僕は一人で渓流釣りに行くのだが、たまに奇妙な体験をする事がある。
そんな話。
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僕は友人から教えて貰った川へ釣りに来ていた。
友人と一緒ではない。
今回もお一人様である。
ちなみにその友人も単独釣行派らしく、町内で会う度に釣果やポイントの情報交換をしては
「今度一緒に行こうよ。」
と言い合うのだが、いつも具体的な約束はせずにいるので未だ二人で釣りに行った事はない。
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そんな彼が教えてくれたのだが、実は知っている川だった。
僕が生まれた町を流れる川だ。
とはいっても僕の育った地区とは随分離れたところにあり、名前は知ってはいたが一度も釣りに行った事はなかった。
そもそも釣れるという話を聞いたことがない。
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そんな事を伝えると
「その川にある公園では以前イベントでニジマスの放流をやっていたのだが、その時のニジマスが野生化して自然繁殖している。
もともと魚影の濃い川ではなかったので訪れる人もあまりいなく、今では数は少ないが大型のニジマスが釣れる穴場。」
であると言う。
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確かに僕が子供の頃にそんな事をやっていたような気がする。
確か公園はもう閉鎖されてるんじゃなかったっけ。
そう言うと、
「公園は閉鎖されてるが駐車場はまだ使える。
その駐車場から川にアクセス出来る。」
との事。
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それならば、という事でやって来た。
教えられた通り雑草が生え放題の駐車場に車を止め、しばらく進むと護岸整備された川が見えてきた。
この川か。
こんな渓相の川で釣りをするのは始めてだ。
なんていうか釣れそうもない。
こんな所に大型のニジマスがいるとは誰も思わないだろう。
確かに穴場である。
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期待半分疑い半分で釣り始めるが、案の定というか予想に反してというかさっぱり魚からの反応はない。
釣れそうなポイントが少ないのでさくさく釣り上がって行くのだが、やがて水深はますます浅くなり護岸はいよいよ壁のようになって来て、
絶対に釣れない。
というか魚がいない有様であった。
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渓相も言ってみれば、
「規模の小さい目黒川」
であり、僕はとうとう釣りを諦めた。
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これは友人に一杯食わされたかとも思ったが、こんな嘘を吐く男ではないし、そうであるならばそもそも友人ですらない。
もしかしたらこの川ではないのか。
ふと思い当たる。
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確か公園内を流れる川とは別にもう一本あったはずだ。
どっちが支流か本流かは知らないが間違いない。
さてはそっちだったか。
記憶が確かならば僕が入渓したポイントより下流側で二本に分かれるはずだ。
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仕方がない、戻るか。
本来なら来た道、というか川を下るのだが同じ道を引き返すのは嫌だ。
これは僕の性格でもあるのだが、僕は基本的に川を下らずに林道なり川岸なり楽に歩ける道を下る。
今回も頭より高い壁を渾身の懸垂でよじ登り、情けない喘ぎ声をあげながら脱渓した。
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さて、ここはどの辺だろう。
距離的にはさほど釣り上がってはいない。
まだ公園内、ではなくても少し下れば公園に行き着くだろうと道なき道を歩き始めた。
程なくして開けた場所に辿り着いた。
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モンスターハンターポータブルをプレイした事がある人は解ってくれると思うのだが、腰くらいまで伸びた草原が拡がるマップがあったはずだ。
あんな感じを想像して貰いたい。
僕は植物にあまり詳しくないので名前は解らないが猫じゃらし状のイネ科であろう草が何処までも続く光景にしばし呆然とした。
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草原の手前には朽ちかけたアスレチックが雑然と設置され、中央辺りにイベント用の野外ステージらしき建造物、更に奥には公衆トイレらしきものも見える。
かつて公園だった所だ。
ああ、確かこんな感じだったな。
と数える程しか来たことのない公園の様子を思い出す。
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ここを突っ切ってしばらく行けば駐車場に出るはずだ。
僕は草原に足を踏み入れた。
ふと足元を見ると解かりづらいが薄っすらと道があった。
いや、道という程のものではない。
今しがた誰かが通ったかのような踏み跡だった。
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はて、誰か先行者が居たのだろうか。
そんな気配はなかったし駐車場にも僕以外の車はなかった。
動物だろうか、とも思ったが違うようだ。
鹿の足跡も無いし、キツネやタヌキのような小さな動物でもない。
まさか熊か。
とも思ったがそんな感じでもない。
なんというか鈍臭い人がよいしょよいしょと歩いたような人間臭さがあった。
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踏み跡を辿り公園内を歩く。
朽ちてボロボロのいくつかのアスレチックを通り過ぎ、これまた崩れかけの野外ステージらしきものを迂回して踏み跡はその先の公衆トイレまで続いていた。
やはり僕の他にも人がいたのだろう。
僕と同じように情報を聞きやって来たはいいが、余りにも釣れない川に嫌気がさし歩いて戻ったのだろう。
なんだか似たような境遇のその人に妙な親近感を覚えながら踏み跡を辿る。
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野外ステージを迂回し公衆トイレに目をやると、人影が見えた。
まだ距離があるのでよくは解らないが、僕と同じように釣り人のようだ。
手には渓流用のロッドが見える。
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目があったように見えたので軽く会釈をして歩を進める。
と、その人はまるで隠れるように衝立の向こうに姿を消した。
なんだ感じ悪いな。
単独釣行とはいえ釣り場で人に会ったら挨拶を交わし、時には釣果など情報交換をするのがマナーである。
僕はムッとしながらも、やっぱり人だったと少しホッとしながら足早にトイレに近付いた。
「こんにちわー。」
こちとら怪しいものじゃないですよ、と言わんばかりに朗らかな声を上げてトイレに辿り着く。
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が、そこには誰も居なかった。
あれ?
