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長編15
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うさぎりんご~完成版~

「ハヤト君、又今日も…」

お昼の時間、子供達が楽しそうにお弁当を開けて自慢し合う中、ハヤトはビニールで包まれたコンビニのおにぎりのフィルムを、慣れた手付きで外すと無言で食べ始める。

最近のお弁当の主流はキャラ弁で、子供達は楽しそうにそれぞれのお弁当を得意げに見せ合っている。

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ハヤトの母親にも、コンビニのおにぎりでは栄養が偏ってしまうから、簡単でも良いから手作りのお弁当をとお願いはしているのだが、忙しいと言いつつ、綺麗に飾られたネイルを親指で弄りながら、眠そうに欠伸をし、お願いも一向に改善される気配がない。

幼稚園教諭は、いつもの様に自分のお弁当の中から、うさぎを象ったりんごを一つ楊枝で刺すと、ハヤトに渡す。

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無表情であまり感情を表に出す事のないハヤトだったが、このうさぎりんごはお気に入りで、この時だけは目が輝き、子供らしい表情をする。

ーネグレクトー

園側も児相に相談をしているが、怪我や痣などがない事と、毎日幼稚園に通わせて居る事から、緊急性はないと判断され、母親との面談も後回しにされている様子。

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ハヤトは1人で室内で積み木を遊びをする事が多く、他の子供達と遊ぶ事がない。

ジャングルジムもお砂場も滑り台も、まるで興味を示す素振りをみせない。

このままでは協調性も育たないし、何より友達と遊ぶ楽しさを知って欲しいと、そんなハヤトを教諭達は、他の子と遊ばせ様とお友達の集まる場所へ手を引いて連れて行くが、両足を踏ん張り、泣き出してしまう。

どうしてなのか幾ら問うても俯いたまま何も答えない。

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だが、時々、ハヤトが決して近付かない鉄棒の前に他の園児が行こうとすると、その腕を強く掴み、頭を大きく横に振る。

「穴」とだけ言い。

地面には勿論穴などないし、園庭には危険な場所などないのだが…

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子供達は園バスで送迎の子以外、親や祖父母のお迎えの子も園を後にするが、その日もハヤトは1番最後まで園に残っていた。

いつもの事だが、母親に電話をしても繋がらない。

「ハヤト君のお母さん、遅いね」

誰に言うでもなく、窓ガラス越しに薄暗くなる園庭を眺めながら呟くと…

「ママは来ないよ」と。

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「えっ?」教諭が聞きかえすとハヤトは積み木を重ねながら

「穴に落ちた」と。

「穴って?」

教諭の問い掛けにハヤトは答える事はなかった。

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日が暮れて真っ暗になってもハヤトの母親が園に来る事はなかった。

唯一の連絡手段の携帯へ何度電話しても繋がらず、ハヤトの緊急連絡先に記載のあった、離婚した父親の携帯へも電話をしたが、現在は使われていない様で、無機質な機械音が『現在この番号は…』と繰り返すだけであった。

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連絡先の記載はないが、ハヤトの母親が勤めていると以前耳にした夜の店を、朧げな記憶を頼りに店名を元にネットで探し、片っ端から電話をかけてみる。

本名ではなく、源氏名で働いているからか、それともトラブルを恐れてなのか、子供の通う幼稚園と言っても、どの店も「そんな女は居ない」と切られてしまう。

どうしたものかと園長とも相談をし、ハヤトを園に残したまま担任教諭が自宅を訪ねる事になった。

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歩いて15分ほどでハヤトの住む家が見付かった。

単身者向けのワンルームのマンション。

その3階にハヤトの部屋はあった。

インターフォンを鳴らすと、ドアの向こうから(ピンポーン)と鳴る音が響くが、誰も応える者はいない。

何度も押して待っているが、ドアが開く事も、返事を返す者も現れず、教諭は30分程インターフォンを押し続けたが、諦めて園に戻った。

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園には既に他の教諭達はおらず、園長だけが残り、デリバリーで頼んだハンバーガーを美味しそうにほうばるハヤトの隣で優しくハヤトを見詰めていた。

「どうでした?」

担任教諭を見ると、園長は心配そうな表情で尋ねるが、教諭は無言で首を横に振る。

「そうでしたか…。困りましたね…。」

そう言いながら瞳を潤ませ、ハヤトの頭をいい子いい子と撫でる。

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まだまだ幼いハヤト…

大人が守らなければ生きて行けないと言うのに…

余程お腹が空いていたのか、嬉しそうに笑みを浮かべてハンバーガーを貪る様に食べるハヤトが不憫でならなかった。

食べ終わると、付いたケチャップを拭い取る様に自分の指をしゃぶり、落ち着いたのか、園長と教諭に子供らしい笑顔を向ける。

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園長は再度ハヤトに聞く。

「お母さん、どうしたのかしらね?」

ハヤトは俯き、その後園長の顔を怯える様に見上げ

「ママ…

穴に落ちちゃった…

もう、いない…」と。

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「穴って?何処かの穴に落ちちゃったの?

