電話口の向こうから聞こえてきたのは、

オギャア…!オギャア…!オギャア…!

と…赤ん坊が、大声で泣き叫ぶ声だったのだ。

「聞こえる…?もう3日もこんな状態なの。お隣の部屋からなんだけど…」

彼女曰く、隣の部屋から1日中赤ん坊の泣き声がしていて…もうかれこれ3日も経つというのだ。

「もしかして育児放棄されてるのかも…家族とかの話し声もあんまりしないし、凄く心配で…もし出来たら、ちょっと力になってくれないかしら…」

自分の部屋のバルコニーから電話を掛けているという彼女は、そう小声で、囁くように私に話した。

私はアマチュアデザイナーの端くれとして活動する傍ら、普段は防犯カメラとかの機器を主に扱う会社で働いている。協力してくれというのは…うちの機器を使って、隣の部屋の子供の状態をこっそり確認したいという事だった。

とは言っても私自身は、たまたま勤め先がそういう所だったというだけで…ただの事務だし、開発に関わっているとかそういう訳ではない。

そもそも扱っている機器がどんな物なのかというのも、そんなに詳しく無かったのだ。

が、状況はあまり傍観出来るものではない。ついこの間も、痛ましい児童虐待死のニュースを見たばかりだ。

とりあえず私は、社内の知り合いのツテを使って機器を借り、彼女に協力することにした。

持ってきたのは、ファイバースコープ型カメラだ。直径5mm程のケーブルの先端にカメラが付いていて、ケーブルを自由自在に曲げながら、細部の様子を映すことが出来る…しかも、パソコンやスマホに繋いで、映像を見れる仕組みだ。

回収も設定も簡単だし、これなら怪しまれる事も無いだろう。

「すごい、これなら中の様子ばっちりだね!…ねえ今更だけど、私もしかして神経質だったかな…考え過ぎかな?」

「そんなことないよ!乳幼児なんでしょう?何かあってからじゃ遅いし…それに、会社の製品扱えるようになりたいしさ!」

貸してくれた社内の知人には、勿論この事は言っていない。「排水口に何かが詰まってしまって、中を確認したいから」という理由でなんとか通したのだ。

彼女はバルコニーの戸をそっと開けると、「ここ」と、小声で私に言った。

外は普通のマンションと同じく、隣のバルコニーを隔てる壁(非常時壊せるやつ)が、大人の背丈より少し高い位置まであり、天井近くに空調機用の排気口が開いていた。

「ここから通すの?」という私の問いかけに、彼女は頷いた。

確かにこの穴の大きさなら、スコープは余裕で入るのだが…問題は私の腕前だ。

大きくため息を付いて呼吸を整え、ケーブルを解く。カメラ機能をオンにして、ケーブルとスマホが連動している事を確認すると、彼女が持ってきた脚立にそっと足を掛けた。

「今日は静かなんだね…そういえば」

「そうなの…でも、だからなのよ。もし赤ちゃんが弱っていたらと思うと…」

彼女の声が、不安に満ちていた…

当然だ。ほぼ3日3晩、赤ん坊の泣き声を聞いていたのだから。

赤ん坊の泣き声が止まない事を、彼女は管理人や不動産屋にも相談していた。

だが、彼らはいわゆる日和見主義で…一応児相にも報告すると言うと、「確証が無いから…」と渋られたそうだ。

なので、彼女は思い切って自ら隣室を訪ねようと考え、毎日朝夕の2回程インターホンを押したそうだが、留守なのか何の反応も無く…

それに1日中とはいえど、ふと気付くと泣き止んでいる時もある為、足踏み状態だった。

だが、心配な彼女は色々と策を考え…結果、自分達でその「確証」とやらを見つけるまでだ…という考えに至ったそうだ。

「いい?スマホ離さないでね…」

私はケーブルを慎重に排気口に入れた。細いケーブルが順調に排気口を通って、やがて室内の天井部分に微かに当たるのが分かった。

「大丈夫…室内に入ったよ…!」

彼女の言葉に安堵し、私はスコープを部屋が見渡せる位置まで下げた。

だが、次の瞬間─────

「…あれ…え!?何これ…!」

彼女が突然、震える声で言った。もしかして操作を誤ったのか?と思っていたら…

「これ…!これ何なの…!」

彼女に差し出されたスマホをの画面を覗くと…そこには、得体の知れない光景が映っていた。

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隣室は、家具1つ無い、ガランとした空間があるだけだった。

