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長編28
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神の領域

~~~第1節:<勇太>~~~

始まりは、由利子の家だった―――

俺「え、俺が由利子の家に泊まるの?」

冬の夕暮れ。田舎の住宅街。

雪道となった古びた一軒家が立ち並ぶ路地を2人で歩いている。

由利子は幼馴染で年齢は1つ上の大学2年生。今更 “さん” 付けで呼ぶのも逆に恥ずかしいので昔から呼び捨てのままだ。

由利子「ちょっと勇太、私の話ちゃんと聞いてたの?」

俺「えーと、深夜の2時にどっかから物音がして、それを確認するという任務だったような」

冷たい風が吹き荒れると、由利子は乱れた長い黒髪を手袋の指先でさらりと流す。

由利子「わかってるじゃない。深夜2時なんだから泊まるしかないでしょ。泥棒だったらすぐ逃げられちゃうんだから」

話しているうちに由利子の家に着いた。

築40年は経過し年季が入っている。

玄関の引き戸をガラガラと開けると懐かしい古びた香りがする。

由利子の母「あ、勇太君いらっしゃい。カニをたくさんもらったから食べてほしいのよ」

玄関正面は廊下が伸びており、左にL字型に廊下が続くのだが廊下が囲むダイニングにほとんど壁や障子といった区切りがなく実にオープンだ。左手にすぐダイニングが見える。テーブルとイスが4つ。昭和っぽい雰囲気。

ただ、照明だけがリモコン式の新品なのがむしろ残念な気さえする。

俺「お父さん、大変ですね・・」

由利子の母「あぁごめんなさいねぇ、心配かけて。まだ意識がないままだけど気長に待つしかないわね」

由利子のお父さんは先週、突然倒れて入院していた。おばあちゃんはご高齢で昨年他界していたので由利子とおばさんの2人だけ。心細いだろうと思っていた。

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夜7時。

テーブルにはカニ鍋が用意され、夕飯をごちそうになりながら由利子から話を聞く。

由利子「ほら、そこの物置部屋あたりから聞こえるのよ」

ダイニングから廊下を挟んで正面に戸が見える。

その場で目覚まし時計、懐中電灯、木刀、見覚えのある着替え一式を渡される。

質問しかけるより早く由利子が口を開く。

由利子「着替えはね、さっき勇太の家に行ってお母さんにもらってきたから」

こっちが何を話そうとしているかすぐに察する。観察力というか洞察力というか、由利子はいつも探偵のようだ。しかも、いつの間に着替えをもらってきたんだろうか・・。

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夜10時。

俺は2階の部屋に泊まらせてもらった。

意外なほどすんなりと眠りについた。

かすかに心地よい夢を見ていた気がするが―――

ドン!

shake

(・・・今、物音がした?)

時計を見る。

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深夜1時55分。

由利子がセットした深夜2時よりもわずかに早く目が覚めた。

懐中電灯と木刀を持ち、部屋から出て階段を下りる。

階段の電気は明るかったが、1階の電気が見当たらない。

(この家、廊下に電気がないからダイニングの仕切りを外しているのかな・・)

懐中電灯の明かりを頼りに廊下を歩く。

(真っ暗だな)

夕食の時は何も感じなかったが、

暗闇の中、懐中電灯で部分的に照らし出される昭和の家は妙に薄気味悪い。

単に足元から、すぅっとまっすぐ廊下の奥を照らす動作だけで妙に怖い。

照らし出した部分に変なものが映り込むんじゃないかと不安になる。

(これはシミがあるだけでただの壁なんだ)

自分で言い聞かせる。

(とはいえ、真っ暗で気味が悪い。いやだな・・)

ダイニングの電気をつければ物置部屋の前あたりは明るくなりそうだが、リモコンがどこにあるかわからない。

なんとか物置部屋の前にたどり着き、戸を照らす。

(しまった)

いざ1人で真っ暗な状況になって初めて準備不足を後悔する。

事前に物置部屋を覗いていないので中がどうなっているのか全く知らない・・。

右手の懐中電灯を照らしたまま、木刀を持った左手の残った指先で引き戸をひっかける。

心拍数が上がる。

戸を左に引こうとした瞬間

shake

ドン!

俺「わっ!」

びっくりして思わず指を離す。突然さっきより大きな音が鳴った。

俺「誰かいますか! 警察呼びますよ!」

返事はない。その代わりに返ってくる。

ドン・・、ドン・・

胸の鼓動が高鳴る。

木刀を利き手の右に持ち変えると、意を決して一気に引き戸を開ける。

音が一時、鳴りやんだ。

中は真っ暗で様子がわからない。

懐中電灯で中を照らす。

真っ先に見えたのはピエロのような人形の顔。

(わ、びっくりした・・)

懐中電灯を少しずつ動かして確認する。小さめの段ボール類、古い雑誌類、木彫りの置物・・。

人はいないようだ。

(とにかくまずは電気か)

照らし出した天井には裸電球がぶら下がっている。

だが裸電球は触ったことがない・・。

ヒモもなく、どうやってスイッチを入れるのか俺にはわからなかった。

中は4畳程度だろうか。懐中電灯で足元を照らす。

ガラクタのような荷物が多く、足の踏み場はわずかだった。床面が見えている場所をうまく一歩ずつ踏み入れていく。

懐中電灯で足元とその少し先を照らし出す。その時、ふとさっきの顔が照らし出される。

(ピエロか。無駄に2度もドキっとした)

shake

ドン!

