「幽霊とかいると思うか?」
運転をしていた増田が助手席の僕に聞いた。
「僕は信じるよ。昔からそういう類の話好きだし」
「好きなのと信じるのは関係ないと思うけどな」
後ろの席の三井が薄ら笑いを浮かべながら僕に言った。三井は人の揚げ足を取るのが趣味のような奴である。
「…まあ、ともかくこれからいく廃墟はマジで出るらしいぞ。俺の彼女が何年か前、実際行ったんだが、白い服を着た女を見たらしい」
三井がふひひと笑って、
「それ鏡に映った自分とかじゃなくて?」
と言った。
「死ねよ、お前」
増田が吐き捨てるように言う。
僕らは小中学校の同級生で、それ以降の進路はばらばらだけど、いまだに三人で集まって遊ぶ仲である。僕と三井は別々の大学だが、どちらも首都圏に住んでいるので時々ご飯を食べに行ったりする。増田はお父さんが建設会社の社長をしていて、そこで大工として働いている。夏は毎年三人で集まって旅行に行くことになっており、今年は僕の発案で有名な廃墟に行くことになった。
外は真っ暗闇。辺りは木ばかりで、なんとも不気味である。
「お、あれか?」
増田の言葉に前を向くと、うっすらと姿を現したのはこれまた不気味な扉である。どうやらあそこが建物の入り口らしい。
「おい、ここって館山病院っていうらしいぜ。なんでも医者が頭がおかしくなって、入院してた患者と夜勤の看護師を全員殺しちゃったらしい」
三井がスマホを見ながら得意げに言う。
「あれ? それ僕言わなかったっけ?」
三井はすっとぼけた顔でそうだっけ、と言った。こいつの場合僕をからかってるのか、それとも忘れているのか――判別がつかない。
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やがて病院に到着して僕は車を降りた。
そして病院を見上げる。見たところ四階建ての病院らしい。外壁は薄汚れており、窓ガラスの何枚かは割れている。
「うわー、いかにもってとこだな」
いつの間にか僕の横にいた三井が緊張感のない口調で言う。
「なあ、ネットで見たんだけど廃墟ってホームレスとかがいて襲われる可能性あるらしいぞ。だから俺一応バット持っていくわ」
増田がトランクを漁りながら言う。
「いいね」
三井と僕の言葉が重なった。
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病院内に入るとまず受付があった。その受付の反対側にソファが一つ置かれている。それから少し進むと壁に突き当たって、左右二手に廊下が分かれている。
僕たちは恐る恐る受付の中をのぞく。僕は手に持ったスマホで部屋の中をくまなく照らした
「…特に何もないな」
三井がぽつりと呟く。そして、
「なあ、右と左どっちに行く?」
と言った。
「まずは何があるのか見てみようぜ」
増田はそう言い、威勢よく前に進んだ。大工をしてるせいか、前田の体はがっちりとしており、こういうときに大変心の支えになる。幽霊に肉体攻撃が効くとは思えないが。
「埃っぽいな」
三井は二回咳をした。たしか三井は喘息持ちである。
「右には男性トイレと女性トイレ――左には階段とその先に部屋がいくつかあるっぽいぞ」
先に進んでいた増田がこちらを振り向きながら言う。
「やっぱ怪談の定番と言えばトイレじゃないかな」
僕が言うと、三井がだな、と同調した。
がたり。
突然の物音に僕たち三人はびくりとした。それは階段の方から聞こえてきた。
「今の聞こえた?」
三井はおびえた顔で僕に尋ねた。
「き、聞こえた」
今日は特に風が吹いていない。だから物が倒れたとかそういう可能性は低い。
「予定変更しよう。俺が先頭に立つから後ろからライトで照らしてくれ」
増田はそう言って、階段の方へ歩き始めた。
ゆっくり、ゆっくりと、進んでいく。
僕たちの息遣いと虫の鳴き声以外の音はなかった。動悸が早くなって、汗が頬を伝った。温度的には蒸し暑いが、体の中は異常なまでに冷たい。
増田が階段の手前で立ち止まる。
「よし、いっせのーで行くぞ」
増田の掛け声とともに三人で階段の前に立つ。
「うわあ!」
三井が叫んだ。
白い服を着た長髪の女が踊り場に佇んでいた。女の顔は暗闇に染まって見えない。僕が照らそうとライトを向けようとした瞬間、逃げるように階段を駆け上がっていった。
