残暑も少し落ち着いた9月の昼下がり。
出産を半年後に控えた私は、久しぶりに夫の実家を訪れていました。
夫の両親(義父と義母)は、外出中で、夫と私は、二階の窓から、眼下に広がる太平洋を眺めておりました。
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長く弓状に伸びた港湾には、たった今漁を終えたばかりの船が横づけされ、沖には大型のタンカーが ゆったりと停泊しておりました。
「最高のカメラアングルなんですが。カメラないのね?」
「ごめん。そうなんだ。」
夫の家には、写真を撮るという習慣がありませんでした。
カメラはもちろんのこと、アルバムもないと聞いて、私は、かなり驚きました。
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夫の実家は、両親を含め、子どもが4人もいる6人家族でした。
にもかかわらず、誕生日やクリスマス、お盆や お正月といった特別な日や、お祭りのようなイベントすら楽しんだ記憶がないというのです。
珍しいと言いましょうか、かなり不思議な雰囲気のする家でした。
「家族で撮った写真もないの。」
「集合写真なんて、一枚もないね。ここは、そういう家なんだよ。」
悪びれる風もなく、サラリといってのける夫に、私は何度も困惑させられました。
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珈琲でも飲もうかと、一階に降りると、
夫は、「その代わりといってはなんだけど。」
鴨居に飾られていた肖像画を外して見せてくれました。
描かれていたのは、一年前に亡くなった夫の姉Mでした。
丸みを帯びた顔 細い切れ長の目、私の知る夫の兄弟姉妹とは、少し違う印象を受けました。
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この肖像画は、若くして不遇の死を遂げた姉Mの遺影の代わりに描かれたものだというのです。肖像画を描いたのは、伯父のM男。M男は、この界隈では有名な肖像画家でした。
「姉さんが、あまりに不憫でさ。生前の写真が一枚もないと言ったら、葬儀屋にあきれられたし。」
「それは、そうでしょう。当たり前だわ。」
夫は、ばつの悪そうな顔をして、俯いておりました。
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「伯父さん、肖像画家なの?知らなかったわ。」
「まぁね。写真が珍しかった頃は、依頼が多くて忙しかったらしいけど。」
肖像画家の叔父M男は、本家の長男で、義父である夫の父は、次男にあたるということでした。男の兄弟は、この二人だけのようです。
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ぶしつけな質問だとは思いましたが、
「肖像画家って、この辺りでは、食べていける職業なの。」
と訊ねると、
「さぁ、上野の美術学校へも行っているし、名のある賞ももらっているらしいから。実力はあるみたいだけどね。画家では食っていけないでしょ。教員免許もないから、学校の先生も出来ないだろうし。」
どことなく、突き放したような冷たい言葉に、伯父M男への不信感のような良からぬ感情をいだいているのを感じた私は、それ以上深く聴くのを辞めました。
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後に、少しずつ分かったことですが、
夫の本家は、古くから網元として知られている素封家で漁業経営者でした。
本家の長男として生まれた伯父M男は、生来身体が弱く、肺の病を患っていたこともあり、戦時中だというのに、日がな一日家にいて絵を描いて過ごしていました。
そうしたくなくても、そうせざるをえなかったのでしょう。
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その一方で、次男の義父は、体格もよく、すこぶる健康で、学校の勉強もよくできたことから、物心つかぬうちから、長男の代わりに、馬車馬のように働かされたとのことでした。
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当時は、魚が獲れ、たいそう潤ったこともあり、伯父は、上野の美術学校(現;東京芸術大学)に進学し、そこで日本画を本格的に学ぶことにしました。
やがて、戦火が激しくなるにつれ、学問どころではなくなると、伯父は、さっさと東京を離れ、地元に戻ると、自宅の一部を制作場に作り替え、肖像画としての第一歩を踏み出したのでした。
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上野の美術学校を終わった逸材。
珍しさも手伝って、徐々に、その名を知られるようになっていきました。
以上が、今現在知り得る伯父M男の情報です。
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姉Mを描いた肖像画は、筆一本で生業(なりわい)を立てて来た伯父の作だけあって、今にも故人の息遣いが聞こえて来そうなほど見事な出来ばえでした。
