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市内の総合病院の待合室で、たまたま隣の席になった、今年65歳になるという中山さんから聞いた話。とにかく、半端なく怖かったから投稿してみる。
時系列が前後するかもしれないし、いかんせん、聞き語りだから、ところどころおかしなところがあると思うが、ご容赦願いたい。
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もう、かれこれ32年前の話。1990年の秋の出来事らしい。
東京都心から電車で30分。
閑静な住宅地のアパートに一人暮らししていた中山さんに、ある日、一通の茶封筒が届いた。
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中山さんは、高校卒業後、一浪して東京の大学に進学した。
大学を卒業してからは、何度か転職を繰り返しながらも、運良く今の会社に就職でき、それからは、定年退職を迎えるまで、無事安寧に過ごせるだろうと信じて疑わなかったのだという。
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元々、田舎が好きではなかった中山さんは、1980年(昭和60年)5月と12月に両親が相次いで他界してからは、この10年で3回しか帰省していない。
中山さんには、地元の地方都市で公務員をしている3歳年下の弟がひとりいるが、この時既に、年賀状のやり取り程度しか交流はなかったらしい。
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そんな中山さんのところに、届いた封筒は、手書きの毛筆で書かれていた。
その表書きには、
「□○村立◎▲小学校昭和45年3月卒 第23回生の皆様」
裏面には、「佐藤」としか書かれておらず、下の名前、ファーストネームは書かれていないかったそうだ。
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恐る恐る封を開けてみると、
案内状も封筒同様、毛筆。流麗な行書。漆黒の墨。
上質な和紙に達筆な筆字で書かれていたが、和紙の四隅は、茶色く変色していて、微かに埃っぽい匂いが漂っていた。
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既にワープロやパソコンが普及していたにも関わらず、和紙に毛筆の手書きとは、なんとも古風で粋な趣味の持ち主だなぁと、当初、さほど気にもとめなかったらしい。
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案内状には、校庭の花壇のそばに埋めた「タイムカプセル」を20年ぶりに掘り出し、懐かしい卒業当時の思い出をともに語り合う。云々・・・といった趣旨が書かれていたという。
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となると、気になるのは差出人だ。
同学年は、3クラスだったが、村の小学校に佐藤姓を名乗る生徒は、男女あわせて2名。
中山さんの在籍する3組に佐藤を名乗る生徒はいなかった。
となると、この案内の差出人は、1組か2組の佐藤M君か佐藤Yさんということになる。
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だが、中山さんは、首を傾げたそうだ。
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1組に在籍していた佐藤M君は、父親の仕事の関係で、一家で転校して来たものの、中山さんや村の人たちとの交流は少なく、村を縦貫する二車線の自動車専用道路が完成した段階で、卒業を待たずに引っ越していった。
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既に数回転校を繰り返していた佐藤M君が、10ヶ月に満たない田舎の小学校の同級生に思い入れなどあるものだろうか。
そもそも、「タイムカプセル」を埋める頃には、彼はここにはいなかったはず。
中山さんの同級生たちの間でも、その後、彼のことが話題に出ることは1度もなかったし、彼と交流を持ち続けるような同級生がいるとは考えにくかった。
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では、もうひとりの佐藤姓である、2組に在籍していた佐藤Yさんだが。
彼女は、地元の高校を卒業後、某地方都市にある看護学校に進学した。
ところが、19歳の誕生日を迎える前日、彼女自身が運転する乗用車が突然横転し、そのままガードレールに激突するという大事故に見舞われた。
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必死の救助、応急処置にも関わらず、佐藤Yさんは、そのまま即死。
遺体の損傷が激しかったことから、十分な検証もできぬまま荼毘に付すことになったと、かなり後になってから人づてに聞いた。
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佐藤Yさんとは、生徒会で一緒に活動したことがあった。
この時ばかりは、中山さんも、実家に帰省し、当時の同級生たちと一緒に葬儀に参列した。
若すぎる死、早すぎる死に皆が涙したことを覚えている。
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ふたりの佐藤。
どちらも該当しないとなると、この差出人の佐藤とは、いったいどこの誰なのだろう。