それならお母さんを助けてあげなきゃ」

園長が言うと、ハヤトは俯きながら首を横に振り

「ダメなんだ…

あの穴に…落ちちゃったら…だれも…たすけて…あげられないんだよ…」と、途切れ途切れに答える。

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「何処にその穴はあるの?」

尚も園長はハヤトに問う。

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ハヤトは、暗い園庭の鉄棒の辺りを指差し

「あそこにもある…

うちのまえにもある…

ようちえんに来るときも…

ちいさいのもおおきいのも…

いっぱいあるんだ…」と…。

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「そんなにいっぱい穴が有ったら危ないわね…。

道を歩いてる人が落ちちゃうわよね。

ハヤト君は、お母さんの他に、誰かが落ちる所、見た事はあるの?」

園長の問いにハヤトは目を潤ませ

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「ママが…おうちにかえってきちゃ…ダメって…外にだされたとき…いつもあそんでた…ネコがいたの…

でも…

ネコが…はしって…ボクのところに…くるときに…穴に落ちちゃった…」

「え?ネコが?」

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「うん。

ボクの…ともだち…だったのに…

穴に落ちちゃって…

穴のなかから…ネコを…たすけてあげようと…おもったのに…

まっくらで…なにも…見えないんだ…」

ハヤトはネコを思い出したのか、静かに涙を溢す。

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「……そう…」

園長はハヤトを抱き上げ、ギューっとその小さな身体を抱き締める。

「お友達が居なくなっちゃって、淋しかったね…。

助けてあげようとしたのに、助けてあげられなくて、悲しかったね…。」

そう言うと、園長の胸に顔を押し当て、ハヤトは声を上げて泣き出した。

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そうのち、ハヤトは園長の腕の中で静かに寝息を立て始めた。

「眠っちゃいましたね。」

「不安と切なさで疲れてしまったんでしょうね。

こんなに小さな子を…

可哀想に…」

園長は自分の腕で眠るハヤトの髪の毛を優しく撫でる。

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「ところで、今朝はハヤト君のお母さんと何か話しましたか?」

「それなんですが…

最近は、お母さん、園の門までしか来ないで、ハヤト君を中に入れると、すぐに帰ってしまうんです…」

「それじゃあ、今朝は何もお話なさってないの?」

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「は…い…。

顔を合わせる度に、お弁当の事やハヤト君の着替えの補充の事や、お家にいる時のハヤト君はどんな様子かを聞くからでしょうか…

ハヤト君を園に連れて来ると、私と顔も合わさず、まるで逃げるみたいに帰っちゃうんです…」

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園長は黙って聞いていたが…

「このまま先生と私でハヤト君を育てる訳にも行きませんから、先ずは児童相談所でハヤト君を一時保護して頂きましょう。

それから警察の手を借りて、お母さんに連絡を取る事にしましょう。」と。

以前から相談していた児童相談所へ連絡をすると、早急にハヤトを迎えに来てくれると言うので、園で待ち、母親の事は警察に任せる事にした。

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目覚めると知らない男性がいた事から、最初、ハヤトは園長にしがみ付き、明らかに児童福祉士の男性を不審がり、優しい問い掛けにもそっぽを向いていたが、暫く経つと、ハヤトの好きな積み木で共に遊び出し、少しずつ心を開かせて行き、児相の一時保護施設へと連れて行った。

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その後、警察からは何度かハヤトの家庭環境などを聞かれたが、母親とはハヤトを預かる時にしか接点もなく、園側の要望にも応えてもらうどころか避けられていたので、詳細は判り兼ねると説明をした。

行方を調べた結果、母親はハヤトを置き、男とどこかへ雲隠れした様だと。

普段から、色々な男が部屋へ訪れていた様で、その度ハヤトは家を追い出され、近所の公園にいる事が多くあったと。

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いつも、以前誰かが捨てて野良になった猫と一緒にいたが、そのうち猫は死んだのか、姿を見る事がなくなり、ハヤトはハヤトで外へ追いやる事で誰かに何かを言われたのか…母親が体裁を気にしたのか、誰かに何かを言われるのを避ける為にか、外には出さなくなった様だが…