俺「うわっ!」

心臓がドクン!と飛び跳ねる。

(お、音が・・! これ、泥棒じゃない。外から誰かが嫌がらせで壁を叩いているわけでもない・・)

間違いなく、この “部屋の中” で音が鳴っている。

(どうして? 何が鳴ってる!?)

音が鳴るたびに寿命が縮む思いだ。

わからない。どこから鳴っているのか。そもそもなぜ鳴るのか。

とにかく音が鳴る位置、懐中電灯でそれを照らさないと原因が掴めない。

冷静に分析しなければならない。

だがそれとは裏腹に精神をかき乱される。

部屋の一番隅に懐中電灯を向けた時だった。

わずか50㎝程度の至近距離で部屋の角にピタリと体を合わせるように人間が一人直立していたのだ。

俺「なっ!うわっ!うわっ!!」

慌てふためく。

俺「だ、誰だ!!け、警察呼ぶぞ!」

こちらの問いかけを完全に無視して立ち尽くしている。

・・・反応がない。

(違う・・? これマネキン・・・か。)

そう思った矢先に恐ろしい状況になる。

ドン・・・

ドン・・・、ドン・・・

shake

ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!

今までにない大きな音が縦横無尽に鳴り響いた。

まるで巨大地震が来たかのように部屋が大きく揺れ動くほど大騒音となった。

俺「ひぃぃ!!」

パニックになり一心不乱に入ってきた扉を目指すが、ガラクタだらけで足の踏み場もない。

色んな物を踏ん付け、無様に手足をバタつかせ、もがきながら必死に前に進む。

足には痛みが走るが恐怖でマヒしている。

やっとの思いで物置部屋から文字通り転がり出た。

廊下に這いつくばっていると偶然にも懐中電灯が目の前を照らし出す。

そこには、2本の足があった。

俺「ひっ!」

声にならず後ろにひっくり返るように後ずさりする。

次の瞬間、

ダイニングの照明がパチリと点灯した。

目の前に立っていたのは、由利子だった。

由利子「大丈夫?」

問いかけるその右手にダイニングの照明のリモコンを持っていた。

自分が息切れしていることに気づき、呼吸を整える。

俺「・・・外じゃない、部屋の中・・、中からなぜか音が鳴っている」

由利子「そうなんだ。ごめんね。足、ケガしちゃった?」

足が少し血でにじんでいた。

俺「ああ・・、慌てて出たから。まぁこれは大丈夫なんだけど」

由利子「ガラクタだらけだもんね、あの部屋」

軽く頷きながら俺は答える。

俺「そうね。特にあの黒いマネキンとか。見ただけでびっくりしたし・・」

由利子「やだ、さすがにマネキンなんて無いわよ」

俺「え・・・?」

寒気が走る。

よく考えてみたら、あの部屋の角は入り口から対角線でほぼ正面。

つまり、懐中電灯を真っ先に当てる位置だ。最初に気づかないわけがない。

(一体、なんなんだよ・・・)

何が起きているのか混乱するばかりだった。

とにかく、怖い。

(・・・手に負えない。俺じゃ解決できない。由利子の家にまで泊まったのにまるで自分は役に立たない・・)

俺は、ふと、霊感の強い一人の友人のことを思い浮かべた。

由利子「ねぇ、去年お墓参りに行ったときに勇太と一緒にいたお友達がいたじゃない?」

エスパーかと思うほどに察しがいい。知り合いだったのだろうか。

俺「今、同じこと思ってた。都合がよければ、明日来てもらおうかな」

由利子「彼、名前なんて言うの?」

ずっとうつむいたまま話していたが、俺はやっと顔をあげて答えた。

俺「タカノ君」

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~~~第2節:<由利子>~~~

2日目の午後2時。

私「ねぇ勇太、タカノ君って何時に来るんだっけ?」

勇太「あぁ、そろそろだと思う」

心なしか勇太の元気がない。

(昨夜の音の原因がわからなかったぐらいで “自分は役に立たなかった” とか思ってるのかなぁ。勇太は単純なくせに人に気を遣うのよね)

そもそも勇太を誘った本当の理由は、お父さんが入院してからお母さんも寂しそうだったし家に遊びに来てもらうことが目的だった。

(まぁ、お友達も呼んじゃえば賑やかよね)

ちょうど玄関で声がした。来客だ。

玄関を開けると一度だけ会ったことのある男子が立っている。

私「ごめんね。わざわざ人に家に来ていただいて」

視線を落とすと、彼は片手で器用に缶コーヒーをクルクル回しながら答える。

タカノ君「いえいえ。ヒマですから」

玄関で出迎えると改めて自己紹介をしつつダイニングのテーブルに案内する。

私「ケーキがあるから食べてね。勇太、席ひとつ隣にずれてくれる?」

勇太はなぜ?という表情をしつつも、言われるがまま隣のイスに移る。