中山さんは、実家の弟や当時の僅かに残る同級生たちに問い合わせてみたが、そもそも埒のあかない話だ。
皆目見当がつかなかったのも無理はない。
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驚いたことに、皆、一様に、「そんな案内状届いてない。」の一点張り。
村一番のガキ大将だった江藤が、
「誰かの悪い悪戯だろう。気にすんな。」
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「それより、たまには、帰って来いよ。いい女紹介してやるからよ。」
鼻たれ小僧だった中村がチャチャを入れる。
受話器の向こうから、当時の悪ガキどもの揶揄する声と、意味もなくはしゃぐ声が聞こえてくる。
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「お前たちか、こんな手紙送りつけてきたのは。そうだろ。」
中山さんは、怒りのあまり問い詰めたそうだ。
「そんなことするわけないだろが。バーカ。筆なんて握ったこともありませーん。」
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江籐は、
「タイムカプセルなら諦めろ。元小学校のあった場所な。今は、立入禁止になってる。」
「嘘だろう。俺、聞いてないぞ。」
「今更なんだよ。仕事が忙しいとかなんとか言って。音信不通状態だったじゃないか。」
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「実は、一年前だったかな。そろそろ、掘り出す日を決めようってことになってさ。俺と中村で役場に交渉してみたのよ。」
「駄目だったのか?」
「それがさぁ、なんでも、この小学校の跡地って、元々やばい場所だっていうのよ。」
「そうなのか。まぁ、なんとなくわかるけどな。」
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話を振りつつ、中山さんには、若干、心当たりがあったらしい。
それは、古くから地元に伝わる怪談や都市伝説のようなもので、代々この村で寺の住職をしている中山さんの先祖が、語り伝えてきた話でもあった。
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季節を問わず、雨上がりの湿った新月の夜。
青白く輝く光が ボウと浮かび上がるのだという。
その輝きは、この世のどの光よりも眩(まばゆ)く、その光に近づき、故意に触れたり、誤って浴びてしまったりすると、早くて3日、長くても3ヶ月で生気がなくなり、髪の毛が抜け落ち、肌は溶け、やがて枯れるように亡くなってしまうのだと。
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そんな忌み地と分かっていながら、なぜに、小学校を建てたのだ。
廃校になってから、立入禁止にするなど。
対応が遅すぎやしないか。
小学校の跡地一帯は、古(いにしえ)より良くない場所と言われており、誰も近づかなかったのだというような、曰く因縁のある場所なのに。
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そのヤバい場所の中でも、最も危ない場所を、江藤と中村は、特定できたというのである。
つまり、そこは、満開の秋桜(コスモス)が咲き乱れる花壇のあった場所。
中山さんたち昭和45年度第23回生がタイムカプセルと称し、たくさんの空きビンに、思いのこもった作品を入れて埋めた場所にあたる(らしい)のだ。
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中山さんのお父さんは、この村にあるw寺の住職をしていた。
代々、世襲で寺を継ぐことは覚悟していたものの、お父さんも若い頃は、親に反発し、語れないような悪事に手を染めたこともあったとのこと。
仏教系の大学に進学したものの、入学したての頃は、ろくに講義も受けず、結構荒れた生活をしていた時期もあったのだという。
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中山さんと弟さんには、寺など継がなくていい。
お前たちは、好きなことをして生きろ。
ここは、いずれなくなる。
なくなったほうがいいんだ。
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「お寺を継ぐ人がいなくなったら困るんじゃない。」
「別の誰かが継ぐことになる。」
「継ぐ人がいなくなって。廃寺になったらどうするの。」
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「別にいいさ。本当に必要なら、また、建て直せばいい。」
「立て直すって、そんなに簡単にできるものなの。」
「本当に必要なら、永遠になくなることはないだろう。」
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中山さんは、当時、お父さんが話す意味が良く理解できなかったが、届いた案内状が気になった。
とにかく、行ってみなければ。何も始まらない。
中山さんは、そう思ったのだという。
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悪ガキ二人組の 江藤と中村に、
「君たちもよかったら、16:30過ぎに来てみてくれないか。この眼で、確かめてみたいんだ。」
誘ってみたが、江籐は、そのガタイに似合わぬ声で、
「わりい。俺は、遠慮しとく。こう見えても、俺怖がりなんだわ。」
中村は、
「君子危うきに近寄らず。日没の黄昏時に心霊スポットに足運ぶバカいるか。」
