某地方都市のFMラジオ放送局。
土日をのぞく毎朝7時から9時までの約2時間の情報番組「ハローFM」は、この小さなラジオ局の看板番組だ。
パーソナリティーは、矢沢理沙。
元大手放送局KBMの女子アナとして、夜8時台のバラエティ番組の総合司会を任されていたこともある。
流石に喋りは上手い。
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理沙は、人気絶頂期に突然放送局を辞任し、北関東の地方都市に移り住んだ。
事実上の引退である。
今は、地元のイベントやホテルの結婚式、カルチャー教室のマナー講師などをして生計を立てている。
二度と放送業界に足を踏み入れることはないと思っていたが、華やかな容姿、頭の回転の速さ、過去の業績を、周囲がほうっておくはずはない。
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今から三年前、地元の企業が協賛し、ミニFM放送局を立ち上げる際、かつての仕事仲間だった佐藤真からの依頼で、渋々引き受けたやっつけ仕事だったのが、ズルズルと更新を続け、今に至る。
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以前勤務していた大手の放送局とは違い、ひとりで何役もこなさなければならない大変さはあるが、リハーサルや事前の綿密な打ち合わせといった面倒な作業はない。
することは、番組が始まる1時間ほど前にブースに入り、その日読む原稿と地方紙や全国紙のチェックした後、番組宛てに届いたメールや書類に目を通し、番組途中で流す音楽をチョイスする。手順と全体の流れさえつかめば、オンエアに突入出来る。慣れれば誰でも出来る仕事かもしれない。
そんな気安さもあって、理沙は、この仕事が辞められないでいた。
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理沙は、スタジオ入りすると、マイボトルに入ったぬるいコーヒーを口に含みながら、人気コーナー「今日のお呪(まじな)い」に寄せられたSNSの内容をチェックする。
元々この時間は、スポンサーがつきにくいことから、穴埋めとして「星占い」を入れていた。
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ところが、2月に入ってすぐ、番組に届いた「バレンタインデーに恋が成就するお呪(まじな)い」を紹介したところ、
「見事成功しました。ありがとう。」
「片思いの彼に思いが通じました。」
「お互い両思いだった事がわかり、今では交際に発展し毎日が充実しています。」
「この番組のおかげで、大好きな彼からプロポーズされました。」
といった成功体験談が連日届くようになった。
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以来、誰でも手軽にできる「お呪(まじな)い」が、若い女性たちを中心に口コミで広がり、朝の地味な情報番組に一気に火が点いたというわけだ。
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ラジオのリスナーは、比較的年齢が高めだが、このコーナーが始まる7時25分過ぎからは、一気に年齢層が若くなる。
ただ、最近は、マンネリ化してきたせいもあり、以前番組内で紹介したものと酷似したお呪(まじな)い や、放送コードに引っかかりそうなもの。怪しげな情報商材の販売を目的とした投稿も送られてくるようになり、そろそろ見直しの時期かなと思い始めていた。
とはいえ、新たな企画に向けたアイディアなど早々簡単に出てくるはずもなく、しばらくは、何とか自分の実力を駆使し時を稼ぐことにした。
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ある日のこと。
理沙は、いつものように事前の書類や番組宛てに届いたリスナーからのメール等をチェックしていると、添付ファイル付きの一風変わったメールが目に入った。
「ん!何この投稿。」
とりあえず、ざっと目を通してみる。
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「拝啓 矢沢理沙様
さて、これからお話することは、私が、過去に行(おこな)って、一番効果のあったお呪(まじな)いです。
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ただし、叶えて欲しいお願いは、「さがしもの」「みつけてほしいもの」に限ります。
すぐに効果がある分、守っていただかなければならないことがたくさんあります。
それについては、詳しく別途添付ファイルに記載してあります。
投稿内容を熟知し、是非、リスナーの皆様へご紹介いただけますようよろしくお願い申し上げます。
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投稿者 :有栖川 孝子(匿名希望)
ラジオネーム:「アリス」
<用意するもの>
:ハサミ(工作用、裁縫用どちらでも構わない)
:カップ一杯分の具材の入らない温かいスープ
:引っ掛けるためのフック
:フックを取り付けるための金具と工具
:タコ糸もしくは細い紐
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<守るべき決まり>
:必ず単独(1人)でする。
:個室
:窓やドアは施錠する。
:ハサミの片方、取手の部分を紐で結び、先端に輪をつくる。
:天井の中央フックを取り付け、輪っかを引っ掛けて吊るす。
:垂らす長さは、正座した状態で頭上5センチ程度
:部屋を暗くする。もしくは、カーテンを引いて外光を遮断する。
:スープは、塩味。
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<お呪いの手順>
①ハサミの下に正座する。