私「タカノ君、左利きでしょ? その位置で座ると勇太とフォークがかち合うと思って」

タカノ君が左手でフォーク持ちケーキを食べ始めると、私はわざとらしく勇太に向かってピースをしてみる。

勇太「ウザい・・」

言いながら勇太はちょっと吹き出す。

それを見て少し安心すると、タカノ君に話しかける。

私「それでね、そこにある物置部屋で深夜に音が鳴るの。何かわかるかな?」

そこに被せるように勇太が昨夜のことを話す。

勇太「すごい音が鳴ってさ。あと、黒いマネキンみたいなやつがいて。そういうの見たことある?」

私は勇太と2人でググっと食い入るようにタカノ君を見る。

タカノ君「うーん。ない」

あっさり。

とにかくケーキに集中しているタカノ君が食べ終わるのを待ち、物置部屋へ3人で入ることにした。

まず勇太が戸を開けて中に入る。続いて、私とタカノ君。

この部屋は窓がないので昼間でも薄暗い。

裸電球の根本をパチリとひねると部屋が明るくなった。

勇太「そうやって点けるのか・・」

(知らなかったのか。現代っ子め)

するとタカノ君が突然、声をあげた。

タカノ君「ちょっと!それ何!?」

私はタカノ君の視線の先を追う。

ゆっくりとピエロの人形を手に取り、説明し始める。

私「えっと・・、これは昔お母さんがお友達にもらったお土産で・・・」

タカノ君「違う!違う!その下だよ!なんだよソレ!」

クールな感じだと思えたタカノ君が声を荒げるので少しギョッとする。

勇太「これ?この箱のこと?」

タカノ君「それ!すごく気持ち悪い。普通じゃないよ」

ピエロの下に台のように置いてあった30cm四方の木箱だった。

本当にただの立方体を成しているだけでフタも模様もない。

四隅が釘で打ち付けてあった。

勇太「けっこう木の感じは新しいよね。 最近のものっぽいけど?」

勇太が両手で持ち上げる。

若干重みはあり少しゆらすと中に物が入っているような感触があるようだ。

私「なんだろう、コレ。確かに新しいけど最近置いたのかな」

タカノ君「ソレ、ちゃんとした人に見てもらった方がいいと思う。よくわからないけど危ない感じがする。気持ち悪いよ。」

これが音の原因なの?

わからないけどやっぱりタカノ君はこういう感覚に敏感みたいだし。

結局、お寺で見てもらうことにした。

3人で私のクルマに乗ろうとするとちょうどお母さんが帰ってきた。

私「あ、お母さん、この木箱なにか知ってる?」

由利子の母「うーん、たぶんお父さんが持ってきて置いたと思うけど。どうしたの?」

一通り何か変な物じゃないかという話を説明して、

お母さんからは捨ててきてもいいと言われた。

古い軽自動車でトランクが狭かったため後部座席に木箱を置き、その隣に勇太が座る。

気持ち悪がっていたタカノ君は助手席。

由利子の母「あ、勇太君、後部座席でもシートベルトするのよ」

勇太「へーい」

私はクルマを発車させ雪道を走り始めた。

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午後3時30分

お寺に着くと、住職さんに事情を説明して大広間で話を聞くことになった。

住職「そちらですか? 妙な物というのは」

私「はい。中身は見てないんですが、音がしたことと関係があるのかと思って」

住職「無理に開けてしまってもよろしいですか?」

私「構いません」

住職さんは他のお坊さんに工具箱を持ってきてもらうと、お坊さんには掃除の続きを命じてさっさと追い払い、自ら釘を抜き始めた。

四本目の釘を抜き終わると、上ブタを引き上げるように木箱の一片を丁寧に外す。

いったい何が入っているのか。気になって仕方なくて前のめりに覗き込む。

(和紙がたくさん入ってる。緩衝材としてかな)

住職さんが中に手を入れると、大きめの和紙に包まれたモノが現れた。

(なんだろう・・)

住職さんは和紙をゆっくりと剥がす。

住職「これは、瓢箪(ひょうたん)ですね」

その瓢箪はこげ茶色で高さは25㎝以上だろうか。中央のくぼみは黒いヒモが縛ってあるがヒモが古すぎて粉をふいたようなボロボロの状態。

それにデザインがなんとも気持ち悪い。逆さにして底面側からたっぷりと血でもたらしたように下から上にあがる液だれのような赤黒い模様がある。

食い入るように見る私や勇太と正反対に、タカノ君は下をうつむいている。

住職「ずいぶん古い物だと思いますね」

私「その瓢箪、ちょっと変じゃないですか?」

勇太「変? 古くて気持ち悪いとは思うけど、どこが?」

私「縦方向に線がありますよね?」

住職「確かに。これは一度真っ二つにして膠(にかわ)か何かで再度つないだのか・・?」

当然、通常の瓢箪はそんな作り方はしない。昔の持ち主が割ったのだろうか。

その時だった。

shake

ドォォォン!!!