三井はガタガタと震え、うめき声のようなものを漏らしていた。
「だ、大丈夫? 三井」
僕が語り掛けると、三井は震えながら頷いた。顔が真っ青である。
「よし、いくぞ」
増田が階段を一歩上がった。
「待ってよ。三井を見てみてよ。真っ青だよ?」
「じゃあここまで来たのに帰るのかよ。お、俺はあいつを追うぞ…」
「…だ、大丈夫だ。お、俺も幽霊をもう一回見たい」
普段、調子づいている奴がこうも怯えるとなんだかこっちまで不安になってくる。なんだか取り返しのつかないことに足を踏み入れている気分だ。
「む、無理しないでね」
僕がそういうと三井は無理やり作ったような笑みを浮かべた。
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二階はどうやら入院患者の病室らしい。部屋がずらりと並んでいる。
「あ、あいつはどこに行った…」
増田の声は震えている。そりゃそうだ。僕だって本当なら逃げ出したい。
顔は見えなかったけど、あれがこの世の者ではないことだけは分かった。何より肌が白すぎる。思い出しただけでも恐ろしい。
「お、おいあれ」
三井が指さした方向を見る。
そこの病室だけ扉が開いていた。明らかに不自然である。
「行ってみるか…」
虫の鳴き声がひどく遠くに聞こえる。まるでこの空間だけ現実世界から隔離されているようだ。
部屋を恐る恐る覗く。三井が急いで自分の口を押えた。
――何か居る。
一人部屋だろうか――あまり広い部屋ではない。入ってすぐ手前のところにトイレのマークが書かれた扉があり、カーテンが部屋を半分に割るようにしてかけられていた。そしてそのカーテンの先に――人影があった。
女だ。
僕たち三人は目を合わせ、同時に頷いた。
増田がバットを構えながら徐にその影へ近づいていく。
そしてバットを振り上げ、その影目掛けて――振り下ろした。
どしゃり。
鈍い音がした。
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「これ本当に幽霊かよ」
三井が恐る恐るそれを覗いた。
「いや幽霊じゃなかったらこんなところでなにしたんだよ。それに見てみろ、この肌。白すぎるだろ」
増田がそれを指さす。
「アルビノって可能性も…」
「いやそういう白さじゃない。これはなんというか――真っ白だ」
僕は三井の言葉を遮った。
うぅとうめき声が聞こえた。僕たちは一斉にそれに目を向けた。
ベットに縛られたそれが目を開いて、僕たちを見渡す。
そして。
叫んだ。
「…うっせー。なんかデスボイスみてえだな」
三井は元気を取り戻したのか増田の肩をぽんぽんと叩きながら言った。
「こうしてみると大したことねえな」
増田がバットを摩りながら言う。
「幽霊の血って僕たちと一緒で赤いんだね」
幽霊は増田に殴らたせいで頭から血を流していた。
ぱしゃりという音がして、部屋全体が一瞬照らされた。
「…おい、見てみろよ――写真にうつらねえ…」
三井のスマホを覗くと、そこにはベットと不自然に紐が浮いているだけであった。
「こりゃあ、幽霊確定だな」
増田がにやにやしながら言う。
僕はさっき増田の車から持ってきた工具箱から+ドライバーを取り出した。
「何してんの」
三井が怪訝そうな顔で僕を見る。
「ちょっと見てて…」
僕は幽霊の太ももに+ドライバーを突き立てた。
幽霊が悲痛な叫び声を上げる。
「俺にもやらせてくれ」
増田が+ドライバーを抜き取り、その横に刺した。また幽霊が悲鳴を上げる。
「+ドライバーってぷすって感じで刺さるんだな」
増田が感心したように頷く。
「なあなあ、あそこってどうなってんのかな」
三井がいやらしい笑みを浮かべながら言った。それだけであそこがどこを指しているか分かる。
「いや俺もそれ気になってた。こいつ体エロいんだよな」
増田はそう言いながらベルトを外す。
「増田…まさか」
僕が言うと、いいだろと増田は答えた。
「最近彼女ともご無沙汰なんだ」
いや、まあ、別に構わないんだけど――なんで僕がお前と幽霊の性行為を見なければいけないのだろう。
「なあ、お前がヤってる間俺たちは勝手に幽霊のこといじってていいか?」
