中編6
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再びまみえんことを

 幼少期の頃、俺は蔵の中に入ってしばらく出てこなかった事があったらしい。俺にはその間の記憶がない。母が言うには泣きべそかいて出てきたはずなのに、ほんの一瞬の内に何もなかったかのようにケロっとして遊びに行ったらしい。

 最近になってその事ばかり考えるようになっていた俺は、有給を取って今日、あの日何があったのかを確かめるために実家に戻ってきている。

 ポケットには母から預かった蔵の鍵。そして目の前にはボロボロの蔵。

 蝉の音を背に、蔵の南京錠に鍵を刺し、回す。

 ガキン、という音ともに南京錠が外れ、蔵の扉が自由になる。

 ゆっくりと若干重い扉を開くと、辺り一面埃臭さが充満した暗闇が広がっていた。

 扉から差し込む光だけでは到底、蔵の中を調べること等できない。

 予め持参していた懐中電灯を使い、蔵の中を調べ始める。

 特にこれといった物はなく、せいぜいが埃にまみれた骨董品ばかりだ。そんななかでふと、目に止まった物があった。埃まみれだが、俺が小さい頃に買って貰った犬のぬいぐるみだ。よく抱いて寝てたっけ。

 幼少期を思い出し、懐かしさに耽る。

 と、

『ねぇ、それ……返して……』

 誰も居ないはずの蔵の奥から……いや違う。これは頭上から……?

 途端に心臓の動悸がまるで警鐘のように早くなる。

 考えたら分かるとかそんなレベルではなく、本能が、声のした方へ視線を向けるなと訴えている。

 しかし、人間というのは不思議なもので、声や音がするとそれを確かめるために半ば無意識に視線を向けてしまうのだ。そしてそれは、俺も例外ではなかった。

 ゆっくりと、緩慢な動きで着実に視線を上へと向けていく。

 そして、視線の先が恐らくは天井に差しかかり、いよいよ後に戻れなくなった瞬間、視界に映ったのはーーー

 ーーー暗がりでよく見えないが、ただの染みの付いた天井だけだった。

 思わず安堵の息を吐く。恐らく、ただの空みm

shake

『早く返してよ』

 耳元で聞こえた声に思わず反射神経に従って視線を向けてしまう。

そこには、肌が異様に白く、白目を黒塗りにして瞳孔を白塗りにしたような瞳を持つ長髪の女がいた。

「ーーーーーーっ!?」

 思わず声にならない声で仰け反ってしまう。その際に手からぬいぐるみが離れてしまうが、そんなことはどうでも良い。

 色白の女は落ちたぬいぐるみを大事そうに抱き上げると、一歩、また一歩と仰け反る俺にゆっくりと近付いてくる。

 その女の姿は一目で人ならざるものだと判断するには容易すぎた。

 前述した特徴に加え、通常生えることの無い背中から複数の腕と羽が伸び、臀部からは獣の尾のようなものが生えており、そのどれもが色白に統一されている。

 正に化け物そのものだった。

 仰け反り続け、遂に壁際にまで追い詰められた俺は、なす術なく化け物の接近を許してしまう。

 そして、顔と顔が触れる距離にまで接近した化け物は、スンスンと鼻を鳴らした後、口が裂けているのではないかと思わせるほど口の端を吊り上げ

『やっぱりそうだ……久しぶりだねぇ』

 まるで久しぶりに恋人と再会したような、そんな笑顔を浮かべた。

 化け物でなければ惚れてしまいそうなその表情は、しかし化け物であるということで狂気に映る。

『会いたかったよぅ……あの日以来だねぇ……ずっと待ってたんだよぉ……?』

 そう言いながら異様に細く長い舌で頬を嘗めてくる。

 頬に伝わる気色の悪い触感に吐き気を催してくる。

『これ、君がくれたんだよぉ……?絶対帰ってくるからって、それまでこれを君だと思って大事にしてくれって……そう泣きながら言って出ていっちゃったんだよぉ……?覚えてないぃ……?』

「な、何言ってーーー」

 そんな記憶は無い。と断言しようとして、しかし断言できない自分がいる。

 そんなはずはない。こんな強烈な目に遭っていたのだとしたら、いくら子供と言えどトラウマになって嫌でも覚えているはずだ……いくらなんでもそんなはず……そんな、はず……。

 ーーーあれ、本当にそうだっけ……?