私「きゃあ!!」

みんな悲鳴を上げた。

住職「じ、地震? いや揺れていない。なんだ?」

この時、お寺の脇にある大木が建物に倒れたのだ。

後から見た話だが、かなりの太さの大木でとても風で倒れるとは思えなかった。

だが、問題はそんなことではなかった。

巨大な音に驚いたときに、住職さんが瓢箪を真っ二つにしてしまったのだ。

中心のヒモでかろうじてつながっていたが、瓢箪に入っていた小石が5,6個ほど畳の上に落ちた。

住職さんは無意識なのか中央のヒモを解く。古いヒモから擦り切れた破片が粉のように宙に舞った。

瓢箪を弁当のフタでも開けるように片側を上にしてゆっくりと開けた。

あまりにたくさんの小石が入っていたためボロボロといくつも畳に落ちる。

上側に持っていた瓢箪の片割れを見ると、内側には赤黒い文字がびっしりと書かれていた。

勇太「なんか文字がたくさん書いてありますね。読めないけど」

昔の草書体のような形だが文字はつながっていない。1文字ずつ独立している。日本語だろうか?

勇太「この小石も何の意味があるんでしょう?」

ハッと気が付き、思わず2,3歩後ずさりする。

私「違う! それ、小石じゃない! もうやだ・・」

泣きそうになる。

勇太「小石じゃない?」

そのまま勇太が改めて近くでよく見ようとする。

勇太「・・・これ、歯!? 人間の歯!?」

私「しかも大きさもバラバラなの・・」

勇太「つまり、子どもやら大人やら・・」

それが何十、いや数百あるかも・・。

いったい何人分の・・。

考えたら吐き気がした。

住職「 “瓦戻し” か・・・。」

私「カワラ・・・? 瓢箪ですよね?」

住職「割れた瓦を再び繋ぎ戻すことになぞらえて亡き者を黄泉(よみ)から戻す。

 おぞましきものを現世に返す・・。生死流転(しょうじるてん)の流れを狂わす・・」

聞いている質問に答えているというより、独り言のようにブツブツとしゃべっている。

住職さんはひどく慌てた様子で割れた瓢箪を戻そうとしているが、手が震えて戻すどころか人間の歯をバラバラと散らばす一方だった。

タカノ君「住職さん、大丈夫ですか!?」

住職さんの手は震えるというレベルではなかった。

もうガタガタと手を振り回すように動かしている。

住職「んぐぅぅぅーーーー」

唸り声をあげるとそのまま畳の上にバーン!と倒れた。

そして白目をむいて全身をガクガクと痙攣させている。

私「きゃー!!」

さすがに気が動転した。どうしていいのかわからない。

勇太が大声をあげて他のお坊さんを呼び出した。

3人のお坊さんが駆けつけ、救急車を呼んでもらった。電話では状況を伝え続けたが、自分たちが手助けできるようなことはほとんどなく、ガクガクと痙攣する姿をただただ見守るしかなかった。

救急車が来るまで10分ほどだった。田舎で雪道という条件にしては速い方だったかもしれないが、この10分間は地獄のように長く感じた。

住職さんの痙攣はもう収まっていた。

正確には生命が尽き果て、もう、動かなくなった。

勇太は、初めて、目の前で人が死ぬのを見た。

私は目を背けてしまった。見ていられなかった。

そしてこの時、1つの違和感を残す・・・。

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午後4時30分

お寺で少し休憩させてもらった。

私が運転して帰るため、お坊さんからそう勧められたのだ。

3人ともショックを受けていた。あの瓢箪が原因だというなら私のせいで住職さんが・・。

涙がずっと止まらなかった。

沈黙が続いていたが、口火を切ったのはタカノ君だった。

タカノ君「やっぱり、あの木箱がどこから来たのかを確認した方がいいのかも」

私「そうよね、お父さんに聞ければいいんだけど。」

(木箱、当然ここには置いていけない。クルマでしか持って帰れない。そうなると・・)

涙を拭いて男子2人の方を見る。

私「2人ともバスで先に帰ってくれる? 私しばらく休んでから帰るから」

勇太「えー、やだよ。面倒だから。車に乗せてよ」

即座に勇太が答える。

(あんたの身の危険を案じているのよ!

 ・・・と私が思っていることを勇太はわかっているんだよな)

私はタカノ君の目を見つめる。

彼はこの木箱をとても恐れている。現に誰よりも危険だということを察知していたんだからきっと・・・。

タカノ君「あ、僕も乗って帰りたいです」

私はため息をつく。

昔から人の心をよく理解できる方だと自負している。

でも、タカノ君が何を考えているのかは、いまいち読みにくい・・・。

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~~~第3節:<タカノ君>~~~

2日目の午後5時。

お寺から由利子さんが運転するクルマで出発する。

座席は行きと同じく勇太が木箱と一緒に後部座席に乗り、僕は助手席だった。

由利子「2人とも全然人の言うこと聞かないんだから」

怒っているようで由利子さんはだいぶリラックスしている。

勇太「安全運転で頼むわ」

由利子「のん気ね。タカノ君も本当に大丈夫なの?」

今度は遠回しでなくストレートに聞いてきた。

僕「悪い方に考えすぎるのはよくないですよ」

言葉ではそう伝えたが、実際は、かなり危険だと思っていた。

子供の頃から霊感だけは強かった。知識や経験は別だが、感覚だけはあの住職よりも自分の方が正確に感じ取れる気がする。

(何しろ、今まで感じたことがないレベルのシロモノだ。普通じゃない。)

しかし、それがわかっていても対処方法がわからないのだ。霊が視えたとしても追い払う方法がわからない。過去に大声をあげて霊を撃退した経験はあるが、そんな方法が毎度通用するのかどうか。

(住職のように死ぬ可能性もあるなら・・・)

怖い。

素直に、怖くてしかたない。

それでも、勇太が由利子さんを気遣っている気持ちを尊重したかった。

勇太は、行動力があって、シンプルでまっすぐな性格。自分には無いものだ。

そもそも木箱なんてお寺に任せることもできるはずでは?