「な、寺の住職の息子だったあんたに言うのもなんだが、辞めとけ。碌なことにならんぞ。」
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中山さんは、この日をきっかけに、両親の墓参りや疎遠となっていた弟、そして、親族との交流のきっかけになれば、点と点になっていた一連の謎が繋がり、やがて一本の太い線になるのではないかと強い期待感を抱いたのだという。
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盆も彼岸も正月も関係なく、仕事ばかりしてきた中山さんだが、このあたりで、長期の休みを取り故郷へ帰省することに決めた。
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「それが、そもそもの間違いでした。」
中山さんは、悲しげな眼で遠くを見つめた。
視線の先には、レントゲン室の扉があった
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「何かありましたか?」
「とくに何も、あなたには、何も視えませんよね。」
「はい。あそこは、レントゲン室ですが。」
「・・・ですね。」
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「ところで、まだ、話し続けてよろしいんですかね?」
「え、ええ。まだ、急患が入ったそうですから、どんなに早く見積もっても、診察は午後になりそうです。お昼を挟んでということになれば、たっぷり余裕がありますから。」
ここまで、引っ張った以上、中山さんには、最後の最後オチまで話してもらわないと。
私自身、そんな気持ちだった。
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今、思い返してみると、ここで、辞めておけばよかったのかもしれない。
あぁ、今、こうして書いている最中も、キーンという耳鳴りと 頭を誰かに握られているような頭痛に襲われている。
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とりあえず、最後まで、書けるところまで書いてみようと思う。
明日の朝までに、書き終えることが出来るだろうか。
そもそも、この話。読んでもらえるのだろうか。
不安も多い。
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20年ぶりに訪れた故郷は、だいぶ様変わりしていたらしい。
毛筆で書かれた案内状を手に、スコップと手ぬぐい他諸々用意し、レンタルした軽トラで現場に赴いた。
指定された時間少し前に 廃校となった母校の跡地に着く。日没前の午後4時30分。立入禁止のテープが貼られたその先に、ひとりの女性が佇んでいた。
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「ありがとう。良く来てくれたわね。」
にこやかに微笑む女性は、
「2組担任の佐藤よう子よ。覚えてる。」
と語りかけてきた。
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佐藤よう子。
その名を聞いて、中山さんは、思わず大声で叫んだそうだ。
「あぁ、そうでしたか。佐藤って、生徒だとばかり思っていました。先生。佐藤先生。あぁ、俺としたことが、先生を忘れるなんて。」
「先生、お元気だったんですね。ご病気は、治られたんですか。」
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「心配かけたわね。えぇ、もう、すっかり良くなったわ。ほらね。」
先生は、そういうと、くるりと身体を一回転させ、小首をかしげて微笑んでみせた。
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当時と少しも変わらない姿だったことに中山さんは、たいそう驚いたという。
クラスは、違ったが、佐藤先生とは、書道の授業以外、生徒会活動や放課後の部活でもたいそう世話になった。
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中山さんの父は、小学校のPTAの会長を努めていた関係で、日頃から小学校に出入りする機会が多かった。村の寺の住職という職業柄、書に関しては、師範級の腕前だったが、若い頃道を少々踏み外した体験も幸いしてか、宗教家にしては、とても柔らかい雰囲気で生徒や保護者たちからも人気があった。
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そんな住職兼中山さんの父を、佐藤先生は、「尊敬します。」「素晴らしいわ。」といつも称賛していた。
中山さんも、生徒会長である自分の父親がPTA会長の役職にあることで、随分鼻が高かったと言っていた。
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中山さんの母親と佐藤先生は、年が近かったこともあり、独身の気のおけない友人として、手料理でもてなしたり、女同士のお喋りに夜遅くまで花を咲かせたりしていたらしい。
互いに気心が知れるようになったことで、いつしか情がうつるようになったのだろう。
気がつくと佐藤先生と中山さん一家は、まるで身内のように気心の知れた関係になっていったのだという。
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佐藤先生は、時々、学校が休みの前日は、寺の離れに泊まっていくこともあった。
