中編4
  • 表示切替
  • 使い方

渓流釣り

「特技は?」

と聞かれるといつも困ってしまうのだが、

「趣味は?」

と聞かれれば、

「釣りと読書とコントラバス」

と即答出来る程度には釣りが好きだ。

書いてみて「釣りと読書とコントラバス」って語感がとても良い事に気付いた。

なんか「部屋とワイシャツと私」に通じるものがある。

どうでもいいけど。

nextpage

僕の住む北海道は渓流釣りのメッカだ。

朝イチから川に入れば大抵は釣れる。

なかなか人が入らないような所まで行けば、それこそアホほど釣れる。

だがそんな川は彼らの住処でもある。

その名もヒグマという。

北海道において全ての川は彼らのテリトリーと言っても過言ではない。

「この川には熊は居るだろうか?」

ではなく

「この川にも必ず居る」

のである。

従って如何に遭遇を避けるかが大事なのだ。

nextpage

僕は基本的にお一人様で釣りをするので常に危険は伴うのだが、幸いにもまだ渓流でお会いしたことはない。

釣行中に足跡や糞を見かけたら即時撤退と決めている。

慎重に過ぎるかもしれないが、単独釣行はこの位の心掛けで丁度いいのだと思っている。

nextpage

そんなわけで熊さんには未だ遭遇していないのだが、鹿にはよくお会いする。

道内では近年鹿が激増しており農作物への被害が大変な事になっているというニュースをよく見るが、本当に釣りに向かう林道で鹿を見かけない日が珍しいくらいに遭遇する。

都内で野良猫を見掛ける頻度とさほど変わらないレベルである。

nextpage

先日の釣行中にも向こうも気付かなかったのだろう、ふと顔を上げると目の前5メートル程の至近距離に鹿が居てお互い一瞬固まってしまった。

その途端、近くの茂みから突然鴨が飛び出して来たので腰を抜かすほど驚いた。

鹿も驚いたのだろう、そちらは本当に腰を抜かして二度三度転びながら逃げていった。

nextpage

「鴨とエゾシカと私」

カオスである。

nextpage

さて、毎度の事ながら前置きが大変長くなってしまった。

このように自然の中、一人で行動しているとたまに怖いというか奇妙な体験をする事がある。

そんな話。

separator

その日は新規開拓と決め込み、普段よりも更に上流のポイントから釣行を開始した。

2kmほど釣り上がったあたりで大きな函状のポイントに行き着いた。

青味がかった淵は底が見えない程深く、両岸は切り立った崖である。

ゴルジュ帯といって水の侵食で河床が下がり、このような地形が出来上がる。

さてどうしたものか。

水深が深すぎて遡行は出来ない。

崖を高巻いて迂回するのも無理そうだ。

多少消化不良ではあるが仕方ない、この辺りで引き返そうか。

と思っていると、

「ピィッ!」

崖の上から笛のような音が響いた。

nextpage

この音は知ってる。

鹿の出す警戒音だ。

林道で鹿の群れに出くわすと、大抵はこの音を出しながら逃げて行く。

鹿の姿は見えない。

多分あちらからも僕は認識されていないだろう。

という事は、この警戒音は僕に対して発せられたものではない。

nextpage

「ピィッ!」

もう一度。

熊でも居るのだろうか、緊張が高まる。

息を殺して辺りの気配を探る。

熊が近くに居ると、それと解るほどの獣臭がするらしい。

辺りに臭いは無い。

来る途中で足跡も見掛けてない。

念の為持って来た爆竹を鳴らそうと準備していると、

nextpage

「キャーッ!」

今度は悲鳴のような声が上から響いた。

鹿の声ではない。

人の声でもない。

こんな声を出す動物を僕は知らない。

強いていうなら猿だろうか。

動物園の猿山の猿の声に近いような気もする。

だが北海道に猿は居ない。

猿は基本的に暖かい所にしか生息せず、世界的な分布では青森県のニホンザルが北限らしい。

nextpage

「キャーッ!」

同じ声がもう一度響き、崖上の熊笹がガサガサと揺れたかと思うと、

一抱えもある程の大きな岩が落ちてきた。

nextpage

崖を転がり落ちて来た。

のではなく、誰かが放り投げたかのように綺麗な放物線を描いて岩は目の前の淵に落ちた。

驚く程大きな水柱を上げた水面を僕は呆然と見つめた。

崖の上に何かがいるのだ。

猿でもない人でもない何かが。

nextpage

僕は取り出した爆竹をバッグにしまった。

いたずらに刺激するのは得策ではない気がしたのだ。

もう声はしなかった。

辺りはさっきの出来事が嘘だったかのように静まり返り、岩を飲み込んだ淵の水面がわずかな余韻を残すだけだった。

僕は振り返り、来た道を引き返した。

nextpage

それからもこの川には何度か釣りに行ったが、あの声が聞こえる事はなかった。

あれはなんだったのだろう。

少なくとも「生物」であったことは間違いないと思う。

山に有りがちな「神聖なもの」も「霊的なもの」も感じなかったし、なによりも生物特有の「息遣い」や「生々しさ」がその声には確かにあった。

separator

最近は北海道も温暖化が進み、僕が子供の頃には居なかった生物が見られるようになった。

例えばダンゴムシ。

北海道にはワラジムシというダンゴムシに酷似しているが丸くならず可愛げの無いのしか居なかった。

nextpage

ミンミンゼミにカブトムシ。

どちらも僕が子供の頃には北海道に居なかった。

もしかしたら案外と猿も津軽海峡を渡って、開拓民のように道内に入り込んでいるのかもしれない。

うーん、でも正体は猿でしたってのもロマンがないなあ…

nextpage

UMA好きな僕としては未知の生物であってほしい。

名前はなんにしようか。

「エゾオオイワオトシ」

「エゾテングモドキ」

見かけたら是非ご一報を。

Concrete
コメント怖い
4
9
  • コメント
  • 作者の作品
  • タグ

@Shootingstar 様
コメントありがとうございます。
返信遅くなってしまい申し訳ありません。
そう言って頂けてなんだかとても、非常に嬉しいです。
ああ…返信コメントは凡庸です…

返信
表示
ネタバレ注意
返信

@カイト 様
お久しぶりです。
コメントありがとうございます。
僕の住んでいる地域は今のところ感染者もなく、わりかし平和に過ごしています。
こういった体験をしても渓流には行き続けています。
熊も怖いですけど好きなんですよねえ。

返信
表示
ネタバレ注意
返信