でもこの2人は絶対にそうはしないのだ。

その感性に、気持ちよく心が震える。恐怖と矛盾した複雑な感情の中で単純に思う。

(この2人、嫌いじゃない)

クルマは雪道を長い時間、順調に走り続けていた。

ふと由利子が話し始める。

若干、雰囲気が重い。何か、嫌なことを話そうとしている。

由利子「私ね、昔から結構色んな物事を観察するのが得意な方だと思っているんだけど」

勇太「そうね」

軽く勇太が相槌を打つ。

由利子「でもね。今回はちゃんと見てなかったの。よくわからないの。」

助手席から由利子さんの表情をちらりと見る。前方に注意しながら運転している。

そのまま由利子さんはその時に感じた違和感について質問をしてきた。

由利子「あの瓢箪・・・、木箱にキレイに戻したのは、だあれ?」

優しい言い方とは正反対に、ゾッとする。

戻していない。

誰も・・。誰一人・・。

住職はあの状態で戻せるわけもない。

かけつけたお坊さんは住職のすぐそばで様子をじっと見ていた。

あの住職が地獄の苦しみと戦っている1分1秒の時間、誰も片付けなんてしているわけがない。

でも、救急隊員が来て対処していたあの時、確かに木箱は最初の状態だった・・・。

勇太「・・・片づけたんだよ。お坊さんが!」

一瞬、静かになる。由利子さんはあまり表情を変えずに返答する。

由利子「・・うん」

嘘だとわかっているが2人ともこの話をやめた。

この時、唐突に全身が粟立つほどの悪寒が走る。

とてつもなく気持ちの悪い感覚。

視線を下に向けると、自分の足元に黒いボールがあることに気づく。

いつの間にあったのだろうか?

すると、2つ目のボールがその隣から徐々に浮き上がってきた。

(ボールじゃない・・!!)

黒い何かは、にゅうぅぅっとだんだんと上方に伸びてくる。

慌てて後部座席を見る

僕「開けたのか!?」

勇太「え・・? あ、木箱? いや開けるわけが・・」

声にならないような声で勇太が短く叫んだ。

勇太「な!・・開いている! なんで・・、開けてない!俺は開けてないのに!!」

視線を前に戻すと、黒い何かが足元から無数に浮き出てくる。

由利子「きゃぁ!黒い煙・・このもくもくした黒い煙なに!? なんなの!」

勇太「どうした由利子、何を言って・・何もないけど?」

由利子さんが黒い煙と呼んだものは、もう足元から顔の高さまで上がってきた。

さらには走行中のクルマの窓にも無数の黒い何かが増えてまとわりついている。

煙じゃない! このひとつひとつが・・。

(か、顔がある・・・!)

崩れた表情だが亡者のような気味の悪い顔がついている・・!

少なくとも自分にはそう視えた。

こんな狭い車内で気味悪くうごめいている。

逃げ場がない!

(ひぃぃ!)

背もたれにビタっと体を押し付けて、必死で1cmでも離れようとする。

(な、なんだよコレ! 見たことがない・・! 今まで霊はいくつも見たことがあった。

でも、こんなのが・・! 本当にこんなものがいるのか!?)

黒い亡者の顔は自分の息がかかるほど近くでギョロギョロと目玉の位置にある穴を動かしているようにもみえる。

血の気が引く。

恐怖で意識が飛びそうになる。

(しかもこっちは “走行中” だぞ!)

クルマはスピードを維持して走り続ける。いや、むしろ速度が上がっている。

僕「ゆ、由利子さん! アクセル離して!!」

由利子「きゃあ! 見えない。前が見えない!」

周りがほとんど黒く塗りつぶされていく。

(まずい)

自分は “視える” ことで、肝心なクルマの外の様子が前も横も “見えない” のだ。

かろうじて隣の由利子さんを覗き見るとハンドルを持つ手が震えている。

さっきの住職の姿が脳裏に浮かぶ。

手の震え、痙攣、そして・・・。

(サイドブレーキ引くか!)

勇太「ダメ!後ろ来てる!!」

一瞬で自分が何をしようとしているか察知した勇太が短く伝達する。

僕「左は!?」

勇太「田んぼ!!」

shake

ガアァァァーーーーーン!!!