その時の、佐藤先生の喜びようとはしゃぎようは、見ていて気恥ずかしくなるくらいだったらしい。今でも、あの笑顔、あの声を忘れることができない。
中山さんは、そういうと、そっと目を閉じた。
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卒業式の当日、佐藤先生が、卒業生ひとりひとりに心を込めて書いてくれた毛筆の卒業証書を、校長先生から手渡された時、卒業生全員が感動し涙ぐんだ。
佐藤先生も、顔をクシャクシャにして泣いていたのを覚えている。
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卒業式が終わると、PTA会長が中心となり、父親たちが総出で、校庭の片隅にある花壇の脇に、スコップで大きな穴を掘った。
その穴に、卒業生や6学年の先生方全員の作文や手紙、図画、工作など思い思いの大切な思い出の品を大きな瓶に入れ、蓋をした。
「夢、叶いますように。」
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佐藤先生は、誰よりも熱心に、祈りを込めてビンを握りしめていた。
「先生。何を入れたんですか?教えてくれてもいいでしょう。」
クラスの女子がいたずらっぽく話しかけたが、
「内緒よ。20年後を楽しみにして頂戴。」
と。
満面の笑みを浮かべていたのを覚えている。
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だが、中山さんを含む第23回生の卒業式を終えた翌日から、佐藤先生の姿が見えなくなった。生徒たちはもちろんのこと。先生方、PTAも騒然とした。
中山さんの父はPTA会長だ。心配し、警察に連絡したり、佐藤先生の親類縁者はいないか探してみたりもしたが、そもそも、佐藤先生は、天涯孤独の身だったようで、手がかりは全く見いだせなかったらしい。
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しばらくして、春休みも終わろうという時、佐藤先生本人から、美しい毛筆で書かれた手紙が、小学校宛に送られてきたのだという。
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『体調不良と一身上の理由から、突然、挨拶もなく学校を去ることになり申し訳なく思っている。実は、かなり前から体調が悪く、遠い所にある総合病院に入院中で、当分の間、安静にしていなければならない。
体調が快復したら、皆さんにお詫びのご挨拶に行くから、どうか入院加療中の間は、そっとしておいてほしい。』
といったことが流麗な行書体で書かれていたのだという。
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だが、佐藤先生は、二度と中山さんたちの前に姿を表すことはなかった。。
中山さんたちが、中学校生活に慣れた頃、5月の大型連休を明日に控えた日、小学校の校長宛に佐藤先生から、退職願だけが封筒に入って送られてきたと言う連絡が入った。
校長先生は、
「あの律儀な佐藤先生が、一筆書きも添えないで退職願だけを送ってくるとは。」と、ショックを受けていた。
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佐藤先生は、独身で、早くにご両親をなくし、頼れる身内もなかったことから、誰にも相談できず、何か大きな悩み事を、たったひとり抱えていたのかもしれない。
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校長先生も、他の先生方も、生徒や保護者たちまでが、佐藤先生の病気の恢復を祈っていたのにと、急な退職をとても残念に思ったのだった。
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何より、中山さんの両親の落胆ぶりは、相当なもので、その日以来、ガタガタと痩せはじめ、父でありPTAの会長でもあった住職は、いつも考え事をしているし、大黒さんのお母さんは、お寺の仕事もままならず、床に伏せることが多くなったそうだ。
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なにしろ、身内というより家族のような存在だったのだから。
ただ、中山さんの弟だけは、「なにかを言いたそうな眼をしていたんだよね。」と。
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皆が口々に、退職理由を語りあってはみたものの、真実は、佐藤先生自身にしかわからない。その事も含め、中山さんには、佐藤先生に尋ねてみたいことが山ほどあった。
タイムカプセルに込められた思い出を、そして、おとなになった今、先生に尋ねたい当時の謎の数々を今宵は、語り尽くしたい。と願ったのだそうだ。
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くっそ。
あの江藤と中村、本当に来ない気でいやがる。
普段なら、言わなくてもいいことまで、喋ってしまう連中が、なぜ、今日に限って誰にも声をかけない。
都市伝説、幽霊?化け物?出れるものなら出てみやがれ。
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そんな中山さんの気持ちに気づいたのか、佐藤先生は、申し訳なさそうに、
「ごめんなさいね。もう、既にご存知かと思うのだけれど、実は、今日の案内は、あなたにしか出していないのよ。」
と言った。
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中山さんは、憮然とした顔で、
