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月夜の如夜叉

                       

                      

                        

明治の終わり頃のお話。

         

豆太は小さな田舎町に住む小学校4年生の男の子。

両親と母方の祖父母と幼い妹との6人家族で大きな木造の庭の広いお家に

住んでいた。    

    

     

広い庭には祖父が手入れをしている山百合に皐月や椿、

柿の木そして低木の五倍子や樒もあった。

地面には砂利が敷かれており

祖父の趣味で反射する白い火ガラス砂利を混ぜたまだらな色になっており

昼はもっとも夜でも月の光に反射してほんのりとぼやけた光を見せる、

豆太はそんな庭を月のさす夜に眺めるのが好きだった。

     

      

      

ある夏の深夜、豆太は寝ているとトイレに行きたくなったので布団から出て

廊下に出て階段を降りた。

1階の廊下を歩いて突き当りがトイレなのだが、その手前には

左手は祖父母の寝室、その向こうに仏間がある。

廊下の右側は庭となっており、摺りガラスの窓に雨戸が建て付けられているが

夏は雨戸は閉められていなかった。

摺りガラス越しに月明かりが差している。

      

     

豆太は今夜は大きなお月さんが出いそうだな、と思いながらトイレに向かう。

       

     

    

    

じゃり。

   

    

    

    

ふと、ガラス越しの庭から音が聞こえた。

もう一度耳をすましてみる。

      

    

     

じゃりじゃり。。。しゃっ。。。

    

    

    

やはり砂利を擦るような音がする。

誰かいるのか、とじっと耳をそばだててみる。

今度は、シャリシャリンと小さな鈴が沢山ぶつかって鳴るような音が聞こえた。

       

    

   

なんだか怖い。

       

     

    

    

よくわからないまま冷や汗が出てくる。

なんだろう、とても奇妙な空気に息をするのも緊張してきた。

とてもとても恐ろしい気配のように思うし足が氷のように冷たくなる。

     

      

    

すると、廊下の先から襖が開くかすかな音と共に

誰かがすっと静かに現われたかと思うと

それは祖父であった。

豆太の方を向いて、

しぃーっと人差し指を口に当てて片目でウインクをして目配せをする。

豆太は驚いたのだが、それよりも庭の方に気持ちを攫われそうになっていたので

少々ほっとした気分になり祖父の方をじっと見た。

       

     

    

祖父は、目配せと仕草で

喋るな、ゆっくり静かに歩いてこっちに来いと合図してきたので

豆太はその通りに祖父のもとへ行くと次に仏間へと通された。

仏間に入るとしっかりと戸を閉めて祖父と二人で身を潜めるように座る。

豆太は言われなくてもそうする事が自然にわかった。

      

     

すると祖父はゆっくりとした仕草でお線香とお香に火をつけ

瞬く間に部屋中は少し煙たかったが白檀と不思議なお香の匂いで充満した。

豆太は少し落ち着いた気持ちになった。

      

    

    

すると祖父が不意に口を開いた。でもひそひそ声だったので豆太も真似をする。

「 豆太よ、庭からなんか音が聞こえたか? 」

   

「 うん、聞こえたよ。泥棒かな。 」

    

「 いいや、泥棒じゃない。どんな音じゃった?それで庭を覗いて何か見たか? 」

   

「 ううん。何も見てやしないよ?音はね鈴みたいじゃった。どうして? 」

   

「 そうか。見てなくて良かった。あれはな山から降りて来た悪いもんじゃけんな。 」

    

「 見てたら僕、どうなったの?怖いことになってたの? 」

   

「 そうじゃな。見てはならんもんじゃし見てたら顔を覚えられる。 

  あれはな、如夜叉いうんじゃ。 」

     

「 にょやしゃ? それって何なん? 」

「 ここらの田舎町をまもっておる鬼の子じゃ。

  お前にあの音が聞こえるようになったんじゃったら話しておこうのう。 」

     

「 守ってくれるのに悪いもんなん? 」

     

「 そうじゃ。あれはな鬼の子で姫様なんじゃ。だから女の格好をしとる。

  着物を着て錫杖をもっとる。

  錫杖言うんはな、杖の先に錫で出来た輪がいくつか付いておってな、それが

  ぶつかって鈴みたいな音が鳴る。

  夏の月が見事な夜はあぁやって山から降りて来るんじゃ。

  恐ろしいもんを何体も連れておる、百鬼夜行じゃな。

  滅多に降りて来ることはないんじゃが。。。 」

      

「 え?滅多に降りて来ないって、今夜は特別だったの? 」

     

豆太は祖父と話しているうちに先ほどの恐ろしい気持ちはすっかり落ち着き

祖父の話に夢中になっていた。

         

        

「 そうじゃな。いつ降りて来るんかはわからんのじゃ。

  豆太よ。

  ボウボウ山を知っておるじゃろう?