鼓膜が破れたかと思った。

激しい音と耳鳴りが混ざった瞬間、脳が揺れた。

僕は大胆に、思いっきり、ハンドルを左に引っ張ってやったのだ。

衝撃で意識が朦朧としていたが、徐々に視界が明瞭になってきた。

僕の命は自己責任だが・・。

(大丈夫だろうか、2人は・・)

勇太「・・・はぁ、おばさんに感謝だな」

後部座席で胸元のシートベルトをさすりながら勇太が言った。

由利子「私のせいで、ごめん、ごめんなさい・・」

ホッとする。3人とも無事だ。

そして何よりも、改善された状況がある。

(黒い奴、消えたか・・。上出来だ)

クルマはおそらく、車輪が歩道の段差にぶつかって大きくジャンプし、そのまま田んぼに突っ込んだようだ。

だが、大量の雪のおかげでダメージは最小限だった。

由利子「ごめんなさい、ごめんなさい・・。黒い煙で前が見えなくなって混乱して・・」

頭を下げ続ける。

(その黒い煙の1つ1つが化け物で、もくもくした丸みが頭部だったなんて言わない方がいいだろうな)

僕「ハンドルを勝手に左に切ったのは勇太ですから」

勇太「いや待て、オマエだろう」

僕「なんだとぉ?」

2人で同時に由利子さんに視線を送る。

由利子「・・・息ピッタリなのね」

勇太「そうね」

軽く勇太が相槌を打つ。

(全然ウケなかったな。そして彼女は人を分析するのが得意なタイプだな)

とりあえず由利子さんは謝るのをやめてくれたので目的は果たした。

(ああ、それにしてもあの黒い奴。怖くて心臓止まるかと思った・・)

憔悴し、深呼吸をした。

その後、警察が来て色々話したり、写真を撮ったりで面倒だった。だが体調も気にしてくれて後日また警察署に行けばいいらしい。

クルマは乗って帰ることはできなかったので、遠いけど徒歩でも帰ることになった。

・・・いや、正確には走って帰った。

何故なら、勇太が本当にバカで、カッコイイからだ。

走りながら笑いたくて仕方ない。

きっかけとなったのはこの一言。

由利子「木箱は私が持って帰るから。2人は先に帰って。これだけは絶対に譲らない」

頑固な由利子さんは説得に一切応じなかった。

そこで勇太は木箱を奪取するとそのまま全力で走り出したのだ。

確かに説得するより手っ取り早い。

実に勇太らしい、シンプルな方法だった。

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~~~最終節:<勇太>~~~

2日目の午後7時。

俺は体力には自信があったが、やはり木箱を持って雪道を走るのは大変だった。

由利子の家の前で足を止める。

寒空の下、白い吐息が止まらない。少しずつ呼吸を整える。

2人も後からゴールしてきた。やはり息は切れている。

由利子「ハァ、ハァ、・・この年になって鬼ごっこさせられるとは思わなかったわ」

(俺が口論で由利子に勝てる訳がない。それぞれ得意なもので勝負するのは常套手段だ)

由利子の母「遅かったわね。大丈夫だった? とにかく寒いから中に入りなさい」

全然大丈夫じゃない事の連発だったが、俺は素知らぬ顔で入ろうとする。

由利子「だめ!」

そのまま由利子はおばさんにいきさつを説明する。

由利子の母「・・・ごめんなさいね。勇太君、さすがに2日も泊められないから。2人とも暗いけど気を付けて帰るのよ」

(まったく、優しい母娘だ。)

タカノ君からの提案で、木箱は家に入れず、おばさんのクルマに置くことにした。

俺は帰宅し、不安な夜を過ごした。

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3日目の朝6時。

突然に展開に驚く。

きっかけは、由利子からの一本の電話だった。

由利子「ごめん、朝早くに。でもね、解決しそうなの!」

一気に目が覚めた。

由利子「あの木箱、お父さんが祖父母の家から持ってきたものだったの」

俺「え、お父さん、意識戻ったの?」

由利子「そうなの。昨晩、お父さんから電話がかかってきて教えてくれたの。祖父母の家ってこないだ火事で全焼して2人とも亡くなったんだけど」

(全然知らなかった。父方の祖父母だと会ったこともないしな。)

話によると、

木箱は由利子のお父さんが火事の片付けの時に燃え残ったので持ち帰ったらしい。

(あんなにキレイに燃え残るものなのか・・?)

由利子「でもね。その木箱はもともと神社から預かっていたものらしいの。」

俺「神社? なんで?」

由利子「そのあたりがよくわからないんだけど、お母さんが神社に連絡したらすぐに取りに来るって」

今日の朝9時には由利子の家に到着するらしい。

俺「行くよ。何かわかるかもしれないし。」

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3日目の朝9時。

タカノ君と一緒に由利子の家で待機していた。

すぐ外でクルマのエンジン音が聞こえる。

こちらから玄関の扉を開けると、ベージュのコートを着た50代ぐらいの男性が立っていた。

神社で宮司をしている者だと紹介する。

由利子の母「どうぞ、中へ」

宮司「いえ、失礼ですがとにかく木箱というのを先に」

そのまま外に出る。

足元は雪が積もっているが今は曇り空のまま降ってはいない。寒くて息が白い。

おばさんがクルマのカギを開け、木箱を取り出そうとする。

宮司「下がって!!」

突然、大きな声を出しておばさんはびっくりする。

宮司「あ、すみません。しかし、これは・・」

タカノ君が最初に木箱を見た時のリアクションと似ていた。

(この人、木箱を開けてすらいないのに、わかるのか・・!)

