それはまだまだ寒さの続いていた3月のことだったと思う。
仕事によるストレスからか、毎晩私は奇妙な夢にうなされていた。
separator
私は動物園にいる。
nextpage
昼間だというのに、曇り空なのか、園内は古いアルバム写真のように、どんよりセピア色に染まっていた。
歩く人影も、どことなく虚ろで疎らだ。
nextpage
私はというと一人ぼんやりと、ガラス越しから猿たちを観ていた。
すると、
nextpage
「あの、、、」
nextpage
真横から女の声がする。
誰だろうと、ふと首を右に動かした途端、ゾワリと背筋が凍った。
30前後くらいだろうか、黒いドレス姿の色白の女が立っている。
nextpage
ただ、女は普通ではなかった。
nextpage
顔がひっくり返っているのだ。
nextpage
つまり顎と口元が上で、頭が下にあり、長い黒髪をダラリと下に垂らしている。
そんな異様な風体の女が怯えたような瞳で、じっとこちらを見ていた。
nextpage
う、うわあ!
nextpage
私は恐ろしさのあまり、思わずその場から逃げるように立ち去る。
何度となく転びそうになりながら必死に走り続けた。
途中すれ違う者は皆、何故かさっきの女と同じ様なひっくり返った顔をしており、怯えた瞳でこちらをじっと見ていた。
nextpage
助けて、、、
nextpage
何度となく転びそうになりながら、ようやく出口が見えてきた時に、いつも目が覚めていた。
separator
連日そんな悪夢に苦しめられていた、
ある日のこと。
nextpage
その日の天気予報は、
夜半から雨ということだった。
separator
仕事を終えた私は、いつもの通り、夜7時過ぎには4階にある自宅マンションに到着していた。
リビングに入りカバンを下ろすと、まっすぐ奥まで歩き、サッシ戸を開き、ベランダに出る。
朝出かける前に干した洗濯物を取り込まないといけないのだ。
nextpage
冷たい風がサッと首筋を擽っていく。
頭上を見上げると、夜空には星が見当たらなかったが、幸運にも、まだ雨は降りだしていなかった。
足元に大きめの洗濯カゴを置くと、暗がりの中、てきぱきと次から次に下着や衣服を放り込んでいく。
全ての洗濯物を回収し、カゴを片手に、ベランダから出ようとした時だったと思う。
何気に後ろを振り向いた時だ。
nextpage
柵の僅か向こうの漆黒の虚空にいきなり、白い女の顔だけが降ってきたのだ。
まるでボールが落下するかのように。
驚いたことに、それは、あの夢の中の女だった。
やはりその顔はひっくり返っていて、ほんの数秒くらいで下方に消えてしまったのだが、その時私は女と目が合った。
女のめい一杯開いた怯えたような両目と、ピタッと合ってしまったのだ。
nextpage
「うわ!」
nextpage
私は思わず声を出し、洗濯カゴを抱えたまま、リビングの床に倒れこんでしまった。
息を整え立ち上がると、改めてベランダの方を見たが、もう女の姿はなかった。
nextpage
その晩の寝つきは良くなかった。
nextpage
目を瞑ると、あの女のひっくり返った顔と怯えたような瞳が現れてしまうからだ。
いったい、あれは何だったのだろうか?
どうして、あの夢の女が突然現れたのか?
私はその日、悶々としながら一夜を過ごした。
separator
翌朝、出勤しようと、マンションエントランスを歩いていくと、入口前にちょっとした人だかりが出来ている。
どうしたんですか?と、手前に立つおばちゃんに聞いてみると、飛び降り自殺ということだった。
nextpage
人だかりの先を見ると、一人の女が倒れていた。
真っ黒いワンピース姿のその女は、うつ伏せに倒れているのだが、血だらけの顔だけをこちらに向け、カッと両目を見開いている。
その目を見た瞬間、私の背筋に冷たいものが走った。
nextpage
昨晩のあの女だ!
nextpage
その時ようやく、私は合点がいった。
なんという不吉なタイミングだったのだろう。
私は飛び降りた直後の女と目が合ってしまったようだ。
nextpage
それにしても何故女は私の夢に現れていたのだろうか?
彼女は私に何か助けを求めようとしていたのか?
separator
今となっては全てが闇の中だった。
nextpage
Fin
separator
Presented by Nekojiro
作者ねこじろう