  町の東の方に青山峠があるじゃろ?お前たちも学校の遠足で行ったことがあるな。

  そこよりもっと奥にボウボウ山いうのがあるんを聞いたことがあろう?

  あそこは入ったらいかん、山に呑まれる言うて有名じゃろう。

  それは本当の事でな、もう何人もあの山に入って帰って来た者はおらん。

  死んだかと思い警察が捜索してもいつも無駄足に終わる。死体も無い。

  もしや山の神様がおって人が足を踏み入れると怒るんではないか。

  まあそれから奇妙な行方不明とも神隠しとも言われるようになって怖がられて

  誰も近寄らんようになった。

     

  それがな、ある時期にこの町に蜜柑の農業が発展してな、よそからも人が

  移り住んで蜜柑農業をする人が増えてボウボウ山の麓の方にも土地を買って

  蜜柑の畑を作った。

  なんせ畑がボウボウ山の入り口に近いもんだから

  町の人達が自治会や役所と話し合って

  ボウボウ山の入り口に立ち入り禁止の印と山の神様を鎮める為の祠を作った。

  そしてお供えをしてそのうち町の繁栄を祈願するようにもなったんじゃ。

  

  そのお蔭か蜜柑農業は栄えて戦後で大変だったこの町も救われた。

  それからは山の神様を信じて誰も疑わんようにもなっていった。 

  そしてある時、ボウボウ山の麓に畑を持っとる家の奥さんが畑へ手入れに

  行った時に夕暮れに祠の側を大きな蛇がおった言うて言いだした。

  大きくて体の周りが50cmはあったろうと。

  そして真っ白な体に赤やら銀色やの模様があって琥珀の猫目でそれはそれは

  恐ろしかったと。

  その数日後にその蛇を見たという農家の子供がおらんなった。

  例の神隠しじゃ。山へ入ったかもしれんと、そりゃもう大騒ぎになった。

  どこをさがしても見つからんし誰もわからん。

  それでそこの農家の奥さんが町のお寺の住職にすがるように相談に行った。

     

  すると住職はなにやら渋い面持ちで、町の中心的な人物を集めてくれと言う。

  大事な話をせにゃならんと、今夜8時にお堂の集会所へ皆集められて

  町長や各自治会の会長やらも揃った所でとんでもない話を聞かされる事となる。

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  住職の夢に大蛇が現れたという。例の農家の奥さんが見たという大蛇が。

  

  

  その大蛇は住職にゆっくりとした口調でこう話した。

  

  

  

  自分はボウボウ山に大昔から住んでいる者だが

  神ではない。

  町の人たちが神と思い崇めるので少しばかり願いを叶える手伝いはした。

  蜜柑は見事に鈴生りに甘く出来、町も繁盛したであろう?

  だかある人間が私の姿を見てしまった。私は人に姿を見られることは好まない。

  山に入ることも許さない、だから警鐘を鳴らしたはずだろう。

  山に入った者は帰さなかった、山の怪に食われるか我に呑まれるか。。。

  それで十分かるであろう。

  

  

  そして気が変わったのだと。

  真っ赤な口をあけ笑いながら言う。

  

  なぁ、この大蛇の姿は美しかろう?

  

  

  だが本来の姿ではない。自分は鬼なのだと。

  我は鬼の子であり鬼姫である。

  

  

  

  お前たち人間が勝手に我に手を合わせ祈願したのであろう?

  

  

  

  町が栄えたのだ、その見返りが欲しい。

  

  

  

  

  農家の子供は食うた。

  あの母親は禁忌を犯した。

  文句はなかろう?

  昔、お前たち人間が山に入りさんざん山を荒らし禁忌を犯した。

  その代償で人間を食うた、それで味をしめてしまったが

  それもお前たちが勝手にしたことであろう。

  

  我山の自然を歪めるなら、我はそれに答えるだけだ。

  

  

  

  また気が変わるかもしれぬが。

  にやりと笑う。

  

  

  夏の美しい月夜に我が血が騒ぐ。

  禁忌を犯した者がおれば、月夜にこの町の誰かの子供を食らう。

  また何年かごとに、気が向けば子供を貰う。気が向けば、だ。

  

  

  いつなのか 誰なのか 分からぬ方が、より恐ろしかろう?