足早に木箱を自分のクルマに移動させると、その場で宮司さんは深く頭を下げる。

宮司「この度は私のバカ息子がご迷惑をおかけして申し訳ありません」

そのまま宮司さんは経緯を説明し始めた。

この木箱は宮司さんが2週間ほど神社を留守にしている間に、息子が知らない男から謝礼金と共に木箱を受け取ったのだと言う。

ところが、この木箱を受け取ってから次々と奇妙なことが起こったらしい。

宮司「私の留守中、夜中に物音が鳴ったり、黒い影を見たり。さらには神職者や神社に関係する人間に不幸が続くようになったようです」

俺「不幸・・・ですか?」

宮司「1人目は交通事故で死亡。

 2人目は心臓発作で死亡。

 3人目は意識を失い、原因不明のまま入院中に死亡。

 4人目は首を骨折して死亡。そして・・」

由利子「え、2週間の間に、ですか!?」

宮司「はい。恐ろしくなって息子は氏子の方の家にその木箱を強引に預けたようです」

それが由利子の父方の祖父母か。

火事で家が全焼して2人とも死亡した・・。

そして、木箱の行方もわからなくなったんだ。

俺「あの・・息子さん、今日は来ていないようですが?」

そいつのせいで由利子の祖父母は亡くなったんだ。

なぜそいつが謝りに来ない!

もっとも、あの住職が亡くなったのは俺のせいかもしれないけど・・。改めて、心が痛む。

宮司「息子は昨日亡くなりました。」

俺「え・・・?」

宮司「交通事故です。謝礼金で買ったクルマで死亡するとは因果応報だ」

由利子の母「ちょっと!いいんですか? 息子さんが亡くなられてこんなところに来ていて!」

宮司「本来ならばありえないことです。しかし、まだ生きている方を救うことは何よりも優先すべきことです」

まるで自分たちが死の淵にいるようでゾッとした。

事実、死にかけたが・・。

タカノ君「教えてください。あれは一体、なんなんですか?」

由利子「箱の中身は瓢箪で・・、住職さんは “瓦戻し” と口にしていました。」

瓢箪の詳細な内容や、その時に住職が発していた言葉を由利子はできるだけ正確に宮司さんに伝える。

宮司「仏門ではそのような呼び方をするようですね。私の知人にもいますが、賽の河原から亡者を呼び戻すものを “河原戻し” と言っていました。語源は様々なのでしょう」

(字が違うけど、カワラ戻し、か。)

宮司「あれは、生と死の境界をひどく曖昧にする存在です。通常、死からは何も生まれません。しかし、その理すら捻じ曲げるものです。視えない人からすれば “死の塊” だと言った方がわかりやすいかもしれませんね。」

(死のかたまり・・。要は人を死に追いやるものだろうか)

タカノ君「そんなものがこの世に存在するんですか? 無数に?」

宮司「あれほどのものは唯一無二かもしれません。ただ、原因不明の飛行機や船の事故、あるいは神隠しが多い場所には、おおよそあのような物が存在している可能性があります」

(そういえば先月、特急電車で大事故が起きたな・・。

 いや、すべてが関係あるわけではないだろうけど)

タカノ君「あれは瓢箪だった。中には歯が入っていて、文字も書かれていた。ヒモで縛ってあった。人間が作ったものでしょう?」

宮司「さぁ、それすらもわかりません。確かに人手で作られたようにも思えます。

しかし、瓢箪も、人間の歯も、人や植物も、細胞や原子も、さらには命も、みんな何から作られているのでしょう?

 ヒモで縛る行為は人間にしかできないのでしょうか。

 存在が消滅している亡者の形を成すことができる者がいるなら、その者はヒモを縛る形状を作り上げることもできませんか?」

由利子「人智を超えた話ですね。すごく気になるけど、すごく怖いです」

(話が難しいけど壮大な恐怖を感じる。命を簡単に作ったり消したりされたらたまらない)

タカノ君「もはや、この世の、人間の領域じゃないんですね」

それを聞いて宮司さんはゆっくりと染み入るように目を閉じる。

宮司「その言葉を借りるならば、 “神の領域” です」

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3日目の朝9時30分

宮司さんはクルマで出発した。

事故は心配だったが、どこにあっても危険なことに変わりない、とのこと。

この時は、

もう全てが解決したものだと思い込み、ホッとしていた。

皆いったん由利子の家に入ろうと玄関の方へ体を向ける。

先頭になったおばさんが玄関の引き戸に手をかけようとした瞬間だった。

ドサッ。

(・・・なんの音だ?)

何か重みがあるものが、何よりも大切なものが、

地面の雪に投げ出されるような音に聞こえた。

由利子の母「ゆ、由利子!!」

振り返ると積もった雪に由利子がうつぶせで倒れていた。

顔の右半分が見えるが明らかに蒼白で、生気がない。

(え・・、ナニ? なんで・・? 由利子? 由利子が・・)

一瞬のうちに色々な感情が沸き上がる。由利子は家族同然だ。当たり前にように元気で笑顔で・・、ありえない!こんなこと、ありえない!!

