彰さんが小学校のころ、いわゆる金持ちの同級生の家に遊びに行った。
その友人宅を訪れたのは初めてのことであり、閑静な住宅街のなかにあるひときわ大きくモダンな邸宅に、団地住まいの自分とはずいぶん違う様式だと感じたそうだ。
一緒に行った二、三人の同級生でも持て余すような菓子を家政婦がならべ、皆で驚きつつ遊んでいると彰さんは用を足したくなった。
トイレの位置を訊いたのだが、例の友人は何やら遊びの最中だったらしく手が離せない。階を上がって廊下のどこそこを曲がれと指示された。
彰さんは言われたとおりにトイレを目指す。広い廊下に迷いそうになったが、トイレの場所は判った。
無事用を足して部屋に戻ろうとすると。
廊下の途中に、彰さんが通るのを待っていたかのような妙齢の婦人が立っていた。
テレビで観る女優のようにきれいな顔立ちである。
彼女は彰さんを見るなり、わざわざ顔を覗きこむ。
彰さんがたじろいでいると
《あんただけ仲間はずれだ》
と言った。
距離が近くなった瞬間、なにとは判らない不思議な香りがしたそうだ。
面食らったが、彼女はさっさと彰さんの進行方向と別へ向かってしまった。
菓子を用意してくれた家政婦とは別の人間だったが、何人もいるのだろうと考え、何とはなしに口にしそびれた。
本題はそれから十五年ほど後のことになる。
その時その場にいた友人たち同士は長じても大変仲がよかったのだが、彰さんだけがグループを外れた形になっていたという。
別段理由があった訳ではないが、成長するにつれ交遊関係も変化してしまい、例の家の友人が何やら非行まがいのことをしている噂が耳に入っていたのも大きかった。
ある夏、その友人の訃報を聞く。交通事故であった。
免許がない状態で親の車に乗り、速度超過をしていたらしい。アルコールが入っていたとも聞いた。
同乗し、一緒に亡くなった者にはあの時遊んでいた彰さん以外の全員と、彰さんの知らない同世代の男性の名前が一人だけあった。
《仲間はずれだ》
というのは、迫りつつある運命から自分を守ってくれたのか。
それとも、彼女が用意した悪しき運命に自分は不要だとされたのか。
そもそも、彼女は存在したのか。
いま思い返せば、あのとき彼女から感じた香りは
《線香》
のそれだったという。
作者退会会員