「いじるってなにするんだよ」
「いや、普通人間にはできないことをする」
「――そうだよ。増田は好き勝手やってていいから僕たちも好き勝手やらせてよ」
「いいけど、俺とこいつがしてる間は顔だけにしてくれよ?」
アイアイサーと三井は敬礼した。
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幽霊は増田が腰を振る度にあぐあぐと変な声を漏らす。
僕と三井は、どうするか相談した。
「まずは歯を抜いてみよう」
僕が提案すると、三井はいいねと言った。
僕は工具箱からペンチを取り出すと、半開きになっている幽霊の口の中に無理やりねじ込んだ。ペンチと歯がぶつかるとごつという嫌な感触が手に伝わってくる。
「三井どこの歯を抜くか選んでよ」
「やっぱ奥歯だろ」
「了解」
僕はペンチをさらに奥に突っ込み、奥歯を挟んだ。幽霊が首を横に振るが、ペンチは奥歯をがっちり挟んだまま離さない。
僕は思い切りペンチを引っ張った。
ぶち――という音がした。幽霊がまた叫ぶ。
取り出された歯はよごれていて、汚い。歯の下の方には小さな肉片のようなものがこびりついていた。
「うええ、ばっちいな」
三井がわざとらしく舌を出す。
僕はそれを床に投げ捨てた。
「なあ、俺にペンチ貸してくれ」
僕がペンチを手渡すと、三井はそれではオペを始める、と顔に似合わぬことを言い出した。
「三井じゃ医者は無理でしょ」
僕の言葉を無視して三井はペンチを幽霊の前歯の上の歯茎に押し当てた。そしてそのままペンチを開いたり閉じたりした。
ぐぎゃああ――と幽霊が声を上げる。
「ほら見てみろよ、歯茎クソきたねえのに中は真っ赤で新鮮だぜ」
「お前ら悪趣味だな」
「幽霊をいいことにレイプしてるやつに言われたくねえよ」
増田は違いねえと言って笑った。
「先生、この患者うるさいので喉を切ったらどうでしょうか」
「うん、それはいい案だね助手君。早速ハサミ持ってきて」
「増田、喉切ってもいい?」
「…あ? ああ。構わんよ。こいつあぐあぐ言ってるだけで全然喘がねえし」
僕は幽霊の喉にハサミを閉じたまま突き刺し、手で開こうとした。
「硬…これ両手使わなきゃ無理だ。人の肌って案外硬いんだね」
僕は両手を使ってハサミを開く。割れ目ができて、血がどばっと出てきた。
ひゅう、ひゅう――と空気が漏れる音がする。
「ぎゃははははは、お前風船みたいだねえ!」
三井が愉快そうに笑う。
「おい増田四個目の穴ができたぞ!」
「おう、あとでそこにも突っ込むわ」
幽霊が僕と三井を睨みつけた。
「んだこいつ…まだそんなことする余裕があるのかよ」
三井は舌打ちすると刃が平べったくなっている棒状のヤスリを工具箱から取り出した。大体何をするのか予想がつく。
三井は幽霊の涙袋を二本の指で引っ張って、そのまま押さえておき、慎重に目玉の下の方にヤスリを差し込んでいった。
ひゅう。ひゅう。
幽霊は下手に動くと眼球を傷つけると思ったのかただ怯えた顔で天井を見つめている。
「幽霊なのに恐怖があるのかな」
「そりゃあ、前は生身の人間だったからな」
三井が『作業』しながら言う。器用だな、と思う。
三井はヤスリを適度に差し込むと、てこの原理を利用して目玉をくり抜いた。漫画だったらきっと『ぐりん』という効果音がでるのだろう。右玉がすぽんと抜けて、垂れ下がった。何もない目の中から赤い線が伸びていて、それが眼球と繋がっている。
「うわあ、グロ~」
「ホステルって映画でもこんなシーンあったよな」
三井がにひひと笑いながら、その赤い線を指でなぞった。
ひゅう。ひゅう。ひゅう。ひゅう。ひゅう。
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「足の断面てこうなってるんだ。ゲームでしか見たことなかったよ」
「気持ち悪ぃなあ」
事を終えた増田がふぅふぅと息を混じらせながら言う。
「おい、あれ見てみろ」
三井が指さした方に視線を向ける。
仕切られたカーテンの向こう。そこに子供の人影があった。
ひゅう。ひゅう。ひゅう。ひゅう。ひゅう。ひゅう。
幽霊が暴れだす。
僕たち三人は顔を見合わせ、にやりと笑った。
作者なりそこない