おばさんが近づこうとするより速く、タカノ君が片ヒザをついて由利子の体を抱きかかえる。

由利子を助ける行為に見えたのも束の間、

タカノ君は狂ったように雪を片手に握りしめて由利子の顔にグリグリとなすりつける。

タカノ君「がああああぁぁぁーーーー!!!!」

由利子に向って大声あげる。

(タ、タカノ君??)

信じられない光景だった。

おばさんも一瞬目を丸くしたかと思うと、奇行を止めようとタカノ君の方へ叫びながら駆け寄ろうとする。

由利子の母「ちょ、ちょっと! あなた一体なにを・・!!」

だが、それより速く俺が割って入る。

俺「救急車!おばさん!今は一刻も早く救急車!!急いで!!」

おばさんは意外なほど素直に頭を切り替えて踵を返し、年齢もサンダルも感じさせないスピードで家の中へ疾走した。

そして俺は、ダッシュでタカノ君の左横に入り、由利子の顔面を両手で挟むように掴むとタカノ君の倍以上大きな声で叫んだ。

俺「ざっけんな!こらあああああああああーーーーー!!

 消えろ!

 消えろ!!!

 消え失せろぉぉーーーー!!!」

俺にはわかった。

一瞬で。

何故なら、親友だから。

タカノ君が一体何をしているのか。多分他の人にはわからない。

でも俺にはわかったんだ。

今、由利子の体には悪い霊がまとわりついている。

タカノ君はそれを追い払おうとしているのだ。

だから、俺は涙を流し、顔はぐしゃぐしゃになりながら血液を沸騰させ、魂を削り、寿命も尽きていい思いで、肺が破れるほどに叫んだ。

俺「出ていけ!出ていけ!!消えろぉぉぉぉーーーー!!!!」

(由利子! 死ぬな! 死んじゃダメだ!!)

涙が止まらない。

のどが痛い。肺が痛い。

頭の血管が切れそうで耳鳴りがしていた。

でもそんな痛みはどうでもいい。

絶叫し続ける。

こんなことで追い払えるのかわからない。でもやれることがこれしかないのだ。

(由利子!由利子!!お願い!!)

どれぐらい長い時間、叫び続けたのかわからない。

突然、俺の胸のあたりに「バン!」と衝撃を受ける。

左腕でタカノ君が俺を後ろに抑え込むように制止したのだ。ふと冷静な現実に戻される。

タカノ君「消えた!!」

時間が止まる――――。

静寂だけがある。

何も聞こえない。

耳鳴りの音すら、聞こえない。

―――ゲホッ

溺れた人がむせ返るような咳払い。

由利子「ゲホッ、ゲホッ・・・あ、・・・わたし、倒れた・・?」

フラフラした感じだったが確かに、由利子は意識を戻した。戻ってきた。

俺とタカノ君は肩の力が抜け、そのまま後ろに尻もちをついた。

雪と泥が混ざってぐちゃぐちゃとした地面など気にも留めず。

そして、そのまま俺もタカノ君も片手を天に向けて大きく伸ばすと、無言のまま互いに一瞥もせず、利き手同士でハイタッチをした。

由利子「・・・息ピッタリなのね」

力無くだが、由利子は小さく笑みを浮かべた。

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<<<<< エピローグ >>>>>

由利子は元気になった。

念のため病院で診てもらったが問題なかった。

あの時、タカノ君に視えていたもの。

タカノ君「由利子さんの口の周りに気持ちの悪い黒い何かがまとわりついていて・・。

 とにかく必死でそいつを消そうとした。

 ・・それにしてもよくわかったね。視えたの?」

俺「まさか。でも最初の物置部屋では黒い奴が視えた気がしたんだけどなぁ。

 ところでさ、追い払う方法ってもっとスマートなの無いの? 呪文唱えるとか」

タカノ君「知らん」

残念ながら、

由利子のお父さんは亡くなった。

入院中に “一度も” 意識を戻すことはなかったらしい。

(・・・だとしたら、由利子の家にかかってきたあの電話は?)

由利子「絶対に、お父さんからの電話だった。お母さんがお父さんの声を聞き間違えるわけがない」

涙目にも関わらず、いつも由利子が頑固に意見を曲げない時の表情をする。

あの電話がなかったら解決することはなかった。

俺「危険なことから家族を守ろうとしたんだろ」

不可解なことが起きたのはわかっている。

だが、父が家族を助けた。単純にその事象が存在するだけだ。

その後、お寺に出向いて3人で住職のことを謝りに行った。

しかし大きな声で説教された。

「住職は自分の命は自分で責任を持てる人だ、君たちがそれを脅かすなど思い上がりだ!」

つまりは “君たちには何の責任もない” と諭された。

心が少しだけ軽くなった。

最後に、不安要素は2つだけ残っている。

1つは、俺たちが明日にでも死ぬかもしれないということ。

何故なら、宮司さんの息子が死んだタイミングがあまりに遅かったからだ。

あの木箱から離れて時間が経過してもなお、死んでしまったのだから。

そしてもう1つは、あの木箱を誰かが見つけ、瓢箪を手にすること。

俺「宮司さん、アレを誰にも手が出せないところで鎮めると言っていたね。大丈夫なのかな?」

タカノ君「さあね」

誰一人、絶対に近づかないでほしい。

死にたくないのなら。

 

―――了―――

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