ベビーベッドは勿論、おもちゃらしき物も無い…と言うより、誰かが生活している感じが何1つ見当たらなかったのだ。しかし、その代わりに画面に映っていたのは…

壁という壁に貼られた、大小様々なお札だった。

「これ…何…ここの住人がやったの…?」

「わ、わかんない…でもさ…この穴ってエアコン用のなのに、付いてないの…おかしいよね…」

そう。本来ならここに、エアコンの排気ホースが繋がっているはずなのだ…けど、それすら無い。と言う事は…

「もしかして…夜逃げ?」

考えられるのは、それしかなかった。

「管理人に知らせないと…!」

「う、うん…!行ってくる!…えーと、管理人室の番号は───」

その時だった。

オギャア…!オギャア…!

「─────え?」

誰もいないはずの空っぽの部屋から…赤ん坊の声が聞こえてきたのだ。

「…これ?」と聞くと、彼女は震えながら頷いた。

オギャア…!!オギャア…!!!

声はどんどん大きくなる…スマホにはその間も、空っぽの…お札だらけの空間が映し出されているだけだ。なのに…肝心の赤ん坊の姿がどこにも見当たらない。

オギャア…!!!オギャア…!!!

「うっ…!」

突然彼女が呻き声を上げながら、耳を抑えた。体中がカタカタと震え、頬に涙が伝っているのが見える。

オギャア…!!!オギャア…!!!

「楓…それ外して」

「え…」

「いいからカメラ!早く外して!逃げよう!!!」

普段温厚な彼女が、悲鳴ともとれる声で私に言った。それはもう…「身の危険」そのものと言えるような物言いだった。

オギャア…!!!オギャア…!!!オギャア…!!!オギャア…!!!オギャア…!!!

耳をつんざく赤ん坊の声…

「やめて!!!楓…助けて!!!」

急いでカメラを引きずり戻し、スマホと鍵以外の荷物を放って飛び出す様に部屋を出ると、私達はそのまま非常階段口に向かい、脇目もふらずに駆け降りた。

地上階に着くなり、ゼエゼエと息を切らす私達の姿を見た住人が、ギョッとした目で見てきたが…

構わず私達は、管理人室を横切り、マンションを出てある場所へ向かった。

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これと似たような経験が、実は前にもあったのだ。

だが…その時はすぐに消してしまったので…いつの間にか、記憶の片隅に追いやられていた。

「ウソだよね?あれは消えた筈だよね…!?何で!何で消えてないの…!」

10年前…学生だった時の事。

同級生の1人に、オカルト系のサイトを漁るのが趣味の、マリナという子がいた。

マリナと話すと必ずオカルトサイトの話題になって、「昨日見つけたのがめっちゃヤバかった」とかなんとか言って、私達に色々見せてくれたりもしてた。

「99%はフェイクだから大丈夫だって!」といつも言っていたから、私や同級生達も、それを信じて面白半分に話に付き合っていたのだが…ある時突然、マリナが学校に来なくなった。

調子が悪いのか?とか、同級生達で色々心配していたのだけれど、誰も連絡先を交換してなくて、SNSの投稿だけが頼りだった。だがそれも長らく更新しないままで…とうとう成す術がないまま時間が過ぎてしまった。

