ビジネスホテルの一室。コンビニで買った多量のお菓子と飲料が、テーブルに散らばっている。
チカはもう3日も、ここに泊まっていると言った。
父親は会社の役員クラス、母親はその肩書きがステータスの専業主婦…甘やかされた兄にしか興味が無いチカの家族は、喧嘩騒ぎすら「どうでもいい」とあしらった。
「まあ、パパは金『だけ』は私にくれるから…てかこのホテル、パパの会社の経営だし、家族は好きに泊まれるの。だから別に困っては無いよ」
風呂から上がり、髪をバサバサとタオルで拭きながら、チカが言った。
そして、デスクに設置されたPCをおもむろに開くと…そこにはこの間サヤカのスマホで見た、あの裏掲示板が画面に映された。
「マジで引くんだけど(笑)」
画鋲が刺さったスミレ達の顔写真…覗き込んでよくよく見ると、不思議な事に気付いた。
「ねえ…この写真、何処で手に入れたの?卒業写真って訳でもないし…私ですら、どこで撮ったのか記憶が無いんだけど」
チカに対する疑いは、まだ持っていた。というか…疑わざるを得ない。妹の言葉を信じずに、グループのリーダーだった彼女を信じる根拠など、何処にも無いのだ。
「お姉さん…さっきも言ったけど、私が投稿したんじゃないんだって、だからそもそも写真とかも知らないんだ~」
チカは尚も、知らぬ存ぜぬを突き通そうとしている…そんな風に思えた。足を組み、片手にペットボトルの水を持って、ニヤニヤと笑みを浮かべている…
彼女の態度に、私は限界だった。
「いい加減にしてよ…パパがお金持ってる?いい気にならないで!」
チカからペットボトルを取り上げ、床に叩き付ける。
「私達が、家族がどれだけ苦しかったか知らないでしょう?スミレだって、あんたらが馬鹿みたいに因縁付たりしなければ、謹慎なんて事にはならなかった…普通に学校行って、普通に夏休みを送っていたの!それにあなた…さっきから勝手過ぎない?飯だの部屋に来いだの…人を何だと思ってんの!?」
一気にまくし立てた後、何故か涙腺が緩みそうになっていた。こらえるのに精一杯で俯いていると、耳元でチカが囁く様な声で静かに言った。
「…謹慎にすれば、危なくないからですよ」
驚くでも悲しむでもない…落ち着いた表情。この余裕、一体どこから来るのだろう…不思議でならない。
「さっきファミレスで言った通りです。あれは、もともと『儀式』なんです。それを『遊び』だと伝えた奴がいる…割と本気でヤバイんですよ。まあ、私も最初は面白いと思って飛びつきましたけど…とにかくヤバいの。特に、ミサキやスミレみたいな優しい子は…」
優しい子…?本気でヤバイ…?
「だから…って…?」
「優しい子は憑け居られやすい。危ないんです。…あれは、生き霊を呼び出すものだから…儀式を教えてくれた人に、そう言われました…それに───」
ぶ が い し や き を つ け ろ
チカが、ある人の名を借りて行った「儀式」をやった時…そう指が示したそうだ。
部外者。それが何者なのか、まだ正体が分からないというが…恐らく、この裏掲示板に自分のフリをして、書き込んだ人間なのでは?…チカはそう読んでいた。
「お姉さん、この遊びの事…サヤカ以外の誰かから、聞いたことあります?少なくとも、スミレは多くを知らないって思います。てか、バカにしてたらしいし…だから危ないんだよ」
彼女しかいない。というより、彼女から話を振って来たのだ。
思えば何故、私と彼女はあの場所で「偶然」再会したのだろう…
私は、振り落としたペットボトルを拾って、チカのパソコンの隣に置いた。スミレの写真…どこかに違和感がある。
カメラに目線を向けていない。かと言って、わざわざ写真を撮るような、そんな背景でも無い…普通の、登下校の…
「…もしかして…隠し撮り?」
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気が付くと朝を迎えていた。
隣のベッドを見ると、チカがまだ寝息を立てている。いつの間に自分が眠ってしまったのか覚えていないが…化粧もそのままに、寝落ちしたというのだけは分かった。
シャワーを浴びて着替え、テーブルに書き置きと幾らかお金を置いて、客室を出た。
部外者…
普段の生活をしている中で、ほとんど使われない言葉に、私は何か、云い知れない不安に襲われていた。こんな気持ちで通勤電車に乗るのも、初めてだった。
「あれ、佐久田さんどーしたの珍しい!」
ガラ空きのオフィスの奥で、課長が素っ頓狂な声で言った。今日が土曜日だという事を、すっかり忘れていたのだ。
「あ、あれ…そうだった!今日休みでしたね!はは…間違えて来ちゃいました…」
「何、間違えたの?(笑)そうと分かったら早く帰んなさい…最近うちも働き方改革でね、休日出勤とか色々言われるし…あ、待って!思い出した!」
「どうしました?」
「昨日の夜ね、佐久田さん宛に電話が来たのよ、もう退社した後だったから、言付けあれば伝えますって言ったんだけど…電話切れちゃって。女性で…そう、同級生って言ってた!」