そんなに逃げなくたっていいのに。
半ばムキになってその人が向かったであろう公園の先に踏み跡を探した。
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が、踏み跡は無かった。
おかしいな。
この先も同じような草原が続いている。
ならば踏み跡はつくはずだ。
それに僕の記憶が確かなら、このまま進んだ先が駐車場のはずである。
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消えたのか。
煙のように姿を消したその釣り人に少しゾッとする。
釣り人の幽霊なんか居るのか?
足跡を残す幽霊?
こんなまっ昼間に?
僕は薄ら寒いものを感じながらも、なんだか釈然としない気持ちで衝立の横から来た道を眺めた。
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視線の先に人が居た。
僕が辿って来た道を更に辿ってきたのだろうか。
遠くにロッドを持った釣り人が立って居た。
その姿を見た途端、僕は全身に鳥肌が立つのを感じた。
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それは「僕」だった。
僕そっくりの格好をした人間だった。
それは僕と目が合ったかと思うと、ペコリと会釈をして足早に近付いて来た。
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やばい。
僕はとっさに衝立の陰に引っ込んだ。
なんだあれ?
ドッペルゲンガー?
とにかく逃げなきゃやばい。
僕はバクバクいって飛び出しそうな心臓を抑え、もつれる足を動かして裏側に周りトイレから飛び出した。
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頭がくらくらして、夢の中のように足が思い通りに動かない。
完全にパニックである。
それでも必死に足を動かし歩を進める。
なんだか足元がフワフワして進んでる感じが全然しない。
まだか、まだか、
早く、早く、
追いつかれる、
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「こんにちわー。」
と後ろから明るい声が聞こえた瞬間、
僕の意識は銀河の彼方へ吹っ飛んだ。
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「ピッピッ」
車のロック解除の音。
気が付くと見慣れた愛車の横にキーを持ったまま突っ立っていた。
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どうやってここまで辿り着いたのだろう。
全く記憶がない。
怪我もないようだし、ロッドもしっかり持っている。
まさか、と思い時計を見るがしっかり時間は経っていた。
釣れない釣りをして脱渓するまでは夢ではないらしい。
その後の出来事は?
現実だったと断言する自信も無いが、夢だったと逃避するつもりも無い。
とにかく川を出てからここに着くまでに、何か非現実的な事があったことだけは確かだ。
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とりあえず気持ちを落ち着かせ、車を発進させる。
しばらく行った先のコンビニに車を停め着替える。
普段めったに掛ける事の無い、件の友人に電話してみた。
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「そんな川教えて無いぞ?」
なんて言われたらどうしようかと思っていたのだが、
「お、行ったの?釣れたっしょ。」
との言葉に取り敢えず胸を撫で下ろす。
川を間違えたらしい。
結局何も釣れないまま今から帰るところだ。
と伝えると、
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「間違えた?駐車場から見えるとこから入れただろ?」
気が付かなかった。
どうやら上流まで歩き過ぎたらしい。
「確かに二本に分かれるが、一方は見た通りの護岸整備された川で明らかに釣れなそうだからそっちには行かないだろうと思って言わなかった。」
との事だった。
うん、君そういうとこあるよね。
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「せっかく来たんだから戻って入り直せば?」
とも言われたが、公園内で迷って疲れた。
と伝え公園内の様子をそれとなく付け加えたのだが、友人は予想外というか逆にお約束通りというかこんな話をした。
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「何処で迷ったのかは知らんが、公園内には今はもうアスレチックもステージもトイレも無い。
閉鎖してすぐに取り壊された。
アスレチックは使用禁止のロープを張っていたが、無視して遊んだガキが怪我したから。
ステージは言わずもがな、崩れたら危ないから。
トイレは毎年のように自殺者が出たから。
嘘かホントか知らないが公園閉鎖の理由もそれらしい。」
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歯切れ悪く受け答えする僕の様子にピンときたのか
「何かあったの?」
と聞きたがる友人を華麗に受け流し電話を切った僕は、
「一人で釣りすんの辞めようかな。」
と、いつになく弱気になった。
それ以来、その川に釣りに行った事は無い。
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それからしばらく経った後、たまたまその公園の近くを通った。
紅葉が見頃の季節で駐車場には写真を撮るためだろう、何台かの車が停まっていた。
嫁さんが寄りたいと言うので立ち寄った。
紅葉は素晴らしく綺麗で、子供達もドライブに飽きていたので少し散歩することにした。
息子二人と手を繋ぎ、公園内に入って行く。
娘は嫁さんと写真を撮っていたので置いていった。
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しばらく歩くといつかのような草原が目の前に拡がった。
秋も深まりすっかり黄金色になった草原に僕は不覚にも心を奪われ、しばし呆然とした。
あの時は確かにあったはずの、アスレチックもステージもトイレも当然のように無かった。
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さて戻ろうかと子供の手を引くと、上の息子が言った。
「ねえ、ここずっと行ったら何があるの?
誰かが通った跡があるよ。」
見ると今しがた誰かが通ったような踏み跡があった。
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「なにも釣れない川があるよ。」
僕は笑って言い、まだ気になる様子の息子の手を引き来た道を戻った。
踏み跡は3人分あったような気もするが、多分気のせいだろう。
作者Kか H