「なんで、僕だけなんですか。他にも先生に会いたい人たち、たくさんいるのに。」
先生は、一切返答せず、落ち着いた声で、
「これは、あなたにだけにしてほしかったの。あなたじゃないといけないのよ。」
凛とした声が、人っ子ひとり通らない あたりに響き渡る。
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佐藤先生は、長い髪を横に垂らし、
たしか、このあたりに埋まっていると思うの。掘り起こしてみてくれないかしら。」
と、身をかがめ、かなり奥の方まで指差しをした。
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立入禁止のテープが貼られた場所で、それも村の管理下に置かれている いわくつきの土地。そんな場所で、作業するのは気が引けたが、佐藤先生の様子に、なぜかそうしなくてはいけないような気がして、中山さんは、先生の指差す場所を無我夢中で掘り続けたそうだ。
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辺りはとっぷりと暗く、新月で月のあかりもない。
ただ、満点の星空だけが、秋の空に瞬いていた。
予想外の暗さに、中山さんは、近くのホームセンターから急遽購入した懐中電灯を照らしながらの夜間作業となった。
腹が鳴った。そういえば、朝から何も食べていない。空腹を覚えたその時、
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「お腹空いたでしょう。これ食べて。」
佐藤先生は、小さなアンパンを手渡してくれた。
「いただきます。」
中山さんは、礼を言うとムシャムシャとあっという間に食べ終えた。
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アンパンのように見えた。
でも、あれはアンパンなんかじゃないね。
と、中山さんは苦笑した。
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丸くて手のひらにすっぽり入るくらいの大きさ。
アレは、何だったのか、中山さんは、未だにわからない。
ただ、かつて食べたことがなかったにも関わらず、なぜか懐かしい味がして、わけもなく涙がこぼれてきたのだという。
甘くて柔らかくて、母のぬくもりのように温かかったのだそうだ。
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「ありがとうございます。」
そろそろ、出てきてもいい頃だ。
この穴、俺が、掘ったんだから。
親父、力をくれ。
天上から、支えてくれ。
中山さんは、そう心のなかで念じたそうだ。
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腹を満たした中山さんは、それから、数時間、我を忘れて穴を掘り続けたのだという。
腕と腰が限界を超えた深夜0時。
カツンと言う音がして、スコップの先端が、硬いものに触れた。
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触れたものの周りを拾った枝で叩いてみた。
コトコトコトと音がする。
ついに行き当たったか。
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あの日、みんなで埋めたタイムカプセルが、その全容を現した。
縦横1メートル四方のジュラルミン製の箱だった。
錠前で固く閉ざされていたが、その隣に袋がぶら下がっており、中に15センチほどの鍵が入っていた。
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そっと鍵を入れ、右に回してみる。
ところどころ錆びついており、地下水やゴミが混入した跡が見られ、中山さんは、すこしがっかりした。
ビンの3分の1は、既に劣化し、破損しているものもあったが、運良く、20年前とそっくりそのまま残っているものもあった。
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中山さんは、大事そうに確かめながら、一つ一つのビンを手にとり、穴の縁に、丁寧に並べていったそうだ。
トータル30余個のビンが揃い、フタを開けると、作文、絵日記、図画や工作と言ったものに混じり、次々と当時流行っていた文房具や、キャラメルのおまけ、タバコの銀紙で作った鍋敷きなどが出てきた。
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更に、土を掘り返し、奥の方に手をいれてみる。
「ん?なんだこれは。」
中山さんの手に、ごつごつとした5本の塊りと、サワサワとした柔らかな毛のような感触が触れたのだという。
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何気なく、そのモノに触れた瞬間、全身が総毛立つような怖気を感じたのだという。
中山さんは、その塊をゆっくりと土の中から取り出し、おそるおそる懐中電灯で照らして見たのだそうだ。
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ぎゃぁぁぁ、ほ、ほ、骨。
なんと、それは、人間の右手と思しき骨と、その手にしっかりと握られた毛筆だったという。
中山さんは、大急ぎで穴から這い出て、さっきまで夢中で彫り続けた箇所に懐中電灯を当てながら覗き込んだ。
中山さんが掘った穴は、ちょうど死体を入れる棺がすっぽりと埋まるのに相応しい大きさ、広さ、高さだった。
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「先生、佐藤先生。どこですか。先生、先生。」
