俺がまだ都内のアパレル会社で働いていた頃の話。
俺が入社して一年位経った頃。
会社の近所の小学校の体育館でバスケをする事になった。
CG課の久保さんという人が中心になり、毎週金曜の19時から21時まで地区に申請を出し予約をとった。
予約係は当然のように俺だった。
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うちの会社は体育会系である。
バスケ経験者を始め、身体を動かしたい連中が沢山いた。
俺も部活でのバスケ経験はないが、スラムダンクど真ん中世代である。
そつなく、楽しくプレイを。
と思っていたのだが…
「お前、レイアップ上手いな。バスケやってた?」
久保さんが話掛けてきた。
CG課とは業務での絡みは殆どなく、ほぼ初めての会話だった。
「いや、やってないです。でもスラムダンク読んでましたから。置いてくるって。」
「ああ、なるほど。ドリブルもまあまあだな。
で、お前のボール持ってない時の動きなんだけど…」
その日から毎週、久保さんの指導が始まった。
ちなみに俺は久保さんほど男前で格好いい人を見た事がない。
身長は190cmもあり、顔はTOKIOの長瀬智也にそっくりである。あれを更にワイルドにした感じだ。
仕事に関しても、「うちのTシャツの売上は久保のグラフィックに掛かっている」と言われる程だった。
正に男が憧れる男の権化である。
男前を見ると無駄に対抗心を燃やす俺だが、このレベルになると嫉妬すら起きない。
そんな久保さんに何故か気に入られた俺は、よく飲みに連れて行かれた。
そして会話はほぼバスケの話だった。
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偶然なのだが、俺の課には久保さんの高校の同級生がいた。
名前を荒木さんという。
さらには荒木さんも同じくバスケ部だった。
同じ会社に入ったのも全くの偶然で、入社時期もバラバラ。
前に務めていたデザイン事務所を辞めて入ったら、荒木さんが居たのでお互い驚いたらしい。
この荒木さんだが久保さんとは正反対で鶏ガラのような肉体を持ち、性格も陰湿極まりなく俺の人生において嫌いな人間トップ3に収まる程の男である。
そして俺の上司でもあった。
彼の嫌な上司エピソードを挙げていくときりがなく、俺の心もギスギスするので割愛させて頂くが、
簡単に言うと「俺の手柄は俺のもの。お前の手柄も俺のもの。」といったジャイアニズム精神を地で行く人だった。
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ある日、荒木さんもバスケに来る事になった。
Tシャツと短パンに着替えた俺達を嘲笑うかのように荒木さんは、やけに深いVネックのTシャツに、ピッタリとしたジーンズという会社と同じ服装で現れた。
まるでティム・バートン映画からそのまま出て来たかのような風貌に俺達は戦慄する。
足下だけは、わざわざ実家に取りに行ったのだろうか、使い込まれたバッシュを履いていた。
逆に痛々しい。
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鶏ガラとはいえ元バスケ部である。
まるで往年のレジー・ミラーのような狡猾な3Pシューターのプレイに俺達は魅せられ、言葉を失った。
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なんて事は当然なく、鶏ガラはやはり出枯らしであった。
随所に経験者らしい動きは見せるのだが、如何せんふにゃふにゃしていて頼りない。
手を拡げてディフェンスをする様は、さながら稲刈りの終わった田んぼに残された案山子であった。
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「ほんとに同じ部活だったんですか?」
俺の問いに
「一応な。万年補欠だったけど。」
久保さんが答える。
「それでも3年間辞めなかったし、悪い奴じゃなかったんだけどな。」
変わってしまったという事だろうか。
「じゃあその頃に戻るように言ってくださいよ。
友達だったんでしょ?」
「いや、友達ではなかった。」
久保さんは即答した。
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やっぱり。
腐った性根を見せる程の仲じゃなかっただけか。
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荒木さんは昔を思い出してきたのか、次第にプレイに熱が入ってくるのだが、身に纏うものはスキニージーンズである。
腰を落とそうにも落とせないのだろう。
中途半端な位置にある腰と小刻みに動く足はまるで虫のようで甚だ不気味であった。
そんな虫が割と真剣に迫って来るので気持ち悪い事この上ない。
体育館は笑えない雰囲気と床を擦るバッシュの音で満たされた。
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そんななか、ルーズボールを追い鶏ガラがコート外に飛び出した。
会社では見る事のないひたむきな姿に、俺は少し感動を覚える。
事もなく、勢い余って開けっ放しの器具庫に突っ込んで行くゴラムを冷ややかに見送った。
結構な速度で突っ込んで行ったので多少心配したが、特に派手な音もしなかったので俺達は彼が洞窟から出て来るのを待った。
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が、出て来ない。
捻挫でもしたのか、それとも指輪でも見つけたのだろうか。
痺れを切らした大吾さんが様子を見に行く。
「あれ、荒木さん?どこ行った?」
器具庫から素っ頓狂な声が聞こえる。
なんのこっちゃと思いながら見に行くと、荒木さんの姿は無く床にはボールが転がっていた。
あれ?ほんとに居ない。
電気を点けて皆で探したが、何処にもいない。
隠れるような所も、落ちるような穴もなかった。
すると突然体育館の入口が開き、荒木さんが外から現れた。
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「The magic is with in you.」
引田天功ばりのイリュージョンを見せた荒木さんはそんな台詞を言う事もなく、ぼんやりした顔で体育館に入って来た。
何処行ってた?
