場所はハッキリとは言えませんが、そこはカフェでした。とっても美味しいご飯が食べられる場所で、店員さん達もほわほわした良い方達です。内装もオシャレで和風な建物。母と私はそこに訪れると腹を満たし、いつも幸せな気分で帰っていました。
その日も丁度母と二人でそのカフェに寄りました。
メニューはレモンクリームパスタとレモンソーダ、レモン尽くしを腹一杯食べた後で、トイレに行こうとした時に「そういえばここでトイレに行ったこと無かったんだわ笑」と軽く尋ねると母は「2階。そこの扉開けたら階段があるから」とポタージュ用のスプーンを持ったまま言いました。
「うぃ。いってくらぁ」なんて言いながら私が扉に手をかけようとした瞬間、母ならではの余計な一言が。
「あ、出るよ。2階」
出るよとはそのままの言葉です。「見える」母特有のヤツ。振り返ると母はモグモグとパンを食べながら平然と私を眺めていました。毎回思う事があります……「恐ろしい事を平気でするんじゃないよアンタ!!」って。いくら見えない私でもサラッと言われてふーんって行く馬鹿じゃない事はわかってるはずなのに、実の娘だからってちょっかい出してからかってるんですあの人。出るってのも嘘じゃない。母は実際前にこの店でトイレに行ってました。
私はご飯に夢中で行ったところを見てませんでしたけど。
ちなみにこのカフェ、とっても古い明治時代とかその辺の繁華街の一角の建物を改装したモノで、構造がちょっと妙なんです。
表側に大小2つ扉があって、大きな扉からは何故か誰も出入りせず、小さな扉からそのままカフェに直結していて、大きな扉の向こうは旅館でよく見るお客さん用のデカい玄関ってやつで。カフェの食事スペースから内部へ繋がる扉があって、そこを開いたら目の前に大きな木でできた階段、そして横には玄関。
2階に上がると一直線に道が続いており、その左右にお座敷が沢山あって、突き当たりにあるのがトイレでした。床は真っ赤な布張りで、お座敷の襖は全て締め切られています。
とてつもなく静かでした。有り得ない程の静寂。トイレの横の高い場所にある窓は開いているのに、衣擦れの音が気になるぐらい異様に静かな空間。静か過ぎると耳の中で「ピーン」というような音が鳴りますが、何故かそれが無い。しかも平日真昼間、このカフェは道路沿いです。車の音が聞こえたっていいのに。まるで「不安の種」という漫画の登場人物の気分でした。
トイレに入り用を済ませ、水を流すと勢い良く流れました。しかしすぐにその音は周りに吸収されてしまうんです。何故か
さっさと帰ろうとお座敷の間を見た時です。
さっきまで閉まっていたお座敷の襖が全て開いていました。文字通り全開です……開け放つ音も聞こえてなかったのに。
嗚呼、居るじゃん。ふざけんじゃねーぞオカン!!!!!!!
そう思い、息を飲んでから直感的に走りました。階段を降りて店員さんに何かあったのかと聞かれては困るので、何も無かったかの様に装ってカフェに続くドアを開け、母の居るテーブルに着きました。
「ね?出るでしょ」
母はまたズルズルと美味そうにパスタをすすりながら言うのでした。安堵すると同時に、心の中でもう一度「ふざけんじゃねーぞ」と思った出来事です。
訳の分からないホラー映画みたいな体験でした。
ちなみにそのすぐ後に母が2階へ行ったところ、襖は全部「閉められていた」との事です。
おー怖い怖い。
作者松
なんでしょうね、気配すらわからない。
それがとっても怖かった出来事です。
「なにかわけがわからないけど嫌な予感がする」と思ったと同時に出るタイミングすら伺わせないプロフェッショナルっぷり(?)が感じ取れました。
彼ら「人じゃないモノ」の領域内では音まで遮断できるなんて知りませんでした。