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中編6
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213号室の幽霊

 自分がまだ小学校低学年だった頃に一度怖い思いをしたことがある。

当時、造りも見た目もいかにも古いアパートに家族4人で住んでいた。

しかし古いとはいえ不便はなく、家賃も財布に優しかったので不満は1点だけを除いてなかった。

そのたった一つの不満というのが、隣の空き部屋だった。

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 僕が住んでいたのは2階の212号室で、空き部屋の隣は213号室。角部屋だった。

一度この213号室にかくれんぼのはずみで入ったことがあったが、中は昼にもかかわらず薄暗く、なぜか窓は僕の住んでいた部屋よりもうんと少なかった。

だがそれ以外はいたって普通で、空気も悪くなく、清潔感のある部屋だった。

むしろ綺麗であるからこそ異常な点が目立つのかもしれない。

この部屋で気味が悪かったのは、二か所、壁と床に大きなシミのような汚れがあったことだ。掃除されたばかりのような美しいリビングの、木張りの床の真ん中に、赤みの混じった丸く大きな黒い汚れが沈んでいる。

そして僕らの住む212号室側の壁には、筆で飛ばした絵の具のようにまばらに散った真っ赤な汚れが、真っ白な壁の中で異様な存在感を放っていた。

うまく言えないが、通常の光景に混ざりこんだ異常は特別気味悪く感じた。

なぜあんな汚れがあったのかは分からないが、今思い出しても鳥肌が立つほど気持ち悪い部屋と雰囲気だった。

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 とにかく、僕は213号室が大嫌いだった。部屋自体はもちろん、何かが変だった。

親には気のせいといわれたが、よく隣から視線を感じたし、気配も感じた。

静かな夜に耳を澄ますと、トン、トンと物音が聞こえることもあった。

近くに住む友達の話によると、昔からあの部屋は空き家だったらしく、最後に住んでいた住人は部屋の中で家族全員一緒に自殺した、と聞いた。

今考えればそんなはずはないのだが、一家心中の話は低学年には衝撃で、しばらく夜は眠れなかったことを覚えている。

偶然かもしれないが、友人の話を聞いてから家には不定期で無言電話がかかるようになった。

当時は公衆電話もまだそこそこの数があり、ハローページには家電も登録されていたはずだから、両親はいたずら電話と決めつけていたが、タイミング的に僕は幽霊による警告と信じて疑わなかった。

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 さらに隣の幽霊を確信に変えた事件があった。

両親と姉の例を見ない大喧嘩だ。

これは姉が当時ネットで流行っていたコミュニケーションサービスを両親に無断で利用し、ここに本名や住所といった個人情報を書き込んでいたことがばれたことに端を発したものだったが、これがひどかった。

姉は気が強く、中学年であるにも関わらずアカウント削除に猛反発し、ありったけの暴言を吐き捨てたと思いきや、周囲の物に八つ当たりはじめた。

これを必死に止める母も次第に黙っていられなくなり、大人として冷静に今の状況を考えた結果、冷静にいることに対する不条理を覚えたのか、姉以上に激高して怒鳴り散らかす始末。

女同士の争いに入れなかった父だけが、僕を気遣ってそばにいてくれた。

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 そんな大喧嘩は留まることを知らず、ヒートアップを重ねた刹那、ドン、ドン、と大きな音が部屋に鳴り響いた。

一家の時間が止まった。

その時、僕らは確かに互いの動きを見ていたし、部屋全体も見える場所にいたが、誰も大きな音など出していないしそんな音がなるような事象は起こっていない。

しばらくピタリと動きを止めていたが、父の一言によって緊張の糸が切れた。

お隣があまりにうるさいんで怒っているのだと。

母と姉はこれに納得し、途端に恥ずかしくなったのか、喧嘩をやめて大人しく事態の収拾に取り掛かった。

もちろん、この父のいうお隣とは、人の住んでいる211号室のことであるが、僕は213号室のあの真っ赤な汚れのあった壁から音がしたのをはっきりと聞いた。

隣には幽霊が確実にいる。家族の霊が、家族喧嘩している僕らを怒っている。汚い言葉を家族に吐いた姉を、母を。そして止めなかった僕と父を。そう考えた。

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 この事件から間もない日曜日。僕が外遊びから家へ帰る夕方に、友達と別れ一人で歩いていると見たことない大人の男が僕のことを呼び止めてきた。