しかし…それから1か月後。マリナのSNSが更新され、「無事だった!」「生きてた!」と安堵したのもつかの間…そこには平仮名で、

たいじがでてきた 

という謎の文章と、何かの肉塊…よく見ると、人間の胎児のようなものが床に落ちている写真が、投稿されていたのだ。

教室内はパニックになって、すぐマリナと連絡を取るように、皆で先生達に報告した。結果、マリナは無事だったのだが、かなり精神を病んでいて…最終的には学校を辞めてしまった。

その事に皆、モヤモヤとした感覚を抱えていたのだが…結局どうする事も出来ずに、私達は卒業を迎えたのだ。

しかし…卒業から数年経った同窓会で、同級生の1人がマリナのやっていた事を調べたと言ってきて、あるものを見せられたのだ。

私達と連絡が途絶えていた時…マリナはあるオカルトサイトを頻繁に訪れていた。

そのサイトには、「マリアになる方法」という…いわゆる「処女受胎」をする方法が書かれていた。

手順に沿ってある事をし続ければ、子供を授かる事が出来る…という、謎過ぎる「ゲーム」だった。

「多分ふざけてやってハマり過ぎたんじゃないの?マリナがマリアになんてねぇ…」なんて、調べた子が言ったもんだから、その時は私も面白くて笑ってしまったのだが…

家に帰ってサイトを改めて見てみると、不気味な事この上なかった。一見ただのシュミレーションゲームのように見えるが…気持ち悪い程リアリティがあった。そして…

何とはなしに、別の飲み会で彼女にその話をしたら…酔った勢いもあって、彼女はゲームを始めてしまったのだ。

「マリナちゃん、こういうの殆どフェイクだって言ってたじゃない?ただのゲームだよ~」

と、目の前でどんどん進めていく彼女が心配だったものの…フェイクじゃない事に確証が無いのは確かだった。

それに彼女は当時、仕事もなかなか思うようにいかず、彼氏ともあまり良い関係になれてなくて…何か他の事に興味をそらすのに必死だったのだ。

いや…心配なんて嘘だ。

「ねえ、凄いのよこのゲーム!パーソナルデータ入力すると、コンピューターが私の体をシュミレーションしてくれて…ほら!画面に私の体が…なんか妊活してるみたい(笑)」

嬉々としてゲームの進捗を聞かせてくる彼女の事を…本当は、バカみたいって思っていたのだ。

何故なら彼女は、彼との結婚を…家庭を持つ事を望んでいたから。

マリナからあっさりと奪い取った、あの男との未来を。

「何か最近…体の具合がおかしいんだよね。実は、生理が3ヵ月も来てないの…そんな不摂生してる訳じゃないのに…どうしよう」

─────気になるなら、病院に行って診てもらいなよ。

「婦人科で調べて貰ったんだけど、何にも異常無いって…想像妊娠かなぁ~(笑)でも、なんか子宮の辺り、変な感じするの…」

─────それ、もしかしてつわりじゃない?(笑)でも、なんか心配だね…変だよね。

「さっき通知が来たの…『受胎しました』って…何かエコー写真みたいなのも載ってる…何これどうしよう…怖い!」

───自分で言ってたじゃん、こんなのただのゲームだって。嫌だったら、全部削除しなよ─────

「楓!消去出来たよ…!怖いゲームだったな…凄いリアルなんだもの。妊娠するって、こんな感じなのかな…」

ずっと前から分かっていた。

マリナがおかしくなったのは、あの男が作ったこのゲームと…そして、この女が原因だという事を。

そしてマリナがあの時、本当に子供を宿していたという事を。彼女が奪った、男との子供を…

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着いたのは、デザイナーズマンションとは真逆の、かなり年季の入ったアパートの一室…私の住む部屋だ。

「ここ…楓の家?」

彼女は不思議そうに部屋を見渡した。無理もない。

私の部屋には、最小限の服しか置いていなかったのだから。

「ちょっと殺風景かもしれないけどさ…とりあえず今日はここで過ごして?戻るの嫌でしょ…?」

「え…良いの?ありがとう…でも、着替えとか、仕事の荷物とか…」

「今から戻って、持ってきてあげるから。カメラも未回収だし…鍵貸して?とりあえず待っててよ」

「や、やだ楓…1人にしないで!」

「あんな広いとこに1人で暮らしてるのに、1人にしないでって何だよ(笑)大丈夫!もう声しないでしょ?ね!」

「だってあんな…あんな事が起きるなんて…!怖いよ、楓は怖くなかったの?」

「全然怖くないよ?て言うかむしろ…お前のその、腑抜けた顔の方がもっと怖いわ」

「─────えっ…楓?待っ─────」

バタン…!!!