どうやって?
皆からの疑問に荒木さんは
「器具庫に飛び込んだら真っ暗で。
ぶつかると思って目を閉じて、開いたら外にいた。」
と説明する気も無いような説明をした。
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なんだこいつ。
見た目だけじゃなく、本当に宇宙人だったのか。
外にお迎え来てるぞ。
帰れよ、母星に。
狐につままれた様な気分になり、薄ら寒いものを皆が感じるなか、久保さんだけがひとり笑っていた。
聞くと高校生の時にも同じような事があったらしい。
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なんでも
試合が終わった後で皆がバスに向かう途中、荒木さんは「トイレ行って来るから。」と皆の前でトイレに入った。
皆でそのまま真っ直ぐバスに乗り込むと、中に荒木さんが既に乗っていたそうである。
「トイレから出ると誰もいなかった。
急いでバスまで来たが誰も居ない。どうしようかと思っていると皆が乗り込んで来た。」
との事だった。
久保さん達は荒木さんがトイレに入った後、すぐにバスに着いた。
別に急いだわけじゃないが、誰にも合わずに追い越してバスに乗る事は時間的に不可能だ。
これはワープだ。荒木がワープした。
と皆で盛り上がったらしい。
「お前まだ出来んのか。」
と久保さんは笑った。
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荒木さんは照れたのか、はにかんだ笑みを見せた。
その姿はとてもじゃないが正視出来ないほど気持ちが悪く、先程とは違う種類の悪寒を感じた俺達は早々に解散する事にした。
殆どの面子が会社に戻ったが、荒木さんはいつもと同じように「お疲れ様」とも言わずに直帰した。
ちょっとイラッとした。
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会社に戻った俺達は先程のワープについて熱い議論を交わすはずだったのだが、
当の本人も帰ってしまったし、そもそもあいつがワープしたからってなんだっていうんだ。
なんだあのリアクション。気持ち悪い。
大体なんであの服で来たんだ。
それにしても元バスケ部とは思えない位下手だった。
等といったワープ以外の内容に終始してしまい、なんとなくこの件は有耶無耶になった。
高校生の久保さん達も同じだったのだろう。
なんかわざわざ掘り下げなくてもいいか。
という気分になってしまうのだ。
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このしょぼいワープ事件からしばらく経った頃、荒木さんはまたも俺達の前から姿を消した。
そして、今度は二度と俺達の前に姿を現す事は無かった。
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荒木さんがいくつかの業者からキックバックを貰っている事が発覚したのである。
内部告発なのか業者が口を滑らしたのかは知らないが、当然社内は大騒ぎになった。
言われてみると思い当たる節がいくつかあったのだが、入社して日の浅い俺は「そういうものか」と特に気に留めていなかったので、事のあらましを聞い時は荒木さんに本気で殺意を覚えた。
今だったら問答無用で懲戒免職。場合によっては告訴もあり得る内容だが、当時は今ほどコンプライアンスが整備されていなかった。
曲がりなりにも荒木さんは実績もあるし、処分は内々で。
部署異動と降格は免れないが、クビにはならないだろう。
といった声が囁かれるなか、荒木さんは昼食を食べに行ったっきり姿を消した。
携帯と財布は持って出たが、お気に入りのDiorのバッグをはじめ私物は置いたままであった。
結局そのまま連絡も取れず、3ヶ月程で本人不在のまま退職となった。
昔の伝手を当たって久保さんが実家に連絡をしてくれたそうだが、そちらにも帰っていなかったらしい。
内容を聞いたご両親は大変驚いたそうだが、事が事だけに、「ご迷惑を掛けて申し訳ありません。あとはこちらでなんとかします。」と言ったっきり以降連絡はなかった。
荒木さんが何処に行ったのかは誰も知らない。
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社長の逆鱗に触れて消されたか。
実はもっとヤバイ案件の発覚を恐れて逃亡したか。
死んでしまったのでは。
等と社内では様々な噂が流れたが、あの時バスケをしていた連中は皆
「またワープしたんだ…」
と信じてやまなかった。