自宅マンションを調べたところ、ハヤトはベランダに出されていた様で、隅にハヤト用の毛布やおにぎりのフィルムなどが散乱していたと警察から聞かされた。

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痣こそなかったが虐待である事に変わりない。

ハヤトがこれまでどんな扱いを受けて来たのか知った園長始め幼稚園教諭達は、もっと早くに気付き、ハヤトを保護する事は出来なかったのかと、自分達を責めた。

児相からも何度か連絡が来て、これまでのハヤトの事を事細かに聞かれ、好きな物や嫌いな物も話した。

一時保護施設内でも、決して近付かない場所があり、穴がと言うだけで無理にでも連れて行こうとするの泣き叫ぶと言う。

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女性の児童福祉士の問い掛けには、返事だけはする様になったものの、男性の児童福祉士に対しては、近付くだけで怯え、言葉も発する事が出来なくなると言う。

一時保護の時にお迎えに来てくれた男性児童福祉士に対しても、目も合わせる事すらしないそうだ。

あの時は、園長も担任教諭もいた事から安心していた様で、そのまま見知らぬ場所へ連れて来られた事に不信感を募らせているのではないかとの話だった。

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そこで、次の休みの日に、園長と担任教諭はハヤトの面会で施設へ足を運ぶ事となった。

施設側からはハヤトの好きなうさぎりんご入りの、園長お手製のお弁当を持参する許可を頂き、お昼は3人でお弁当を食べるつもりでいた。

施設内に入り、先日の男性児童福祉士と、もう一人、ハヤトの担当をしていると言う若い女性児童福祉士に、幼稚園に通っていた頃のハヤトの話をし、ハヤトの現状を聞き、母親の事も話し合った後、ようやくハヤトのいる広間に案内された。

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ハヤトは園長と担任教諭の顔を見るなり、持っていた積み木を放り投げ、2人の元へ走って来た。

「えん…ちょ…せんせえ…。

ミサせんせえ…」

瞳に涙をいっぱい溜めながら、2人の顔を見上げる。

園長と担任教諭はしゃがむと、2人でハヤトを抱き締めた。

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「大丈夫よ…

大丈夫…。

ここにはハヤト君を傷付ける人はいないから。」

そう言いながら、ハヤトの背中を優しく撫でる。

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そうして、施設の食堂ではなく、ハヤトに与えられた部屋へ行くと、園長は持っていたトートバッグから

「お弁当が有るから、ミサ先生と園長先生と3人で食べましょう」と、ハヤトの目の前にお弁当箱を置いた。

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お弁当箱を包んだ青いギンガムチェックのハンカチを見て、その後に園長の顔を見上げ、ハヤトは嬉しそうに微笑んだ。

「ボクの…おべんとう?

ボクが…たべて…いいの?」

少し不安気に聞く。

「良いのよ。このお弁当はハヤト君の分!先生達のはこっちよ。」

園長はそう言いながら、2つのお弁当を取り出す。

3人でお弁当を前に、両手を合わせて「いただきます。」をすると、ハヤトは興奮気味に

「ボクの…ボクの…おべんとう!」

そう言いながら、大好きなうさぎりんごを食べ始める。

「りんごはデザートじゃないの?」園長が優しく問い掛けるが、ハヤトは余程嬉しかったのか、食べる事に夢中で園長の声も耳に入ってない様子。

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今まで、他の園児が食べている、お母さんの手作りのお弁当を、この子はどんな思いで見ていたのか…

園長も担任教諭も、胸を鷲掴みにされる思いでハヤトを見ていた。

「ごちそうさまでした!!」

ハヤトは食べ終わると、両手を合わせて大きく声を出す。

園長も担任教諭も、ハヤトが食べる事を見詰めているだけで箸が進んでおらず、お弁当は殆ど手付かずのままだったが、胸がいっぱいで、とても食べられなかった。

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ハヤトはすかさず

「うさぎりんご…たべて…いい?」と、園長と担任教諭のお弁当箱を覗き込む。

「良いわよ!先生達の分、全部食べて良いからね。」

園長が言うと、ハヤトは万歳をして、りんごをシャリシャリと食べ出す。

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「ボク…うさぎりんご、だいすき。

それからね…ねこも…ママも…

えんちょせんせぇと…ミサせんせぇも…だいすき!!」

ハヤトは今まで見た事のない様な、子どもらしい笑顔でそう言った。

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お弁当を食べ終わる頃には幼児はお昼寝の時間で、そろそろ面会も終わりの時間になる。