②目を閉じ、ゆっくりと「アリスさん、アリスさん、来てください。」と声に出して念じる。
③吊るしたハサミが、ゆらゆらと揺れだしたら、
「アリスさん、来ていただいてありがとうございます。〇〇をなくしてしまいました。困っています。探していただけないでしょうか。」と探してほしいものや探して欲しい人の名前を告げ黙祷する。
④10分程経過し、ハサミの揺れが収まった頃を見計らって、ハサミの取手から紐を外し右手(利き手)に持つ。
⑤再度、部屋の中央に正座し、ハサミを左右どちらかの耳元に持ち、刃をシャカシャカと開閉させる。
⑥「アリスさん、来ていただいてありがとうございました。全て、あなたのご指示どおり実行いたしました。○〇を探し、見つけていただきましたら、私の望む最もわかりやすい方法で教えてください。」と告げ頭を下げる。
⑥ハサミの刃が、自分の手前に来るように置く。
⑦具材の入らないスープをゆっくりと飲み干す。
⑧天井のフックを取り外す。
⑨カーテンを開け、窓やドアの施錠を外し開放する。
⑩「ありがとうございました。それでは、お帰りくださいませ。良い知らせをお待ちしております。」
とドアに向かって一礼する。
以上です。
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尚、この手順を間違えたり、準備するものをないがしろにすると、願い事は、一切聞いてもらえないどころが、逆に大切なものをなくしてしまいかねませんので、慎重に行ってください。
何が起こっても、当方一切責任を持ちません。
全て自己責任で行ってください。との但し書きもお忘れなきようお伝え下さい。
と締めくくられていた。
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いかにも、若い女性の好みそうなお呪(まじな)いだなと、理沙は苦笑しながら読み終えた。
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さてと。
ところで、このお呪(まじな)い。
「今日のお呪(まじな)いコーナー」に使えるだろうか。
再度、添付ファイルに記載された懇切丁寧すぎる決まり事を見る。
守らなければならないことが多すぎて、一度聞いただけでは全て理解するのは無理だと思う。
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これは、お呪(まじな)いではなくて、もう一つの「よみがな」である「呪(のろ)い」の方がふさわしいような気もする。
とても、時間内で紹介できるような内容でもなく、理沙は、もっと簡単に出来る「ハサミのお呪(まじな)い」はないか、ネットで検索してみることにした。
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「ハサミのお呪(まじな)い」を検索にかけて驚いたのは、意外にも、このお呪(まじな)いにまつわる記事が多いことだった。
ヒットした数だけでも、ざっと20件はある。
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どの記事も、わかりやすく、中には、ご丁寧に図解や写真入りで紹介しているサイトもあった。
ブログにいたっては、探しものが見つかった時の喜びの体験談や無くした物を見つける際の「コツ」などが、懇切丁寧に書かれている。
誰でも一度は、探しものをする際、お呪(まじな)いや、神仏に祈り願ったことがあるのだなと微笑ましい気持ちにもなった。
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理沙は、ラジオネーム:アリスから届いたことは紹介するが、メールの添付ファイルの手順については、お年を召した方や若いリスナーにもわかりやすいように、簡略化して紹介することにした。
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こうして放送された、「ハサミのお呪(まじな)い」は、予想外に好評を博した。
放送直後から、
「なくした手帳が見つかりました。」
「ありがとうございます。迷子になった犬が戻ってきました。」
「紛失してしまったと思っていた職場のロッカーの鍵が、庭の生け垣に挟まっていました。」
「まさか、こんなところに…と、いうような場所から見つかりました。」
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中には、「行方不明になっていた身内の所在がわかりました。」
などと、いささか笑えない内容のものまで届いた。
番組には、その日だけで山のような感謝のコメントが寄せられ、それから数日間、電話やメールへの応答やSNSの返信に追われることとなった。
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マンネリ化しつつあった、「今日のお呪(まじな)い」コーナーは、再び以前のような活気を取り戻し、下降気味だったFMラジオ番組の人気も上昇するかのように思われた。
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理沙は、「ハサミのお呪(まじな)い」のヒットにより、いつもより長めの連休をもらった。
気ままな独身生活。
「めったに無いご褒美ね。」
理沙は、かつての恋人、里中満との逢瀬を楽しむため、休暇中、仕事がらみの連絡は、電話やメール、Lineのはてまで全て断つことにした。
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「こっちも、長期休暇がとれたよ。明日は、久しぶりに、ふたりの思い出の地で会おう。」
満から届いたLineに「了解」と送信し、理沙は、スマホの電源を落とした。
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それから数日後、市街地の片隅にある雑居ビル一帯は、休日だと言うのに、騒然とした雰囲気に包まれていた。
