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中編5
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紙の花

学生の頃、学校に行くために上京した私はお盆とお正月の休みになると

実家へ帰り休みを過ごしていた。

同じように学校に行くために田舎を出ている同級生の友達なども

この時期には田舎へ帰っているため、友達と会うのも都合が良い。

それに

親たちの兄弟姉妹や従兄弟たちが連休で訪ねて来る際に、迎えるためのご馳走を

準備したりする母の手伝いもあった為、それも兼ねていた。

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ある冬休みの事。

いつものように自分の部屋のベッドで就寝していたら、金縛りにあった。

何度か金縛りにはあったことはある。

始めは怖かった、でも脳だけが目覚め体が付いてきていないとの説を信じ

無理やり解こうとすると、余計に身体が凍結していると実感するし、

心理的にもさも恐ろしい為、考えた結果、このまま寝てしまうという選択に

至った。

気のせいだから寝る!といった具合だ。

そしてそれはうまくいき、怪異に遭うこともなく、私の中で

金縛り=過労と神経疲れというのが確立した。

確立してしまえばこっちのものである。

だから勿論今回も抵抗するでなく

そのまま寝てしまうというスタイルを取るつもりの私は

今回も気ずかなかった事にしようと考えていたのだが。

いつもとは違うことに気づいた。金縛りに加えて指先が痺れてきたのだ。

まず手の先から、ジンジンと電気が走る感覚だ。

何故か怖いとは思わず目を閉じたままでいると、足元から私の顔に向けて何かが

体の上を歩いてくる。

脛、腿、お腹に進みヘソを踏んでなお顔に向かって歩いているようだ。

歩いてるというか、踏んづけられているというか。

私の体の上をスルスルと歩いて顔の横、右肩までたどり着き、耳に吐息がかかる位置まで来た。

あ、猫だ。

そう。

私の体の上を歩いている感触は、まさに猫の肉球だと感じていたし、肉球から感じる

体重の感じも猫そのもの。

その肉球が私の肌に吸い付くようにして歩いている感じだ。

今、私の耳にかかる吐息か鼻息は猫がよくやっている「喉のゴロゴロ」のそれである。

ゴロゴロも、「MAXゴロゴロ」なのだろう、嬉しくてゴロゴロを鳴らしすぎて

プルっプルっ鼻息も荒く

と、まるで弾むように鳴っているように聞こえる。可愛らしい。

あぁなんだ、猫ちゃんか、

温かいお布団に甘えに来たのだろうなと考えた。

猫は寒いときよくお布団に潜り込んでくる。飼い主にとっても至福の時だ。

なんとも言えない温かい気持ちとこの猫が愛おしくて堪らない、そんな高揚感で

目は閉じたままで

「よしよし、かわいい可愛い。来たの?来たの?

 ゴロゴロ言ってるの?いい子いい子」

などと散々話しかけているうちに

いつの間にか寝てしまった。

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朝起きて、すぐ気づいた。

あ、今は猫を 飼って居ない。

飼っていた猫たちはもう何年も前に天国に召されている。

ぶ厚い冬布団を眺める。

それにこんな分厚い冬布団越しに 猫が布団の上を歩いたとして、

私の肌に直接肉球のあの柔らかい

あんな具体的な感触を感じ取れる筈が無いこと。。

薄いパジャマの上を布団なしで直接歩くくらいでないと肉球なんて

感知できないはずである。

そうか、そうだったのか。

私は泣いた。

涙が溢れてきた。

猫が会いに来たんだ。

もしかして私が幼いころに死んでしまったあの猫ではないだろうか。

いやどうだろう、今まで十数匹は飼っていたからどの子かはわからない。

みんな天国に居ることは間違いないのだから何れかに違いない。

肉球は一匹分だったが、気配は今思えば一匹でなく複数だったような。。。

何故ならとても温かい思いを多く感じたからだ。

そして今思えば複数に囲まれているような感覚だった。

それを私は嬉しく思ったし抱きしめたい気持ちでいたのだ。

そう、嬉しかったのだ。あぁ会いに来てくれたと。

怖いという思いはなかった。

私には忘れられぬ後悔があったからだろう。

猫たちが生きている間にもっと愛情を注いで、もっと色々な思いを感じ取り、

もっともっと

抱きしめてあげたかった。もっと解ろうとしたら良かった。

そして守りたかった。

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当時、私はまだ子供だった。ただ猫が好きで好きで一日中猫と過ごし

捨て猫がいれば放っておけず連れて帰る。

初めて猫を拾って帰ったのが5歳で幼稚園の頃。

しかし祖父母も父母も飼うことに反対はなく、祖父に限ってはどうやら相当な猫好きだったらしく一緒に可愛がった。

猫が子猫を生んだりまた瀕死の仔猫を拾って帰ったりどんどん数が増えていった。

田舎の旧家なのでとても広く猫の数が10匹をゆうに超えても大丈夫であったと思う。

しかし

いくら可愛がり遊んでいたとしても、ちゃんと守り切れなかったという思いもあった。

例えば避けられぬ車での事故死

または近所に撒かれた毒ダンゴを誤って食べて手遅れだった事、

私のせいで救えなかった、ある仔猫の事も。

恐らく生涯後悔し、忘れない。

今は亡きお祖父ちゃんと泣きながら事故で亡くした猫の弔いをした記憶、

色んな事がありすぎた。

それでもみんな一生懸命生きていた。

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あの猫たちの姿は、記憶という思い出の中できっとずっと変わらない。

一匹一匹それぞれの個性、仕草、表情一つひとつ全てが私の中で

色褪せることもなく美しい可愛い姿のまま、永遠に変わらない。

萎れる事もない枯れる事もない蕾でもなく美しく咲いたままで

まるで紙の花のように。

終わることなく永遠に私の心に咲き続ける。

私にあなた達への愛がある限り。

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その後

それだけではない。

この事があってから今まで以上に猫ちゃんたちの思い出を心に刻んでいようと

意識するようにもなった。

今までと違う意識。

そして

あれから何年も経った今、一匹の猫を飼っている。

まさに溺愛していると友達にも笑われるくらい大切にしている猫さまなのである。

そして

歴代の飼ってきた猫ちゃんの話を、この猫に全部聞いてもらっている。

まぁ私が勝手に話しかけているだけなのだが。

しかし、さも聞いているように見えるのが不思議。

今この時もパソコンを打つ私の横で我が腕に体をくっ付けて、丸くなりピーピーと

はなを鳴らして眠りこけている。

ただ、

この子が我が家に来てから理屈では説明出来ない事に遭遇するようになるのだが

それはまた別の話。

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