ハヤトの部屋を出て、園長は担当の児童福祉士の女性と少し話をする為に別室へ行き、担任教諭とハヤトは手を繋ぎ、並んで廊下を玄関に向かって歩いていた。

「又来るからね。

ハヤト君も、いっぱいご飯食べて、元気モリモリでいてね。」

担任教諭がしゃがんでハヤトに言うと…

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「ミサ…せんせぇ…」

ハヤトはしがみ付く様に抱き着いて来る。

担任教諭は、その小さな身体を受け止め、いい子いい子をする様に背中を撫でると

「せんせぇ………

穴がね…………」と、その場から見える施設の正門の辺りを指差し

「あそこに…

穴があるでしょ?」と、担任教諭に問いかける。

だが、担任教諭には穴がある様には見えず

「門の辺り?」聞き返すと

「うん…

あそこにね…

ママがいたの…

おいで、おいでって…」

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(ああ…そうか…!

ハヤト君を置き去りに行方をくらました母親だけど、何処からかハヤト君がこの施設に預けられた事を聞いて、連れ戻しに来たのかもしれない!)

担任教諭は

「ママはなんて言ってたの?

ハヤト君も一緒に行こうって?」そう聞くと

黙って首を横に振り

「なにもいわないの…

ただ…

ボクに…

おいで…おいで…って」

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「ハヤト君。

今度は美味しいアップルパイを持って来るわね。

又、先生達と一緒にお弁当、食べてくれるかしら?」

誰かの声で振り向くと、担当児童福祉士と共にいつの間にか話を終えた園長が、優しくハヤトの頭を撫でながら聞いている。

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「アップルパイ…って?」

ハヤトは首を傾げて聞く。

「りんごのお菓子よ?

甘くて美味しいの!」

園長の説明にハヤトは目を輝かせて

「うん!食べる!

せんせえといっしょ…

たべる!」と、嬉しそうに答える。

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帰り際、静かに泣くハヤトを、後ろ髪を引かれる思いで後にし、園長と担任教諭は駅の近くのカフェに寄り、ハヤトの話をした。

どうやら母親がハヤトを迎えに来た様だと話すと、園長の表情も曇る。

「どんな親でも、ハヤト君にとってはかけがえのない親…なんですものね…。

でもね?

一緒にいて不幸になるくらいなら、離れて暮らして、たまに会うくらいが良いのかもしれないわよね。

ただ、それを決めるのは私たちではないから…。

ハヤト君の人生を、私たちが最後まで背負い、共に歩く事は出来ないから…。」

両手で包んだカップへ視線を落とし、園長は淋しそうに呟く。

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ただ可愛い…

可哀想…

と、同情だけで、他人の人生を背負う事は出来ない。

一介の、幼稚園の園長と、そこで働く先生と言うだけでは…

カフェを出ると、2人は重い足取りでそれぞれ帰路に着いた。

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月に一度は園長と担任教諭は共だって、ハヤトに会いに出掛けた。

少しずつ、施設にも馴染んで来たのか、以前ほど男性を怖がらなくなり、同年代の子どもと遊ぶ事も増えて来たと言う。

相変わらず、穴の話をしたり、母親が迎えに来ているとも話していたが…。

未だに母親は失踪したままで所在は掴めず、祖父母もいない事から、そのままハヤトは児童施設へ入所と決まった。

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そんな話を聞いた数日後…

担当児童福祉士から園に連絡が来た。

ハヤトが居なくなったと…。

恐らく、母親が連れ去ったのだろうとの事だが、警察でも行方を探しているそうで、ハヤトと母親が一日も早く見付かる事を、園長と担任教諭だけでなく、ハヤトを知る教諭達全てが祈っていた。

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それから数日後…

園長が突然、消えた…。

いつも教諭達を見送り、最後まで園に残り、仕事を終えると戸締りも行ってから帰宅していた園長だったが、あまりにも帰宅の遅い妻を心配したご主人が、園に迎えに来たが…

明かりが点いたままの園長室はもぬけの殻で、園庭側のガラス張りの引戸だけが施錠されておらず、ほんの少し開いたまま、園長が普段持ち歩いているバッグも、貴重品や金品、携帯電話もバッグの中にしまったままで園長の机の上に、飲みかけのコーヒーと並び、無造作に置いてあったそうだ。

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警察にも捜索願いを出したが、失踪する理由も見当たらず、誰かに恨まれる様な人柄でもなく、手掛かりもないまま、園長の行方は分からず…教諭達の信頼していた園長先生は、突然、消えてしまった。

