【重要なお知らせ】「怖話」サービス終了のご案内

中編5
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ホームヘルパー

私は、在宅ヘルパーの仕事をしています。

主に、ひとり暮らしの高齢者のお宅を訪問し、買い物、掃除、洗濯、調理、排泄や入浴介助と言った家事全般や身の回りのお世話をしています。

この仕事に就いてから、ちょうど三年経った頃のこと、吉田ヨネさんという満90歳になるお婆様を担当することになりました。

ヨネさんは、築80年になるという古いお屋敷に、たったお一人でお住いになられていらっしゃいました。

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近所には、娘さんご一家が、俗に言う「スープの冷めない距離」にお住まいでしたが、年に二・三回、定期的に行われるモニタリングや聞き取り調査以外は、めったにお会いすることはございませんでした。

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ヨネさんは、認知症の一つ「レビー小体型認知症」を患っておられるとのことでしたが、この手の認知症にありがちな妄想や幻視といった症状は、あまり見受けられず、お歳の割には、目も耳も足腰も同世代の方々と比べ、しっかりとしていらっしゃる印象でした。

普段は、読書をしたり、庭を散歩したり、広い池を眺めて過ごし、疲れるとベットで休む 

その時々のご自分の体調に準じた無理のない生活を、心がけていらっしゃったように思います。

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ベットの枕元には、スープジャーが置かれており、私が訪問して真っ先にすることは、毎朝、近所に住む娘さんが届けてくれるスープを温め直し、ベットの枕元に置かれているスープジャーに入れることでした。

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スープは、ほんのり磯の香りのする白濁した潮(うしお)汁でした。

具材らしきものは、殆ど入っておらず、お出汁を取った後の 魚介類の油のようなものなのでしょうか。白いお麩のような塊がふわふわと浮いていました。

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お屋敷は、庭木も花壇も、きちんと お手入れがなされており、床はピカピカに磨かれチリ一つ落ちていません。

いつも時間に追われ、ハラハラしながら決められた仕事をこなさなければならない他の利用様とは違い、お買い物とお食事の支度以外、私は、ほとんどすることがなく、訪問する度に、いつも時間をもてあましておりました。

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ある日、いつものように玄関先で声をかけ、呼び鈴を押しました。

いつもは、明るい声が聞こえて参りますのに、今日は、お返事がございません。

慌てて中に入ってみると、ヨネさんのお部屋には、霧が立ち込め、シャボン玉の大きさの真っ白い泡が、窓や廊下に向かってブクブクと湧き出ているのが見えました。

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「吉田さん、大丈夫ですか。一体なにがあったんです。」

私は、大声を上げながら、ヨネさんの姿を探しましたが、夥しい数の泡と霧に阻まれ前に進むことが出来ません。

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すると、中から、聞き覚えのある凛としたヨネさんの声が聞こえてきました。

「アリスちゃん、ごめんなさいね。お部屋をきれいにする前に、ヘルパーさん来ちゃったわ。」

誰もいないはずなのに、一体どなたとお話しになられているのでしょう。

私は、目を凝らし、勇気を振り絞って、白く煙る霧の中を奥へ奥へと進んで行きました。

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やがて、目の前に広がる霧の中から、大きな物体が、のっそりと姿を現しました。

それは、左右に鋭利なハサミを携えた巨大な毛ガニでした。

巨大な毛ガニは、長くて鋭利なハサミの上に、華奢なヨネさんの身体を乗せ、抱きかかえるように立っておりました。

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そのまわりには、私の手のひらくらいの大きさのカニたちが、5匹蠢(うごめ)いておりました。

「あら、ごめんなさい。今、アリスちゃんやその子どもたちと遊んでいたの。時間間違えちゃったわね。」

アリスちゃんと呼ばれる巨大なカニは、ぐるりと身体を反転させ、私の方に向き直り、声を発しました。

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「こんにちは。アリスです。」

重低音が辺りに響き渡り、驚きのあまり、立ちすくむ私の前で、ヨネさんは、

「あなた方は、私を認知症といって憐れんているけれど、幻聴や妄想 幻視ではない時だってあるのよ。分かったでしょ。」

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ヨネさんは、スープジャーを取り上げると、スープを口に含み、私に吹きかけました。

激しい頭痛と目眩とともに、巨大なカニの鋭利なハサミが私の身体を貫き、私は、激痛のあまり、その場に倒れ込みました。

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気がつくと、私は、病院のベットに横たわっておりました。

「ヨネさんは?アリス・・・大きな毛ガニは?あの…。」

うろたえる私を制しながら、ヘルパーステーションの所長が、首を小さく横に振りました。

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「気づいたのね。良かったわ。実は、あなたが訪問した直後、吉田さんのお宅で、大きなガス爆発が起きてね。古いお宅だったからガス配管が劣化して、ホースにもヒビが入っていたみたい。かろうじて、あなただけは助かったけど。ヨネさんと娘さんは、だめだったわ。美味しいカニが手に入ったから、たまには、母子で一緒に食事しようとしていた矢先のことだったって。娘さんのご主人が、話してくれた。」

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「……。」

「ヨネさんのお孫さん、国際結婚していたのね。アリスさんとおっしゃるそうよ。つい今しがた日本に着いたみたい。落ち着いたら お見舞いに行きたいと話していたわ。お子さんが、たくさんいらっしゃって。お幸せみたいね。」

あの時見た巨大な毛ガニと、その周辺に群がるように蠢いていた5匹の物体の正体は…

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「あぁ、なんてことでしょう。ガスの配管の劣化に、ホースのひび割れ、私としたことが、どうして気づかなかったのでしょう。」

私は、顔を覆い身を震わせて号泣いたしました。

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その二日後、ヨネさんのお孫さんのアリスさんは、お約束どおり、わざわざ私の病室まで、お見舞いに来てくださいました。

ヨネさんに似て、端正で聡明なお顔をしていらっしゃいました。

子どもさんは、5人いらっしゃるとのことでした。

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「よちよち歩きの子なんて、まるでカニの子みたいな歩き方するんですよ。」

と、ヨネさんの思い出話に花を咲かせ、泣き笑いしながら帰っていかれました。

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退院した翌日から、私は、再びヘルパーの仕事に復帰いたしました。

世の中には、不思議な事があるものです。

あのガス爆発のあった日。

訪問した私が目にした巨大な毛ガニと5匹のカニ。

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「あなた方は、私が話をする度に、驚いたり、嘆いたり、憐れんだりしているけれど、幻覚や幻聴、幻視なんかじゃない時だってあるのよ。」

あの日 ヨネさんが私に放った言葉が、胸を鋭利なハサミで貫かれた時の痛みとともに蘇り、耳に焼き付いて離れません。

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