目を合わす事無く、扉を閉めた。

すぐにタクシーを呼んで、急ぎ家へと戻る。

ポケットに財布を入れっ放しにしといて良かった。

近所とは言えど、タクシーを使うとまあまあ掛かる距離だったから。

「あら、田坂さん…ごきげんよう。さっきはどうしたの?女性と一緒に…すごい勢いで降りてきたそうじゃない…何かあったのかしら?」

「管理人さんこんにちは!あ~ちょっと…洗濯物落としちゃって…(笑)お騒がせしてすみません」

「あらまあ大丈夫…?何かあったらいつでも言って頂戴ね」

「もう回収したので大丈夫です、ありがとうございます!」

「そう言えば…あなたの隣に越してきた女性…お名前なんて言ったかしら?エントランスに名前書いておかないと…」

「あ…その事なんですけど…彼女は私の『知人』なんです。なんかお子さん産まれるみたいで…引っ越してすぐだけど、もう引き払うって」

「あらまあ!そうなの~里帰りってことかしら?」

「詳しくは分からないですけど…そうらしいです、で、これ…退室届を代わりに持ってきたんですけど…あとこれ、鍵も」

「まあ代理で持ってきてくれたのね?分かったわ、預かるわね…ありがとう」

「よろしくお願いします」

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我ながら上手く描けたな…このお札。それに、子供の泣き声も…違和感無く編集出来たし。

お札が壁に、べったり貼り付き過ぎたのだけは想定外だったけど…思いっきり剥がすのは快感だ。

カメラも回収済み。あとは業者に電話して、家具を運んで貰って、あと買い換えたエアコンも設置して貰って…ああ、隣の荷物は適当に処分すれば良いか…

あのアパートは、今は誰も住んでいない…廃アパートだ。外から鍵を操作しないと、中からは開かない…そんな仕掛けにしておいたんだ。

マリナが昔…男との子供を流産してしまった場所…

僕の大事な親友…いや、僕の大切な妻…マリナが。

「楓君のデザイン、私好きなんだ~!このセンスなら、絶対食っていけるって!」

自分らしさを貫いて───最初に私にそう言ってくれたのは、あの女じゃない。マリナだ。

「ねえ、クラスにさ…プロにスカウトされた子いるじゃん?あの子の画風、楓にそっくりだよ?盗作だよ…!

僕の画風を、そして妻から大事なものを奪った女。

…なんて言っても無駄か。だって何の悪意もないんだもんね?

「悪気は無かったの…仕方無かったの…助けて」

それで許されてきたお前には、何も響かないんだろうな、きっと。

ならばせめて、その暗がりで生きれば良い。

プルルル…プルルル…

「もしもし楓君?1週間の出張お疲れ様!こっちもね、明後日退院出来るよ?やっと帰れるよ~」

「マリナ、そうか良かった!酷いつわりと、産後の肥立ちが悪い中、1ヵ月も良く頑張ったね…!」

「ほんと大変だったよ~!明後日、迎えに来てくれるよね?」

「勿論だよ!…ねえマリナ?」

「うん?」

「もう心配無いからね?大丈夫…誰にも奪わせないから」

「ふふっ(笑)どうしたの~楓君、私が入院中、1人で寂しかった?」

「まあ、そんなところだよ(笑)マナは側にいるの?声が聞きたいな…」

「もちろん!…よいしょっと、マナ、ほーらパパに『こんにちは』って…」

オギャア…!

Concrete
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