ドクン
一瞬、足がすくんで身動きが取れなかった。
それでもどうにか、悟られずに課長に取り繕い、私は足早に職場を後にした。
誰にも教えていない。職種ぐらいはあっても…会社名までは、まして部署まで教える事など、家族以外に無かったのだ。
でも、もし、知り得るとすれば─────
「ユリカ!」
誰かが私の名前を呼んだ。聞き覚えのある声…立ち止まり、振り返るかそのまま立ち去るか…戸惑った。
「ユリカってば~」
その暇を与える間も無く、声の主は私の肩を叩いた。
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ただの思い違いかも知れない、と思えたのは、彼女が喫茶店に入るなり開口一番、
「昨日オールでカラオケ行って、ネカフェでうだうだしてても暇でさ~(笑)」
と…大した理由も無く、屈託のない笑顔で食事に誘って来たからだ。
「そうだったのね。美織は朝から元気だなぁ…」
「でも今の内だよ。きっと2年も経って30代になったら、一気に体力落ちるんだわ(笑)」
モーニングセットのコーヒーをすすりながら、まだ人気のまばらな通りを眺めつつ、私と美織は言葉を交わす。ゆうに2時間は寛いでいただろうか…私は、昨夜チカから聞かされた不穏な話などすっかり忘れ、友人と再び…この間、偶然再会した時の様に、他愛の無い会話をしながら時間を過ごした。
「ありがとね!ユリカのお陰で息抜き出来たよ」
「ああ、こちらこそ!ありがとう」
「じゃあ、また今度会おうね!」
「うん、またね!」
「あ…そうだ、ユリカさぁ」
「うん、何?」
「妹さん、元気にしてる?」
「うん…元気にしてるよ!夏休み楽しんでる」
「そっか!そうなんだ…じゃあ、また!」
そう言って、私は踵を返した。なんだ、何ともないじゃん…何を私は心配していたんだろう。やっぱり思い違─────
ガシャン!!!ガラガラガラ!!
すぐ真後ろで、積まれていたビールケースが勢いよく崩れた。
弧を描いて、下半分が欠けたビール瓶が爪先に当たる。
「大丈夫ですか!?」
誰かが私に声を掛けてきたが、呼吸が乱れ、頷く事しか出来なかった。
「チッ」
カン!カン!カン!カン!
苛ついた様なヒールの音と舌打ちが、間近に居る人の声を飛び越えて…私の耳に、聞こえていたから。
やっぱり…チカの言う通りだったの?
あなたなの?何で?何でなの?
「申し訳ありません!お怪我はありませんか!?」
店員が数人出てきて、わらわらとビールケースを片付けていく。その路地裏の向こうを見ると…もう彼女の姿は何処にも無かった。
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家に帰ると、スミレとサヤカが、テレビに映るアイドルを観ながら、楽しそうに話している。
「あ、お姉さん…お邪魔してます!」
「おー、ねぇちゃんおかえりー」
ほんの少し前まで、殴り合いの喧嘩をしていたとは思えない仲睦まじさ。それに…スミレの表情もどことなく穏やかになった感じがする。
学校を退学し、高卒認定の受けられる通信教育への切り替えが決まったのもあるのか…いや、多分妹は、大勢の中にいるよりも、こっちの学習法が合っているのかも知れない。
「そういえば昨日どこ行ってたの、誰かんとこ泊まったの?」
真実を打ち明けるのは、今は酷すぎる。
いつかほとぼりが覚めた頃…いや、
もうこの先ずっと、私の口から言う事は無いだろう。
さっきの飲食店からお詫びで貰った食事券を「サービスで貰っちゃった!」と言って2人に渡した後、私は自室のベッドに、ドカッと体を沈めた。
窓越しに昼の日差しが伸びている────
ふと、窓の夕陽に照らされた本棚の一角を見ると…卒業アルバムと書かれた分厚い本が、ホコリを被っていた。大学卒業時に貰ったものだ。
「あんな感じの子じゃ無かった筈なのになぁ…」
アルバムを引き出し、ページをめくる。その時…妙な違和感に気付いた。
…そういえば美織って…どんな子だったっけ?同じ学部だったっけ?
卒業式の後以来に、私はアルバムの1ページ1ページを真剣に見た。
写真の載っているページを見つけては、写っている人物をじっくり、それこそ舐める様に見ても…
美織の姿は居なかった。どこにも。
そもそも、私はいつ美織と出会って、いつから友達なったのか…よくよく考えると、それすらも記憶があやふやで思い出せない。
ヴーッ…ヴーッ…ヴーッ…
知らない番号からのショートメール。開くと、チカからだった。
「彼女に会ったでしょう?」
―――早く止めないと、本気で危ないよ。あなたも、スミレも――――
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亜種③に続く
作者rano
亜種シリーズ第2話です。
続きはこちらからどうぞ。
http://kowabana.jp/stories/33297