  

  

  

  そう言うと、より一層にやりと笑い消えた。

  その時一瞬だけ大蛇の陰に鬼の顔が見えた気がしたと。

  

  

  

  

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  話を聞き終えた一同は誰も声も出せないほど驚愕していた。

  中には恐ろしくて震えるものもいた。

  よく意味が解らないという者もいた。

  

  

  

  住職はびっしょりと汗をかきハンカチでそれを拭うと

  夢に出てきたと話したが、農家の子供が実際にいなくなり夢の話では

  済まなくなったと付け加えた。

  そして

  住職も実は聞いたことの全てを理解できたわけではないと言った。

  ただ

  農家の子供を獲ったのは母親があれの姿を見た代償なのだろうが、

  町の繁栄の見返りとは、何かもう一つ解らないが、おそらく何年かごとに

  誰かを食うという事ではないか。

  それと、禁忌を犯した者がいれば

  本人ではなく代わりに他の誰かを食うという意味ではないか。

  そうする事により、より人々は恐怖する。

  

  あれは、鬼だ。

  もしや人の恐怖心が堪らなく甘美なのかもしれん。

  恐ろし気な事を言ってわしが恐怖心で震える度にその目は恍惚としておった。

  皆も肝に命じてくのじゃ。

  むやみやたらにビクビクするでないぞ。

  そして、山に近づかないという事と、やたらに恐怖心を煽らないために

  鬼姫の事はまだ内密にしておくようにと言った後で

  

  しかしゆっくりと確実にこの町の人々に伝えねばならないとも念を押した。

  ただ希望はある、あの山に立ち入らなければ怒りを買うことはないだろうし

  人間を憎んでいるわけでもない。

  ただ領域を守りさえすれば町も守るじゃろ。

  なぜ守ってくれるのか?と思うかもしれんが、わかりやすく言えば

  単純に自分の陣地だからじゃ。

  人間の都合ではないという事じゃ。

  

  

  

  

  それからはボウボウ山に近づく者はいなくなり、入り口も完全に封鎖された。

  年月が経っても、誰かが食われたなどという話も聞いた事もなかった。

  だから、ただの昔の言い伝えとも迷信とも言われるように成って来た。

  自然を守るための教訓として伝えられた話とも言われた。

  

  じゃけどな。

  

  何年かに一度、あぁやって月夜に錫杖の音が聞こえた、と言う者が

  出て来たんじゃ。

  そしてそれを見てしまったら顔を覚えられて連れて行かれる。

  もし顔を見なんだら見逃して貰える、そうなってきたんじゃ。

  それは住職にも教えて貰った事じゃから間違いない。

  

  

  

「 じいちゃん、じゃあ僕は顔を見てないから大丈夫なんだよね? 」

  

「 おう、もちろんじゃ。大丈夫じゃ。」

  

「 でもどうして、こお家にきたんだろうね。それも偶然なの? 」

「 あ、いやそれは、、、 」

  

  

 祖父が気まずそうな顔で答える。

  

  

  

「 実はな、豆太のお父さんの弟、つまりお前の叔父さんが、、な。

  子供の頃、ボウボウ山から降りて来た猿を間違いで自転車で轢いてしまって、

  猿は死んでしまったんじゃ。

  それからはこの家では時々、夏の月夜に錫杖の音が聞えるようになっての。

  で、住職に相談に行った事があるんじゃ。 」

  

「 え?じゃあ、錫杖の音が聞こえた人がいるって話は僕んちの事なの!? 」

  

「 実はそうなんじゃ。でも豆太は心配せんでええ。 

  叔父さんの夢の中で声だけが聞えて来たと言うとった。

  その声はこう言ったらしい。

   

  気が変わった。

  お前はもうすぐ朽ち果てる、童(わらし)錫杖の音聞けども

  目閉ずるるは何事も無し。 」

  

  

  

 

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豆太は祖父の話を聞いてからは夜は一人でトイレに行けなくなった。

それからその1ケ月後に叔父が急死したからだ。心筋梗塞だった。

  

  