口元のふくらみ、伏せた瞼の柔らかさ 髪のほつれ 着物に添うように流れる肩のライン
怖いくらいのリアルさに、私は、思わず声を挙げそうになりました。
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ただ、どうも腑に落ちないのです。
戦後、海外留学までして腕を磨いた実力ならば、不遇の死を遂げた実の姪を憐み、もっと明るく希望に満ちた表情に描いてあげてもよさそうなものですが。
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写真でいえば、修正を加え、実際よりも若く綺麗に見せたりするものです。
絵筆であれば、実物以上に容姿を盛って描くことぐらい容易なのではないでしょうか。
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ところが、伯父の描いたMの表情は、間近に訪れる死への諦めと、生前誰からも愛されなかったという絶望感に満たされていて、私の目には、息を引き取る間際か、もしくは、死後しばらくたってから描かれたように思えてしまうのでした。
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そんな私の気持ちを察したかのように、夫は、
「これでも、綺麗に描いてくれた方なんだよ。実際は、まだ40代なのに、老婆みたいだったんだから。」
幾多のモヤモヤした思いを払しょくできないまま、私は、夫の発する言葉に、ポカンとするしかありませんでした。
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「この伯父さんがいらっしゃったから、写真は、撮らなくても困ることはなかったのだろうか。でも、そもそも肖像画と写真とでは、その役割が違うだろうに。昔ならいざ知らず、この平成の世にあって、肖像画など、どれほどの需要があるというのだろう。」
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「伯父や本家に関しては、ちょっと、複雑な思いがある。実は、絵だって、父さんの方がずっとうまかったって話だ。」
つまり、兄より弟である義父の方が、全てにおいて優れていたということです。
カインコンプレックス 私の脳裏に、厭な言葉が浮かんでは消えました。
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お腹の子には、カインコンプレックスのような思いだけは抱かせたくはない。
私の心の中に、ふと小さな さざ波がたったような気がいたしました。
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「M姉さんは、父さんの船が戻ってくるのを待っていた。ぎりぎりまで葬儀をまってもらったんだ。なのに、何日待っても、父さんは、帰ってこようとはしなかった。無線で何度も何度も呼んだのに。」
夫はそう呟くと、そっと涙を拭いました。
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満潮の時刻になり、塩の香りが漂い始め、辺りはひんやりとした空気に包まれました。
雨戸がほんの少しだけ開いていて、そこから浜風が入り込んでいます。
「やませが吹き始めたね。道理で寒いと思ったよ。」
そろそろ、夫の両親が外出先から戻ってくる時間帯です。
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夫が雨戸を閉めようとした瞬間、ひらひらと一枚の紙が漂うように落ちてきました。
それは、大祓(おおはらい)の儀式に使う人形(ヒトガタ)と思(おぼ)しきもので、先程、肖像画の入った額を鴨居から下ろす際、額の裏側に貼ってあったものでした。
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夫は、人形(ヒトガタ)を拾い上げ、しばらく見入っておりましたが、そこに書かれた英文字を見たとたん、その場で激しく嘔吐いたしました。
駆け寄る私の手を振りほどき、台所に向かうと、流しの脇に置いてあった塩の入った壺を手に取り、怒り狂ったように撒き散らしました。
夫の手によって、ゴミ箱に放りこまれた人形(ヒトガタ)を拾い上げ、おそるおそる広げてみますと、次のような英文が記されておりました。
Miyako, the unrighteous child, cursed. Give this resentment to this house. Give these children the hardships until the last generation." M"ens
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祝 満願成就
「不義の子 Miyako 呪われよ。この家に、この子らに、末代まで この恨み晴らしたまえ。」M男
作者あんみつ姫
加筆修正いたしました。
ご笑覧いただければ幸いに存じます。
実話系怪談です。
隔靴掻痒
モヤモヤ感はぬぐい去ることが出来ないかもしれません。
お読みいただきありがとうございました。