地元のFM局人気パーソナリティ矢沢理沙が、ラジオ局のあるビルの屋上から飛び降りたというのである。
理沙が落下したの路面は、あたり一面が血の海で、事の重大さを物語っていた。
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理沙の遺体は、両目はえぐり取られ、両耳も鋭利な刃物で切り取られていた。
右手には、
「アリスさん、リスナーの皆さんごめんなさい。理沙は、地獄に堕ちます。」
と書かれた紙が握られ、口元には、直前に飲んだと思われるコーンスープがこびり付いていた。
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遺体の損傷は、予想外に激しく、警察は、他殺も視野に入れ捜査を開始した。
理沙のバックに入っていたスマホのLineの履歴から、この日の午後、会う約束をしていた里中満に、真っ先に疑いの目を向けたのだが、
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里中満は、ここ数日、自宅に帰宅していないという。
勤務先のテレビ局、交友関係、行きつけの店などシラミ潰しにあたってみても、満の痕跡はどこにも見当たらない。
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聞き込み調査によると、近所では、かなり前から満の姿を見ていないという。
里中満一家について尋ねようとすると、皆一様に口を閉ざし、何か隠しているようにも感じられた。
「ご主人、テレビ局に勤務しておられたから、いろいろあったみたいで。」
隣家の奥さんが、なにか事情を知っているかのように思われたのだが、この一言を引き出すのが精一杯だった。
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満の自宅では、満の母親が心病む満の妻、里美の食事介助をしていた。
「里美さん、あなたの大好きなコーンスープよ。」、
泣きながら、里美の口元にスプーンで一口ずつ、ゆっくりゆっくり時間をかけ、具材の入らないコーンスープを注ぐ。
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里美は、鳥の嘴を象った小さなハサミを手に、耳元でハサミの両刃をチョキチョキと開閉させながら、
「みぃつけた。みぃつけた。」
スープが口元から零れ落ちるのを気にもせず、椅子から腰を浮かせては、子どものようにはしゃいでいた。
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「ハサミの妖精アリスさん。見つけてくれてありがとう。」
一言呟くと、一口スープを口に含む。
ごくり
「アリスさん。私の大切な大切な宝物。隠してくれてありがとう。」
と叫び、
きゃははははははははは
鳥のような奇声をあげて、手を叩いた。
「もうなくさない。もう誰にも渡さないんだから。」
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「すみません。見ればおわかりのように、嫁は、少々頭がおかしくなっておりまして。後生ですから、今日のところは何もお話できることはございません。お帰りくださいまし。」
満の母は、里美の動きを制するように抱きかかえると、刑事と警官たちに向かって絞り出すような声で訴えた。
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捜査のため訪れていた刑事は、これ以上長居は禁物と、
「わかりました。」
と告げ、玄関に向かった。
「おい、帰るぞ。今日のところは、これで終わりだ。」
「え?なんでですか。まだ、なんにも聞けてないし、なんの手がかりもつかめてないじゃないですか。」
「いいから。」
血気盛んな若手警官の肩を叩き、すぐにここから出るように促した。
「では、今日はこれで帰ります。また・・・。」
それだけ言うと、早々にその場を後にした。
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道々、怒りを込めて呟く。
「有栖川孝子が絡んでやがる。くそっ!」
「はぁ?ありすがわ たかこ ですか。それって、都市伝説じゃないですか。」
「だから、頭にくるんだよ。ハサミの妖精さんだと?科学捜査をなめやがって。」
ふふふ
刑事の耳元で、微かな女の含み笑いが聞こえた。
(今回も迷宮入り…残念ねぇ。)
「てめぇ、このままで済むと思うなよ。」
刑事は、コートの襟を立て、唇を噛み締めた。
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あの悲惨な出来事からまもなく、例の雑居ビルは解体され更地となった。
遺体のあった現場には、花束が置かれていたが、それも雪が降り積もる頃には、全て撤去された。
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近代的なインテリジェンスビルに移転したFMラジオ放送局は、この4月大幅な番組編成が行われ、パーソナリティも一新された。
人気を博した「今日のお呪(まじな)いコーナー」は、星占いコーナーに戻り、平穏な日々とともに、リスナーの年齢層も元に戻ったとのことだ。
FIN
作者あんみつ姫
ふたば様 三題お題 三作目です。
有栖川孝子 再登場
拙作を最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。]
本作は、単独作品としても読めますが、以下作品と関連してお読みいただければよりわかりやすいかと存じます。
お時間のある方は、どうぞ。
「シン・ハサミのお呪い」
https://kowabana.jp/stories/35208
ちなみに、ローカル色あふれる
ミニFMラジオ放送局 私は好きです。
表紙画像。わかりやすいイラストにしてみました。
雰囲気だけでも伝われば嬉しいです。