「いかのおすし」の心得があった僕は、近くの友達の家へと歩みを変えながらも返事だけは返した。男はぶつぶつと何か言いながらも、急に

「君の名前は(姉の名前)ちゃん?」

と尋ねる。もちろん違うので、違う旨をぶっきらぼうに返し、そもそも自分は男であると言い捨てて友達の家へ走って逃げた。

男は呆然と立ち尽くしていたが、その後どうしたかは知る由もない。

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 友人宅についてからは、その子の母親に家まで送ってもらった。

最近変な人が多いから気を付けて等々、語っていたが、変なのは僕の家族だった。

なぜか家の外にいて、更に不思議なことにアパートの管理人と深刻な表情で何かを話している。

僕が近づくと、実に安心した顔をしていた。

母はしきりに友人の母親に礼を言った後、父以外の3人は家に帰らずそのまま近くのホテルに泊まった。

そしてすぐにセキュリティのしっかりしたマンションに引っ越した。

電話番号も変えていた気がする。

低学年の僕には急な引っ越しで、小学校まで変わるなんて、これは間違いなく213号室の霊の仕業だと踏んでいた。

極めつけに僕が遊んでいた間に何があったのかを両親と姉に聞いても、知る必要はないと一切教えてくれなかった。

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 そして年月が流れて先週、僕はふとこの出来事を思い出して姉に聞いてみた。

僕がいなかったときに何があったのかを。

姉は苦い顔をしたが、過ぎたことだと了承して話し出した。

実はあの日、僕が出かけてからしばらく経った昼頃、隣の部屋、213号室から異臭がし始めたのだと。

ガスのような科学的な匂いに我慢できず、父は管理人を呼んで隣の解錠と確認をさせたらしい。すぐに管理人が来て隣を開けたところ、そこはひどい有様だった。

内部は明らかに人が生活していたと思われる痕跡が残っていた。姉も覗き込んだみたいだが、そこには食べ物の容器や飲み捨てられたペットボトルが散らかっており、ゴミ屋敷さながらであったと。

ホームレスでも住み着いていたのか、近所の住人がゴミを勝手に捨てていたのか、とにかく異臭の原因はこれかと思われたが、これが違かった。

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異臭の原因はガソリンだった。

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このゴミにはもちろん、部屋の中にはガソリンがまき散らされており、これはベランダまで続いていた。そしてベランダにはライターが無造作に置かれていた。

これに気づいた父達はすぐに213号室を離れ、警察に通報。そこに僕が帰ってきたらしい。

つまり、横の空き部屋を狙った放火が行われようとされていた為、これ以上あの部屋に住み続けるのは危険と判断し、すぐに引っ越したらしい。

213号室には幽霊ではなく、放火犯が住んでいたのだ。

父がいなかったのは事情聴取を受けていたからであり、その後警察のアドバイスにより、子どもが狙われていた可能性を考慮して学校まで変えたそうだ。

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なるほど。しかし、僕は一つ家族に隠していることがある。あの日曜日の夕方。話しかけられた男のことだ。

彼はなぜか僕のことを姉と勘違いしていた。

考えすぎかもしれないが、僕は思う。

もしかしたら彼は姉のネットのコミュニケーションサービスの個人情報を見て隣に住み着いたのではないかと。

ずっと僕らを観察して、姉が電話番号を載せてからは、無言電話をかけることでネット上の姉と現実の姉を一致させた。

それで確信がとれたものの、親にばれた大喧嘩を見て自分が尋ねた履歴がばれると思い焦った。

それで一人で出かけた僕を見てあわてて行動に移ったのではないか。

この時、男はなぜか僕と姉を間違えたためか、結局何もできず213号室の秘密が明るみに出たが、もし勘違いしていなかったら。

そしてもし僕が友人宅でなく、そのまま自分の家に帰っていたら。

どこかに連れ去られていたか、あるいは213号室で無理心中に付き合わされ、将来の噂の種にされたか、いずれもろくな結果にはならなかっただろう。

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あくまでも僕の推測であるから、真実は分からずじまいだが、このことを両親と姉に伝えるつもりはない。過ぎたことだ。

ただ僕の中ではこの推測は確信に変わりつつある。隣には放火犯でなく、小学生のストーカーが住み着いていたのだ。あまりに合点がいく、ただ1点を除いて。

結局あの213号室の床と壁の汚れは何だったのだろう。

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