それにどうしても気になることがあった。

祖父からあの話を聞いてから、実は毎日のように豆太の耳にはあの錫杖の音が聞えていた。

シャリシャリン。。。

だが豆太はその度ににぎゅっと目をつむり音が消えるまでやり過ごした。

怖がったら余計に面白がられる、そう祖父は言っていた。

だから怖くないと言い聞かせながら。

  

  

そしてその音は、叔父が亡くなってからはピッタリと聞こえなくなった。

叔父さんは禁忌を犯した。

きっと

叔父さんの子供じゃなく他の子供じゃなく、僕だったんだ。

僕がもし姿を見ていたら。。。食われてた。

でも叔父さんを連れて行ったから聞こえなくなったんだ。

考えるほどに豆太は背筋が冷たく身震いした。

  

  

でも何故、錫杖の音が聞えなくなったのかは

本当はわからないままだった。

叔父が病死なら誰かが食われれないと辻褄が合わない、そんな気もしたが

あまり考えないことにし忘れようと思ったのだった。

  

  

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そして13年の後、祖父が他界した。

100歳の大往生だった。

  

豆太は祖父が亡くなる前、よく祖父の部屋に呼ばれて話をした。

話好きの祖父だった。

あれから何事もなく穏和に暮らして来たがやはり豆太は気になっていた。

思い切って祖父に問うてみようと思った。

  

  

なあじいちゃん。子供の時の鬼の話を覚えとる?

  

  

祖父は豆太の顔をじっと見つめて、切なそうなその目から涙が流れる。

「 お前は強かった。自分に負けんかった。恐怖心を自分で払拭したんじゃ。」

  

 

 

なあ、じいちゃん、叔父さんは心筋梗塞で死んだろ?あれはほんまに鬼が

連れて行ったんじゃろか?どうも腑に落ちん。

それともやっぱり迷信にすぎんのか、でも僕は錫杖の音は確かに聞いたしな。

  

「 お前は錫杖の音も気配も、はじめは怖くてもその内に怖くなくなったろう?」

  

  

  

そうだな。確かに怖いはずなのだが、我慢してやり過ごすことができた。

恐怖を自制心で抑えていられた。何故かはわからない。

月夜のやさしい光が勇気をくれたのだろう、そう豆太は考える。

  

  

「 豆太よ、おお豆太よ、わしはもうすぐこの世を去る。

  よく聞け。お前はこの先の人生で人間である限り色んな苦労や難がある。

  でも決して怒りや恐怖に屈するな。

  わしが死んだらお前は一人になる。

  お前の両親も妹も祖母も早くに病死してしまったからな。

  でもお前はその辛さと寂しさと戦った。

  不安や恐怖心は膨らむと卑屈になり手に負えん、自分を見失うもんじゃ。

  人間は心を失うと鬼になる。

  負けるな。お前は強い。

  それとな、仏壇にお守りがあるからお前が持っておけ、

  そして自分に負けそうになったら中を開けて見ろ。」

  

  

  

  

  

豆太は一人になった。

悲しかった家族の死や最愛の祖父を失った悲しさも、もうぼんやりして

思い出せなくなっていた。

ふと

祖父が残したお守りを出してみる。

中に紙が入っている。

なにか書いてある。

それを読むと、豆太は無言のまま歩き出した。。。

  

  

  

  

  

  

  

ははは、錫杖の音ね。。。子供の頃、僕は本当に怖かったんだろうか。

思い出せない。

怖いと思わなければならない 僕は、

ほんとはそう思ってたんじゃないのか。

そうだ、思い出した事がある、妹は神隠しにあったんだ。

なぜ忘れていたんだろう。。。

  

これで腑に落ちない理由がやっとわかった気がした。

。。。。。ばかばかしい。

  

  

 

  

 

  

  

  

  

  

  

  

  

 

  

  

  

  

  

 

  

  

  

祖父が残したお守りの中の紙にはこう書かれていた。

  

  

【    鬼 の 末裔       】

【                 】                       【    名 を 豆太       】         

  

  

   

   

 『 誰か分からぬ方が、よ り 恐ろしかろう? 』  

じいちゃん。 僕だったんだね。

  

  

記憶が薄れゆく。。。

  

  

  

ねえ、じいちゃん。   僕は、  僕は

まだ血の味を 知らないんだろうか。。。。。。。。

  

  

  

  

  

  

    

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

   

  

  

  

       

        

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アイデアがいいと思う。読みやすい工夫もよかった。

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