何度呼びかけても、佐藤先生からの応答はなく、中山さんは、大声で泣き叫び続けたらしい。
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そんな中山さんの狂気の咆哮を聞きつけたのか、
「なにやってんだ。中山。こいつ、本当に掘っ繰り返しやがった。」
「お前さぁ、ここがどんな場所か分かってんだろうな。」
血相を変えた江藤と中山が、放心状態で穴の中に横たわっていた中山さんを穴から引っ張り上げた。
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「なんてことをしてくれたんだ。お前。生徒会長さんよ。」
「いくら、親父さんが寺の住職で元PTA会長だからってさ。お前、やりすぎだって。」
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空腹と疲労でその場にへたり込んだ中山さんの眼に飛び込んできたもの、Radioactive material(放射性物質) RadioIsotope(放射能同位体)という文字と、動物とも人間とも判別できない夥(おびただ)しい骨 危険さわるな。DANGEROUS 痛みを感じながらも我慢して彫り続けていた指先には、細い髪の毛のような注射針が深々と突き刺さっていた。
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中山さんは、すぐに緊急搬送され、この病院に入院することになったのだという。
「昔から、あそこには、放射性物質のような鉱物が埋まっていたんですよ。どこの誰が埋めたんだか。元々あったものなのかはわかりませんがね。」
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そこまで話を聞いて、私は、少々うんざりした。
「そこは、小学校じゃなくて、病院の跡地だったのではないのですか。」
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行政が不法廃棄物を隠蔽するために、立入禁止区域に指定し、放射性物質を含む医療廃棄物を埋めていただけのことじゃないか。
そもそも、一人の教員が失踪したら、どんな田舎でも大騒ぎするはずだ。
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佐藤先生なんて最初からいなかったんだろうな。
骨が出てきたなんて嘘だろう。
ーこの男、中山は、精神が崩壊してしまったんだろうな。
今までの話は、全てこの男の創作。完全な作り話…真面目に聞いて損したわ。
私は、そう思い、少しがったりした。
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時計を見ると11時45分を回ろうとしている。
「じゃ、そろそろお昼にしようと思います。お話、怖かったです。佐藤よう子先生の幽霊が出てきた時は、もう心臓が止まるかと思いました。ハラハラ・ドキドキしましたよ。良質のホラーを堪能させていただきました。」
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私は、無駄な時間を過ごしてしまったと怒りとともに、激しい空腹を覚えた。
レストランには、既に客が席待ちをし始めている。
急ごうと立ち上がった瞬間、
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ガッ
中山さんは、信じられないような強い力で 私の右手を掴み、
さっきまで座っていたソファに引き戻した。
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「何をするんですか。痛いじゃないですか。失礼ですよ。」
掴まれた手を擦りながら、私は少しうろたえた。
「嘘だとお思いですか?実は、この話には、後日談がありましてね。
あの後、身体に異常はないか、精神が崩壊していないか、何度も何度も検査されたんですよ。何しろ、あんな場所に長時間にわたって滞在していたんだから。」
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結果、放射性物質に汚染されている様子もなく、疲労と空腹と、どこぞの誰かもわからぬ人骨と毛筆なんかが出てきて、動転したんだろうということで、すぐに退院することができたそうだ。
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江藤や中村、当時の同級生たちが心配して、かつての寺、つまり中山の自宅だった寺の一室を借りてやるから、そこでしばらく静養してはどうかと勧めてくれた。
出てきた右手と思しき骨は、鑑定に出されたそうだが、結局、誰のものともわからなかったのだという。
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「よかったじゃないですか。一件落着でしょう。」
空腹にイライラして私は、少し声を荒らげた。
「それが、なーんもよくなかったんですよ。不動産会社を経営している江藤が、しぶる今の寺の住職に話をつけてくれて、久しぶりに、かつての我が家に行き、現在誰も使っていないという離れを借りて住むことにしたんです。そう、昭和45年当時、佐藤先生が遊びに来て、よく泊まっていった離れにね。」
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ごくり。
嫌な汗が流れてきた。
中山の眼は、そっと背後から獲物を狙う狡猾な蛇のように威嚇してきた。
