とある日の夜。
今日も今日とて心身共にヘトヘトな状態での仕事帰り、普段はタクシーを使うのだが、タクシーを呼ぶのも面倒臭く感じていた俺は、ちょうど家の近くの駅に止まるバスに乗り込んだ。
バスには既に何人か乗っており、俺は唯一誰も座っていない一番奥の席に向かい、腰かけた。
今日も疲れたなぁ……。なんて思いながらため息を吐き、スマホをポケットから取り出そうとして、ふと自分がいる席から3つ程離れた前の席に長髪の女性が居ることに気付く。
背中美人というやつだろうか。
その女性の髪はバス内の薄暗い照明に照らされて艶めいていた。
しばらくその後ろ姿に目を奪われていたが、ハッと正気に戻り、スマホの電源を入れて何事も無かったかのようにスマホを弄り始める。
そうして何駅か過ぎた頃、まだ目的の駅に到着しないのかと視線を上にあげたところで、とある違和感を感じた。
視線を上にあげる瞬間、またしても視界にあの女性の後ろ姿が写る。写るのだが、先ほど3つ程前の席に座っていた筈が、ひとつ後ろの席に移動しているのだ。
なんか近付いてね?
そう思ったが、人間、バスの席を移動することなんて日常茶飯事だろと深くは考えないようにし、目的の駅までまだ当分は掛かると確認した後、再びスマホに視線を落とした。
それから暫くして、今度は首が痛くなってきて首をコキコキッと音を鳴らして回す。
その際にまたしても女の姿が視界に入る。
その瞬間、流石にギョッとして身構える。
またひとつ後ろの席に移動しているのだ。
自分視点から見ると、確実に自分との距離が縮まっている。
自分と女性の間にある空席はあとひとつ。
流石に怖くなってきて周りに視線を向けるが、誰も意に介していないようだ。まるでそこに誰も居ないかのように。
おいおい、嘘だろ嘘だろ……。
冗談じゃない、と思い席を立とうと視線を戻すと、既に女性は自分の前の席にまで移動してきていた。それもちょうど自分の顔の真正面に……。
今まで霊的なものや怖い話等、所詮全部作り話等と思ってきていた故に、こういう経験をするのは初めてで、席を立とうと力を入れていた脚からは力が抜け、腰は既に抜けて動ける状態ではなくなっていた。
まずい。何がとは言えないがとにかくまずい。この女が俺の方を振り向いたら絶対まずい……!
勘ではなく本能でそう理解し、必死に脚に力を入れようとして、不意に突然起こったことに思考が停止し、顔が引き攣る。
shake
女の顔があった。
振り向くのではなく、長髪を掻き分けて顔をさらけ出していた。
その顔は女児の顔をそのまま老けさせたような、無邪気さと不気味さを持ち合わせた一目で気持ち悪いと言える顔をしており、それと同時に、自分は今までその女の後ろ姿を見ていたのではなく、最初から最後まで互いに顔を合わせていたのだという事実に血の気が引く。
硬直して動けず、目が離せなくなっている状態の最中、顔をさらけ出した本当に老婆なのか分からない女は、唾液の糸を引きながら口を開き、こう呟いた。
『や っ と 目 が 合 っ た ね』
うふふ、へへ、は、はははははははーーー!!
表情ひとつ変えずに大声で笑い出す。
その瞬間、俺の意識は遠のき、深い闇の中へと落ちていった……。
作者宵時雨
シンプルに怖いやつ。