『思い出せてきたぁ……?まあ、忘れてても仕方ないよぉ……?だって私が忘れさせたんだもぉん……。周りに化け物がいるとか言われたら、大好きな君が居る、ここに居られなくなっちゃうんだもぉん……』

 熱っぽい吐息が頬を擽る。

 そうだ……なんで忘れてたんだ……?俺はあの時、蔵の中でこの化け物に遭って……確かあの時は、あまりの恐怖から大事にしていたぬいぐるみを半ば身代わりのようにして逃げたんだった……。

「なんで、忘れてたんだ……」

 記憶の中にあった空白が埋まる感覚と共に、思い出さなければ良かったという後悔の念が、津波のように押し寄せてくる。

『ねぇ……戻ってきたってことはぁ……これからはずっと一緒に居られるってことだよねぇ……?』

 人の顔をした異形が耳元でそんなことを囁いてくる。

 暑さと埃臭さからか、次第にこの化け物の言うことが甘美なものに聞こえ始めてきている。

 自覚しているが、なぜだかその問いに抗わなくても良いような気がしてくる。

『ねぇ……良いでしょぉ……?ずっと、ずっと待ってたんだからぁ……ご褒美欲しいよぉ……』

 ……あぁ、そうだな。こんなに待たせてしまっていたのだ。ならご褒美としてひとつくらい……。

 ドロドロに溶けた蝋燭のように思考が儘ならなくなって来ている……でもそれもそれでーーー

「あんた!いつまでも蔵の中で何してるの!?さっさと出てきなさい!!」

 突如として怒りを含んだ母の声に、停止しかけていた思考が嘘のように正気を取り戻す。

「う、うあああああッッッ!?」

 その途端、俺は力の限り目の前にいる化け物を押し退け、あらん限りの力で這いずるように蔵から脱出を図る。

『ま、待って……!置いてかないでぇ……!』

 背後から化け物の声がする。しかし振り返らない。振り返ったら今度こそ終わるという確信があった。

 そのまま必死に足を動かし、何とか蔵の中から脱出し、急いで蔵に南京錠をかける。

 ガチン、という音と共に蔵の扉が自由を失くす。

 瞬間、脱出出来たという安心感からか、目元に涙が溜まり、塞き止め切れずに頬を伝う。

「あんたどうしたの!?大急ぎで出てきたかと思えば泣き出したりして……!!」

 そ、そうだ……! 信じて貰えないかもしれないけど、今あったことを伝えないと……!

「か、母さん!実は今ーーー」

 ーーーあれ、何を伝えようとしてるんだっけ……?

「な、何よ……何があったの……?」

 狼狽する母をよそに、自分が今何を伝えようとしていたのか、そもそもなんでこんな場所に居るのか皆目検討もつかない。

「俺、なんでここに……?」

「やーねぇ、あんたが急に蔵掃除するとか言い出したんでしょうが」

 あれ、そうだっけ……?

「だから蔵の鍵を貸したんじゃない。まあ、あれから3時間くらい経つから流石に心配になって覗きに来たんだけど」

「え、本当?」

「本当よ!しかもあんた、小さい時みたい泣きながら出てきたかと思えば、またケロッとしてるし……で、伝えたいことって何よ」

「いや……何言おうとしてたのかわすれたみたいだわ……」

「何よそれ。まあ良いか。ほら、あんたもせっかく帰ってきたんだから、久しぶりに家族揃って何処かに食べに行きましょ。もう夕方だしね」

「おっ、それ良いね」

『……また邪魔されたぁ……あの女、きらぃ……!』

 そう、あの時もそうだ。あの時も蔵の外から母親の声が聞こえたからあの子は行ってしまったのだ。

『許せないぃ……許せないぃ……!』

 歯をギチギチと鳴らし、抱き抱えるぬいぐるみに力を込める。

 でもーーー

『きっとまた帰ってくるよねぇ……?だって、そうなるようにしてるんだもぉ~ん……君が生きてる限り、君は何度でもここに来てくれるからぁ……だからぁ……待ってるからぁ……』

 愛した人の子の匂いが染み付いたぬいぐるみを嗅ぎながら、化け物ーーー神になり損なった紛い者は恋い焦がれる。

『再びぃ……まみえんことをぉ……』

 誰も居ない蔵の暗闇に、言霊が鳴り響いた。

 

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@宮㠘
 無限ループの恐怖はかなり特異な恐怖なので結構ネタとしても扱いやすいのでおすすめです(個人の見解)。

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