ーちゃんと最後まで聞けよ。と、いわんばかりの態度に、私は萎縮し、まさしく、「蛇に睨まれた蛙」状態になってしまった。
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離れは、20年前 つまり昭和45年当時のまま残されていたのだという。
かび臭かったが、掃除も行き届き、中は思ったよりもずっと綺麗だったのだそうだ。
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小さな鏡台と、小引き出しのついた机。机の上には、フェルトの下敷きの上に半紙が乗り、更にその上には、中山さんの父、住職の愛用の龍の文様の入った文鎮が置かれていた。
右隣には、硯と筆、墨と小さな水差し、そしてスポイトが並べてあった。
すぐそこに、今にも、佐藤先生が筆に墨を滾らせスルスルと文字を書く姿が見えるようだったと、中山さんは、嬉しそうに話した。
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押し入れの中には、一組の布団と、女性者の浴衣が畳んでおいてあった。
それに触れた途端、長い女の髪の毛が、浴衣から、ズルズルと這い出てきて、中山さんの右の腕に絡みついたのだという。
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うわ、とのけぞり、右手を振り回し、絡みついた髪を解こうとするのだが、髪は、中山さんの腕をグイグイと締め付け、ちぎり落とそうとするかのように思えたという。
激痛が右腕の手首から上腕にかけて、ジワジワと襲ってくる。
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やがて、バンと音がし、観音開きの洋箪笥が開いた。
あ!と息を呑んだ瞬間、洋箪笥の中に、
佐藤先生が こちらを見つめて立っていた。
驚いたよ。
その口には、誰かの右手が、しっかりと加えられていたんだ。
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淋しそうな、それでいて、どこか憂いを帯びた眼をしていたね。
俺は、てっきり、あの日、あの穴の中で見つけた右手は、佐藤先生の手だとばかり思ってていたんだが、そうじゃなかったんだな。
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俺は、眼を固く閉じたまま、
「頼みます。成仏してください。頼みます。頼みます。たのみますぅうぅぅ・・・。」って何度も何度も泣きながら、朝まで手をこすり続けたよ。
いつの間にか女の気配は消えていたが、あの晩は、一睡もできなかったな。
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実は、あの日、俺を驚愕させたのは、右手の骨と毛筆だけじゃなかったんだよ。
生徒たちのビンとは別に、小さな茶色いビンが一本だけあったのさ。
「佐藤」と書かれていてね。
俺は、蓋を開けて中から紙のようなものを取り出したんだ。
四つ折りにたたまれていた紙は、なんと色褪せたカラー写真だった。
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あちこち、湿っていて、俺は破れないように丁寧に中を開いてみたんだ。
何が写っていたと思う。
驚いたね。
正直、ショックだった。
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佐藤先生と、親父のツーショット写真。
それも、ふたりが行為の真っ最中の写真だったんだよ。
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先生と親父は、離れで逢い引きしていたんだね。
おふくろは、多分、ふたりの関係を知っていたんじゃないのかね。
そりゃ、わかるだろう。
わかってて、見ないふりを決め込んでいたんだ。
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だが、ここで、1つ疑問が生じる。
この写真は、いつ、誰が撮ったんだということだ。
事に及んでいるふたりが撮れるわけがない。
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仮に、三脚を立てて、自動シャッターをセットしたとしても、この角度じゃこの体勢のふたりを撮るのは無理だと俺は思う。
ふたりとは別の第三者が隠し撮りしていて この写真をふたりに送りつけた奴がいるんじゃないかと思うんだ。
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生臭坊主と淫乱教師。
そりゃ、田舎の小さな村じゃ、あっという間に噂は広がる。
いられなくなるさ。
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それとね。
離れの引き出しの中に置いてあった、般若心経の中に、こんなものが挟まっていたんだ。。
それは、与謝野晶子の有名な短歌だった。
「柔肌の 熱き血潮に触れもみで、哀しからずや 道を説く君」
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私は、この歌を鼻先にくっつくように見せられて、思わず絶句した。
「こ、この文字、動いている。」
そう、くねくねと 急に水面に水滴が落ちて、その姿は、狼狽するおたまじゃくしや小魚たちのように。恋に身を窶し、身をくねらせ、悶え、苦しみ、喘ぐ姿にも似ていた。
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見えたかい?