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「あ…雪が…」

ここ数ヶ月、園はバタバタと落ち着かない日が続いていた。

新しい園長は、今まで主任をしていた先輩教諭が就任したものの、まだまだ園自体は落ち着かず、目まぐるしい年明けの日々を過ごしていた。

子供達を見送り、教諭が掃除をしていると、ふと、窓の外に何かがチラつくのを感じて見ると、静かに雪が舞い落ちて来ていた。

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少しでも積もったら、小さな雪だるまを子供達と一緒に作ったら喜ぶだろう。

教諭は薄暗い園庭を窓越しに眺めた。

そして、ふと…

視線の端に何か動くものを捉えた。

「?」

そちらを見るが、特に何も見当たらない。

(チラチラと降り出した雪を何かと見間違えただけね)

教諭はそう納得すると、帰り支度を始める。

もっと雪が降り出したら、電車やバスもストップしてしまうかもしれない。

ストップしなくても、遅延して、寒い中電車を待ち、いざ電車が来ても満員を通り越した人の波にもみくちゃにされてしまうかもしれない。

そうなる前に帰りたかった。

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同僚達も皆帰宅し、担任教諭も新しい園長に挨拶を済ませると、ドアを開けて外へ出た。

「う〜…さむっ!」気温も下がっているのだろう。

どうやらこの雪は積もりそうだ。

だとしたら、今日は早く帰宅して、明日は早目に家を出ないと電車が動いているか分からない。

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足早に歩き、門に手をかけた時…

「………」

園庭の方から誰かの声がした。

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担任教諭は、暗い園庭へ足を向け、「誰かいるんですか?」

声の主へ聞いた。

だが、その問いに答える者の姿を見付けられない。

(風の音を声と間違えたのかしら…)

そう思い、又、門まで行こうと踵を返すと…

「せん…せぇ……ミサ…せん…せぇ…」明らかに自分を呼ぶ声を聞いた。

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担任教諭は、声のする方へ歩き

「誰かな?どこにいるの?」

聞き覚えのある声…

でも、どこに隠れているのか、姿は見えない。

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「ハヤト君?ハヤト君でしょう?どこにいるの?

先生にお顔、見せて!」

担任教諭は、明かりのない暗い園庭を見回した。

すると、鉄棒の前辺りに人の気配を感じた。

「ハヤト君?」

担任教諭は、ハヤトに話しかけながら、ゆっくりと声のする方へ向かう。

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いつもより暗く、闇が深く感じるのは、以前ハヤトの言った“穴“と言う言葉を心のどこかで意識し、見えない“穴“を、どこか不気味に感じている所為なのだろう。

ハヤトの姿は見えない。

だが、確かにはっきりとハヤトの声を聞いている。

担任教諭は声のする鉄棒の近くに着くと

「ハヤト君?どこにいるの?」

そう声をかけた。

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「せんせぇ…

ミサ…せんせぇ…

だいすき…」

足元からハヤトの声が…

担任教諭が自分の足元を見ると…

真っ黒な穴が地面にぽっかりと開き、そこからハヤトが顔を出して笑っていた。

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まるでモノクロームの写真の様に、色を失くしたハヤトの顔は…

あれだけ輝いていた瞳が、真っ黒な穴の様だった。

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「ミサせんせぇも…

ずっと…

いっしょ…」

担任教諭は答える間もなく、穴から伸ばされたハヤトの小さな手に両足を掴まれたかと思った次の瞬間。

穴の中へ引き摺り込まれる様に落ちた。

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どのくらい長い時間落ち続けているのか…

永遠とも思える長い時間、担任教諭は穴の奥へ奥へ

ただ、落ち続ける。

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落ちながら、少しずつ戻って来た思考で考える。

この穴は…

ハヤトの宝箱の様なモノなのか…

ハヤトの大好きなものだけが入れる…落ちる事の出来る穴…。

何も叶う事のなかった心の奥に出来たぽっかり開いた穴は…

いつしかハヤトにしか見えない穴となって…

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失くしたくない者を閉じ込める宝箱となったのかもしれない…

ねこも…

男を渡り歩き、自分を蔑ろにして来た母親も…自分だけを見て欲しくて…独り占めする為に…

園長先生も…

そして…

私も…

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ハヤトの心の穴を埋める為に…?

こうして、ハヤトの宝箱の中の一部として、這い上がる事のない闇の中を私達は生き続けるのだろう…

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いつしか…

真っ暗な穴を落ちながら…

考える事も忘れて…

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穴がハヤト君の宝箱への入口だったとは。
穴と聞くだけでマイナスのイメージですが、子供にとっては違う時もあるんですね。
子供の発想は、大人には分からない時がありますね。

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