私は焦った。
そもそも私は機械が得意な方じゃない。そんな私にオンライン授業を求めるというのは酷というものである。使い勝手の分からない銀色の板と私はもう三十分ぐらい睨み合っている。
感染症の流行のせいで、大学の前期の授業がオンラインになってしまった。誰が悪いというわけでもないが、普通に大学に通いたかったという気持ちがあるので、大変不満である。
「まず、学校のホームページにアクセスして…それから…えーと」
今まで確認してこなかった私が悪いのだが、思い通りに動かない機器に苛立ちが募っていく。やっとの思いで、学校のホームページにアクセスし、オンライン授業に参加するためのパーソナルミーティングIDとパスワードを得た。しかし、これで終わりではない。
授業開始まであと五分。
五分前に入ってくださいというアナウンスがあったので、もしかしたら怒られるかもしれない。いや、でも私のような生徒がほかにもいるはず。いや、でもちょっと遅れただけで欠席扱いにされたらどうしよう――様々な考えが指を絡めとって、動きを覚束なくさせる。
私の初オンライン授業は二十数人で学部ごとにグループを編成し、学校のガイダンスを受けるというものである。新入生でこの大学に友達もいない私はこの授業で友達を作ろうと考えていたが、オンラインとなるとそれも難しいだろう。初対面が画面越しというのは実に奇妙なものである。
「や、やっと入れたあ」
あと二分で授業が始まる。参加者は二十四人。私の記憶が確かなら多分全員揃っている。ということは、私が最後ということか――。
画面には二十四個の四角が並べられていた。デフォルトで音声とカメラをオフにしてくださいという指示が事前に出されているため全員の画面はユーザー名の頭文字が映っているのみで、真っ暗である。
マイクとカメラがオフになっていることを三回ぐらい確認してから、授業の開始を待つ。生徒の名前は学籍番号で登録してくださいという指示だったので、参加者の欄にはずらっと番号が並んでいる。その中に一つだけ『yukako』という名があった。おそらくこれが先生だろう。
しかし。
先生はゆかこなんて名前だっただろうか。記憶に絶対的な自信があるわけではないが、何となく違う気がする。
「皆さんいるようですね」
急に聞こえてきた声に私はびくりとした。突然――ということもあった。だが、私が吃驚した最たる原因はその声質である。冷たく、それでいてこちらを責め立てるような鋭い声であった。二十四個の四角のうち一つがぱっと切り替わる。そして先生だと思われる女の顔が映し出された。しかしとても奇妙である。
先生は何故か鼻から下しか映してないのだ。それに部屋を暗くしているのか、画面が薄暗い。真っ白い先生の肌と真っ赤な唇だけがそこにある。もしかしたら私たちを和ませようと、ふざけているのかもしれない。
いや、しかし。
なんだかそうではないような気がした。うまく言葉で説明はできないが、先生がふざけているようには見えなかった。
「このクラスを担当させていただく、阿部由香子と申します。皆様、今の時期大変だと思われますが、私も精一杯頑張りますので、何卒宜しくお願いします」
先生はずっと不敵な笑みを浮かべている。
やはり名前が違う――気がする。もしかしたら、違うクラスに入ってしまったのかもしれない。そんな私にお構いなく、先生は言葉を続けた。
「通常九十分授業でありますが、今回は――大変申し訳ありません。私自身の都合で十分程度にさせていただきます。不慣れなオンライン授業でさぞ大変だったでしょうに、このようなことになって本当に申し訳なく思っております」
私は憤りを感じた。高くない授業料を払って授業を受けているのに、先生の私情で九十分が十分になるとはどういうことなのだろうか。
「その代わりと言ってはなんですが、来週は皆さんに目一杯自己紹介していただきますので、宜しくお願い致します。来週の授業が始まる前までに私にメールで自己紹介用紙を提出してください。あとで専用の用紙をメールで御送りいたします。課題を出さないと大変なことになりますよ~」
私は思わず悲鳴を上げ、体を後ろにのけ反らせた。
「今の何…」
機械の不具合だろうか、先生の最後の言葉の語尾がまるで機械が読み上げたように無機質であった。
「…それではこれにてこの授業は終わりです。大変申し訳ありません。来週はそのようなことは必ずないように致しますので…」
先生はあははと小さく笑った。そして自動的に画面が閉じられ、授業が終わった。
なんなんだあの人。
まるで人を小馬鹿にしたように――。
怒りのゲージがふつふつと上がっていく。この授業を受けるにあたって私が機械によって苦労させられたこと、いちいち髪を整え、化粧をしたことなど些事である。そうではなくて、真面目に授業を受けようとしている学生を馬鹿にするどころか否定するような態度が気に入らなかった。
separator
後日、私は先生から送られてきたメールで初回のガイダンスの授業に出席してなかったことを知った。よくよくパスワードを見るとゼロに見えたそれはアルファベットのオーであった。
では。
私の入った部屋は何だったんだろう。ネットで検索してみても、あべゆかこなんていう大学の職員はヒットしなかった。
あの時感じた言いようのない恐怖感が今実態を持って私を襲ってきている。
明日はいよいよ二回目のガイダンスの授業である。もちろんメールには自己紹介の用紙など送られてきていない。
普通なら無視すればよい。間違えて入ってしまっただけなのだから。
でも。
今思えば。
――課題を出さないと大変なことになりますよ~。
あの言葉は私に向けられていたような気がする。
課題を出していない私はどうなってしまうのだろう。
あの先生の無機質な声が頭から離れなかった。
作者なりそこない