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盆の13日。
墓参りを済ませた帰り道。
ふらりと立ち寄った町外れの店で、たまたま隣り合わせた初老の男は、午前0時発、最終便のフェリーで帰ると言った。
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テレビもラジオも、カラオケも、有線も引いてねえ。
こんなシケた淋しい店で、真夜中の0時まで時間つぶしとは。
独り身の俺でも、気が滅入る。
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客は、俺と男のふたりだけ。
気まずくなった俺は、男に話しかける。
「こんな時間に、墓参りですか。」
「まぁ、そんなところでしょうか。」
「毎年、フェリーで帰省するとは、お疲れさまですね。」
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「時間はかかりましたが、今日で、しなければならないことはほぼ完了しました。」
男は、俯(うつむ)いたまま、そう応えた。
「それはよかった。だから、やっと墓参りを済ませたら、こんな時間になってしまったというわけですな。」
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男は、ウィスキーの水割りを口に含むと、ゆっくりと頷(うなづ)いた。
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「盆とは、いいものです。普段会わない親戚や知人にも会いに来れる。
盆暮れでもないと、年々、地元には帰りづらくなるものですしね。」
「・・・ですね。」
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とりとめのない会話をした後、男は、新聞紙に包まれた小さな花束をカウンターに置いた。
「これは、墓所からの帰り道、道端に咲いていたものですが、よかったら、お店にでも飾ってください。」
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「お気遣いありがとうございます。殺風景な店が明るくなります。コスモスは、亡き妻の好きな花でした。」
マスターは、目尻にシワを寄せ、今にも泣きそうな顔をして丁寧にお辞儀をした。
ー偶然にしては、いい話じゃないか。酒の肴にぴったりだぜ。
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「コスモスか。さて、どんな香りがしますかね。さしずめ、甘酸っぱい恋の香りとか。」
私は、おどけながら、カウンターに置かれた花束に顔を近づけた。
「お客さん、コスモスに香りなんて無いですよ。」
グラスを磨きはじめたマスターが、苦笑しながら口を挟(はさ)んだ。
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「これでも一応理系でしてね。生物と化学は得意だったんですよ。」
「へぇ、人は見かけによらないねぇ。」
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「先程の話なんですが。マスターの元のご職業は?」
談笑する私たちの会話に、急に、男が割り込んできた。
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「△□製薬で、ちょっとした研究開発に携わっていました。」
「ほほう。そうでしたか。それは、素晴らしい。△□製薬なら一流企業だ。」
男は、大げさに褒めちぎった。
「もう30年以上も前のことです。一応、大学院にも進学しましたのでね。」
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「いやいや、なかなかのものです。化け学のスペシャリストでしょう。大したものだ。こんな小さな町にいらっしゃるとは驚きましたよ。」
さっきまで、低い抑揚のない声でボソボソとつぶやいていた男が、突然立て板に水のように、流暢に話しだした。
その豹変ぶりに、驚きとともに違和感、いや、嫌悪感を抱いた。
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ーこの男、優男(やさおとこ)風を装ってはいるが、笑顔を取り繕っているだけで肝心の目が笑っていない。
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ーこの男の本心は、真逆なんじゃないかと思う。
いいしれぬ不安と怖れを感じ、俺は、背中のあたりがゾクゾクするのを感じた。
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「ちょっと、電話してきます。」
男は、カウンターを離れると、店の外に出て行った。
ものの数分で戻ってはきたが、なにやらソワソワと落ち着かない様子だ。
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「どうかなさいましたか。」
「いや、特に何も。じゃあ、わたしはこれで。そろそろ失礼します。」
「まだ22時ですよ。もう少しゆっくりして行かれても。外は暗いですし。」
マスターは、男を引き留めようとしたが、
男は、大急ぎで酒代を払い終え、何かに急かされるように店を飛び出して行った。
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「薄気味悪い客だね。ここには、毎年来るの?」
「いえ、たまに、フェリーを利用する常連さんはいらっしゃいますが、この方をお迎えしたのは今日が初めてです。」
「マスターの前職に興味がある様子だったけど。製薬会社の営業マンかな。」
「さぁ、そのようには見えませんでしたが。」
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「今日は、盆の入りだ。もしかしたら、あの人幽霊だったかもしれないな。」
「まさか。どこをどう見ても生きている人間ですよ。ちゃんと足がついていましたし。
お代だってほら。葉っぱや布切れじゃありませんから。」
「あはははは。冗談だよ。冗談。時節柄からかってみただけさ。」
俺は、言いしれぬ不安と怖れを払拭するかのように、わざと大声を上げて笑ってみせた。
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ー静かだな。
盆のかきいれ時だというのに、どういうわけか客はひとりも来ない。
俺は、酔いが回ったのか、いつの間にか、カウンターに突っ伏し居眠りをしていた。
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「お客さん。そろそろ店じまいしますから起きてください。」
マスターに声をかけられ、手元の時計を見る。
