私の妻が体験した話です。ある年の、三月下旬ごろの出来事です。
妻には歳の離れた姉がおり、実家での用事のため、二人で車で出かけたことがありました。
そのときは妻が車を運転し、姉は助手席に乗っていました。
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私と妻の間には十五歳の娘がいて、数日前に中学を卒業し、高校入学を間近に控えていました。
妻と姉は、偶然、娘が入学する高校の前の道路を通りがかりました。
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「姉さん、○○(娘の名前)は四月からここの高校に通うのよ」
妻がそう教えてあげると、姉は「そうなの、○○ちゃんも大きくなったわね」と普通に答えたのですが、不意に表情を険しくして、校舎を囲む塀を見つめはじめました。
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姉は小さいころから強い霊感を持っていて、彼女がそういう表情をするときは「何か」が見えているときなのだと、妻は知っていました。
その学校の塀は大通りに面していて、のっぺりとしたコンクリートの塀が単調に続いています。
姉はまるで印でも付いているかのように、何もない壁面の一点を見つめていました。
車が進むにつれ、首を捻ってその方を向いています。
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すっかり通りすぎてしまうと、姉は前を向いて、
「……○○ちゃんは、通学するとき、この道を通るの?」
と聞いてきました。
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「……ここは通らないわ。校門は反対側にあるの。私の家もそっちの方向にあるから、ここは通らないで行けるわ」
妻がそう答えると、姉は
「そう……この道はあまり通らないほうがいいわ」
と言いました。
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「……どうして? 何か見えた……?」
妻は不安になってそう聞きました。
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姉はちらりと横目で妻を見て、少しためらった様子を見せましたが、
「……ちょっとどぎついのが見えたから、言わない方がいいかと思ったんだけど、○○ちゃんが三年間通うんだから、知っておいたほうがいいでしょうね」
と言って、話しはじめました。
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姉が言うには、制服を着た、血まみれの女生徒が見えたのだそうです。
おそらくこの高校の生徒であろうその子は、塀の方を向いて、呆然と立っていました。
どこかとまどっているような様子で、学校に入りたいのだけど、入れない。そんな雰囲気が感じられたそうです。
想像以上におぞましいことを聞かされ、妻はゾッとしました。
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妻は以前から、この学校の塀と校門に違和感を感じていました。
塀に面した通りは道幅も広く、バス停もあります。
利便を考えれば大通りに面して校門があるのが普通でしょう。
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しかし、この高校の校門は大通りの反対側、細い路地に面した側にあるのです。
大通り側から来る生徒は、回り道して校門に入らなくはなりません。
以前から感じていた違和感と、姉の見た血まみれの女生徒は関係があるのでは――妻はそう思いました。
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妻は帰宅してから私にこの出来事を話しました。
しかし娘には、なるべくその道を通らないよう注意しただけで、姉が見たものを話すことはありませんでした。
せっかく新しい高校生活がはじまるというのに、影を落とすようなことを言いたくなかったのでしょう。
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四月になり、娘は高校へ通いはじめました。学校では特に変わったことはありませんでした。
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妻は、PTA活動などに積極的なほうなので、保護者の集まりなどによく参加していました。
集まりの場で、妻はさりげなく、不自然な校門の位置と、大通りに面した塀についての情報を集めようとしました。
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「どうしてあんな細い道に校門があるんでしょうね?」
こんな風に、出会った人からさりげなく知っていることを聞きだそうとしたのです。
若い保護者の方は、ほとんどが何も知りませんでした。
知っていたとしても「大通りは交通量が多いから、生徒の交通安全のため、あえて路地のほうに校門を設置した、と聞いたことがある」という程度でした。
それも、学校からそういう説明があったのではなく、そんな話を聞いたような……というあいまいな答えです。
