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中編3
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夜釣り

翌日、仕事が休みだった俺は一人、夜釣りをしに海にきていた。

予報は晴れだったのに、月も星も雲に隠れて海は夜の闇に沈んでいるかのようだった。

背後にある街灯のおかげで釣り人が立っている処は闇に困ることはなかった。

魚は釣れない。

「今日はダメだな」

隣にいた先客がそう独言て帰り支度を始めた。

去り際に俺に向かって

「あんたも今日は諦めて、早いとこ引き揚げた方がいいよ」

そう言った。そしてさらに耳元でささやいた。

「奴が見える時は長居しない方がいい。日付けが変わる前に帰れ」

俺は先客に視線を向けた。だが暗がりの中、相手の表情までは見えない。

誰のことを言っているのか尋ねようとしたが、その人は急ぎ早に行ってしまった。

辺りを見渡すと、他に数人いた釣り人もいつの間にか帰ったらしい。残っているのは俺とずっと離れた処にいる一人だけだった。先客が言った奴とはその離れた処にいる人のことなのか…

よくわからないが、薄気味悪くなった俺は釣り道具を片付けた。

背後の道路に寄せて停めておいた車に荷物を乗せる。時計を見た。

時間は日付けが変わる少し前。

俺はタバコに火をつけた。

煙を吐きながら最後の釣り人がいる方を見た。だがここからはその姿は見えない。

何気なく道路の先を見やった。

この道路は街灯で明るい。

明るいはずなのに先は暗い。まるで灯りのない夜の海のようだ。

なんでだろう。

俺はその闇を凝視した。

カタカタカタ

その闇の奥から音がした。

カタカタカタ

何か引いているような音。

闇の中から何かがこちらへ近づいてくる。

眼を凝らしてみると、老婆が乳母車を押して歩いていた。

闇から現れた老婆は今では街灯の下をこちらへ向かって歩いている。灯りの下にいるのに、老婆の周りは仄暗い。

カタカタカタ

大きな乳母車を押している老婆の、無造作にまとめられた白髪はほつれてもつれている。

古めかしく色褪せたショールをひきづりながら近づいてくる。

俯いていて顔は見えない。

身震いがした。

これは見てはいけないモノだ。

本能がそう告げた。

ガタガタガタ

俺は身体の震えをとめることができなかった。

カタカタカタ

闇を引き込みながら老婆が俺の側を通りすぎる。

気づかないでくれ!

心の中で思いながら、息を潜める。だが身体の震えは止まらない。

ガタガタガタ

カタカタカタ

身体の震えと乳母車を引く音が重なる。

カタッ

俺は持っていたライターを落とした。

小さな音だったが老婆は聞き逃さなかった。

老婆は顔を上げたかと思うと、俺の方を向いた。

眼があった。

あったと思った。

老婆には眼球がなかった。

代わりにあるのは二つの虚無の闇だった。

だが、俺は老婆の視線から眼を離すことが出来なかった。

老婆の顔に穿たれた二つの虚無から溢れてくる闇。

その闇の中に浮かび上がる、二つの眼球。

「その眼をみてはいけないよ…人でいたいならね」

背後で声がして、ハッと我に返った。

後ろを振り返るが、誰もいない。

再び老婆をみるが、すでに先を歩いていて、やがて闇に溶けていった。

その後、俺は急いで車に乗りその場を離れた。

いつの間にか落としたと思われる、火のついたタバコのことを思い出したのは、1日経ってからだったが、近辺で火事があったというニュースは聞かないので、大丈夫だと思う。

恐怖て落としたライターは高価な物だったが、どうでもよかった。

あの老婆は幽霊とかそういうモノではないと思う。強いて言うなら妖怪の類いか…。

「その眼をみてはいけないよ」

あの言葉がなかったらどうなってたのだろう。

男の声だったような気がするが、今ではあまり思い出せない。

あれ以来、釣りはしていない。

Concrete
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