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もしかしたら昼食から戻った後、誰も居ない会社でまだ仕事をしているのかもしれない。
今もこの机で。
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何はともあれ、残された俺の課は大変だった。
ほぼ荒木さんの独裁治外法権だった課は、管理徹底の名の下、部長の管理下に置かれる事になった。
新しく中村さんが課長に昇進し、俺達は再スタートを切った。
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荒木さんのワープから暫くした後、久保さんも退職する事になった。
別に何かやらかした訳ではない。
なんでもN.Yにいる友人が立ち上げたブランドを手伝う事になったらしい。
退職の理由すらなんか格好いい。
社内一の男前の退社である。
盛大な送別会及び壮行会が催される予定だったが、久保さんはCG課だけでこじんまりやります。と、これを固辞した。
何故か俺も誘われたが断ることにした。
CG課の連中の方が寂しいだろうし、話したい事も沢山あるだろう。
そもそも久保さんとはバスケの話しかしてない。
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最終日に久保さんはわざわざ俺の席までやって来た。
「じゃあ、帰るわ。元気でな。」
「お疲れ様です。お世話になりました。
久保さんもお元気で。」
「お前、アウトサイドのシュート練習しとけよ。
あと左手のドリブルも。」
最後までバスケの話か。
久保さん居なくなってもやるのかな。
「やっときます。でも久保さん居なくなるとスクリーンかけてくれる人居なくなっちゃいますね。」
「俺が居なくなっても誰かやってくれるよ。
会社もおんなじだ。俺が辞めても代わりがいる。
下も育って来てるしな。」
そういうものか。
久保さんが言うならそうなのだろう。
「寂しくなりますね。」
「なんだよ。気持ち悪りいな。」
失礼な。
「あ、あと俺が使ってた椅子な、お前にやるから使え。CGの奴らには言ってあるから後で取りに行けよ。」
え?あの椅子くれんの?
久保さんの椅子はやたら高いやつだ。
ずっと座りっ放しの仕事だからいい椅子を、と社長に言って買って貰ったやつだ。
「いいんですか?皆怒りません?」
「いいんだよ、俺の私物だし。
お前にはバスケしか教えなかったからな。餞別だ。」
「ありがとうございます。シュート練習真面目にやります。」
「いや、仕事しろよ。」
俺の言葉に久保さんは笑って帰っていった。
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こうして俺は分不相応な椅子を手に入れた。
中村課長からは昇進祝いに俺に寄越せ、と散々絡まれたが全部無視した。
久保さんが居なくなった後、バスケは多少下火になった。
が、訓告を受けたのかCG課の連中が張り切って仕切ることになった。
体育館の予約は相変わらず俺がやった。
なんでだよ、自分らでやれよな。
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それから随分経って、俺が退職する一年程前だろうか。
久保さんがひょっこり会社に顔を出した。
女子社員がキャーキャー言っていたのでなかなか近寄れなかったのだが、俺に気付いた久保さんが席にやって来た。
「久しぶり。なんだ、まだいたのか。」
「残念ながら、まだいました。」
相変わらず男前である。ワイルドさが増したように見える。
「あれ?お前異動したの?」
俺は異動までの顛末を話す。
「そうか、大変だったな。
でも部長の下だろ?上手くやってるか?」
「リバウンドばっかり取らされてますよ。無茶なシュートばっか撃つからあの人。」
「変わんねえな、お前も部長も。」
そう言って久保さんは笑った。
「あの椅子どうした?壊れたか?」
俺が貰った椅子に座ってない事に気付いた久保さんに答える。
「異動の時に民生くんに上げました。」
「民生に?そうか、大事に使えって言っとけ。」
何かを察したように言う久保さんに、解りましたと伝え俺は仕事に戻った。
受継いで欲しい意思も教えもないが、なんとなく民生が使えばいいと思って渡したのだ。
大事に使ってくれるといい。
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が、その椅子にはいつの間にか中村課長が座っていた。
取るなよ。そして簡単に渡すなよ。
作者Kか H