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妻もそれ以上の情報を得ることをあきらめかけていたのですが、ある日、ある方から本当の話を聞くことができたのです。
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その方は、ある保護者の母で、用事で参加できなくなった保護者の代わりにPTAの清掃活動に参加していました。年齢は60代くらいの方です。
その方は最初、校門の件についてぼかした風に答えていたのですが、何かを知っていると感じとった妻は、姉が見たものの話までして、教えてくれるよう頼みました。
その方は、他の人に話さないという条件で、こんな話をしてくれたそうです。
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その高校の校門は、創立当初は大通りに面していたのだそうです。
それが、ある事件を機に、反対側へ移設されました。
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四十年くらい前のことです。その学校に、とても目立つ女生徒がいたそうです。
今風に言うと、校内ヒエラルキーの頂点にいる、とでもいうのでしょうか。
親が金持ちで、容姿端麗で成績が良くスポーツ万能。性格が高慢なことを除けばほとんど欠点のない子でした。
どこへ行くにも、彼女を崇拝する取り巻きに囲まれていたそうです。
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学校に君臨しているかのような彼女だったのですが、あまりに周りがもてはやすせいか、だんだんと不遜な態度が目立つようになってきました。
二年生になるころには、取り巻きたちのわずかな過ちも許さず、厳しく当たることが多くなったそうです。
取り巻きたちの崇拝は次第に恐れに変わり、彼女の顔色をうかがって行動するようになりました。
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そんなとき、ヒエラルキーのナンバー2にいた女生徒が、反旗を翻したのです。
その子は、女王のように振る舞う彼女を以前からうとましく思っており、いつかその座を奪ってやろうと、虎視眈々と狙っていました。
その子は、時間をかけて取り巻きたちを味方に取り込んでいきました。
取り巻きたちは、表面上は彼女を崇拝している振りをして、裏ではナンバー2の子に内通するようになりました。
そして、ナンバー2の子はある日を境に、取り巻きたちに彼女を見限らせたのです。
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彼女は突然、孤立しました。
かつての取り巻きたちは彼女を無視し、ナンバー2だった子に従うようになりました。
長年下に見ていた取り巻きたちに、彼女は突如見放され、ときには「長年の恨み」と嫌がらせをされることもあったそうです。
プライドの高い彼女は、ひどく傷つきました。
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絶望した彼女は、自殺を決意しました。
そしておそらくは、自分を裏切った生徒たちに、できる限りの復讐をしたいと考えたのだと思います。
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彼女は、校門前が多くの生徒で賑わっている朝に、通学バスに飛び込んで自殺しました。
バスの前に飛び出してはねられるのではなく、わざとタイヤの下をめがけて飛び込んだので、彼女の身体は、太いタイヤでぐしゃぐしゃに踏み潰されました。
shake
水風船が破裂するように激しく鮮血が噴き出し、近くにいた生徒に降りかかりました。
血を浴びた生徒が、恐怖で何人も失神したそうです。
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この事件があってから、当然ですが、生徒は校門を通るのを怖がるようになりました。
一時は校門を閉鎖して通用門を使用していましたが、三ヶ月もしないうちに、校門は移設されました。
元の校門は、それと分からないほど跡形もなく、塀へと姿を変えられたそうです。
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この事件は、学校を存続させていくために、できるだけ秘匿されるようになりました。
学校史にも残っておらず、過去にあった「交通事故」として扱われているのだそうです。
この話をしてくれた方は元の校門の位置を知っていて、それはまさに、姉が血まみれの女生徒を見た場所でした。
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四十年経ってようやくこの事件の記憶も風化してきて、今では知っている人が少なくなってきているそうです。
いまさら蒸し返しても生徒を怖がらせるだけなので、その方は、他の保護者には絶対話さないようにように言ったそうです。
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妻からこの話を聞いてから、一度だけ、女生徒が立っているという場所を妻と二人で拝みに行きました。
正直、怖くて近くに行く勇気は出なかったので、少し離れた場所から、手を合わせてご冥福をお祈りしました。
娘には、この話をしていません。娘は何も知らず、平穏な高校生活を送ってほしいと願っています。
作者常夜灯