可愛そうだろう。こいつら。こいつらが、俺には当時の佐藤先生に見えて仕方ないんだ。
佐藤先生は、下心なんかなくて、純粋な気持ちで親父と接していたんだろう。
憐れでならないよ。
卒業式の翌日、佐藤先生と親父は、駆け落ちを企てたんだろうね。
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佐藤先生を失踪したことにして、佐藤Yさんになりすます。それから、程なくしてふたりは、どこかで落ちあい、駆け落ちをしようってね。
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どころが、この計画がバレちまったんだな。
おふくろ、もしくは、ふたりの関係を知る第三者に、知られちまったってわけだな。
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親父は、もう逃れようがないと観念したんだろう。
元々、親父にとって、佐藤先生は、佐藤先生と違い、身体だけの関係だったんだと思う。
別れ話を切り出したんだろうね。
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佐藤先生は、小さい頃両親を亡くして、ほぼ天涯孤独の可愛そうな人だった。
お願いだから、私を捨てないで。
とかなんとか言って、親父の心をつなぎとめようとしていたんだろうが。
親父には、ちと荷が重すぎたのかもしれない。
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酷い、いくらなんでも、酷すぎる。
「中山さんのお父さんは、仏に仕える身でありながら、なんと恐ろしいことを。」
ククククク
これだから女の人は…
中山は、嬉しそうに含み笑いをした。
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あのね。
今後のために、よーくよーく覚えておくんだな。
「男は、本気で浮気する。そんな生き物なんだ。」
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佐藤先生の失踪届は、親父、つまり寺の住職が出したのだと。中山は言った。
自分が殺しておきながら、ちゃっかりしてやがる。と、俺は思っていたんだが。
俺は、てっきり、佐藤先生は、小学校の跡地に、既に、1970年3月、つまり卒業した年に殺されて、あの場所に埋められていたとばかり思っていたんだが。
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違ったんだよ。
佐藤先生は、その時、生きていた。
じゃぁ、死んだのは誰って話なんだが。
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看護学校に進学したと思われていた佐藤Yさんさ。
佐藤先生と、佐藤Yさんをすり替えた人間がいるってことだ。
もちろん、ふたりは、年齢も容姿も全く違う別人だが。
男にも女にも 若くも少しくたびれたオバサンやオジサンにもなれる人物がね。
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私は頭の中が混乱して、身体中、虫唾が走り出した。
「な、何がいいたいの。」
つまり、犯人は、佐藤Yさんを佐藤よう子さんと見せかけて殺したってことね。
あぁ、そうだよ。
そいつは、当時佐藤先生に横恋慕していた男だと 中山さんは言い、ククククと含み笑いをした。
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タイムカプセルを埋めた跡で、まだ土も柔らかく、当時の学校は部外者の立ち入りも今ほど厳しくなかったから、死体遺棄は、容易だったのかもしれないと、後から警察の人が来て話してくれた。
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事情が事情だけに、中山さんは、不法侵入罪、器物損壊罪などに問われもせず、これでやっと、佐藤よう子先生の、33回忌の「弔い納」ができたというわけなんだけど。
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不幸な死を遂げられてから32年目の秋。
そして、佐藤よう子先生が亡くなった日は、なんと今日ってことになっているんですよね。
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それで、真犯人は、一体誰なんですか。
まだ、見つかっていないのでしょう。
私は、空腹も忘れて、中山さんを問い詰めた。
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まだ、わかりませんか。
真犯人は、ほらね。
中山さんは、私の方に身体を向けると、わざとこれみよがしに右手を高く挙げて見せた。
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中山さんの右手は、本物の手と見まごうばかりの見事な義手で、関節に当たる部分には、鈍い銀色に光るジュラルミンが充てられていた。
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shake
中山さん、まさか、あなたが、・・・なんですか。
そういいかけた時、
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「中山さーん。お昼ですよ。
何やっているんですか。
こんなところに来て。
ここは、一般外来の方の席でしょう。
急に病棟出ていなくなっちゃ駄目でしょう。」
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「すみません。
この方、徘徊グセがあって。
今度から気をつけますから。申し訳ございませんでした。」
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看護師の名札には、主任 佐藤よう子と書かれてあった。
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看護師は、そういうと、私に、軽く会釈をして、中山さんをソファから立たせると、行き渋る中山さんを促しながら、中山さんの右手を脇に入れ、エレベーターに乗り込んだ。
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こちらに背中を向けて、エレベーターに乗り込む中山さんは、さっきまでの中山さんとは別人のように弱々しく見えた。
まるで、魂が抜けた跡の屍のように、看護師 佐藤よう子さんに手を引かれながら、長い廊下を足を引きずるように歩いていった。
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この日、私は受診の予約をキャンセルし、そのまま家に帰宅した。
空腹も、体の不調も、どこかに飛んでいってしまった。
悪寒と体の震えが収まらず、朝までまんじりともできなかった。
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どこまで本当で、どこまで嘘かわからなかった。
いや、全部嘘なのかもしれないし、全部本当なのかもしれない。
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中山さんは、気が狂っているのか、正気なのか。
あの、最後に見た、魂の抜けた中山さんは、中山さんとお父さん、つまり、W寺の・・・
あの看護師さんは、実は、…。
もういい。疲れた。
今となっては、どうでもいい話だ。
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既に日が傾きかけた病院からの帰り道を、私は、家に向かってひたすらあるき続けた。
歩いても、歩いても、なかなか家にたどり着かない。
こんなに長く辛く切なく感じたのは生まれて初めての経験だった。
作者あんみつ姫
週末、皆様の脳をごちゃごちゃにさせてしまってすみません。
久しぶりに長編を書いてみました。
忌憚ないご意見を頂けたら嬉しいです。