23時30分を回ったところだった。
ーもうこんな時間か。さぁ、帰るとするかな。
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気怠い身体を起こし、足元のカバンを取ろうと身をかがめたその先に、小さなポリ袋が置かれているのに気づいた。
ちょうど、あの男が座っていた椅子の下にあたる場所だ。
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「あの人の忘れ物だ。どうしますか?」
最終便は、午前0時と言っていたが、フェリー埠頭まで駆け足でも20分以上はかかる。
ー今からじゃ、間に合わんだろう。
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袋を持ち上げてみる。
ずしりと重い。
取手を左右に開き、袋の中を覗いてみると、新聞紙に包(くる)まれた楕円状の塊りが1つ入っていた。
そっと、袋の表面をなぞるように触れてみる。
指から伝わってくる感触は、どうやら空き「ビン」のようだ。
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俺は、マスターにポリ袋を手渡した。
「開けてみますか。もしもの時の責任は、私が取るってことで。」
マスターは、そう言うと、袋から塊を取り出し、包んでいた新聞紙を、一枚ずつ丁寧に剥ぎとっていった。
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中から、高さ15センチ、直径4センチほどの丸いガラスビンが顔を出した。
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「なんだ。札束でも入っているのかと思い、ドキドキしたよ。」
「実は、わたしもです。」
ーそうそう、うまくいくわけないか。
俺たちは、顔を見合わせて笑った。
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空きビンには、蓋がしてあった。
マスターから手渡され、おそるおそる 蓋を開け中の匂いを嗅いでみるも、コスモス同様、これといった匂いはない。
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ビンの底には、わずかに水滴が付着していたが、外側や蓋には、汚れらしきものは見られなかった。
「このビン、その花を入れるのに、うってつけじゃないか。」
「そうですね。あの人を記念して花ビン代わりにいたしましょうかね。」
ー何が入っていたのかわからないが、用済みになった空きビンのようだし。
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「あの人、もう既に、フェリーに乗ったんじゃないんですかね。」
「用事があるって言ってたし。後から、取りに来るってことはないと思うんだがなぁ。」
ふたりの間で、暗黙の了解が交わされ、俺は、ビンの蓋を締め直しマスターに手渡した。
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「うわわああああ。」
カウンター内に戻り、ビンを眺めていたマスターが、突然、大声を挙げ尻もちをついた。
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一瞬何が起こったのかわからなかったが、俺は、マスターが放り投げたビンを拾い上げ、店内の薄暗いライトにビンを透かして見た。
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ビンの表面には、
劇○「KCN」と記載された紙の欠片が付着していた。
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マスターは、ガクガク身を震わせながら、絞り出すような声で、
「せ、青酸カリ。」
「なんだって。そんなものが。」
「ふ、ふ、ふ、触れては駄目だぁぁぁぁ。」
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カウンター内から、腰を抜かしたマスターが大声で叫びながら、こちらに向かって匍匐前進、這い出してきた。
「大至急、警察にしらせないと。」
俺は、大急ぎで、スマホを取り出し、震える手で番号をタッチしようとした。
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その時、眼の前のドアが勢いよく開いた。
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ドアの外に、あの男が立っていた。
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「忘れ物を取りに来ました。」
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バタンバタン
外から車のドアが開かれる音がし、開け放たれた店の入口から、海風とともに覆面をしたガタイの大きな男が3人、店の中に踏み込んできた。
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ひぃ。
俺とマスターは、驚愕のあまり声も出せず、床にへばりつく。
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ブォーブォーブォーブォーブォー
午前0時出航のフェリーの汽笛が響き渡る。
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「あなたたちのせいで、フェリーに乗りそこねてしまいました。ここに来る前までは、全て順調にコトが運んでいたというのに。」
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この落とし前は、つけていただきますよ。
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頭を鈍器で殴られた後、意識が朦朧とする中、俺たちは、猿ぐつわを噛まされ、両手を後ろ手に縛られたまま、身体ごとすっぽり入る大きな袋を頭から被せられた。
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ーたすけてくれ。俺たちが何をしたっていうんだよ。
ーたのむ。誰にも言わないから。せめて、せめて命だけは。
「残念です。ほんとうに、残念。」
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「雉も鳴かずば撃たれまいってぇことですよ」
微笑む男の前で、カウンターのコスモスが、ヒラリと花びらを落とすのが見えた。
作者あんみつ姫
ふたば様の9月三題お題をヒントに書かせていただきました。
連休最後の夜。
また、秋の夜長、楽しんで頂けたら幸に存じます。